40年の時空を超えて -東急世田谷線 1972年/2012年-


この「記憶の中の鉄道風景」開設当初の第二回、ぼくがまだ高校生だった頃、ちょっとした話のついでに撮影した、東急世田谷線のカットを掲載しました。それから歳月は過ぎ、ぼく自身が世田谷に住み、世田谷線をよく利用するようになりました。カメラの試写でも、よく被写体に利用しています。AFマイクロニッコール60mmf2.8は、DXフォーマットだと、ぼくの好きな90mm相当の画角になるので、思わず出物を購入したのですが、例によって散歩がてら、世田谷線沿線で試写をしました。そこで、ふと思った遊び心。あの、40年前のカットを撮った、同じ場所から撮影してみよう。今は、モバイルという強い味方がありますから、現地で場所の特定も容易です。ただ、レンズが違うので(前回は広角、35mmか)全く同じ絵にはなりませんが、40年の間に、沿線がどう変わったのかという雰囲気は、充分つかめると思います。




まず最初は、世田谷駅の三軒茶屋方で撮影したカット。墓地の裏の路地から撮ったものと思っていましたが、さらにその手前のクルマが通れる道から撮影したもの、ということがわかりました。架線柱の位置や太さがけっこう変わっています。コンクリート製の柵については、全くそのままです。2012年バージョンは、中焦点レンズなので背景が圧縮され、上町付近のマンションが多少目立つものの、意外に雰囲気は変わっていません。よく見ると、家自体は新陳代謝し建て変わっているのですが、都心部のように、全く違う街並みになってしまった、ということはありません。このあたりが、世田谷の世田谷たる由縁なのでしょうか。



続いては、世田谷駅の下りホームの上から、上町方向を撮影したカット。これは場所自体は明確なので、あとは撮るだけなのですが、ダイヤ通りだと、下りが出発した直後に、上りが進入しているタイミングになり、上り電車をこの場所で撮影できません。4列車ぐらいネバって、何とか撮影できました。ある意味、こちらの方がさらに「変わっていない」感は強いですね。もっというと、数年前まで、踏み切りの北側の木造アパートはそのまま残っていましたので、これでも変化した方です。電車が変わり、家が変わり、枕木がPCになっても、本質はそんなには変わっていないのです。それでも、道が拡幅したり、新しい道ができたり、この辺でも変わっているところは変わっているんですが。それも飲み込んでしまうような存在感がある、ということでしょうか。



さて、今回一番苦労したカットがこれ。場所も写し方も明解なのですが、なんせ300系の正面非公式側の窓は、全く眺望が利かないのです。前の80系が、フルオープンの展望席だっただけに、これは難儀しました。何とか隙間を生かして、ギリギリワンカット撮りましたが、上はサンシールド、下は仕切板に挟まれた苦しいカットです。かえってこれは、中焦点なのが功を奏した感じです。すれ違いと男の子は、こりゃ無理です。許してください。でも、これも思ったほどには変わっていませんね。けっきょく40年経っても変わらないところにこそ、世田谷の魅力があるということでしょう。「サザエさん」の舞台なんて、長谷川町子さんが、世田谷に引っ越した昭和20年代が舞台だったりするワケですし。


(c)2012 FUJII Yoshihiko


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