信州 -1972年7月-


1972年は、折りからのSLブームと鉄道100周年記念行事とが重なり、ある種のピークを迎えた年でした。特に72年10月改正では、本州のかなりの線区で無煙化が行われることになっており、夏休みは、最後の掻き入れ時でした。実際、駆け込み需要で、小海線と羽越線、それとは別に一部観光もくっつけて北海道と、かなり飛びまわった高校2年の夏でした。小海線は、東京からは比較的行きやすいのですが、列車で移動すると、いろいろな意味で撮影効率が悪く、なぜか行かずじまいで、ここまできてしました。72年の7月は夏休みに入ると、即、林間学校で、蓼科に行きましたが、その次の週に、今度は小海線の撮影に行きました。なんとかつなげたかったのですが、いくら「鉄」の指定席である旅行委員とはいえ、さすがに学校行事を現地解散にすることはできませんでした。ということで、小海線関係は、1972年7月最終週の週末だと思います。そんな、夏のはじめの1週間の思い出をつなげてみました。



まずは、林間学校のときのカットから。蓼科から降りてきて、上諏訪で乗る列車を待つ間。ホームは、リュックをしょった同級生たちで、時ならずラッシュになっています。そんな折、隣のホームには上諏訪駅で折り返す、おなじみ「合の子」こと半流クモハ43の飯田線直通列車が入ってきました。ぼくの場合、旧型電気機関車の写真も少ないのですが、旧型電車の写真はもっと少なくて、この写真みたいに、ホントになんかのついでに駅で撮った、みたいのしかありません。しかし、この写真よく見ると右端に上諏訪機関区の様子がちらりと写ってますが、給砂塔と給炭用のベルトコンベアが、蒸気の時代を感じさせます。たしか、梅小路のC56160を、梅小路入りまで預かって入換仕業に使っていたのが上諏訪の蒸気の最後だったやに記憶していますので、いるかいないか、最後の頃ということでしょう。


で、隣のホームから、もうワンショット。旧型電車も、何型の何番台は旧称号で何々、という程度の知識はあるのですが、特定番号機の考証となると、全くお手上げです。「撮り」は蒸気廃止とともに手を引いてしまい、旧型電機、旧型電車のブームには全く縁がありませんでしたから。見る人が見れば、これが何番だかすぐわかるのでしょうけどね。前のカットの上諏訪の蒸気廃止年月日共々、ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。それより、ホーム上のベンチ、灰皿、看板等、ジオラマのヒントに溢れているほうに、個人的には発見が多かったりするカットですが。


その週末、1972年7月30日とかそのへんでしょうが、日帰りで小海線に撮影行に向かいました。秋の廃止目前でもあり、もともと一般的な人気の高かった小海線だけに、にわかSLファンも含め、かなりの人出だったと思います。また、この日は「八ヶ岳高原号」だけでなく、小諸側から臨客も走ったようで、それもカメラに収めています。ということで、説明もいらないお立ち台からのDC三連。キハ52のパワーに、キハ10が申し訳なさそうにぶるさがっている感じがいいですね。よく見ると、橋のたもとでカメラを構えようとしている「掟破り」のファンも見受けられますが。


続いて、同じく清里-野辺山間での、キハ58系2連のDC急行。2連といい、カーブといい、中途半端な高さの切り通しといい、「模型鉄」なら、まさに70年代の16番固定式レイアウトの世界を思い起こさせる世界。定尺ベニア一枚に、400Rぐらいのエンドレス。旅客は単行または2連のDCで、貨物はそれこそC56。「運転盤」ではなく、最低限の「世界観」を持ったレイアウトとして作れる最小のものは、イメージとしてこんな感じを再現するのが、一番手堅い方法でした。まあ今なら、珊瑚の1/87のC56は、組み立てにさえ気を使えば、350Rをクリアしますので、12mmで、さらにやりやすいともいえますが。


ここまできて、C56の写真を一枚も出さないのは反則でしょうから、例によってからめ手からの一枚。信濃川上駅を出発する貨物列車です。カマは150号機。編成も、一輌目がワム21000、二輌目がワム2000と、なかなか味わいのある面子です。「人形派」としては、駅員さんのポーズにも注目したいところ。一仕事終わった、という安堵感がどことなく感じられるところがいいですね。このカットもまた、模型心をくすぐる要素が詰まってますね。まあ、小海線の人気自体、軽便ブームに一脈通じる「1/1レイアウト」的な要素がかなり高かったのは確かですが。


さて、これだけではちとさみしい気もするので、林間学校の時のネガから、もう二コマ。東京への帰路、列車の中から撮影したと思われる茅野駅の風景。まずは、駅本屋と1番線ホームの情景。模型屋さんにとっては、こういう写真はググっとくるものがありますね。70年代の鉄道周辺の情景でいうと、ローカルムード満点の寂れた地方の駅は、意外と資料があるのですが、幹線の急行停車駅クラスのモノは、一番ネタが少なかったりします。手小荷物を載せた台車、その台車をとなりのホームまで運ぶ、トロッコのような仕掛け。ホーム端面の表情も、興味深いものがあります。それよりもなによりも、お客さんがどういう雰囲気で列車を待っているのか、これが一番参考になるかもしれません。人々の雰囲気にも時代感ってあるし、人形を雰囲気豊かに使うには、けっこうポイントになるところです。


次は、貨物側線。そもそも「貨物側線」なんて存在自体が、過去のものになってしまいましたからねぇ。ホームに止められたスーパーカブ、埃まみれになった秤。なんとも、ダルい気分にさせてくれます。マツダファミリア1000と荷車とか並んでいるのも、模型で再現したくなりますね。それにしても、防火用水のドラム缶の、書きなぐった文字。実物だと、けっこうこういう「ヘタウマ」な表記は多いのですが、模型でこれをやると批判するヒトが多いのはなぜでしょう。手すり代わりにみんなが捉まるんで、よれよれになってしまった蒸気のパイピングとかも同じだけど。個人的には、設計図面みたいに、実物ではあり得ないぐらい全てがビシっとしているのも、妙にリアルにへなへなとしているのも、ポリシーさえしっかりしていれば、どちらでもいいと思うのですが。まあ、ポリシーが良く伝わってこない模型が多いのが、そもそも問題といえばそうなんでしょうね。


(c)2006 FUJII Yoshihiko


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