ワールドメディアビジネスの動向と日本への影響




はじめに



メディアの動向というと、最近では「どことどこがくっついた、離れた」という「芸能ゴシップネタ」は飽きるほど細かく報道されており、このビジネスに関わっているヒトなら、よくご存じだと思う。従って今回は、ちょっと違った視点から「上級者向き」の解説といってみたい。現状がどうだ、こうだというより、それをどう読みとるか、どう他山の石として参考にするかというスタンスで行きたい。いわばミクロ的視点でなく、ビジネスとしてのマクロ的視点を基本におきたい。その意味では、放送局も、メディアも、世界のビジネスの動向や掟から自由ではない。この、極めて合理的なビジネスのグローバルスタンダードがメディア業界に持ち込まれたとき、何が起こるのかを考えてみたい。
ということで、キーポイントとしては、

・メディア企業の経営戦略という視点
・メディア以外の経済活動・ビジネスとの関連いう視点
・グローバル化の日本への影響という視点

という3つの視点をクローズアップして、海外メディアビジネスの動向と日本への影響を眺めてみよう。



第一部 今世界のメディアで起こっていること



1. 通信と放送の融合


まず最初に、通信ビジネスの変化という視点から、メディアビジネスの動きを読んでみたい。



(1) 規制緩和とメガインフラの登場


最近ではワールドコムによるMCI買収が記憶に新しいが、古くはSBC-Pacific Bell、Atlantic Bell-ナイネックスなど、96年米電気通信法の改正による規制緩和以来、世界的なインフラビジネスの再編が進んでいる。これこそ電気通信法改正の主眼とも言えるものであり、衛星やCATVなど、通信・放送の垣根を越えるカタチでの統合が今後一層進むと考えられる。
それとともに、必然的にメガインフラの登場してくる。インフラこそ、元来スケールメリットが活きる業種。公共の道路みたいなモノだ。利用者からみれば誰が提供しようと「使えればいい」し、容量一杯までは使おうが使うまいがかかるコストは同じ。大きければ大きいほど、安くかつ安定的にサービスを提供できる。各種規制が緩和されれば、スケールメリットの追及が起きるのは当然の帰結であろう。
ここで重要になるのが、インフラにおける通信と放送の融合という視点だ。ともすると、通信と放送の融合は、放送サイドから論じられることが多かったが、実は、通信ビジネスの側にこそ、大きなモチベーションとメリットがある。技術においては、もともと通信と放送に垣根はない。インフラも基幹部分は共有されてきた(古くはネットワークのマイクロ回線)。今後は、業者間のみならずダイレクトに家庭までの需要を狙う。インフラのスケールメリット戦略からいえば、より安く使いやすい「回線」を提供することで、放送コンテンツも取り込もうというのは必然。この傾向はデジタル化により一層加速する。この結果として、通信と放送というビジネスの縦割りは崩れ、インフラとコンテンツという横割りのビジネスに再編され、これがコミュニケーションビジネスのグローバルスタンダードとなる。



(2) 通信と放送の融合からみた放送のデジタル化


放送のデジタル化については、放送ビジネスの側からのみ語られることが多いが、デジタル化のメリットはどちらかというと、高品位化、多チャンネル化といった「放送ビジネス」の側にあるものではない。デジタル化のメリットの本質は電波や施設といった一つのインフラ資源を、放送と通信が相互に利用可能になることで、より効率的なインフラ利用ができるところにある。これは、通信ビジネスの側から見た場合に、より明確になるメリットだ。だから通信と放送の融合なくして放送のデジタル化のメリットはない。ということは、デジタル化により通信と放送の融合は一層進むことになる。
これはデジタル化により、同じインフラ上で時分割・帯域分割によるコンテンツの「混載」が可能になるからだ。専用の線路を決めて、それごとにコンテンツを送るアナログ時代のインフラ利用法とは違う、デジタルならではのインフラ利用法。いわば「回転寿司」化。大容量回線で、中身を問わずパケットをまぜこぜにしてばらまき、受け手の側で必要なデータをキャッチして再編する。回線が太くて何でも入っているほど、利便性、効率性は増す。これが「情報スーパーハイウェイ」の本質。通信コンテンツも、放送コンテンツも、取り込めるだけ取り込んでしまえば、それだけ効率が上がる。このデジタル伝送の特徴こそが、通信と放送の融合を推進する。
このために重要になってくるのが、経路を問わず、同じデータを伝送すればいいというデジタルのメリット。デジタルデータは、送り手と受け手の間で経路を問わない「インターオペラビリティー」を持っている。デジタル化してしまえば、どういう経路を通ってもデータは変化しない。コストや速度、容量などを比べて、いちばん効率の良いものを選べばいい。放送のデジタル化は、ソフトビジネスの側からいえば、多様な伝達経路を効率的に利用可能になることともいえる。



(3) コンテンツにおける通信と放送の融合


放送のデジタル化の本質は、インフラにおける通信と放送の融合にある。その証拠に、アメリカでもイギリスでも、デジタル化に先だって「インフラとコンテンツの分離」が法制度的に確立している(イギリス90年放送法、アメリカ96年電気通信法)。これは通信インフラの側からすると、膨大な容量を消費してくれる放送の映像系コンテンツを、その利用者として安定的に取り込めることを意味する。まさに、映像系コンテンツはインフラ需要のカギを握っているともいえる。
そもそもコンテンツがユーザーに届けば、どの経路を使おうともコンテンツビジネスとしての放送は成り立つ。多様なインフラ選択によるコストダウンは、コンテンツ側にもメリットは大きい。「コンテンツビジネスとしての放送」がインフラから自由になることにより、コストを考えたフレキシブルな選択が可能になるとともに、インフラコストが、いわば買い取りからリースに代わり、資金負担も軽くなる。これはビジネスの利益構造を改善し、コストの下方弾力性を増すため、採算性という面で大きな可能性をもたらすことになる。
このように伝送コストが安くなると、放送型のコンテンツビジネスへの参入障壁が下がる。ハイコスト・ハイリターン型で、公共性を持たせてマスを狙う既存型の放送への参入はリスクが大きい。しかし伝送コスト低下により、ニッチなターゲットを限定し、その仲間内のコミュニケーションと割り切った「放送」も可能になる。これならローコスト・ローリターンで、等身大のビジネスとして運営可能だ。公共性・社会性と関係ない、通信・放送境界領域コンテンツが、今後主流化するといえる。Vチップによる受け手責任による選択も、コンテンツ面で公共性を重視する「放送」から、より何でもありの「通信」寄りへのシフトを強めるのに役立つ。



2. マネーゲームとしての映像ソフトビジネス


次に、コンテンツという面で放送ビジネスと密接な関係を持つ、映像ソフトビジネスのモチベーションという視点から、メディアビジネスの動向を読んでみたい。




(1) 映像ソフトビジネスにおける「制作者」と「製作者」


アメリカにおいては90年代以降、経済の原動力が、フローからストックへ変化した。これが一方で、日本の金融ビッグバンをもたらすことにも繋がる。アメリカでは国民の「総投資家化」が進む。もともと映像ソフト(映画・番組等)は投資対象とされてきた。しかしそれは一部の特定投資家だけの関心事だった。今後は一般投資家からも熱い視線が注がれるようになる。それとともに今までとは違い、ハイリスク・ハイリターンではなく、コントロールされたリスクとリターンが期待できるビジネスとしての側面が強まる。映像ソフトビジネスは、エンターテイメントビジネスとしての側面より、金融ビジネスとしての側面の方が一層重視されるようになった。
こうなると、映像ソフトビジネスのカギは、投資のポートフォリオにある。ポートフォリオを組む上では、個々の企画の評価や、期待される売り上げ等についての「読み」も必要だが、それ以上に全体の配分の中でどうリスクヘッジをかけるかというノウハウの方が重要化している。制作者に求められる素養もそれとともに変化している。今や映像ソフトビジネス主導権はカネを集めて投資する「制作者」に移った。日本のバブル資金を集めて、製作現場が好き勝手できた時代はもう終わった。
製作現場はもはや映像ソフトビジネスの主流ではない。もちろん実際の映像ソフト製作現場は、金を生む上では必要不可欠だが、金融ビジネスとしての映像ソフトツビジネスからすれば、メインステージではなくなった。投資したお金が、さらに利益を生み出してくれるのであれば、投資先は必ずしもハリウッド的でなくてもいい。コンテンツビジネスとしての側面が強まった「放送」ビジネスも、このゴールデンルールからのがれることはできない。



(2) ポートフォリオとしての「ローカル指向」


有り金全部を一発大当たりに賭けるというのは、ギャンブルではあっても、投資ではない。一発狙いは賭けではあっても、投資ではありえない。投資先が複数あるのなら、それを組み合わせてリスクヘッジを図ってこそ、投資の意味がある。投資ビジネス化が進んでいる映像ソフトビジネスでも同じこと。一発勝負はもはやありえず、多様な運用を組み合わせたポートフォリオの妙こそが重要になる。
さて、映像ソフトでローリスクとは、制作にかかった初期投資を、いかに早く確実にリクープできるかということ。その意味では、国内市場で制作費回収が可能な投資はローリスクということができる。アメリカが映画産業で圧倒的な地位を築けたのは、もともと国内の市場が巨大であり、国内マーケットで基本的な制作費リクープが可能な大きさを持っていたから。日本が、アニメーションやゲームソフトで優位性を持てたのも、その領域での国内市場の大きさがカギになっている。一般に、一国市場で制作費回収が可能なコンテンツは、リスクが読みやすいだけでなく、比較的リスクをコントロールしやすいメリットもある。
各国(特にアジア諸国)の国内市場が確立してきたのなら、ワールドワイドの大作を作るよりも、各々の国で確実にリクープ可能なコンテンツに分散して投資した方が安定するし、リスク分散のポートフォリオという意味でもメリットは多い。各国国内市場の規模が拡大すればポートフォリオは組みやすくなる。ディズニーの宮崎アニメへの着目や、イギリス映画の伸びなどは、こういう文脈の中でこそ読むべきだろう。



(3) リクープという視点から見たネットワークやプラットフォーム


アメリカでは長らく、ソフト制作と、配給・興行の兼営は禁止されてきた。従って、映像ソフト制作者にとっては、誰か金を生んでくれるところと組んではじめてビジネスになる。放送ビジネスの一員であるネットワークやプラットフォームも、まさにこの「金を生む機関」としてとらえられる。映像ソフトビジネスから見た場合、アメリカのネットワークやプラットフォームビジネスは、興行ビジネスと同様、投資した金をキャッシュフローというカタチで還元してくれる、極めて重要なパートナーだ。彼らがいなくては、せっかくの投資も回収できない。制作者が金を投資する側なのに対して、彼らは金を生む側だ。この役割分担は、今後一層重要化する。
特に重要なのは、放送でのリクープがローリスク・ローコストという点だ。放送、特に広告放送やペイ・パー・チャネル有料放送は、オンエア時点で既に売り上げが見えているという特色がある。これは同じく映像ソフトビジネスと結びついている、劇場興行や、ペイ・パー・ビュー有料放送、ビデオパッケージなどが、事後に締めてはじめて売り上げがわかる日銭商売なのと対照的だ。その分、映像ビジネスの中では異例にローリスクであるのみならず、一定収益を上げるのにかかるコストも少ない。
放送でのリクープのもう一つのメリットは、その収益のかなりの部分をファーストランですぐに回収してしまう点だ。ファーストランでの回収という魅力、これは財務的に大きな意味があり、資金運用という面で大きな魅力となっている。ネットワークでもシンジケーションでも、この点は変わらない。これは大型スポーツイベントが、その資金源として放送に多くを依存している理由とも共通している。



3. グローバルスタンダードの本質


歴史的なアメリカの産業政策という視点から、今やアメリカの基幹産業と位置付けられつつあるメディアビジネスのc。



(1) 自由競争による独占化 - レーガノミクスの本質


アメリカの産業政策の特徴としては、経済の基盤となっている産業では、過酷なまでの自由競争を行い、その中で勝ち残ったモノにリソースが集中してゆくように誘導する点があげられる。いわば「競争による集中」こそアメリカ経済の原動力。自由競争の自由とは、脱落する自由、弱者が敗退する自由とさえ言われる由縁である。古くは40年代50年代の自動車産業のビッグ3への集中がそうだし、近年ではパンナムやTWAが倒産した80年代のアメリカの航空業界再編がそうだ。そしていま、電気通信のインフラに、この伝家の宝刀が使われはじめた。
アメリカの基本政策が「競争による集中」である以上、規制緩和もこの政策の延長上にある「強いモノをより強くする」戦略であるととらえることができる。規制緩和は「強いモノをより強くする」戦略だ。結果的に、より質の高い商品やサービスが、よりローコストで手に入るという意味では、消費者にとってのメリットは大きいが、競争している企業にとっては、逃げ場のない真剣一本勝負をせざるを得ないことを意味する。
このような熾烈な競争の結果「アメリカで1番」になった企業は、アメリカ国内市場の大きさを考えれば、そく世界一の競争力を持つ企業であると言える。あとは、アメリカン・ルールを「グローバル・スタンダード」と称して、海外諸国に飲ませるだけ。それだけで野に放った野獣のごとく、圧倒的な競争力を発揮することになる。この貪欲さが、アメリカ基幹産業の世界的競争力の源になっている。



(2) 垂直統合から水平統合へ - 勝者総取りこそ、究極の資本効率



利権の時代は、利権を中心に上流・下流を押さえる垂直統合も意味があった。しかし今では、、垂直統合は投資という面では意味があっても、事業いう面ではメリットはない。デジタル・ハイテクの時代であると同時に、規制緩和の時代である現在では、同じことがよりスマートに、よりローコストに実現できる方法がいくらでもある。規制そのもの、利権そのものが意味を成していない。垂直統合は、投資家のポートフォリオ分散の中にこそ残っているが、事業という面ではうまみはない。いまやコアコンピタンス重視の経営が基本となった。強みをより強くする本業回帰こそが成功を生む。
メリットはそれだけではない。少なくとも、企業間での競争による勝ち負けから自由になる分、企業間での競争によるリスクから自由になり、その産業分野自体の成長率は確実に稼げるようになる。各レベルでの水平統合による独占こそ、究極の投資効率をうむ。競争による変動やリスクの影響がなくなるからだ。それだけでなく、自分の持っている強みをフルに活かせるので、自社の持つ経営資源の最大限に効率的利用を図ることで、自社の努力で産業成長率を増大させることも可能になる。
さらに、デジタル・ハイテクの時代だからこそ、独占の弊害がなくなってしまう点も見逃してはならない。デジタル・ハイテクの時代は変化が速い。同じサービスや製品が、全く違う技術をもとに、よりローコストで実現可能だ。だから現状に安住した瞬間から、思いもよらなかった新参者にその地位を奪われることも充分にありうる。自分自身がその強みを活かして、率先して変化していかない限り地位を守る手だてはない。だから、古典的な意味での独占の弊害はもはやありえないといえる。



(3) 広く遍く囲い込まないことが、独占的地位を強める


古い利権の時代においては、顧客や利用条件を囲い込むことで独占的な地位を強められたが、競争による独占の時代においては、囲い込みは自らの競争力を弱めることにつながり、せっかくの強みを失うことにもなりかねない。水平統合の時代では、顧客や利用条件の囲い込みは自らのチャンスを奪うことにつながる。かつて、NTTが手がけた「ニューメディア」では、CAPTAINやダイヤルQ2のように、その情報内容に口出ししたモノはことごとく失敗に終わってしまったという、貴重な教訓を忘れてはならない。
また国内で独占的企業が成立しても、国際間の競争には常にさらされることになる。色々な規制が取り払われれば、自国の企業だからといって、取引上の条件が悪くても使うというヒトも企業もいなくなる。基本的に規制緩和の時代では、国益よりは商益。使い勝手がいいかどうかだけが問題だ。従って、独占企業といえども、より顧客にとってよりよい条件を提供し続けなくてはならない。逆に、独占企業だからこその強みを活かした、安くて魅力ある商品やサービスの競争が繰り広げられることになる。
独占の効果は上がる
インフラ的なサービスで独占が行われた場合、設備の利用効率は極大になる一方、間接コストは極小になる。従ってインフラ的なビジネスほど、独占のメリットは最大になる。アメリカンスタンダードとは別に、ヨーロッパにおいては通信・放送は国営の伝統があり、民営化された後もインフラ部門は、独占的な事業体が存在している。ドイツ・テレコムや、BTが、その旧体制的な独占性を逆手にとって、海外進出で有利に立ち回れたのはこのためだ。その成立プロセスは別であっても、インフラにおいては独占的事業体の存在が今後のワールドスタンダードになると考えられる。



4. 利権からマーケティングへ
これらの変化に対して、当のメディアビジネス自身はどう対応してゆくか、その動向を読んでみたい。



(1)「儲かるもの」から「儲けるもの」へ


アメリカでCATVビジネスがテイクオフした80年代、プログラムサプライヤーにおいてはすでにマーケティング的発想が取り入れられている。米国プログラムサプライヤは、既に80年代マーケティング勝負の時代へ突入していた。CNNも、極めてローコスト経営からスタートした中で、いかに他にない「売り物」をもって差別化するかという戦略をとって成長した。もともと放送は、設備投資を除けば極めてコスト弾力性が強いビジネスゆえ、この戦略の良し悪しは、大きく利益にはねかえる。
かつては、免許利権を持っているだけで「金になった」時代もあった。しかし、それはもはや手段にしか過ぎないことは、既存の局の間でも熾烈な視聴率競争があり、業績に優劣がつくことからもわかる。免許はあくまでも競争に参加するためのものであり、利益を生むかどうかは、そこから先のアイディアと努力にかかっている。権利だけでは、単なる入場券でカネにならない。メディアのマーケティング戦略が問われている理由だ。
モノが売れない時代といわれる。作れば売れた「飢えていた」時代と違い、各ターゲットにあわせた魅力と個性のある商品にしか、お金は出してもらえない。しかし、メディアのマーケティングは、コンテンツが時間とともに消費されるものゆえ、常に潜在ターゲットを期待できる分マス性があり、、まだまだ古典的なマーケティング手法も充分有効で通用する。工夫次第で、ビジネスチャンスもまだまだ大きいものがある。



(2) 通信・放送融合時代のインフラマーケティング


「水や空気のようなもの」という表現があるが、インフラの究極的な姿もここにある。インフラへの設備投資は、使えば使うほど効率的。どんどん使ってもらうためには、インフラやそのサービスがあることさえも意識させないような、独特なマーケティング戦略が求められる。航空会社がマイレッジでサービスしても、空気を運ぶよりは効果的とばかりに、激しいサービス合戦を繰り広げる理由もここにある。
だから、ミソクソ一緒でいいから、どんなもんでも取り込んでしまった方が勝ち。大容量のインフラになればなるほど、ピーク時以外の余力は大きくなる。建て前としての広く遍くを錦の御旗にし、清濁併せ飲むぐらいの度量がないと、国際競争時代には生き残れない。広く遍くは、やはりインフラの原点。建て前のみならず、実際のビジネスチャンスも拡大する。
インフラとしての自由度をフルに活かし、効率的な経営を行うためには、全方位外交戦略が必須になる。このためには、コンテンツに関して、特定の送り手や受け手との利害関係があってはならず、完全なフリーハンドを実現する必要がある。幅広い顧客をつかむには、送り手、受け手からの独立性がカギとなる。ひも付きインフラでは、誰も使わなくなる。



(3) 通信・放送融合時代のコンテンツマーケティング



コンテンツビジネス化した放送ビジネスにおいては、ビジネスマインド、マネジメントマインドが強化される。経営においても、より合理的な選択がなされるようになり、売上拡大主義から、コスト意識の強化による利益確保主義に移行する。これからの放送ビジネスでは、コストコンシャスで利益を生む発想がカギになる。それと同時に資金の回収効率という視点も重視され、広告放送のもつ「ローリスク・ローコストのリクープ」という特色が一段と見直される。
必ずしも、たっぷりお金をかけた大型の企画が、利益を生むわけではない。かえってそういうコンテンツはリスクが多く、話題の割に儲からないことが多い。それよりは、確実に稼げる収入をまず押さえておき、それにあわせたコンテンツや編成を考えてゆく方が、確実にビジネスになる。アイディアからスタートでなく、金の読みからアイディアに結びつける発想が必要になる。まさに、儲けるためには中身も運用もアイディア次第、というワケだ。
こうなると、世の中に流通するコンテンツの絶対量も増加する。
Webの例を引くまでもなく、権威のあるジャーナリズムも、有象無象のアダルトコンテンツも、「一つのコンテンツ」という意味では同格。今までの免許事業のように、「放送に乗ったから偉くて正しい」ワケではない。本屋に並ぶ書籍と同じこと。これからは、情報に対する信頼度は、コンテンツ提供者のブランド力に基づく。コンテンツ洪水を生き残るカギは、コンテンツにおけるブランドの確立にある。中身の積み重ねもさることながら、これからはコンテンツもナショナルブランド商品のような「ブランドマーケティング」により、そのブランドイメージを築く努力が必要になる。



第二部 グローバル化の波が日本に与える影響






日本に与える影響-その1-


インフラとコンテンツの分離がグローバルスタンダードになり、インフラは通信・放送が融合するとともに、放送はコンテンツ提供ビジネスと再定義される

郵政中堅官僚でさえも、彼らの意識の中にある将来ビジョンとして、明確にこのグローバルスタンダードが意識されていることは、最近の各種報告書の論調からも明白だ。実際の企業や産業構造の再編にはそれなりの期間もかかろうが、法制度的な体系としては、放送のデジタル化が完了し、サイマルのアナログ放送が廃止される2005〜2010年頃には、日本でもこの新体系が基本ルール化すると考えられる。

日本に与える影響-その2-


インフラの部分においては、国際的メガインフラがプレーヤーとして国内市場にも登場してくるだろうが、ユーザーからみた場合には、コスト、使いやすさ以外になんら違いはない

金融ビッグバンも、消費者からみれば、選択の幅が広がるというメリットのほうが大きい。いろいろな金融商品の中からより安定性が高く、より有利なものを選べばいいだけだ。インフラも同じこと。日系だろうと、外資系だろうと、安くて使いやすいサービスメニューを提供してくれるところを使うだけだ。ユーザーには何の思い入れもない。

日本に与える影響-その3-


放送と通信の融合により、広告放送市場の弾力性は各種予測以上に大きくなり、総市場は今後も大きく拡大する一方、マス型の有料放送はリクープコストの高さから早晩シェアの限界がくる

インフラとコンテンツの分離は、伝送コストの低下と必要資金の減少をもたらし、よりローコストの広告放送を可能にする。このため特定ターゲットに絞った、より安価で効率的な「広告放送」が可能になり、結果広告放送市場のパイは広がる。その分、有料放送と想定されていたコンテンツも、広告放送によりリクープ可能となり、よりリスクとコストの大きいマス型有料放送のシェアは減る。

日本に与える影響-その4-


マス型コンテンツにおいては、資金という面でのグローバル化は考えられるが、コンテンツそのものはローカル化が進む

コンテンツビジネスとしての放送の多様化が進み、日本の放送市場が拡大するとともに、アメリカを中心とする海外資金が投資運用先として日本市場に着目することは充分に考えられる。しかしその場合も、日本のコンテンツに流入した資金は、あくまでも日本市場ローカルでのリクープを目指すものである。コンテンツの製作者にとっては「いい金づる」ができたということに過ぎず、メリットこそあれ問題は起こり得ない。

日本に与える影響-その5-


どんどん拡大するたメガインフラの経営基盤を確保するには、放送と通信の境界領域の「送り手が金を出すコンテンツ」の取り込みとその市場の充実が不可欠

インフラ利用の敷居が下がったことにより、有料コンテンツにおいては、見てもらえるかどうかのリスクのある「有料放送」から、先にカネを集めて、それでコンテンツを作り放送する「会員制放送」や、宗教や通販のように、コンテンツのためのカネでなく、別のカタチで集めたカネで送り手の側がコンテンツを作って供給するスタイルが一般化する。



結論


月並みな結論ではあるが、今後起こり得るメディアビジネスの変化は、いろいろな方面で、意外なほど大きなチャンスを生む。しかしそれは利権時代のチャンスとは違い、可能性の広がりを与えてくれるものでしかない。それを活かすかどうかは、戦略的・主体的な取り組みによる。従って前向きに指導力を発揮するほど、有利な方向へ誘導できる可能性は大きい。民放事業者をはじめとする既存の放送関連ビジネスも、コアコンピタンスとしては大きな強みを持っている。これを活かすかどうかは、時代の風を読み、進むべき方向を読む戦略性にかかっている。


(98/06)



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