男の仕事場からの眺め(信号扱所から見た苫小牧貨物駅・その2) -1972年7月15日-

さて前回に引き続き、今回も苫小牧操車場の信号扱所を見学しながら撮影したカットの続きです。ここは朝撮影地に向かう前に1時間ぐらいお邪魔していただけなのですが、もともと千歳線系統と室蘭本線系統と両方の列車がやってくる上に、苫小牧駅と苫小牧貨物駅の間の機関車の回送もあり、1時間もいれば充分に堪能できます。リアルタイムではフォトジェニックではないし、あまり面白い写真とは思わなかったのですが、今となってはほとんど撮った人がいない場所ですので、けっこう面白い記録になっています。特に操車場内で人々が働く姿が垣間見られるところは、普通の撮影旅行ではちょっと撮れない場面だけに、貴重かもしれません。模型をやっている人には、こういう風景って資料として重要なんですよね。



まずは操車場内の駐泊所にある給炭・給水所に向かう、鷲別機関区のD51896号機。珍しく35oのメインボディーの方に望遠レンズを装着しての撮影です。同じ構図でしか撮れないので、早くも飽きてきてちょっと雰囲気を変えようというところでしょうか。結果的にぼくがほとんど撮らない構図になっていて、なんか面白いですね。ヘルメット姿の構内員の方もいいアクセントになって、画面が活き活きしています。模型のジオラマでのフィギュアの効用と同じですね。大きく広がったドーム前の手摺りは釧路工場持ちだった車輌の特徴で、このカマも渡道した最初は根室本線筋での活躍だったことがわかります。


同じく鷲別機関区のD51896号機を、見返りのバックショットで。これまた別の作業員二人が写っていますが、作業帽の男の方はいかにもこの時代の「国労組合員」という感じの態度ですね。さて896号機は常磐筋での活躍が長く39・10での渡道ですので、デフのバイパス弁点検穴を始め随所に関東ガマの特徴を残しています。それにしてもこの乱雑な空気作用管の引き回しは何なんでしょうか。苗穂工場持ちだと、北海道流の配管にステイから付け直すのが普通なのですが、これもまた釧路流なんでしょうか。模型にしてみたい気もちょっとしますが、何ともめんどくさそうだし、作ってからもいろいろ外野から文句が出そうだし。


岩見沢第一機関区のD51118号機が、単機回送で苫小牧駅方面に向かって出発してゆきます。蒸機が主力の本線筋では、運用上けっこう単機回送が出てきます。73年頃までは機関区の所在地と列車の始発・終着地が違うため、道南地区ではかなり頻繁に見たものです。118号機は新製から北海道一筋のカマで、一時的に新得や遠軽にいましたがそれ以外はほぼ岩見沢にいました。最後は追分に転属し蒸機最末期まで活躍していたので、撮られた方も多いことでしょう。さらには所沢の小手指公園に保存されていますので、首都圏の方にもおなじみのカマでしょう。


近くに寄ってきた岩見沢第一機関区のD51118号機を、アップで押さえます。もうこの写真は完全に模型化資料として撮影したという感じがアリアリですね。ぼくは16番をやっていた当時から「見えないディテールは付けない」主義でしたから、このカットがあれば公式側と正面はバッチリ製作できます。朝日が当っていますので、ウェザリングの具合も良くわかります。これと非公式側とテンダの背面が写ったカットがあれば、2カットでほぼ全体をモノにできます。もっとも118号機は乗工社の「北海道型」をベースに(ナンバーがもともと118)、レトロフィットでそれらしく加工して作ってしまいましたが。


小樽築港機関区のD51320号機が牽引する、下り貨物列車。貨車の先頭のワム80000は、全検明けなのか、この時代の貨車としては異常にキレイですね。12oならIMON、16番ならカトーの、プラ製貨車の新品のよう。こういうのも混じっているので、実物の編成は侮れません。そうやってみると320号機も、まだ小樽築港にいた時代なので、当時の北海道のD51にしてはかなりキレイで黒光りしています。「築港のプライド」ってヤツですね。320号機も北海道生え抜きのカマ、おまけにこの年の暮れに追分に移動するまで、函館本線一筋というエリート。今は焼失したD51241号機に代わり、追分町鉄道記念館に最後まで残った蒸気機関車の代表として、ピカピカに磨かれて大事に保存されています。


滝川機関区のD5168号機が牽引する上り貨物列車がやってきました。操車場間直行の列車と見え、苫小牧操は通過です。このカットは、当該列車というより、当時の操車場の雰囲気が面白くて採用しました。着発線に並ぶ出発信号機のタワーが、幹線の操車場という雰囲気を感じさせます。このワム80000もワリとキレイですね。その隣は北海道名物の一段リンク封じ込めのワフ121000。そこからはワラ1が続きますが、組合のスローガンの殴り書きを消したあとで、車体が白くなっています。まるで石灰輸送に使うテムの汚れ方のようです。はるか先には、煤煙でいぶされ黒っぽくなってしまったホキ2200も見えます。こういう生きた感じのヤードっていいですね。


D5168号機が牽引する上り貨物列車が近くにやってきました。滝川機関区のカマなので、道東・道北から集まった貨物を本州方面に運ぶ列車でしょう。室蘭本線の沼ノ端-岩見沢間を廃止できないのは、札幌近郊の函館本線と千歳線が線路容量一杯で遅い貨物を入れる余地がなく、今でも道東・道北からの貨物列車のバイパス線としては機能しているからだという話をJR貨物の人から聞きました。ましてやこの当時は鉄道貨物が本州とのメインルートでしたから、その重要度たるや比較にならないくらいです。この1輌目のワム80000は相応にくすんでいますね。これでなきゃ。


至近距離に来たところで、D5168号機のサイドビューを押さえる。真横から光が入っているので、ディテールがよく見えるのが模型ファンとしてはうれしい。機関助士も前方確認をやっているのだろうが、惰行中なので風に当って涼んでいるようにも見える。68号機は1950年代に渡道したのだが、五稜郭配属で函館口での活躍が長かったせいか、キャブの密閉化改造が行われていないのが面白い。68号機も、結局蒸気機関車最後の日まで生き残ったカマの一台。なんか、そういう運のいいヤツばかり来ますねえ。しかしこうやって見比べると、1次型と標準型ってブレーキの放熱管の取り回しが違うのね。68号機は日立、118号機は川崎なのでメーカーによる違いかもしれないが。



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