架線の下の煙(札幌近郊の蒸気機関車・その2) -1973年8月-


ということで、このシリーズも3回目。今回でひとまず千秋楽となります。気合入れずに片手間で撮ってるし、構図やカットそのものも適当だし、思い入れが少ない分保存状態も悪いし、という三重苦のろくでもない写真ですが、こうやってみてみるとそれはそれで記録としては面白いし、悪くなかったかな。札幌周辺で育った40代半ば以上の人達は、子供の頃こういう景色を見たと思うし、それが日常だったんでしょう。でもその分、記憶の中にあっても記録としては余り残っていないと思うし、それはそれで意味があったのではないでしょうか。九州でも、北九州市内の鹿児島本線は、かなり末期まで筑豊本線から乗り入れてくる蒸気牽引の列車が多くあったし、架線の下の煙は、その分多くの人の思い出の中に残っている蒸気のシーンではないのでしょうか。



今回はこれから。やってきたのは、背面重連の単機回送。前位は小樽築港機関区の54号機、後位はこのカットからはわかりませんが、別のカットから読み取るとこれまた小樽築港機関区の744号機。ある意味、電化区間でこんな回送がやってくるなんてこと自体、今から思えばスゴい贅沢な環境ですね。ぼくは、70年代に入ってからの蒸気機関車末期の北海道の魅力は、経済や生活のバックボーンとなっているライフラインを、鉄道が、そして蒸気機関車が支えていたというところにあると思っています。それこそ蒸気黄金時代。こういう感じで、電化した架線の下を蒸気機関車が颯爽と走ってゆくシーンを見ると、それを実感することができます。


ついで、D5154号機の見返りショット。ネガの保存状態が良くないので失礼しますが、FTM性転換ガマとして知られる54号機の特徴は良く捉えられているのではないでしょうか。なんか、こういう構図は未来派というか、バウハウスというか、1930年代のモダニズム表現を思わせますね。そんなに意識して撮ったというよりは、結果的にそういう構図になっちゃっただけなのですが。しかし、よく見るとちょっと離れたところに色灯式の信号機が。この区間でこういう線区の合流があるのは、函館本線と千歳線が合流する苗穂だけ。ということで、撮影地は苗穂-白石駅間、この列車は上りの回送と考証できました。今は、完全に街中ですがまだまだ郊外感が強いですね。でも、当時の北海道ではスゴい拓けた地域という感じがします。


岩見沢第一機関区のD5113号機が牽引する、上り貨物列車。一般の車扱貨物らしく、多種多様な貨車を交えた長大な編成です。撮影場所は駅の規模感からすると、苗穂駅の白石寄りと思われます。日射が強いのでけっこう彩度が強く出ていて、今でも比較的色味が残っています。7輌目の無蓋車がトキ25000ということも、バッチリわかります。蒸気時代の北海道では本当に何でもない日常の情景ですが、それだけに北海道らしさを強く感じてしまうカットでもあります。夏の電化区間でも、ぼくの北海道のイメージの一つです。しかし、この側線の線路の細さはなんでしょうか。一部の人が泣いて喜ぶヘロヘロ感。これ30kgレールではないですか。これもまた、北海道っぽさではありますが。


近付いてきた13号機を、アップで押さえます。このカットも、北海道の夏のカマの色が良く出ています。転換器とカブっちゃっていますが、型式写真っぽく。こうやってみると、スノープラウがついてるじゃないですか。夏でもつけっぱなしでいたカマがいるんですね。思わぬ発見があるものです。その一方でお皿付きのクルパーを装着。この組み合わせもけっこう珍しいんですよね。ぼくが子供の頃は、まだ都内でも蒸気機関車が活躍していましたし、それらのカマは全部クルクルパーを装着していたので、蒸気機関車の煙突というのはそういうカタチのモノという刷り込みがあり、懐かしいさを感じる分、それほど違和感はないし嫌いなわけでもなかったりします。


構内に進入する同機の見返りショット。13号機は、新製以来一貫して北海道で活躍、それも追分と岩見沢と道央の要衝で活躍し続けてきたカマです。けっこう調子が良かったのか、ワリとよく見かけたカマでもありますが、全検期限の関係でこの年の暮れには廃車になってしまいます。これが最後の活躍というところでしょうか。しかしこういう角度から見ると、1次型の小さいキャブは密閉化してもけっこうバランスがいいことがわかります。最終的にナメクジは北海道にかなり集められたこともあり、踏段改造・密閉キャブの1次型は北海道らしい機関車の一つではないでしょうか。ニセコの前補機の代打も、写真の記録を見る限りでは、小樽築港の配属機の比率以上に1次型が入っていることが多かったように思われます。


さて、最後の2カットは時間的には前日の撮影かもしれません。本来の家族旅行関連のコマを切り離して、鉄道関係のカットだけにしてネガを保存していたので、シーケンスがわからないくなっています。さて、これはどこでしょうかねえ。函館本線の南側に国道12号線が並行していて駅があり、奥に住宅や団地が広がっています。札幌都市圏の中のようですが、こういうシチュエーションの駅は大麻しかありません。今は都市化してしまっているので、グーグルアースでも断定はできませんが、他にそういう駅はないのでたぶん間違いないでしょう。そこに単機回送でやってきたのは、またしても小樽築港機関区のD5154号機です。


続けて通り過ぎようとしている54号機を、見返り気味に撮影。ホームの照明とカブっちゃってますが、まあご愛敬ということで。54号機は余りに個性的なので恐いモノ見たさではないですが、高校生の時すでに16番で模型化しています。多分、ぼくが日本で最初に54号機の模型を作ったのではないかと思います。ドームは叩き出し、半田盛りで作りました。密閉キャブは、C62用キャブからドアを切り出して使いました。しかしこの写真、よく見ると54号機の空気作用管はキレイに磨き出されています。北海道では珍しいですね。それなりに愛用されていたということでしょうか。ニセコの前補機が54号機という写真を見たことがありますが、その時は落胆でも、今となってはものスゴく貴重な記録ですね。





(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる