大畑の3日間 その5 -1971年12月20日-


今回はいよいよ、大畑の3日間の3日目。ぼくが大畑で撮影した最後の日です。もっとも、通り過ぎるだけなら、その後もやってますし、走行中の列車内からの写真なら撮影してはいますが。1971年12月20日の巻です。1日目、2日目であれだけ懲りたのに、なぜもう一度チャレンジしたのか。それは、どうしても「大畑らしくない大畑の写真」をモノにしなくては、「お立ち台からでない、九州の蒸気機関車の写真」を撮影することを目的としてきた者としては、画龍点睛を欠くといわざるを得ないからです。この日は熊本まで抜ける途中での撮影だったので、川線に行くことも可能だったのですが、あえて大畑でのリベンジです。さて、狙った通りいくのでしょうか。というわけで、シリーズ5回目。行きますよ。



最初のこのカット、ぼくが大畑で撮影したカットの中では、絵柄的に一番気に入っている作品です。人吉から上ってきて、大畑駅に到着する直前の最後のトンネル、すなわちループ線のアンダークロス部分にあるトンネルに突入するところ。この二つのトンネルの間の明かり区間が、ループ線の側から見通せるのは、車窓から確認していました。その時から絶対撮ってやろうとおもっていたので、まさに狙って撮ったカットです。最初のアイディア通り、大畑っぽくはないが、日本三大車窓といわれる雄大な雰囲気は出ているカットになりました。それにしても、これを狙って撮るんだから、マセたヤなガキだよな。まったく。でもまあ、70年代はそういう時代だったってことにしておきましょう。


次にトライしたのは、「お立ち台をお立ち台に見せない」カットを撮るトライアルです。要は、ループ線に見せず、普通の築堤っぽく撮ってしまえばいい。このお立ち台は、望遠を使って列車を圧迫し、本務機と後補機を一気にからめて撮るのが定番。ならば「思い切って広角を使おう」ということで、当時の蒸気機関車の走行写真ではあまり使われなかった広角レンズで狙います。その分、定番カットよりはだいぶ手前の位置でシャッターが切れます。それも合わせて、ループ線のお立ち台としては一味違ったカットになったのではないでしょうか。その分普通の列車写真っぽいともいえますが。先ほどの列車が上ってきたところを狙いました。本務機はD51477号機でした。。


ここからは、広角・手持ち撮影の真骨頂。パッと発想を切り替えて、スナップショット的な構図を狙います。まずは本務機の477号機。半逆光なので、全体が黒く沈んでいる中で、煙やボイラにギラりと陽射しが反射し、結果的になかなか面白い画面になりました。戦前の芸術写真と、というより、バウハウスとか未来派とかですね。この時点では、そんな写真の歴史そのものを知っていたわけではないのですが、中学生の頃から写真部で、60年代末から70年代初めに新進写真家が続々登場し、インパクトのある作品を発表していたのをリアルタイムで見ていたので、そちらを通しての間接的な影響はあったのではないかと思います。


次いで後補機は、D511079号機。1079号機は、奥羽本線の無煙化で大館からやってきたカマで、人吉ではわずか半年しか活躍しませんでした。集煙装置は長野工場式なので、1500リッターの重油タンクとあわせ、もともとの装備のように思われますが、大館時代は集煙装置は装備していません。人吉に転属してから長野工場式の集煙装置を取り付けたことになります。いずれにしろ71年10月の転属で、半年後には無煙化が決まっていましたから、装備改造も最小限。多分、477号機か668号機から外したと思われる長野工場式集煙装置を、使い回しで取り付けたということなのでしょう。爆煙に包まれて、これまた怪しい雰囲気になっています。


どうして大畑の写真はお立ち台が限られ、ワンパターンになるか。それは結局、本務機と後補機を一つのカットの中に収めようとすると、そういう構図で撮れる場所が限られてしまうからである。函館本線の山線で、ニセコの重連がきれいに2輌ともとれる場所が限られているので、同じお立ち台から撮ったカットが多くなってしまうのと同じだ。それなら答えは簡単。後補機を捨てて、本務機だけで撮ればいい。ということで狙ったのが、矢岳に向かって最初のトンネルの入口の上。列車の全貌こそ捉えられないものの、日豊本線にもこんな感じところがある、南九州らしいけっこう印象的な景色である。牽引するのは、D511058号機。


同じ列車の後補機です。機番を比定しようにも、標準型で、敦賀式集煙装置、重油タンクもボイラ上という、人吉期間区のD51では一番多いパターン。前後の運用を考慮しても、170号機、572号機、687号機、890号機のどれかというところまでしか絞り込めません。これでは番号の特定ができませんね。お手上げです。この写真の面白いのは、トンネルに突入する直前なので、すでに集煙装置の「フタ」を閉めた状態になっているところ。前カットの本務機はまた閉めていない状態なので、この両者を比較することで、集煙装置の効果が一目瞭然です。上方に立ち昇らずに、列車の屋根の位置で後方に流れているのが見て取れます。まあ、それで「雲隠れの術」になってしまっているのですが。


さて、これが本当に大畑で撮影した最後の列車です。ということで、前回発見したお気に入りの「秘密の場所」で、もう一段ぶっ飛んだ写真を撮って有終の美を飾ろうという魂胆です。そこにやってきた列車の本務機は、D511151号機。奇しくも前回この構図で撮影したのと同じカマです。この時点では、前回のカットはアタマに入っているので、広角レンズを使い、もっと大胆に岩山をアップにし、景色の迫力の方をメインに据えた絵作りにしてみました。これはかなり意識的にやったので、今でも覚えています。確かに、ちょっと日本とは思えない、米国かどこかのような雰囲気も漂っており、もはや大畑という感じではないですね。しかし、なんともマセたガキですなあ。


最後の最後がこのカット。なんと後補機はD51545号機。本務機、後補機とも、春に撮影したのと全く同じ組合せです。こういうのも珍しいですね。本務機がかなり重油を多めに焚いて黒煙を上げまくっていたので、全体がその影に入ってしまっています。そこで咄嗟に機転を利かせて、シルエットっぽい構図を作ってみました。後補機は、本務機以上に黒い爆煙状態なので、なかなか効果的です。これまた意図通り、大畑を思わせないカットになっています。印画紙への引き伸ばしだと、こういうトーンを出すのは難しいので、まさにデジタル様様。40年たって、本来の意図が表現できたとでもいえましょうか。この時は、高1で16になったばかりですが、春と比べるとこの半年ちょっとでずいぶん進歩してますね。でも、この日は3列車しか撮ってないんですね。


(c)2014 FUJII Yoshihiko


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