大畑の3日間 その1 -1971年4月4日-


肥薩線の山線といえば、日本三大車窓の一つにも数えられる路線で、現在では社会インフラとしての機能は失ってしまったものの、「いさぶろう・しんぺい」などで知られる観光鉄道として、広く観光客を集めています。蒸気機関車現役時代には、矢岳越えはスイッチバックやループで山を越える、全国でも有数の峠声の難所として知られ、特急・急行以外の全ての列車が、重装備のD51が後補機付きのプッシュプルで運行している路線でした。当然、撮影地としても人気が高く、この時代に九州へ蒸気機関車の撮影に行った方は、一度は足を運んだのではないでしょうか。ぼくももちろん行ったことはありますが、7回の撮影旅行中大畑に足を運んだのは、延べ3日間だけです。そもそも重装備のカマがあまり好きではないし、九州っぽくないということもあるのですが、実は矢岳越えは線路からアクセスできる範囲では意外と撮影ポジションが限られ、有名なお立ち台以外のアングルで撮影しにくいという問題があります。他人と同じ写真は撮りたくないぼくとしては、最低限のお付き合いということでしょうか。そういうことで、これから何回かに渡って、大畑で撮影した全列車をお届けしたいと思います。



まず最初は、大畑駅から引き上げ線に入り、おもむろにループに向かってダッシュするD51890号機が牽引する下り列車。実はこの前に、吉松から大畑まで乗ってきた上り列車の発車シーンを撮影していますが、それは線路端で見かけた変なモノ その6 -ホームでお駄賃(南九州編)1971年4月・12月-の中で公開しているD51687号機の牽引する列車のカットですので、再録はいたしません。下り列車の大畑駅発車時点では、カマは人吉を出区したままの、まだまだきれいな状態です。煙室扉が、朝日を浴びて光っていますね。これが一往復して人吉に帰ってくる頃には、すっかり燻された状態になってしまいます。


先ほど出発したD51890号機が牽引する下り列車が、ループ線上を爆走してゆきます。北陸本線新疋田の鳩原ループ線とは違い、大畑のループ線は線路がクロスしている感じのカットは極めて撮りにくい構造をしています。そういう意味では、この構図は、スイッチバックとループをまとめて鑑賞できる、稀有なポジションです。しかし、ここから撮ったカットは、あんまり見たことがありません。こうやって見ると、信号が色灯式ですから、この区間はすでにCTCで管理していたんですね。イメージからすると、タブレット閉塞という感じなんですが。上のカットとは、レンズの焦点距離が違うだけで、ほぼ同じ撮影場所だったりします。


矢岳駅に向かって爆進する、門司港発鹿児島本線経由都城行きの1121列車。この列車は、当時九州島内に残っていた夜行普通列車の一つで、蒸気機関車の牽引となる肥薩線内で夜が明けることもあって鉄道ファンに人気があり、のちに「急行みやざき」となった日豊本線の夜行普通列車521・522レと並んで、北九州と南九州の撮影地を移動する際に良く使われました。ちなみに、定期列車で山線を単機で運用するのは、この1121/1122列車だけであり、後補機なしの編成というのは、この線区では珍しい姿でした。こういう構図で、もう少し寄りで撮れると最高なんですが、それには「山登り」が必要になってしまうのが辛いところですね。


矢岳から大畑に向かって、山道を下ってくる上り列車。かすかにナンバーが判読できる本務機は、朝出発を撮影したD51890号機。890号機は、新製以来ほぼ一貫して人吉機関区所属で、山線一筋に活躍してきたカマです。吉松往復で折り返してきたところですが、こういう引きのショットでも、かなり燻されて煤けているのが見てとれます。まあ、そのくらい過酷な運用ということですね。後補機はねえ、何番なんでしょうか。人吉の標準型D51はほぼ装備が同じモノが多く、ナンバーが判読できない限り番号の考証が極めて困難です。こうやって編成をみると、山線経由で宮崎・鹿児島方面と熊本方面とを結ぶ貨物の需要がそれなりにあったコトに改めて驚かされます。


人吉盆地をバックに、大畑駅に向かって登る下り列車。大畑というとどうしてもループ線、そしてそれを含む大畑-矢岳間に注目が集まってしまいますが、人吉-大畑間もなかなか捨てがたい味があります。まさにループでクロスしているので、クロスポイントを越えてしまえば、そっち側も一緒に撮影可能なはずですが、意外と撮影したカットを見ません。そういう意味では、個人的には矢岳に上っていくほうより好きだったリします。あと、こっち側は人の気配があるというのも、日本の田舎らしい匂いがして味があると思いますね。前のカットとかもそうですが、この時期のループの周辺とかは、あまり日本的とはいえない荒涼とした風景でした。


グルっとΩループを廻って、先ほどの列車が眼下にやってきました。人吉-大畑間のΩループは、大畑のループの影に隠れて今一つ知名度が低いですが、実際に行ってみると、なかなか不思議な線形で、同じ列車を違うアングルで撮影できる、なかなかおいしいポイントでした。編成全体が入りきらないという問題がありますが、それは上の引きのカットで押えられるのですから、二度おいしいほうに軍配を上げるべきでしょう。本務機は、これは一発でわかります。独特な形をした変形カマボコドームが目立つ、おなじみのD511151号機です。山線一筋ではありませんが、戦時中から無煙化時まで、人吉機関区配属が長かったカマです。


今度は、同じ列車の後補機です。これも、船底テンダの戦時型。ということで、あっさりD511058号機と比定できてしまいます。そう、この2輌は人吉機関区のD51では例外的に考証が容易です。コキに積まれた4コのコンテナのうち2コは、冷蔵コンテナ。霧島周辺は畜産が盛んで、豚肉の加工製品の出荷も多いので、その関係の返空でしょう。蒸気最末期になると、吉都線の「霧島ハム」の私有冷蔵コンテナがおなじみですが、この区間を通っているということは、福岡向けの出荷でしょうか。実は今九州自動車道がここを通っているコトからもわかるように、九州縦断ルートとしては、肥薩線はけっこういい線いってるんですよね。鉄道にしては急勾配過ぎたというだけで。


(c)2014 FUJII Yoshihiko


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