四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年4月1日(その3)-


筑豊本線の折尾-中間間で撮影した2日間の全カットをお届けするこのシリーズ。いよいよというか、やっとというか、これにて第3回。日の出の遅い春の九州の朝も、やっと陽射しらしい陽射しが出てきた感じです。とはいえまだ朝日。かなり光線は低めに入ってきます。今回は折尾-中間間の複々線区間の中間地点にある、行き先別複々線から方向別複々線に移るための立体交差の付近で撮影したカット。若松方向の下り線が黒崎方向の上り線をオーバークロスしていました。蒸気牽引で重貨物がひっきりなしに行き交っていた路線ですから、築堤の勾配はかなりゆるめでスケールの大きな立体交差でした。今回のカットは、この築堤の横腹から撮影したものが中心です。



今回の最初のカットは、このシリーズでは初見参のC55形式。若松機関区のC5519号機の牽引する下り旅客列車。線路からみて若松発の列車です。オーバークロスにかかるところですね。19号機はこの時代、若松機関区唯一の標準デフ装着機であり、唯一の一次型機となっていました。1968年に若松区のC55が総入れ替えとなった際に、人吉から移動して来たものです。九州へは1958年に名古屋から転属してきたため、すでに小工デフ改造は山を越した時期経ったため、九州では珍しく標準デフのまま残るC55となりました。当時は撮影に行くと小工デフの装備機が来て欲しかったものですが、今となっては標準デフの方が希少ですね。


次に黒崎方面からの線路にやってきたのは、若松機関区の29692号機が牽引する下り貨物列車。車扱貨物ですが、返空のトラやセラが目立つのが特徴です。直方までの貨物で、そこから各炭鉱への側線のある支線区に送られてゆくのでしょう。このカットは、若松方向からの下り線の築堤の上からの撮影です。ちょうど10パーミルの勾配標が見えますが、取付の部分が10パーミル、その先はちょっと勾配が強まって15パーミルとかなるのでしょうか。絵柄も何も、線路がいっぱいあって交錯している感じを強調したかったようで、敢て立体交差の線路が入るような構図で撮っています。


接近してきた29692号機をアップで押さえます。29692(線対称)号機は、いわゆる「前・上」のエアタンク。九州では北海道と違い決してメジャーじゃないのですが、そこそこいたのでワリと人気者になることが多かった記憶があります。新製時から東北地方が長かったカマで、空制化もその時代ですから、若松のあとは西唐津から行橋と転属し、北九州の9600末期まで活躍したカマです。セフに続く2輌目には小倉工場配給車代用のトラ35000型が連結されています。直方機関区に部品を運ぶのでしょうか。蒸気現役時代には結構現場で必要とされる消耗部品が多かったのか、配給車が現役で活躍する姿をしばしば見かけたものです。


さて前回折尾までの往復を撮影した香月線直通列車が、上りとなって再びやってきました。牽引するのはAC6425基準のナンバープレートを正面に掲げる若松機関区の88622号機。この区間の若松方面の上り線は、下り線がオーバークロスしている分ちょっと外側にオフセットしています。その分、複々線区間でありながら、ちょっと単線区間のような亜幹線っぽい風情を漂わせています。線路脇まで迫った民家も、そんなイメージにマッチした感じ。88622号機は千葉機関区や新小岩機関区で活躍していただけに、房総方面の路線のような感じさえします。こうやってみると、ハチロクに客車3・4輌というローカル編成はなかなか模型向きなバランスですね。


築堤の中腹から黒崎方面の上り線をやってきた貨物列車を押さえます。牽引機は直方機関区のD6057号機。中小炭鉱からの出荷と思われる、石炭を満載したトラ・セラを連ねた編成です。朝日がかなり昇ってきたので完全に逆光になっていますが、バックを飛ばしてしまえば、それなりにディテールも写っています。このあたりは印画紙焼きでは非常に難しい、デジタルスキャンならではの絵作りですね。今では2線分が撤去されて単なる複線になってしまいましたが、この立体交差のところは複々線区間の華といえるところでしょう。勾配があって力行しますが、溜めた蒸気で乗り切るので煙は期待できません。とはいえ模型レイアウトのような「ためにする」立体交差ですから、モデラー心はくすぐられます。


同じくD6057号機のアップを見返りで。D6057号機は、前身のD5040号機の頃から新製以来北海道一筋で活躍し、1959年になって一転九州に転属となった珍しい経歴の持ち主です。久大線の無煙化とともにこの撮影の半年前に、大分から直方にやってきました。9600でもD50・60でも、化粧煙突は延長するかパイプ煙突に換装するかというのが九州流なのですが、57号機は珍しくオリジナルのままの化粧煙突を装備しています。確かに北海道はオリジナルのままで使う(クルパーを付けるので延長しない)ので、そのせいなのでしょうか。あと、よく見るとテンダの増炭板(正確には石炭寄せ板だが)が、側面のみ必要以上に長くなっています。これも履歴(北海道は本当の増炭板)のなせる技でしょうか。


間髪をいれず黒崎方面の連絡線から、直方機関区のD6052号機が牽引する下り貨物列車がやってきました。返空のセラと仕向地向けの貨車を連結した車扱貨物ですが、2輌目のレムが気になります。内陸部に向かう列車なので、このレムは返空ではなく実車だと思われます。となると飯塚とか田川とか筑豊の奥にある都市の市場に向けて、北九州の魚市場の中卸しから発送されたものでしょうか。卸関係は今では完全にトラックの独壇場ですが、この当時は漁港-魚市場間だけでなくその先でも鉄道輸送が使われていたのですね。北海道でも旭川とか帯広とか内陸都市の市場向けに発送された冷蔵車とよく見かけました。


D6052号機も、接近してきたところをアップで押えます。どうやらシルエットで煙を強調したカットを狙ってようなので、ぎりぎりまでトーンを沈めて煙を引き立ててみました。D6052号機は、元D50192号機。D50時代は関東圏で活躍していましたが、D60に改造後は横手機関区に配属され横黒線・北上線で活躍し、同線の無煙化後は磐越東線で活躍したのち直方に転属になりました。その経歴が色濃く残り、郡山式集煙装置を装備していた名残の短い化粧煙突や、九州では珍しいLP405一灯の前照灯など、東北のカマらしい特徴を残していました。このカマのテンダーは20立方米型で、これはオリジナルでしょう。前の57号機は8-20型ですが、改造前の機番からすると振替によるものでしょう。




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