四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間カラー版番外編 1971年12月15日(その10)-


前回で1971年4月の春休みに筑豊本線の折尾-中間間で撮影したカラーカットは全部出しきってしまったのですが、今回も前回からの流れで、同じ年の12月に三度目の九州撮影旅行に行った時にブローニーでカラー撮影したカットからお届けします。といっても、この時は一番陽が短い時期。山陽の夜行急行で朝一に入る筑豊本線の折尾-中間間はまだ夜明け状態。TRY-Xならなんとかシャッターが切れても、この時のISO(当時はASA)100のコダカラーでは列車が止まりません。ということでカラーカットは、中間駅を越えて中間-筑前垣生間、さらには筑前垣生-鞍手間まで線路を踏破して撮影した列車からになってしまいます。ということで、シリーズとしては続きますが「番外編」ということにしました。この時も二眼レフのミノルタ・オートコードでの撮影ですが、結果的にこれがオートコードを使った最後の撮影旅行となりました。半年強の時間差ですが、かなりカメラの扱いに上達してきていることがわかります。



遠賀川橋梁は、筑豊本線の直方以北の区間ではなかなかの見せ場だと思うのですが、なぜかここで撮影したカットはあまり見ませんね。川越線の荒川橋梁、八高線の多摩川橋梁、高島線の鶴見川橋梁など、あまり沿線にメリハリのない区間では大きな川にかかった橋梁は見せ場だと思うのですが。ということで敢えて撮りに行きました。まずやってきたのは直方機関区のD6033号機が牽引するセラの返空列車。とはいえ、5輌目からはカバードの私有貨車ホラ1ですね。となるとこのセラも石灰石輸送の帰りで、船尾までいくのでしょうか。中間-筑前植木間は1923(大正12)年に石炭輸送強化のために3線化され、石炭輸送がピークを越えた1954(昭和29)年に複線に戻されました。


同じくD6033号機が牽引する貨物列車を、後追いで撮影します。下り線の遠賀川橋梁は、この年に架け替えられたばかりのラーメン橋。いかにも出来立てという感じの、コンクリートの白さが初々しいです。ということはこの前の年に撮影に来た時には、まだ明治期に架けられたトラス橋が残っていたのですね。この場所で撮影した列車については、ブローニーのカラーネガのみの撮影で、35mmでは撮っていません。折尾-中間間ではカラーが撮れなかったので、その分天気も良くなったこの区間ではカラーで撮りまくろうという気分になったのでしょう。それにしても退色も少なく、くっきり浮き出た空と雲など、ブローニーの根がカラーはデジタルスキャンできる今となっては侮れません。


今度は上り線に直方機関区のD6052号機が牽引するセラの石炭列車がやってきました。上り線は3線化したときの増設線で、トラス橋もその時に架設された大正生まれのものです。良く見ると、旧下り線のトラス橋が解体工事の真っ最中で、先のほうにはまだ二連ほど残っています。こうやって見ると、なかなか貴重な瞬間を捉えているといえるでしょう。D6052号機は、D60形式に改造後横手機関区の配置となり北上線で活躍していました。当時は郡山式集煙装置を取り付け、東北のカマらしく主灯もLP405といういいでたちで活躍していました。1968年に直方機関区に転属になってからもその当時の名残が残っており、集煙装置を外した短い煙突に、九州では珍しいLP405の主灯と異彩を放っていました。


今度はちょっと中間駅方面に戻って、遠賀川橋梁に向かう下り線のカーブの築堤で狙います。やってきたのは下りの貨物列車。牽引機は直方機関区のD6025号機です。これまたセラを連ねた返空列車。この築堤の部分から新線になっていますからバラストもきれいで、ここが未電化区間の蒸機列車というのが不思議な感じです。給水ポンプを使っているので力行ですが、きれいな完全燃焼。とはいえ真冬なので、九州でもそれなりに蒸気のドラフトが白くたなびいています。25号機はD50形式時代も戦前から九州にいたカマで、D60に改造されてからは一貫して直方の配置です。九州にしては珍しく、化粧煙突が美しく残っています。


さて折尾から二駅踏破して、筑前垣生も越えて垣生公園の脇まできました。ここは70年夏の最初の九州撮影旅行でやってきましたし、71年春にも来たのでこれで三回目です。本当に線路脇からのバッタ撮りしかできない場所ですが、列車本数が圧倒的に多い折尾-直方間では珍しく、バックが町並みではなく公園で緑が多いということで、一応「撮影地」とされていました。やってきたのは若松機関区のC5552号機の牽引する上り貨物列車。この列車を35oのサブカメラの望遠で撮ったモノクロのカットは<無意味に望遠 その6 1971年12月15日>の中で公開しています。二眼レフは手持ちは持ち替えがきついので、三脚に固定していますが、どうやらファインダーを見ながら直接シャッターを切っているようです。





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