デジタル時代における通信・放送の融合





かつてアナログインフラの時代では、ちょうど鉄道がレールを自前で持っているように、周波数等により分割された伝送経路をメディアが自前で持つ必要があった。今でもメディア論の多くが、この時代の考えかたを引きずっている。しかしデジタル時代においては、基本的にインフラは帯域分割・時分割で利用されることになる。したがってデジタル時代のインフラは、いわば高速道路のような共用の器になり、その中を色々なコンテンツが、文字通りオブジェクトオリエンテッドで流れてゆくことが基本になる。このように、インフラにおいてはもはや放送・通信を区別するモノはなくなる。このような時代において、日本において放送と通信という区分を考えるならどのようなモノになるかについて述べてみたい。

a. 放送と通信のルールについて



1. インフラ・ネットワークのボーダーレス化により、放送・通信に関するルールは、グローバルスタンダードから離れては成り立たなくなる

ユーザーにとっては、ナショナリズムよりコスト意識。インフラが手段である以上、安く手軽に使えるインフラの選択が常識であり、一国ローカルルールへの固執は、ビジネスとしての成立基盤を奪うことになる。インフラの運営自体がビジネスとして行われるモノである以上、グローバルスタンダードの遵守は必須となる。

2. 現実社会とネットワーク社会がダブルスタンダードになっては、インフラの利用は活性化しないため、共通のルール化が原則となる

現実世界でできることは、すべてネットワーク上でも許されることが、社会・経済のネットワーク化の大前提。現実社会でやっていることを、ネットワークを利用してやった方が、速く安くできてはじめて積極的に利用される。このためには、ネットワーク上で独自の規制や制約があってはならず、すべての面で一般社会と同じルールが適用される必要がある。

3. インフラ利用の活性化のためには市場競争原理が働くことが不可欠であり、「原則自由、例外規制」を基本ルールとするべき

市場にあふれる新たなニーズ、創意工夫を取り込むには、お上が許したことしかできない「原則規制・許認可制」では対応不可能。規制は最低限の調整機能にとどめ、新たなニーズに敏速に対応できるようにしなくては意味がない。NTT民営化に伴う通信の自由化が、どれだけ通信事業者のビジネスの拡大をもたらしたか考えてみよう。

b. 放送と通信の基準について



1. インフラ利用の基本は通信は、自己責任に基づく能動的利用が基本であり、広くあまねく公平なサービスの保証こそ必要なものの、規制とは相容れない

インフラ利用の基本形態は「通信」というのがグローバルスタンダードであり、より広い利用ニーズを掘り起こしインフラ需要を活性化するには、「通信」の原則に立ち、すべてのユーザに対し、広く遍く公平に、オープンなサービスを保証することが前提になる。

2. 現状で放送と通信の境界領域にあるコンテンツサービスについては、通信としてのルールの適用が望ましく、放送的な一律基準に基づく規制はふさわしくない

放送類似サービスでも、受け手側が能動的に選択しない限りアクセスできないサービスについては(有料コンテンツ、会員制コンテンツ等のスクランブルをかけたコンテンツ)、原則的に「通信ルール」を適用し、コンテンツの内容に対する規制や許認可の網を掛けることなく自由な利用を保証することが望ましい。これによりはじめて、大容量のインフラニーズが生まれ、ビジネスチャンスの拡大を図ることができる。

3. インフラ利用形態としては、あくまでも「通信」を基本とし、その中でも公共性や社会性のある特別なコンテンツサービスを限って「放送」とするべき

公共性や社会性が問題になるのは、インフラ上のコンテンツサービスの中でも、受け手に受動的に提供される強制流通力を持つ、マスメディア型のコンテンツサービスのみである。これらの、主として無料・広告放送により提供されるコンテンツについては、現状の放送のような公共性や社会性についての基準を設けるべき。

c. 放送・通信融合時代のコンテンツについて



1. インフラ利用の活性化のためにはコンテンツ流通の拡大が不可欠であり、このためには自由な流通が保証される必要がある

インフラニーズの拡大のためには、コンテンツビジネスにより商品として提供されるマスメディア型のコンテンツのみならず、携帯電話普及における「おしゃべり」のように、必ずしもビジネスとはならない多様なコンテンツの流通が必要である。このようなコンテンツ需要を高めるためには、「コンテンツの自由」を貫徹することが必須である。

2. コンテンツの内容については、出版物と同様「表現の自由」を基本とし、内容規制より「受け手による社会的選択」により判断すべき

「a-2」のように一般社会と同じルールを前提とし、「b-3」のように強制流通力を持つマスメディア型コンテンツのみに対しある種の基準を設けることを前提とすると、Vチップのようにアクセスしたくない人が主体的に回避できる道が用意されているならば、現実社会でのコミュニケーションで認められていることは、全て表現の自由として許される必要がある。

3. 公共性のあるコンテンツ(マスメディア性の強い「放送」型コンテンツ)については、当事者による自主的な内容の質的向上を図る仕組みが望ましい

日本のコンテンツビジネスが今後グローバルに展開し、ビジネスとして市場を拡大するためには、単に集客力だけでなく、良質で、社会性・公共性にも配慮したソフトを提供する必要がある。これを前提とすると、マス型コンテンツにおいても、規制による公共性・社会性の確保より、良い意味の競争原理が働くことにより、質的な向上が自助努力により図られるような道を開くことが望ましい。

(98/03)



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