大沼・小沼をめぐって -函館本線 大沼駅・大沼公園駅周辺 1972年7月18日(その3)-


今回は大沼駅や大沼公園駅を中心に撮影した一日を追うシリーズの3回目。段々と空気が朝から昼に変わってゆくあたりに撮影した連続カットです。この前の日は苗穂機関区で撮影した後、札幌の親戚の家に行って晩飯をごちそうになるんで夜は札幌の繁華街で過ごしました。ということで、それまで撮り過ぎていて消費が激しかった(というよりいっぱい蒸機が来過ぎた)こともあり、35oのフィルムを現地調達したのでかなり豪勢に撮りまくっています。前回もそうですが、同じ列車で構図を変えて何カットも撮っているのはそのせいです。ということで、今回も列車は2列車。構図違いで5カット行きます。



頂上がおなじみのお立ち台になっている丘を切通で抜けると、小沼沿いを行く列車を小沼の景色と共に撮影できるポイントです。下りが2列車続けてやってきますので、大沼公園からまたここまで戻って連続して撮影することにしました。ここでまずやってきたのは、下りの貨物列車。冷蔵車が結構繋がっていたりワキがいたりしますから本土からの車扱貨物とは思いますが、前にも車掌車が付いていますので、札幌などへの拠点間輸送ではなく、室蘭本線に行く道内でも車扱の貨物列車と思われます。それでも見渡す限り編成が続いていますので定数一杯に近く牽いています。室蘭発着や苫小牧発着でも、それなりに対本土の貨物量があったということでしょう。


この下り貨物列車を牽引しているのは、長万部機関区のD51942号機。このカマは新製配置以来北海道で活躍していましたが、それも同僚の941号機とならんで長万部機関区一筋という経歴。製造時期のワリにはドームはカマボコ形ではなく標準形。これと同一ロットの1944年川崎車輛製の938号機から949号機までは、どれも標準形のドームを装備していますので、これは川崎車輛で見込み生産していた完成品のドームがかなり余っており、余裕で間に合ったということでしょう。準戦時型の折り曲げのないデフが特徴的ですが、これは踏段改造前は切り欠きのない真四角なもので、戦時型の木造用の型枠ともとも違うカタチをしており、ちょっと調査が必要です。


振り返って大沼駅の方を向くと、DD51型式が牽引する上りの貨物列車がやってきて、ちょうどの目の前のところですれ違います。牽引するのは五稜郭機関区のDD51743号機。この頃は新製配置から約1年が経った頃。写真で見てもまだキレイな感じです。このカマは86年にJR化直前に廃車されるまで、ずっと五稜郭で活躍しました。しかし、いくら貨物が大縮小されたとはいえ、赤字でにっちもさっちもいかなかった国鉄がなけなしで作ったDLが15年で廃車されちゃったんですから、本当に戦略性のない無駄遣いですよね。会計検査院は文句言わなかったのかな。もう国鉄なくなちゃうしって。車掌車にはアジテーションの落書がありますね。これも今となっては時代でしょう。


同じポイントで続けて下りの貨物列車がやってきました。とはいってもこの列車、ちょっと様子が違います。牽引しているのは全てディーゼルカー。これは撮影日を考えると、当時の北海道の国鉄路線の事情を知っている人ならピンとくると思います。そう、夏休みダイヤが始まる直前。当時は夏休みには北海道に怒涛のように観光客が押し寄せ、その多くが国鉄で移動したため、本州の比較的余裕のある線区から波動輸送用のディーゼルカーを借り入れて臨時列車を運行していました。全国からディーゼルカーを北海道と千葉に集まってきました。そのための回送列車なのです。キハ25や26が多いですが、中には冷房付きのキハ28もいますね。


牽引しているのは、長万部機関区のD51146号機。これまた新生以来北海道一筋のカマですが、長万部は戦時中からこの翌年までいましたから、車歴のほとんどを過ごしたと言ってもいいでしょう。その後静岡市の駿府城公園に保存されていましたが、現在は真岡鉄道真岡駅のSLキューロク館で、圧搾空気により動態保存されています。実はこのカット、トリミング違いを前にこのコーナーに掲載したことがあります。その関係で2015年に静岡で保存中の同機が他所に移転して保存か解体かという議論になったとき、同機の現役時代の写真としてこのカットが静岡新聞に掲載されたという経緯があったりします。それもあるんで、再掲載ですが取り上げることとします。





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