男の仕事場からの眺め(信号扱所から見た苫小牧貨物駅・その1) -1972年7月15日-


前回までは7回連続で、「あそこ」の立体交差こと植苗-沼ノ端間のオーバークロスのところに撮影に行った、1972年7月14日の全記録を追いました。それはぼくが蒸気機関車の撮影旅行で飛び回っていた時代、一日で最も多くの列車を撮影した「一番長い日」。その翌日の15日は、白老付近での撮影を計画していましたが、親戚に苫小牧貨物駅の幹部の人がいて招待してくれたので、朝一で小一時間ほど操車場を見学しつつ、場内で撮影を行いました。気を利かせて、信号扱所の中から窓を開けて撮らせてくれましたので、かなり珍しい撮影になりました。フォトジェニックではないのですが、当時の操車場の雰囲気も結構写っていて、模型ファン、それもレイアウト派としては貴重な資料になっています。時間が短かったワリに、本数の多い時間帯でしたのでかなりカット数もあり、当面これをシリーズで続けたいと思います。



まずトップバッターは、小樽築港機関区のD51193号機。逆行の単機回送で、苫小牧駅方面に出発してゆきます。勢いよくドレンを切っていますが、逆向きに流れてゆくというのも逆行でスタートしたばかりという勢いを感じさせます。煙もけっこう上がっていますが、機関助士は着席しているので、これは出発のドラフトでもう出来上がっている火床が勢いよく燃えだしたところでしょう。193号機は大宮工場製で、すでに昭和20年代には渡道していますので、密閉キャブ化されています。長万部、小樽築港、追分と主として道南一筋で活躍し、最晩年に近い時期まで現役で活躍していました。


小樽築港機関区のD511057号機が千歳線下りの特急貨物を牽引してやってきました。コキとワキで編成された編成美には、北海道にしては手入れが行き届いた小樽築港のカマが良く似合います。ある意味この時代の本土直通の特急貨物は、輸送に占める鉄道のシェアを考えると、キハ82系の特急列車以上にこの区間の花形列車といえるかもしれません。旅客輸送は上に「飛行機」がありますが、貨物では鉄道がトップシェアの時代です。それをD51が単機で牽引してしまうのですから、本当に蒸気機関車が北海道のライフラインを支えていたことがわかります。入換用のDD13と、給水塔の脇で出番を待つD51629号機が、通過を見送っています。そういえば、こいつの1番違いの1058号機は、人吉で矢岳越えに活躍していました。


先程まで給水と給炭で仕業の準備をしていた鷲別機関区のD51629号機が、上り貨物列車の先頭に着き、安全弁を吹きながら、ドラフトも高らかにいよいよ発車しました。未電化ながら、複線の幹線。色灯式信号機が並んだ信号塔に貫禄が漂います。手前のワキ5000のステップには構内係はぶら下がり、突放入換作業の最中。このあたりも、鉄道黄金時代の雰囲気がまだまだ濃厚に漂っています。鉄道写真としてはどういうこともないカットですが、こういう世界観を模型で再現して見たいという気持ちにさせてくれる点においては、モデラー心を大いにくすぐってくれますね。


続いて接近してきた鷲別機関区のD51629号機の姿を、もうワンカット。ワキの妻板をギリギリテンダーがクリアしたタイミングを、よく見切ってますね。まだ16歳、意識して鉄道写真を取り始めてから2年ほどですが、こういうところはキチンと押さえるようになってますね。しかし、この手前の大物車が、別の意味で大物ですね。リベットだらけのフレームに、TR20。こりゃシキ40じゃないですか。貨物列車の前2両は石炭積みのトラ、その後にはセキが続いていますから、これは中小炭鉱からの石炭出荷を、一般の車扱貨物と合わせて組成した列車ですね。苫小牧操-室蘭操の列車でしょう。


そこにやってきたのは、岩見沢第一機関区のC57149号機が牽引する室蘭本線の下り旅客列車。149号機は旭川電化で移動するまで、小樽築港機関区で函館本線・根室本線の旅客列車で活躍し、135号機などと一緒に狩勝越えでも活躍していました。このため重油並燃のためのタンクが取り付けられましたが、この時点でもまだタンクは残っています(135号機は外されていた)。踏段改造前ということもあり、LP405の副灯以外は小樽築港時代の面影をよく残しています。列車の一輌目はオハフ60。鋼体化前のナハ22000系の窓配置を受け継ぐオハ60・オハフ60は、この時期本州ではかなり珍しかったですが、北海道では耐寒性の強い狭窓ということもあり結構残存していました。


そう、この両列車はここですれ違うのです。それもまさに目の前で。C57149号機とD51629号機とがオーバーラップする瞬間。蒸機同士のすれ違いは何度か撮っていますが、真横から撮影したというのはこの時だけです。どちらも力行中で煙も交錯する一瞬。まさに蒸機が走る幹線の醍醐味です。これから4年で蒸機は廃止されてしまうのですが、この時はまだまだ北海道では鉄路の王者として君臨している姿が拝めました。C57149号機は、135号機と同様、高崎線の電化に合わせて昭和20年代に高崎区から渡道したカマですので、密閉キャブに改造されています。


苫小牧駅から鷲別機関区のD511098と岩見沢第一機関区のD5111号機が、重連回送で下り線にやってきました。戦時型とナメクジというのは、モデラー好みの組合せですね。通路に立って様子を伺っている作業員が、なかなかいいアクセントになって、仕事の場というイメージが伝わってきます。模型のジオラマでいかに人形が大切かということを、まざまざと見せつけてくれますね。「信頼し合って明るくなごやか」というのは、あまり見ない安全標語ですが、北海道ではよくあったのでしょうか。心なしか、当時の「立看文字」っぽいのが気になりますが。やっぱり組合と関係あるのでしょうか。


最後は重連回送次位のD5111号機のサイドビュー。継電機箱がテンダ台車と重なってちょっとうるさい気もしますが、エンジン部はほぼ真横。写真としていうよりは、模型用の記録として押さえておいたカットでしょうね。こうやって見ると、いろいろ発見があります。この距離感だとNゲージの機関車のようですが、細かいディティールはほとんどデコボコしていません。Nだったら、パーツ付けするよりウェザリングも加えた印刷の方が、よほどリアルに出来るかもしれませんね。それ以上にナメクジの踏段改造は、真横から見ると煙室正面の「R」が見えるようになって、流線型度が高まるんですね。これは発見です。さらに煙室扉の真ん中に前照灯をつけたら、サザンパシフィックのGS-4みたいになったりして。



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