西九州の追憶 その1 長崎本線 -1971年11月-


ぼくらが蒸気機関車の撮影を始めた頃は、九州でも筑豊地区を中心とする北九州や、南九州ではかなり蒸気機関車が活躍していましたが、長崎県を中心とする西九州は、一足先に風前のともし火という状態でした。記録として撮影には行き対ものの、かなり距離があるので、足を伸ばすとそれなりに日程は取られてしまう。しかし、列車本数は極端に減っていたので、撮影に廻ると非常に効率が悪い。なかなか悩ましかったのですが、親の用事についてゆくことで、長崎・佐世保方面に行けるチャンスが偶然生まれました。そういう事情なので、カメラは一台だけ。それも、旅行用写真を撮らなくてはならない関係上、ネガカラーを使用という非常に厳しい条件ですが、九州のパシフィックを追いかけたいという願望を持っている身としては、乗らない手はありません。てなコトで実現した、撮影旅行ではない撮影チャンス。今回からは、その時撮影したカットをご紹介します。



さて、そういう事情ですので、撮影できる時間帯は極めて限られてしまいます。もともと蒸気牽引列車の本数が極端に減っていたので、どっちもどっちとはいえるのですが。しかし、親の都合による旅行で一緒に行動するのでメリットもあります。それは、タクシーで追跡できるという、当時高1だった自分が一人で旅行に行ったのでは無理な撮影が可能なことです。狙うのは、C57牽引の朝の下り旅客列車。晩秋の九州は日の出が遅く、ギリギリ太陽が出てくるところまで足を伸ばし、そこから戻ってきつつ撮影するということにしました。父とタクシーに乗り、なんとか日の出の薄明かりが出てきたところで撮影開始です。闇夜のカラス状態ですが、なんとかブレずに止まっているのがせめてもの慰めでしょうか。


さあ、追跡開始です。朝日も段々と上り、あたりも少しづつ明るくなってきました。この時は、そういう感じでロケハンして構図決めてではなく、追いかけて追い抜いてその場で場当たり的に撮る、というスタイルでしたんで、撮影地がどこなのか全く記憶にありません。この当時は新線ができていませんから、長崎本線の旧線の喜々津-浦上間のどこかなんでしょうが、よく分かりません。おまけにこの区間でも、風光明媚な海沿い以外の区間の写真なんて、見たことがありませんから、考証しようにもお手上げです。この写真は、力行してドレンを切ってますから、出発シーンのようです。となると、本川内か長与でしょうか。どなたか、地元出身とかで場所の分かる方いらっしゃいませんでしょうか。
と呼びかけていましたところ、長崎在住の島田様からmailで「道ノ尾駅‐長与駅(現在は長与寄りに高田駅が新設されているとのこと)間の高田(こうだ)小学校付近」とのご指摘がありました。ここに追加修正するとともに、改めてお礼を申し上げます。


続けて、タテ位置で煙と朝焼けの空を狙います。朝の下り列車なので、モロ逆光。ならばシルエットというのは、狙いとしてはよかったような気がします。しかしこれでは、全く線区が特定できないですね。LP403一灯にリンゲルマンも見えているということで、わかる人には九州だと気付いてもらえるとは思いますが。とにかく使っているフィルムが、当時の言い方だと「ASA100(ISO100)のネガカラー」ですから、かなり無理してシャッタースピードを確保してますので、露出はアンダーもアンダー、メチャクチャです。プリントではここまで出ません。ほんと、デジタルハスゴいですね。本気にポストプロで加工すれば、もっとキレイな画が出ると思います。


さて、近づいてきたところで、お駄賃のアップ。このカットがあるおかげで、この機関車が早岐機関区のC57170号機ということがわかります。戦後製C57、いわゆる3次型のトップナンバー。新製以来、東北地方中心に活躍したカマで、この年の4月に新庄機関区から若松機関区に転属、その後早岐機関区に移動してきたばかりです。とはいえ、72年春の長崎地区の無煙化で、転属することなく廃車になってしまいますから、九州では約1年間の活躍でした。確かに、あまり九州内で活躍している写真を見ないですね。確かに、副灯のLP405を外した後のステイが良く目立っています。思い入れのあるカマではありませんが、記録としては貴重かもしれません。


列車追跡シリーズ、C57170号機の牽引する下り旅客列車最後のカット。陽もだいぶ上ってきて、逆光とはいえ、正面にも少しは光が来るようになりました。これまた出発シーンですが、どこの駅でしょうか。幸いこのカットには、キロポストが写っています。拡大してみると126km。旧線でいうと、道ノ尾駅が鳥栖基点125.8kmですから、道ノ尾でしょうか。しかし、今は道ノ尾って完全に長崎市内ですよ。どうなんでしょうね。まあ、なんといっても45年前。ほとんど半世紀前ですから、都市周辺なら回りの景色が大きく変わってもおかしくはないんですが。しかしこの景色、ちょっと雑然とした感じが、ジオラマ屋さんには心に染みるものがあります。


オマケといってはなんですが、この日に続けて撮った、長崎駅構内で入換に従事する9600形式。当時早岐機関区には2輌の9600形式の配属があり、長崎駅構内および臨港線の入換運用についていました。9600形式というと唐津線が最西端と思われがちですが、実は目立たないけどいたんですね。編成中に冷蔵車がいるあたりも、港からの出荷という感じが伝わってきます。しかし元の露出が悪いということもあるのですが、国産のネガカラーは痛みが早いです。同時期のTRI-Xと比べても、圧倒的に変色やカビが多く発生しています。ビネガーシンドロームも国産に多発していますし。当時はまだ、技術差が大きったということでしょうか。


同じく、入換中の9600形式を捉えたカット。これもヒドい露出ですが、かろうじてディテールがわかります。当時早岐機関区には59630号機と59679号機が配置されていました。このカットをよく見ると、この機関車は化粧煙突、標準デフ、中上タンクという特徴があります。両機はどちらも化粧煙突、標準デフですが、59630号機は中上タンク、59679号機は中中タンクという特徴があります。よって、この機関車は59630号機と比定されました。ホント、9600は一台一台特徴が違うので、ちょっとでもディテールがわかると、機番の比定がワリときっちりできます。これが楽しいところでもあるのですが。


(c)2015 FUJII Yoshihiko


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