新商品開発の極意

(その2)


先日、社内であるヒトとハナシしてて、ふと思ったことがあるので、内容的には前に書いたことと若干重複するが、例としてに書いてみたいと思う。
アメリカンカジュアルグッズとか、ティーンズ向けのショップをやってるヒトにハナシを聞けば一発でわかることだが、いまのティーンズほど「モノを売りやすい若者」はかつてなかった。こんな、異常なまでに従順で均質指向な若者というのは、よく考えれば将来が思いやられるのだが、それはさておき、商売はしやすい。
しかし、ティーンズ向け商売が下手なメーカーや流通も多い。これは、どこに原因があるのか。それはあまりに単純なことだが、それらの企業人が、自分達がティーンズだった、60年代や70年代の「若者」を思い出して、それと今のティーンズをかさね合わせていろいろ考えているからにほかならない。前にいったように、勝手な思い込みが強くて、相対的にバランスしたみかたができないのだ。
いい例として、「千葉県」をあげてみよう。ティーンズの千葉のイメージについてだ。調べてみればわかることだが、多摩ニュータウンとか、鷺沼とか、あのあたりに住んでいるティーンズにとっては、外房の海岸と、湘南の海岸とは、アーティフィシャル・商業主義的な湘南に対して、自然・本格派の房総と特徴は違うものの、イメージ的には互角だ。
これを聞いて、「ふむ、そうなのか」と思えないヒトは、すでにプランナーにはむいていない。あるがままを自然に納得することが、まずヒット作りの第一歩だ。
その次は、その理由を考えてみることができるかだ。これができれば、立場も、感じかたも違うモノの、相手の気持ちをシミュレートすることが可能になる。
確かに、20年前は、湘南と房総とではイメージはかなり違った。なにがこの変化を起こしたのだろうか。
それは、「東に行くことの意味」の変化だ。
京葉道路や湾岸道路を東に行くのはどういうときだろうか。多くのヒトにとってそれは、ディズニーランドにいくとき、そして、成田空港へゆくときだ。つまり、東京都心を飛び越して東へ行くというのは、「非日常空間にゆく」という気分が強い。ましてや、レインボーブリッジから湾岸に入ってゆけば、景色自体も、非日常的なモノが続く。さらに、東京近郊では最初の本格的郊外型ショッピングセンターだったららポートとザウス、自動車やコンピュータのショーが行われる幕張メッセをこれらに加えてもいい。そして、房総の海というのは、その先にあるのだ。
さらにここからが重要なのだが、今のティーンズにとっては、物心ついた時から、このような構図ができ上がっていたのだ。ディズニーランドは10年前、成田空港は20年前からある。これは彼らには常識だ。そういうヒトたちが、どういう気持ちでいるかは、船橋ヘルスセンターがあって蒸気機関車の列車に乗って海水浴にいった30年前の千葉のイメージがいまだに擦り込まれているヒトにとっては無理だろう。
新商品を開発し、ヒットに結びつけるには、この「自分自身の体験を相対化」できるバランス感が重要だ。自分個人のノスタルジアはかけがえのないモノではあるが、それを他人に押しつけてはいけない。他人の体験やノスタルジアを、相手の気持ちになって理解できる人にしかヒットは創り出せない。これができてこそプランナーだといえるだろう。
このような視点から見て、もっともマーケティングに失敗しているものの例としては、読売ジャイアンツがあげられるだろう。V9とともに育った35才以上の世代にとっては、巨人軍は常勝であり、プロ野球=ジャイアンツといっても過言ではない。しかし、これは過去の黄金時代であるV9時代をリアルタイムで体験したからそう感じるだけなのだ。
「昔は鉄壁に強かった」ことは、今の子供でも知っている。しかし、それは単なる「歴史的事実」に過ぎない。いくら過去の栄光があっても、それだけでは白熱したおもしろい試合にはならないし、客足が伸びるわけではない。
逆にティーンズや学生にとって、強い野球チームといえば、子供の頃にリアルタイムでその強さを見て育った、赤ヘル軍団の広島カープか、80年代の常勝軍団、西武ライオンズということになる。
ところが、ジャイアンツにはこの相対的視点がない。とにかくプロ野球=ジャイアンツの構図が今も続いていると信じている。しかし、いまの若者層にとってジャイアンツは、比較的強くはあるものの、個々の選手の力量の割りにチームプレーが悪く、どちらかというと攻めの下手なチームというイメージがある。単に人気選手がいるだけでは、チームの人気は上がらない。いいプレーをして、強くてこその人気なのだ。こんなことは、イチローブームでメジャーチームに脱皮したオリックス・ブルーウェーブをみればすぐわかるだろう。
実際そうなのだが、チーム作りの面でも、観客動員の面でも、この事実に目を背け、自分達の思い入れでしかモノを見られなくなっているところにジャイアンツの問題がある。だが、世の中の視点は違う。そっちのほうが多数でふつうの見方だ、そんなに難しいことではないのに、どうしてできないのだろうか。
彼らはいわば、裸の王様状態にある。要は気付いていないのだ。だからだれかにいわれなくとも、自分で気付きさえすれば、いくらでも改善できるだろう。これはちょうど、自分の10代の時代にかさね合わせてしかモノをみられない、オジさんマーケッターも同じだ。ちょっと視点を変えてみれば、ホントの世界が見えてくる。
素直にみる。相手の視点で、相手の視線からみる。
この王道は今も充分に意味がある。

(95/07)



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