西九州の追憶 その5 松浦線 2 -1971年11月-


さて、延々引っ張ってきた長崎シリーズ。元は2日間、それも全日撮りまくるのではなく、特定列車に一撃離脱を3回という、きわめてピンポイントなスケジュールだったにもかかわらず、半年近くネタが続くというのも、このシリーズならでは。またもやアストロ球団化計画進行中とでもいうべきか。それも、相当に劣化の激しい国産35oネガカラー。ぼくとしては、このエリアはこの時しか制覇していないので、記録としては貴重なのですが。まあ、中には長崎方面ばっかり撮影していた方もいらっしゃるとは思いますけど。しかし、世の中に終わりのないものはない。とうとう長崎シリーズも今月で大団円。ということで、松浦線の第二回目。前回と同じ日、同じ駅、同じ列車ではありますが、行ってみたいと思います。



前回のラストの2カットの続きで、今度はちょっと引いて駅の全景を入れて撮影したカットです。文字通り自画自賛になってしまいますが、こういう駅の情景をカラーで撮っているというのは、いかに状態が悪くてもかなり貴重です。まあ、このコマは一連のカットの中では状態のいい方ではありますが。特にぼくのようなジオラマ屋さんからすると、イマジネーションを掻き立てられる宝の山です。日通のトラックとフォークリフト、そして日通事務所の色味。奥にちらっと見えるバス。このあたりは、モノクロ写真と記憶でもなんとかなりますが、本線と貨物側線の質感の違いは、カラーでないと出せませんね。九州にはローカル線でも多かった、木ではなく古レールを構造材に使ったホーム上屋も、その時代を知る人にはなつかしい限りです。


ここからは、機関車のアップが続きます。もしかするとこのカットの方は、前のカットより前の入換をしている途中で撮影したものかもしれません。まずは、非公式側の側面のアップから。露出が悪いのが惜しいですが、関さんのK-7デフ、パイプ煙突、ステンレスの飾りと、この機関車の特徴はそれなりに押さえられています。こうやってみると、デフの上辺は通常型のデフレクタ(ドイツ式に言えばワグナー式ということになるんでしょうが)と同じ位置なのに、小工デフのステイはかなり長くなっていることがわかります。8620型式は、動輪径は1600oとかなり大きいのですが、それに比べてランボードの位置の低さが目立つということになります。国鉄制式機の仕様が固まる前の機関車ならではといえましょうか。


続いて、48647号機の非公式側の型式写真(っぽいカット)です。非公式側は、厳密には型式写真ではありません。だから、非公式側なのですが。これは、けっこうディテールの様子がわかります。模型を作る場合にも、ある程度は参考になりそうです。8620型式は、ラストの100輌程度が新製時から空制仕様で製造されましたが、ランボード後半を持ち上げ、その下にエアタンクを取り付けるとともに、キャブの側板もランボードの持ち上げに合わせて裾を切り取り、上下高さを短縮したのが標準仕様となりました。これが標準的な改装パターンになったため、非空制で新製された当時のような深いキャブのまま空制化された個体は少ないのですが、この機関車はそのパターン。九州9600のような、コックの点検穴も開けられています。


さて、出発です。なんと列車はヨ5000が1輌のみ。模型ではなんか気恥ずかしくなりますが、実物ではけっこうありました。これはヨですが、ローカル線では貨物の出荷がなく、手荷物輸送用のワフが1輌のみという列車も珍しくありません。それのみならず亜幹線でも、主要な荷主の工場が休みになる祝日や正月とか、出荷する荷がなくヨやワフのみというのも結構見ました。小レイアウトなら、単行ディーゼルカーと、C11や8620、あるいは9600などに、緩急車1輌のみの貨物と割り切ってしまっても一向におかしくはないと思います。これなら、定尺レイアウトでも、ジオラマお立ち台の延長という発想で、いろいろアイディアを盛り込んだ景色を作り込むことができそうですね。


さあ、そんな方向けのイマジネーション・フォト。というわけではありませんが、まさに小型レイアウトを思わせるシーン。まあ出発信号機の小ささを見てもらえばわかるのですが、実物ではこれでもカーブのところまでで何百メーターかあります。しかし模型だと、すぐに出発信号機があってそこからカーブになり、そのまま脇にある山をぐるりと180゜左カーブで回ると、ちょっと開けた平地があって、田んぼが広がる田園風景の中を列車が走る、という感じでしょう。それなら、400Rで作れば定尺に入ると思います。できれば、米国式の4フィート×8フィートで作りたいですが。まあいずれにしろジオラマは、ある種視覚のトリックを使うわけですが、こんな感じをレイアウトにしたいというのが、模型でも蒸気機関車を愛好される方の多くが夢見る世界ではないでしょうか。


さて、今回も父親のスポンサー付きですので、タクシーチェイスがあります。が、海岸線に沿って紆余曲折して走る線区なだけに、好撮影地がなかったようです。なんとかキャッチアップしたところで、そのまま撮影してしまいました。撮影地はおよそわかりませんが、そんなに景色が変わっているとも思えないので、松浦鉄道に乗れば、ここで撮ったんだってのはわかると思います。何の工夫もないカットですが、駅でない走行中の写真はこれしかありません。まあ、カマが特徴的な48647号機なんで、西九州・松浦線ということがわかるのがせめてもの慰めでしょうか。まあ、こういう景色もお立ち台ジオラマにモディファイしやすい情景ですね。


というわけで、長崎シリーズ最後のカット。48647号機の見返りショット。それでも発見はあるもんで、キャブの雨樋兼手摺りが、ステンレスパイプ製のものと好感されていることがわかります。結構九州が長いカマにも関わらず、コンプレッサのマフラがオフセットされていないのもわかります。純正LP42と合わせ、わりと九州らしからぬ仕様です。まあ、こっちの方面ももう少しちゃんと行きたかった気もしますが、長崎・佐世保は北九州からも中途半端に遠いんですよね。どこかを集中して撮るためには、時間と費用の制約から、どこかをあきらめなくてはいけない。当時はまだ中高生でしたから、相当に選択と集中をしないと、当たり前のところで当たり前の写真を撮って終わりになってしまいますからね。その思い残しが、模型の道を選ばせたワケですが。


(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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