室蘭本線・千歳線 沼ノ端-植苗・遠浅間 -1972年7月14日-


室蘭本線・千歳線といえば、北海道のライフラインといえる大幹線ですが、末期まで蒸気機関車が縦横に活躍していた線区として記憶に残っています。未電化複線の線路を、次から次へとやってくる蒸気機関車牽引列車。貨物は、本州からの特急貨物から、石炭を満載したセキを連ねた石炭専用列車まで。もちろん、旅客も普通列車は蒸気牽引が主流。日なが一日撮影していると、「でぶや」で紹介される大盛定食よろしく、「もうこれ以上食べられない」状態でした。そんな線区の中でも、比較的人気のあった撮影地の一つに、沼ノ端-植苗・遠浅間があります。今回は、最初に渡道した撮影旅行の際に、沼ノ端で撮影した「蒸気以外」のショットをお届けします。



沼ノ端といえば、何はともあれ、おなじみの室蘭本線と千歳線の分岐点の立体交差。この撮影地に向かうには、千歳線の植苗駅から向かうのが一番便利なコースでした。ということで、植苗駅を通過するキハ82系、上り特急北斗。撮影地に向かって歩きだしたところで、小手調べのワンショットという感じです。ここは、踏切があったり、建物が見えたりして、まだ人間の生活の臭いが感じられます。北海道らしい風景ではありますが、沼ノ端のお立ち台のあたりとはずいぶん雰囲気が違います。そんなに距離があるワケではないのですが、この落差がおもしろいところです。


千歳線の築堤をゆくキハ56系、上りの急行すずらん。キロ1輌を含む9連、冷房なしという姿は、いかにも北海道ならではという雰囲気です。それにしても、そこはかとなく模型ファンの心をくすぐる情景。そもそもこのあたりの線形は、周りに何もない荒地の中に、未電化の複線が走り、平原の中に唐突に立体交差が登場するなど、あたかも「お座敷運転」のような雰囲気があたりに満ちています。決して風光明媚な景色ではないですが、名撮影地になっているというのは、このあたりがポイントになっているのかもしれません。


千歳線上りの、例の「ガーダー橋」のたもとから、苫小牧方面を望むショット。室蘭本線の下り線には、珍しくキハ22の2連がやってきました。基本的にこの区間は石炭輸送が主力で、旅客も、通学時とかピークを除けば、この当時から2連で済んでしまう程度の輸送量だったんですね。これまた、違う意味で模型的な味わいがあります。雄大な景色に、気動車の短い編成というのも、ある意味では北海道らしいシーンですね。昨今では、札幌都市圏以外の北海道の鉄道は、みんなそうなってしまったのですが。


さて、恒例のカラー。72年夏で、この区間でDD51牽引の客車列車、というだけで、わかる人ならタダならぬものを感じると思います。カマは、五稜郭のDD51612。サボがささっているので、急行です。千歳線の下り線を走っていますので、臨時のすずらんでしょうか。当時の北海道では、夏季は運用の都合で、より乗客が多く観光色の強い列車に充当する気動車を捻出するため、置き換え可能なスジに客車列車を充当する運用変更も良く行われていたようなので、定期のすずらんかもしれません。いずれにしろ、この区間の客車急行は、定期列車は、夜行のすずらん6号しかありませんでしたから、けっこう珍しいシーンとはいえるでしょう。


最後に、お約束の「蒸気で一ひねり」。今回は、「団結号のすれ違い」です。この日はカラーのDD51のカットでわかるように、微妙にモヤっている上に、ネガの保存状態が余りよくなく、多少お見苦しい点はお許しください。「団結号」は、北海道ではけっこうおなじみで、動労の強い機関区では、闘争期間中しばしば登場しました。本数の少ない線区では、これがきてしまうと興醒めですが、ここみたいに、有り余るほど列車本数があると、「また来たか」ぐらいですんでしまいます。今となっては、これも記録ですね。下りの空車のセキ列車と、上り代用列車とのすれ違い。ここは、けっこう本数はあるのですが、ピタリと撮影しているあたりですれ違ってくれるというのは、運次第。よく見ると、上りの貨物には、車扱の貨車に混じって、石炭を積んだセキや無蓋車も連結されています。専用の列車を組成するほど産炭量のない炭鉱からの出荷は、こういうカタチで、一般の貨物に混じって行われていたんですね。はい、セキと普通の貨車を併結しても大丈夫なんですよ。

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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