三条通りの京阪京津線 -96年3月-


「南の庫から」シリーズも、まだまだネタはあるものの、ちょっとマンネリ気味になってきた感じもあるので、心機一転。時期も被写体も、全く変えたネタの登場です。京都三条通りの併用軌道を走っていた、京阪電鉄京津線。これも、今は京都地下鉄東西線になってしまいましたので、間違いなく「記憶の中」にしか残っていない景色です。時期は、廃止を一年半後に控えた、1996年3月。この頃は、出張とからめたりして、毎年のように京都・奈良・大阪など、関西に旅行ヘ行き、写真を撮影するのが趣味でした。そんな流れで、まだまだ鉄分の薄い時期でしたが、消えてしまう京都の風景の一つ、という感じでシャッターを押しました。わずか4コマですが、個人的には貴重なカットです。実は、京津線自体を撮影したのは、前に掲載した1974年のカットと、2回しかなかったりします。



まずは、御陵方面から山を越え、蹴上駅(というか停留所)に進入する。80形式89-90編成の、普通京阪三条行き。渋滞したバスやクルマの間から、ひょっこり顔を出した、という感じです。この先は専用軌道になっており、ここから併用区間が始まっていました。京津線は、京都と大津という両端が路面の併用軌道、山科を中心とするその中間部分が専用軌道となっており、関西の電鉄会社に多かった、アメリカのインタアーバン的な構成が最後まで残っていた路線です。もっとも浜大津側では、今でも併用軌道が残っていて、「地下鉄が路面を走る」という、日本唯一の区間となっていますが。


さきほどの京阪三条行きが、蹴上の停留所に停まっています。それにしても、スゴい混雑。オモチャのホームのような、狭小な安全地帯から、乗客があふれそうになっています。80形式は、併用区間での昇降に対応して、ステップがついていました。このあたりは、やはり専用軌道と併用軌道が混在していた、かつての東急玉川線の車輌を思わせます。そういえば、66.7パーミルの勾配があった点も共通しています。路線の性質は、山越えの都市間連絡という京津線と、郊外路線という玉川線と、全く違うのですが、妙な点が面白いですね。


続いて、蹴上-東山三条間を走る、80形式93-94編成の普通四宮行き。ただでさえ狭い京都の通りに、クルマがあふれている中を、縫うようにしてすり抜けて行きます。当時の京津線では、路面電車的な香りのただよう80形式が、京阪三条-四宮間の普通運用に付き、一回り大きく、インタアーバン的な雰囲気の260形式が、京阪三条-浜大津間の準急運用についていました。3月の京都は、山のほうだとまだまだ雪が降る日があったり、けっこう天気はよろしくありません。この日も、なんとも寒そうな一日でした。


最後は、平安神宮の前を行く、260形式の準急京阪三条行き。朱塗りの鳥居と、緑の電車の対比も、京都らしいシーンでした。しかし京津線というと、小柄とはいえ「普通の電車」のカタチをした260形式が、大都市の通りとしては狭目の三条通りを通り抜けるところが個人的には気に入っていました。その昔は「びわこ号」とか、京阪本線のほうまで直通で電車が走っていたのですから、まさにインタアーバンの面目躍如といったところでしょうか。ところで、本線といえば、浜大津の先にある石山坂本線。本当は「石山・坂本」線なのですが、少年鉄ちゃんだったころは、「石山坂」本線だと思っていました。けっこうそういうヒトいるんじゃないのかな。



(c)2009 FUJII Yoshihiko


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