架線の下の煙(札幌近郊の蒸気機関車・その1) -1973年8月-


さて家族旅行ネガカラーシリーズのパート3として、前回から始まった札幌シリーズ。今回からは走行シーンです。とはいっても函館本線で旭川方に数駅行って、行き当たりばったりで撮影したカットばかりですが。とはいえこの区間はすでに複線で電化していますので、架線がある上に架線柱に囲まれています。東京近郊で最後まで蒸気が残っていた路線は、八高線を除くと架線があるところが多かったので慣れているとはいえ、凝って撮ろうとしてもかなり構図は限られてしまいます。おまけに、この辺りは石狩平野であまり景色のメリハリはありません。となるとどうしても「バッタ撮り」になってしまいます。しかし、どうせネガカラー。記録という意味では、オーソドックスにバッタ撮りもよろしいのではないでしょうか。まあ、いいわけではありますが。



まず最初に出会ったのは、前回も登場した小樽築港機関区のD51857号機の牽引する上り貨物列車。当時は北海道切っての穀倉地帯らしく、バックには大型の農業倉庫が何棟も並んでいます。黄色い地色に「日本」と読める建物は、日通のトラック車庫でしょう。退避用の側線が上り・下りともあるかなり大きな駅です。さて、撮影場所の比定はかなり難しそうです。というのも、札幌近郊は80年代、90年代を通して大きく変化してしまった上に、この区間は高架化や路線の変更もあり、頼みの綱のグーグルアースやストリートビューが使えません。国土地理院の空中写真アーカイブを使う手もありますが、あれは地図との連動がないので、手元に当時の地図がなくては歯が立ちません。


ということで、続けて引きで撮った857号機のカット。これは光線状態が良かったうえに、ネガの保存状態もよく、けっこう色味が残っています。半逆光ですが、踏段改造したデフには意外と似合っている気もします。さて、そうなると撮影地は理屈で推定するしかありません。これだけ大きい駅というのは、この区間にそうあるワケではありません。白石か江別かぐらいかと思われます。白石は札幌貨物ターミナルができた時に、貨物扱いをやめてしましましたが、次のカットで見るようにこの駅に止まって入換をしています。ということで、江別ではないかと思いますが確証はありません。蒸気機関車の撮影地でないので、インターネット上にも当時の駅の写真はないですし、これはやはり地元の方の知恵を借りるしかないですね。


車扱貨物の列車なので、駅毎に入換をしていくのが当時の流儀。停車中の同機のキャブを中心にしたアップのカット。これもけっこう色味が残っていまるので、北海道の機関車特有の土色と錆色の混じった色合いが良く出ています。昔、ほぼリアルタイムで作った16番の北海道型の模型でこのウェザリングに挑戦しましたが、模型でやると本当に汚くなってしまうんですよね、この色は。でも、いかにも「働く男」という感じで、これも蒸気機関車がライフラインを支えていた北海道らしさだと今になると感じます。でも銅管とかは、けっこうキレイに磨いているんですねえ。40年目にして新発見です。模型資料としても、見どころは満載。密閉キャブ対応改造テンダーのパイピングの様子とか、良くわかりますね。


さて、ここからのカットは場所を移動していますが、相変わらずサクッと撮ってます。まずは岩見沢第一機関区のおなじみのカマ、D51118が牽引する上り旅客列車。函館本線の電化区間にも、当時蒸気牽引の旅客列車が残っていたんですね。撮ったことも忘れて、なんか新鮮な発見です。山線のC62重連の「ニセコ」とかはなくなったとはいえ、当時の北海道はまだまだ蒸気機関車が残っており、幾多の名撮影地での力闘が充分撮れる状況でしたから、こんな札幌近郊の電化区間で活躍する蒸気機関車の姿なんて、ほとんど写真を見ることはありません。地元の方とかで、通勤通学時に撮影されていた方はいると思いますが。まあ、他人が撮らないものを撮るというモットーからすれば、結果オーライといえるかもしれません。


続けて同列車の見返りショット。これも光線状態がよく、北海道の機関車の色味を良く伝えています。なんていうか「色温度が低い黒」なんですよね。九州のカマは色温度が高めなのと好対照で、かなり色合いが違います。こんなのも、実物をリアルタイムで見た人しか知らない事実かもしれません。この写真をよく見ると、本線の左方にも架線の張ってある線路があることがわかります。この区間ではこういう線路配置は札幌貨物ターミナル付近しかありません。確かに、札幌貨物ターミナルの苗穂よりの取り付け部分は、直線が多いこの区間の函館本線では珍しい大きなカーブがありますので、この写真は白石-厚別間と比定致しました。オハフ62の二重窓が泣かせます。


先程撮影した、D51857号機が牽引する上り貨物列車が再びやってきました。途中駅での入換の成果で、前よりの編成が変化しています。撮影地は前のカットより白石駅に寄った直線区間に入ったところと思われます。今ではすっかり街並みが近代化してしまっていますが、開拓地を思わせる北海道らしい住宅が立ち並ぶ風景は、当時の北海道の都市の郊外ならどこでも見られたものです。でもこれ、ちゃんと力行してますね。石炭も焚いているし、排気が出ているので給水ポンプも作動していることがわかります。函館本線のダイヤの立ち方の関係で北海道の貨物列車にしてはかなり表定速度が高く、それもあって力行しているものと思われます。


架線の下の力行というのも、なかなか味がありますね。煙の出方も、爆煙にならない程々の感じで、個人的には好ましいです。さすがに夏は、北海道といえども密閉キャブの扉を開けていることもわかります。これも良く色味が残っており、特に貨車のウェザリングの具合がよく見てとれます。1輌目は、めずらしくワム60000です。鉄道写真としてはほとんど「捨てゴマ」になってしまうカットですが、当時の記録、そして現役の蒸気機関車を見た記憶としては、けっこうこういう見返りショットは思うところがあります。、撮影をしている間はファインダー越しに見ているのが、通過後の見返りシーンは両目を開けて生で見ているから、けっこう思い出の中に焼き付いているんですよね。





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