大畑の3日間 その4 -1971年4月6日の2-


今回もまた、大畑の3日間の2日目の続き、1971年4月6日の午後の巻です。2日間で4ヶ月持たすんだから、引っ張りまくってますね。でもまだまだネタはあるので、これからも引っ張りますよ。それにしても、この総ざらえシリーズ。はじめると続きますね。逆にいえば、それだけたくさんのカットを撮っていたということになるのですが。この日はこのあと熊本まで移動しますので、大畑はほどほどで切り上げ。とはいうものの、もはや撮影ポイントが限られているため、ポジションを探すのにかなり苦労しています。そんな中でも、密かに穴場ポジションを見つけちゃったりしたんだよね。てなことで、シリーズ4回目。行きましょう。



まずは軽快に峠を駆け下りてくる、上り貨物列車。この区間では、ほとんどの列車が混合列車なので、旅客列車、貨物列車は希少です。深夜は貨物列車ばかりになりますが、日中はこの一本だけだったと記憶しています。本務機はD51668号機。末期に多かった長野からの転属組で、テンダーの1500l重油タンクが特徴的です。このときは廃車発生品の敦賀式集煙装置があったのか、長野時代の長野工場式集煙装置から換装されています。さてこの列車、なんか機関車が付いていますね。こういう回送など特殊な運用は、混合列車ではなく貨物列車に連結されるのが原則だったので、この列車に組み込まれてきたようです。


これはラッキー。重連ではないですが、なかなかこの区間では見られないものに出会いました。機関車はC57形式。人吉区のカマは、検査は鹿児島工場で行なっていたので、六検かなにかの帰りでしょうか。当時は、機関車のみならず、客車、気動車などを含めて、けっこうこういう回送に出会うことがありました。さてこのC57、機番は何番でしょう。詳しく見ると、1次型の標準デフ付きということがわかります。この当時人吉区には、9、37、48、100、130、169、186号機の7輌のC57が配属されていましたが、この中で1次型標準デフ付きは、37、48号機の2輌のみ。そのうち、37号機は蓋付きデフでしたので、48号機と比定しました。


続いて同じ列車の後補機、D51170号機です。170号機は一番調子がいいカマというワケではなかったようですが、この時は一番良く出会いました。その後、とんでもないところでの出会いもあるんですが、それはおいおい。あまり真剣に撮る気がなかったと見えて、電柱がカブってます。以下に山線が急勾配区間とはいえ、峠越えの絶対的な距離が限られているので、石炭の消費量はそれほどでもなく、かなりタップリ残っているのが見て取れます。指導なのか添乗なのか、機関士、機関助士のほかにもう一人乗っています。登りの区間はキツいでしょうが、下り勾配に入ると涼しげですね。機関車の向こうには、同業者の姿も見えます。こんな山の中、出会う人間はほぼ同業者ばかりでした。


ループ線を行く列車の全貌を、はるか向こう側で捉えます。こうやって遠景で見ると、回送というより、背向重連みたいですね。おなじみの「火の用心」も、裏側が見えています。それにしても、本当に不思議な風景ですね。日本離れした、この荒涼感。これはこれで特徴的なのは間違いありませんが、好みの分かれるところでしょう。ループ線、重装備そしてこの景観。極めて非日常的な世界だったことは間違いありません。でもこの編成、ワム80000、ワム90000、ワラ1と有蓋車ばかりで、タンク車もコンテナ車もなく、ただ1輌の無蓋車がトキ15000というのも、けっこう珍しいかもしれませんね。


さて、そろそろ飽きてきた大畑ループ。ここは一つ発想を変えて、見たことのない構図を狙うことにしました。ポイントになるのは、後補機まで一気に押えるのをあきらめること。これで構図はかなり自由になります。一日目にも少しトライしたのですが、今度は本格的に。そこで着目したのが、ループ線の北側の部分が、築堤のような斜面になっているところ。ここを下から見上げるように狙えば、新鮮な画面になるのではないか。ということで降りていくと、崖っぷちにこの辺では珍しい高い木が一本。これは絵になると構えていたところにやってきたのは、ダブルルーフのスハフ32を従えた本務機D511151号機。役者も揃って、最後に大満足の一枚でした。


最後のお駄賃は、同列車の後補機、D51545号機。ちょうど安全弁が吹き始めという、珍しい瞬間を捉えています。ジオラマやレイアウトでは、一本だけ木が生えているような情景は、山崎喜陽さんならずとも「リアルでない」といわれそうですが、事実は小説より奇なリ。あるんですね。そういう意味では、かなり模型的といえる景色です。この窪地からの眺めは、個人的には非常に気に入ってしましました。おまけに、この構図で一本の木をからめて捉えたカットは、見たことがありません。少なくともこのあと40年間は。なんですが、やっぱり上には上がいます。今年出た(2014年)諸久さんの写真集に、この辺りから撮ったカットが載っているじゃないですか。でもまあ、そりゃそうですよね。


(c)2014 FUJII Yoshihiko


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