大沼・小沼をめぐって -函館本線 大沼駅・大沼公園駅周辺 1972年7月18日(その1)-


長く引っ張った筑豊本線でのカラーカットも、前回にて打ち止め。今回からは新シリーズにしなくてはならない。それならばということで、今までにここで一度も発表していなかった、最初の北海道撮影旅行の時に大沼駅や大沼公園駅を中心に撮影した、函館本線函館口を取り上げることとした。最初なので、まずはメインのモノクロ35o機で撮影したカットから。当時すでに、五稜郭機関区にはDD51が15輛配属され無煙化は始まっていましたが、まだまだ主力は蒸気機関車。水産物や農産物、新聞用紙など本土向けの北海道の産品、工業製品や日用品など本土から送られてくる北海道向けの製品。北海道の暮らしと経済を支えるほとんどのものが、青函連絡船を経由してここを通っていました。そのほとんどが、D52やD51の活躍で運ばれていたのです。まさに北海道を支えるライフライン。蒸気機関車が主役の幹線という意味では、この時期の函館-札幌間が最後の存在だったと言えるでしょう。



札幌から夜行急行「すずらん6号」に乗り、早朝の大沼駅に降り立つ。とにかく大沼・小沼に沿って線路があることはわかっていたが、地形からしてそんなに色々な構図を狙えないので(湖上からは撮れないので、半分は無理だ)、一体どんなところで撮影できるのかロケハンを兼ねて早速足を伸ばしてみた。まずは函館方へ。小沼のほとりへ歩き出したところで、下りの旅客列車がやってきたのでバッタ撮り。牽引しているのは長万部機関区のD511017号機。当時長万部機関区には22輛のD51が集中配備され、函館本線のこの区間を走るD51は一手に担っていた。普通客車3輌に荷物車が5輌というその編成は、この区間が小荷物輸送においても極めて重要な役割を持っていたことを示している。1017号機は、四国でも活躍したことのある数少ないD51型機の1台。北海道入りは比較的新しく、1966年に、稲沢から追分に移動してきたもの。


続けてほぼ同じような位置で、今度は下りの貨物列車がやってきたので続けて撮影。牽引機は長万部機関区のD51221号機。バッタ撮りはナンバープレートがきっちり読めるので、特定番号の比定をしなくて良いので作業が楽だ。駒ケ岳は上半分がスッポリと雲に覆われている。雨こそ降っていないが、やはりあまりいい天気ではない。今日は山頂は見えるのだろうか。編成は一般の有蓋車・無蓋車にタキを連ねたものなので、車扱のローカル貨物であろう。221号機は小倉工場製のカマだが、山陽筋で使われた後、戦後は一貫して北海道で活躍してきた道内では古株の一台。函館本線函館口の無煙化ののちは名寄機関区に転じ、蒸機最末期といえる1975年まで活躍した。


そのまま小沼の岸沿いの線路を進み、主として下り列車に使われた藤代線の線路が主として上り列車に使われた旧本線と分かれてから、湖の南端でトンネルに入るまでの間ぐらいのところでいよいよお目当てのD52形式がやってきました。上りのコンテナ特急フレートライナーを牽引するのは、五稜郭機関区のD52204号機。当時五稜郭機関区には10輛のD52形式が配置され、最後の活躍をしていました。青函連絡船の定数一杯、17輌のコキを連ねたフレートライナーは、長万部以北は小樽築港機関区のD51が牽引していましたが、勾配のある函館-長万部間はD52形式の活躍の場です。D52形式はぼくにとって思い入れのあるカマでしたし、この時はすでに五稜郭機関区の10輌しか現役機がいない状態でしたし、無煙化まで1年を切っていましたので、この時の撮影旅行の目的の一つでもありました。


小沼にそって複線(閉塞的には複単線ですが)が続くおなじみのお立ち台まで戻り、続けてやってくるD52牽引の下り貨物列車を狙います。結局ここはお立ち台かバッタ撮りしかなさそうだというのはこの時点で気付いてしまったようで、この日はここでは本当に当たり前のカットしか撮っていません。牽引しているのは五稜郭機関区のD52136号機。流石にこの写真からでは機番の特定はできませんが、次回掲載する大沼駅で撮影した同列車のカットから機番が判明しました。当時五稜郭機関区には136号機と138号機という近い番号の僚機がいましたが、運転室が密閉式と開放式ということで、ナンバーが読みにくくともけっこう判別しやすくなっていました。奇しくもこの両機は相模原市と沼津市という本州に保存されています。138号機は235号機になっていますが。


D52型式の牽引する下り貨物列車を小沼の沿いに撮影した「お立ち台」は、振り返ると遥かに駒ケ岳を望みながら、大沼の駅を俯瞰できるハイブリッドなお立ち台でもあります。しかしこの日は蝦夷梅雨の梅雨前線の影響で、雨こそ降っていないものの雲が多く、駒ケ岳の山頂は雲の中です。先程の下り貨物列車は大沼駅に停車して、後続列車をやり過ごします。そんな中、上り線をD51型式の単機回送がやってきました。しかしこのD51,このカットからではとても機番はわかりません。幸いサブカメラの望遠で撮ったカットからは、14何とかであることが読み取れますが、この時期長万部機関区には146,147、148と、連番で配属がありますが、正面のナンバープレートの位置が低いことから、D51146号機と比定しました。現在、真岡鉄道の真岡駅のSL館で圧搾空気駆動で動態保存されているカマです。





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