これからのアドマンに求められるもの





このところの情報化の急速な進歩とともに、コンピュータやネットワークなしでは、とても仕事にならない、という人も増えていること思います。個々の個人にとっては、ネットワークがなくては仕事にならない、という感想はあって当然でしょう。それは、電話がなくては仕事にならない、召使いがいなくては仕事にならない、というのと、同じ文脈ですよね。

一人の人間の中では、価値を生み出している「クリエイティブな仕事」と、「単に何かを動かしているだけで付加価値を生まない作業」とが、ある比率で同居しています。この中で、ネットワークなり、召使いなりというのは、いやな「作業」を代替してくれるものですから、個人にとって役に立つものです。

しかし、このような「作業」代替物は、それ自身としては付加価値を生むものではありません。あくまでも、「クリエイティブな仕事」にかかりきりになれる環境を作ってくれる点で、間接的に、付加価値に貢献するワケです。

ですから、道具が進歩することによって、それを使用するヒトも変化するという意見も、これも同じ文脈の中で考えれば、ある面では正しいと思います。しかし、付加価値を生み出す人間の本質的なクリエーティビティーそのものは、こんなものでは変化しないでしょう。

逆に、情報化が進むことで、いままでクリエーティビティーがないのに「知識」の組み合わせだけで、ものを作っている人の化けの皮が剥がれ、正体が明かされてバカにされるのが関の山です。ヒトの変化という意味ではね。

だから、これからはビジネスの中でも、一層、こういう「知識」の対極にあるアート的(純粋芸術的)センスが必要とされるだろうとおもいます。驚き、感動、喜びといった、新鮮な感覚を与えるということ。

もともと広告業界ではこれは重要でした。しかしこれなしでも、右のものを左に持ってくだけでも金がもらえたという、昔の広告業界のような商売ができなくなるというのが、広告関係での最大の影響ではないでしょうか。広告主の感覚が変化するという意味で。

さて、広告主の広告費支出のロジックを考えてみれば、すでにフィーベースなんですよね。媒体確保に対して利益分を与えているのではなく、提案そのものの持つ付加価値に対して利益分を与えているというのが、基本構造ですから。結果的に、その利益分が顕在化するのが、提案に対する見返りとして与えられるスポット等の媒体扱いのマージン部分というだけの構造。

ただ、現状では広告主にとっても、新しいロジックを振りかざすより、旧来のロジックとごっちゃまぜにしていたほうが、いわば二枚舌を使い分けられるので得だ、というだけのことです。そりゃ、商取引においては、製造業の広告主さんのほうがずっと百戦錬磨。このあたりのしたたかさではかなうわけがありません。だけど、負けてるだけじゃダメなの。だまされてるフリして、こっちも切り返さないと。そのうち切り返しがあるだろうということは、わかった上であちらさん、二枚舌を使ってるわけだし。

で、どうしたらいいか。そのためにまず広告会社の役割としてどんなものがあるか、考えてみましょう。広告会社を大きく分けると、互いに特化すべき方向が違う3つの機能になります。

最初は営業チーム。これは、基本的にはプランニング・プロデュース機能を担う、広告作業の中核。ここで求められる素養は、理想のアドマンたること。一人でAE、CD、MD、SPD機能を兼ね備えた「理想のアドマン」を中心に広告主の売上に直接貢献できる提案を行えるチームを作り、広告主ごと、商品ごとに張りつける。チーム間の競合もどんどんすべきでしょうね、市場原理による活性化のためには。そして基本的に稼ぎはフィーで取る。
で、一人でAE、CD、MD、SPD機能を兼ね備えた「理想のアドマン」を中心とはいっても、一人で全てできるわけではありません。手数がいります。どんなに情報化が進んでも、すべての雑務を機械ができるわけじゃないから、それをサポートする意味で「チームがいる」のは仕方ないところでしょう。

次はマス媒体担当。これは一言でいえばディーラーですよ。相場を読んで、いかに効率よく枠を押さえるか。で、枠の販売のほうは人間はいらない。コンピュータに入れておけば、オンラインで自動販売できる。目的にそったメディア配分やメディアプランニングは、各媒体が純粋に効率指標にシンクロして売買されるようになりさえすれば、「ターゲットと目標認知率、そして予算」から、自動的に配分が決まっちゃう世の中になると思います。そうなれば、告知の目標を決めさえすれば、あとはコンピュータの自動販売機で済む。
枠だけでいいお得意さんなら、端末だけあればいい。面白いメディアミックスとかの提案の時のみ、営業チームに枠を「卸す」ようにすればいいでしょう。これは業販もやってる酒屋と、飲み屋の関係みたいですね。ま、ここは率は薄いけど、稼ぎはマージンですね。

三つ目は現場プロダクション機能。SPだCCだといった領域では、現場に対する企画機能と実施機能とは、不可分の関係にあって、今みたいに広告会社の担当と外部プロダクション、って感じでは元来切りようがないのね。あとCRでも、不可分の切れ目が、広告会社のほうににじり寄っている傾向は否定できない。こうなると、この両者をつなげちゃって、営業チームから直接受注できるようにすべきです。ここもフィーベースといえばフィーベースだけど、どっちかというと、利益も原価の一部として管理すべきでしょう。タイムチャージとかそういうスタイルで。

で、これらをそれぞればらばらに別会社にして、持株会社が上に乗っかれば、活性化しますよね。でも、それって何かに似てる。結局、欧米のメガエージェンシーグループの形態と、限りなく近づいちゃう。手段としての電子メディアとかネットワークが使えるようになって、このようなヴァーチャルな企業の形態が、理論上から現実の形態になってきたということでしょうか。

ぼくは、この点については極めて楽天的です。そもそも将来は、いいほうへ進むのだから。現状においても「理想のアドマン」はけっこう業界にいるし、広告屋のヒトって、要領はいいけど根はマジメだから、「能力を発揮しなくては、喰ってけないぞ」といわれれば、きっと底力を出すヒトが多いですよ。だから、まあ、楽天的になれるんだけど。会社に頼らず、みんなが自分の力で稼ぐ、ってノリになってくれば、これはすごく強いと思う。

これについて最もゆゆしき問題。それは能力発揮以前の問題として、物理的に忙しすぎる状況に落ち込むこと。確かに作業が忙しくなりすぎると、本来人間がやるべき「仕切り」に時間をかける以前に、労働集約的な単純作業に消費されてしまう時間が増えすぎてしまいます。でも、これは根本的に間違ってます。

こういう「作業」こそ、機械化や、外注化を進めるべき部分であって、社員がやるべきは「仕切り」の部分なんですよね。将来の手数料率の低下を考えると、特に媒体取引では、「仕切り」そのものである料金交渉の部分だけを人間がやって、あとは全部VANでオンラインでできるようにしないとやっていけないでしょう。これが、前に言った「媒体取引のディーリング化」です。こういうところにこそ、新しいテクノロジを活かすべきでしょうね。

次の問題点は、着眼点です。理想論としては、「生活者への仕掛け」という発想は広告ビジネスの原点といえるでしょう。しかし、現実を考えると、いまやマス広告だけでキャンペーンができる時代ではないわけだし、仕掛けが巨大であればあるほど、生活者の心から遠ざかってしまい、仕掛けどころではないでしょう。

確かに昔あったような媒体発の仕掛けは、あまりクライアントのためにならないモノが多いですが、営業発の仕掛けなら、クライアントのニーズや問題意識を先取りしたモノなワケですから、これはクライアントにとっても、もっとも付加価値の高い提案になりますね。本人が気付いてもいないような問題点や可能性の提案は、前向きな企業ならばもっとも重視してくれますし、逆にこれを聞かないような会社には、将来はないといってもいいでしょうね。

では、どうすればこういう問題に対し、バランスを取ることができるのか。どこに理想と現実の接点があるのか。その答は、プランナーの心の中にあるのではないでしょうか。発想するとき、常に、生活者がより幸せになる、気持ちよくなる、心が豊かになる、ということを基本として企画をたてる。少なくともアドマンは、どんな場合でも生活者の気持ちがわかるプランナーでなくてはいけないし、それが、生活者への仕掛けを生むことにつながるのではないでしょうか。

広告業界の中でも、「電通は個人商店の集まり」と昔からよくいわれています。しかし、広告主に対するビジネスにおいては、これは永遠の真理でしょう。組織でどうこうしても始まらないのが広告ビジネスです逆に、もっと個人商店の集まりであることを是認して、予算以上の利益額を上げたときの分配など、どんどん権限委譲をして、個人で裁量できる範囲を増やしたほうがパワーは増すと思います。

組織も、業務も、もう一度原点に戻って「個人」から再構築する。これが次の時代の広告ビジネスを活性化する、最も古くて最も新しい道なのです。


講演資料(95/03)



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