南の庫から・番外 田川線にて -1973年+α-


ぼくの模型の趣味のほうをご存知の方ならよくご承知と思いますが、北九州の3600と南九州のC55・C57というのは、ほとんどライフワークのようなものです。九州の撮影行は、まだティーンズだった70年から74年までの間に、都合7回行ってますが、この両者は毎回欠かせないターゲットでした。北九州では、筑豊本線のC55とか現役の頃は、筑豊筋周辺で他のカマと一緒に狙うプランがもっぱらでしたが、時と共に、最後の砦たる田川線を中心としたエリアに足繁く通うようになりました。今回は、そんな蒸気終焉の足音も目立ってきた、1973年の春に撮影した、油須原を中心とする田川線のカットをお届けします。この時期になると、メインはブローニーのカラーポジの一枚撮りに移っていましたので、モノクロはどちらかというと押さえになっています。その分、変なコマがあったりするのですが。



いくら「番外」だからといって、何も機関区が出てこないのでは反則っぽいので、まずは行橋機関区の情景から。田川線の撮影は、本州から渡った日にしろ、南九州から上がってきた日にしろ、夜行を行橋で降り、田川線の始発で後藤寺方面に向かうというのが定番でした。そんなワケで、ホームから一瞬垣間見た、夜明け前の行橋機関区です。バックの山にはすでにうっすら陽が射していますが、鉄路の上はまだ暗闇。そんな中で、仕業に備えて準備中のカマのナンバープレートだけが、輝いて見えます。よく見ると、この機関車は、行橋機関区所属の59684号機。そう、1974年12月22日に、あの新幹線とクロスする演出でおなじみの、北九州SLさよなら列車を牽引したカマの、まだ現役バリバリの頃の姿です。


油須原駅につく頃には、すっかり太陽も出て、朝の日差しが射しています。まずは、行橋より乗ってきた、9600形式の牽引する旅客列車の出発シーン。牽引機は、行橋区の29612号機。唐津線無煙化後の西唐津からの転属車で、筑豊生え抜きのカマとは微妙に雰囲気が違うのが、マニア心をソソります。田川線の旅客というと、C11が元来の持ち味を生かした運用につくのがおなじみですが、長編成の列車には、9600形式牽引のモノもありました。この区間にやってくる9600形式は、行橋機関区と後藤寺機関区のカマですが、デフ付きを揃えた行橋に対し、後藤寺はデフなしと、二つの味が楽しめるおいしい線区でした。


油須原-崎山間、いまでいう「源じいの森」駅付近の、今川沿いの景勝地をゆく、キハ17系。この時期でもまだ田川線は、ディーゼルカーの列車のほうが珍しかったしました。実は、この今川沿いのミニ渓谷は、個人的には「日本三景」ともいえる、フォトジェニックなベストお立ち台の一つです。鉄道模型をやっているヒトなら、すぐにピンと来るモノがあると思うのですが、山あり谷あり、線路あり、ここはモロに「レイアウト」そのもの。自分が模型の世界の中に入ったような気分で、列車を眺め、撮影できるのです。ディーゼルカーでも、充分絵になる世界。というより、若い人にとっては、現役の国鉄色のキハ17というだけで、歴史的資料かもしれませんが。ここまでが、1973年4月5日の撮影です。


撮影旅行に行くと、妙なものを写すこともしばしばあります。ということで、保線係員が実際に出動に使用している「軌道自転車」。軌道自転車は、今でもイベントで体験乗車させてくれたりとか、ファンにはおなじみですが、実際に使用されているところの写真は、あんまり見ません。ぼくも、こんなカットを撮っていたことを、今の今まで忘れていました。これ、軌道封鎖も何もしないで、ダイヤの間合いで走っちゃってたんですからね。列車がきたら、線路から外して退避。なんとものどかな時代です。場所は上のカットと同じですが、撮影は1973年4月7日。そう、この間に、夜行往復で宮崎周辺の撮影を行って来たのでした。この時のツアーは、無泊で全部夜行という、ほとんど特攻隊のようなスケジュール。高3になるときとはいえ、若気の至りですね。


さて、お約束の蒸気機関車。行橋機関区の69614号機が、力行して登ってきます。撮影地は上の2カットと同様ですが、ここには油須原-崎山間で二つしかないトンネルが連続しています。トンネルの上は尾根になっていて、油須原側のトンネルの上をたどってゆくと、川側から線路を眺められる撮影ポイントがあります。モノクロだと、なんとも山水画のような、幽玄な世界になります。しかし、実はこの時は桜が満開。カラーカットでは、山のここそこに桜の木が見えて、とてもカラフルな世界だったりします。そういえば、このカットは桜の木の真下で撮ったのですが、木から時折毛虫が落ちてきて閉口したのは、今でも鮮烈に覚えていたりします。


最後に、おまけでカラーのカット。このカットは、例によって「非常用」のコンパクトのネガカラーなので、正確な日時の断定はできませんが、08年02月の門司機関区のヤツの続きのようなので、72年の春というのは間違いないと思います。後藤寺駅駅頭での、行橋機関区69615号機。上のカマとは連番ですね。小雨がちの天気で発色が悪いのですが、なんか、この方がローカル線っぽい感じがするのは、侘び寂びの感覚でしょうか。ホームの上屋に立てかけられた自転車。その脇にたたずむ係員も、どことなく「エコーモデル製」という感じがします(笑)。おなじみの、犀川-油須原間の築堤のカーブも含めて、田川線の魅力は、「1/1のジオラマ」というところにあるのかもしれません。これ以上いうと、ボロが出そうなので‥‥‥‥。



(c)2008 FUJII Yoshihiko


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