男の背中 -ドラフトと煙の香りの想い出・その1-


さあ、「南の庫から」シリーズもいよいよラストスパートか、と思わせる前に、なんと新シリーズ登場。懲りないヤツですね。題して、男の背中 -ドラフトと煙の香りの想い出-。かつて、蒸気機関車の撮影旅行に行った時期には、当然のように、蒸気機関車牽引の旅客列車も残っていました。一列車でも多く撮りたいのもヤマヤマですが、「蒸気機関車の牽引する列車に乗って、その風情を味わいたい」という気分もあり、また、蒸気機関車の牽引する列車に乗らなくては移動できないようなダイヤになっている線区もありました。そんな時には、1輌目が荷物車や合造車でない限り、機関車に一番近い、先頭車の一番前のボックスに陣取り、蒸気機関車の音や振動、石炭の煙特有のニオいなどを堪能したものです。そして、その記念にデッキから見える「テンダーの後姿」を撮影したものです。このシリーズは、そんな蒸気機関車の「男の背中」ともいえる、客車から見たテンダーのナンバープレートの写真を集めてみます。



さて、のっけは1970年8月1日。原田駅での若松機関区所属のC5551号機。若松行きの普通列車を牽引しています。これが、はじめての蒸気機関車の撮影旅行ですから、この列車がはじめて撮影旅行で乗車した「蒸気機関車牽引列車」です。のっけがC55というのも(笑)。この列車の姿は、南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-の中で紹介しています。それにしても、51号機のテンダーナンバープレートは、なんと「形式入り」なんですね。九州では、けっこうテンダーに形式入りナンバーを残しているカマが多かったのですが、これが正面についていれば、若松機関区のC55では、きっと人気No.1だったでしょう。


続けて同日、冷水峠での撮影後、筑前垣生に向かうべ乗車した普通列車を牽引する、若松機関区のC5553号機。列車に乗り込んだ、筑前山家駅での撮影です。53号機も51号機同様、大分時代に、D51一次型とテンダーを振替え、8-20型のテンダーになっています。同時期に振替を行なった分、各種配線や配管の様子も、よく似ています。デッキの貫通ホロのところには、下半分に覆いがついていますが、こういう「親切で安全」な対応は、当時としては珍しいことでした。客室側の扉が閉まっているので、うっすらと自分の姿が写っていますが、なんといってもまだ14歳の頃のことですので、お許しを。


C57151号機は。昭和20年代から生え抜きの、いわば熊本機関区の看板娘。その経歴ゆえ、機関区員から大いに愛されていたようです。当時は、C57形式は1輌のみの配属で、朝熊本を出て、夕方に八代から帰ってくる、一往復の運用だけを担当していました。点検時等は、D51とか他形式を充当したのでしょう。この日は、朝熊本の出発シーンを撮影しましたが、八代からの帰りは、同機の牽引する熊本行きの普通列車に乗って帰ってきました。1970年8月2日、八代駅での撮影です。


ここからは、1971年の春、2度目の九州撮影旅行中のカットです。これまた筑豊本線、直方駅での、原田行き普通列車を牽引するC5552号機。ちょっと芸術ぶって、客室の扉と、トイレの扉にピンを合わせ、機関車をアウトフォーカスにしてますね。ませたガキ(笑)。とはいうものの、ニス塗りの扉や、真鍮製の取っ手や錠など、なかなか時代を感じさせる質感が出てます。ピントはあっていませんが、この52号機の8-20型テンダーも、LP42ライトや標識灯かけ、パイピングなど、51号機や53号機とほぼ同仕様になっていることがわかります。1971年4月1日の撮影です。


最後は、筑前山家駅での上り列車を牽引する、C5519号機。蒸気機関車末期の九州では、C55の一次型の生き残りといえば、10号機、19号機と標準デフ装備のカマだけが残っており、元来門デフ装備機が多かった一次型としては、例外的な状況になっていました。車内がふつうのデッキとはちょっと違う雰囲気ですが、それもそのはず、これはスハフ42の車掌室側なのです。これまた、先ほどの51号機の出てきた回に写っている、C5519号機の牽引する列車そのものです。その写真をチェックすれば、スハフ42ということが確認できます。1971年4月2日の撮影です。


(c)2009 FUJII Yoshihiko


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