志布志線 -1974年7月14日-


ちょうど現役蒸気機関車最末期にあたったティーンエージャーの5年間を費やし、都合7回に渡った九州への撮影旅行も74年夏の旅行が最後。もはや限られたローカル線区に小型の機関車が活躍しているのみとなっていた状況の中、観光旅行をしながらまだ撮影したことのなかった日南線、志布志線などの国鉄線と貝島炭鉱を訪ねました。もう大学生になっていたこともあり、これは半分撮影、あと半分はよく来ているワリに何も観光したことがなかった反省から九州という風土を知ろうという、九州周遊券をフルに使うワリにはかなりのんびりした旅になりました。その最後の撮影にいった線区が志布志線でした。本当に最後のカットは、吉松で入換をしていたもと小樽築港のC1264号機ですが。かつての撮影旅行とは打って変わったレイドバックムードのツアー。撮影したのもブロニカの手持ち撮りだけ。さらにちゃんと見たのは今回の半世紀ぶり。ということで、あれだけ没入した九州でも最後になったカットをお届けします。とはいえ、そういうノリなので、事前に調べたりせず、朝に乗った列車からロケハンしながら撮影地を決めて、適当に撮った写真なので撮影地がわからない。おまけに志布志線自体が廃止されちゃったので、Google Mapとかからも調べられない状態なので、撮影地は全く比定できません。志布志線に思い入れがあってわかる方がいたら教えてください。よろしくお願いします。



この時期、志布志線は昼間に二往復の貨物があるだけでした。北海道とかでは一往復の不定期なってローカル線も多かったので、二往復は計画が立てられるだけラッキーだったかもしれません。まずは勾配のある大隅松山付近で狙います。C58というのは何ともバランスの悪く、格好がよくない機関車なのですが、正面から見る分にはまあ絵になるかな。それも小工デフだったらということで、勾配の煙に期待してのバッタ撮りです。うまい具合に、九州のC58らしい277号機ややってきました。そこでぼくにしては珍しい煙狙いでワンカット。大分由来の青ナンバーもきれいに写っています。これは大隅松山-岩川間なのでしょうか。とにかく記憶がないので全くわかりません。



志布志機関区のC58は、この時期3輛配置で2輛使用でしたが、とにかく全検残存カマを引っ張ってきては使っていたので、面子の入れ替わりが激しかったです。C58275号機はもともと東北地方で活躍していたカマで、新庄機関区に配置され陸羽東線で活躍していたものが、全検期限が残っていたため蒸気機関車末期の広域配転でこの年の4月に志布志に移動してきました。この時は東北時代のままのLP405を主灯・副灯ともに装備した姿で活躍していました。九州では、伝統的に転入者も丁寧に装備を九州仕様に近づける改造をするのが伝統でしたから、これも現役蒸気末期ならではの現象といえるでしょう。廃車後、水戸線ゆかりの形式ということで、笠間市で保存されているという数奇な経歴の持ち主です。これは伊崎田-大隅松山間でしょうか。



実はもうワンカットあるのですが、今回は3カット。これはおなじみの安楽-中安楽間のガーダー橋ですね。ちょっと門石信号所付近の景色を思わせる雰囲気です。カマはさっきの帰りの277号機。ぼくはC58という機関車は、何に付けても中途半端であまり好きでなかったし、九州においては大分と志布志にしかいなかった極めてマイナーな機関車なので、本当にこの時の「最初で最後」な撮影だけしか撮っていません。この日を含む数日は、台風が来て結構荒れた天気でした。その中では微妙に雨が上がってくれた時に撮れているだけラッキーかもしれません。前の日に、志布志機関区で112号機も撮りましたし、結局全機撮れたことになりますし。




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