羽越本線、最初で最後の夏 その3 -1972年8月-


これで、羽越本線笹川流れシリーズも3回目。というより、まだ一日分を引っ張りに引っ張ってる状況で3カ月というのがホンネです。「全カットシリーズ」を始めてから、一つのネタの持たせ方が尋常ではなく、アストロ球団か麻雀マンガかという引っ張り方。アストロ球団も、回の表が終わるまでに何週間続くのかという引っ張り。麻雀マンガでは、牌を自摸ってから手元に引き寄せるまでで一週間分終わってしまうというのもザラ。まあ、引っ張れるネタで引っ張っておかないと、当時中高生だった身としては、比較的多くのカットを撮っているのは事実ではあるものの、所詮ネタは有限なのでいつかは尽きてしまう。今まで11年、けっこうネタが尽きず続いていますが、今後も続けていくためには引っ張りも大切ということで。なんか文章も引っ張ってますね。別に、なんでもかんでも冗長にしようとしてるわけじゃないですよ。じゃ、そろそろ本編に行きましょうか。



さて、前回はちょっとはしゃいで出過ぎた感じもありましたが、ひとまず「笹川流れ」に戻ってきました。ちょっと撮りそこなった下りの旅客列車は、越後早川で交換待ちのようです。そんなダイヤなんで、先回りしてその交換相手の列車を撮影します。光線もいい感じ。やってきたのは坂町機関区のD511100号機牽引の上り貨物列車。フジカラー100のネガカラーといっても、光線状態がよければそれなりにネガには画像が残っているし、画像さえ濃ければ、褪色が激しくてもそれなりに絵にはなるというところでしょうか。なかなか臨場感があります。その時の気分を思い出しますね。架線が煩雑ですが、ちょうどここはエアセクションなんですね。決してきれいな写真ではないですが、電化直前の記録という意味では価値のありワンカットではないでしょうか。


まあ、この頃の常として、続けて何カットか撮っています。中学生とか最初の頃は、どのタイミングがベストかリアルタイムでわからずに撮っていたので、やたらとカット数が多く、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当る」状態だったのですが、この頃になるとメインはブローニーで押さえるようになってましたんで、それなりに無意味なシャッターは押さなくなっていました。前のカットが景色を押さえたものとすれば、こっちは海を入れたバッタ撮りというところでしょうか。1100号機は、新製から廃車までほぼ一貫して坂町ですごしましたが、長野工場の持ちの戦時型というのはなんか羽越らしい感じがしますね。勝手な思い入れだとは思いますが、個人的にはそんなイメージがあります。ちょっとだけ重油バーナーをかけている感じの淡い煙も、裏縦貫らしい雰囲気があります。


ぐっと寄せてアップでの一発。模型をジオラマお立ち台に乗っけて撮った写真見たいですね。いや、逆です。実物でもこういう写真があるからこそ、小さいお立ち台でもらしい写真が撮れるんです。でも、これは良く画像が残ってます。長野工場持ちの戦時型標準装備のカマの面構えを、良く捉えています。デフは、上辺の曲げがないんですね。ちょっと変色はありますが、海と空のつながりも絵になっています。それにしても、当時の幹線は草抜きの手入れが行き届いていますね。バラストこそしっかりサビ色に染まっていまっすが、雑草はほとんどありません。ある意味、ウッドランドシーニックスのバラスト撒いたみたいですね。レールは50sでしょうか。このまま交流電機通すわけですから、それなりに路盤は充実しています。こういうところにも、注目してみてください。


さて、越後早川で交換したD51448号機の牽引する下り旅客列車がやってきます。二度目のアタックですが、これも上りの貨物優先で、そこから振り返ったところでの撮影です。岩場があり、景色としてはなかなかいい感じですが、撮影地としてはちょっとキツいですね。でも、そんなことは言ってられません。景色中心で、まずは遠景を押さえます。トラックやバスも走ってきて、国道もそれなりにいい感じ。景色中心という意味では、これも悪くないです。しかしこの機関士、前照灯つけっぱなしですね。この区間隧道は多いのですが、この頃はつけっぱなしというのは珍しく、普通はこまめに消していたけどね。この点は、この後の写真も良く見てくださいな。


もうちょっと引いてからのワンカットですが、こりゃポジション自体が失敗でしたね。手前の草が生えすぎていて、引いて撮ろうと思うと下回りが隠れちゃう。この事実にここらあたりで気付いたんでしょうか、いかんシャッタータイミングです。なんとか顔が見えるとコトでシャッターを切ろうとしたのでしょうけれど、撮れるスペースがなく、手前にあるオレンジ色の小屋とちょっとカブってしまっています。まあ、こういうのも今となっては楽しい記憶です。すべては記録。どんなカットでも、後からは撮れません。そこにそういう列車が走っていたという事実は、その時にシャッターを押さない限り永遠に残らないのです。そう思うと楽しいですね。


ひとまず至近距離でもワンカット押さえます。棚田と雑草の茂みに囲まれてはいますが、今から見ると夏の日らしい雰囲気ではないですか。こういうのも、模型のジオラマ撮りみたいできらいではありません。それ以上に、海と空の境目がちゃんと写っているのは、けっこうスゴいかもしれません。とにかく、このシリーズはぼくにしては珍しく、あまり凝らずに「写せる幸せ」を味わう方向で撮ってたものですから。考えてみれば、日本海がバックというのも、そんなに撮っていません。北海道の日本海岸も、山陰本線の日本海岸も、ぼくは行っていません。それも含めてぼくにとってはある種の記念写真といえるのではないでしょうか。



さて、チャーターしたタクシーで、鶴岡まで戻りがてら、448号機牽引の下り旅客列車を三度狙って最後のデザートを狙います。帰り道のどこかですが、もちろん記憶はありません。しかし、このカットにはヒントが多い。国道バイパスが複線区間をオーバークロスするところは、この区間の羽越本線にはあまりありません。現状でも同様の地形になっているものと判断されるため、Google Earthで撮影地を比定できそうです。と必死に探すと、ありました。鼠ヶ関駅の南側のところです。突き出た半島部の具合もよく似ており、ここで間違いなさそうです。しかし、40年たっても変わらない景色。逆にこのままトワイライトエクスプレスやEF510牽引の貨物列車なんかがやってきても、全然違和感がない風景ですね。



今回最後のカットは、448号機のアップで締めます。なるほど、この角度から見るとこいつは関東ガマだってことがよくわかります。この感じからすると、駅の跨線橋とかから撮影したのでしょうか。列車を抜くには抜いたものの、適切な撮影場所がなく苦労した感じが伝わってきます。実はこの区間、意外と海が入るお立ち台が少ないのです。苦肉の策で、ここにしたという感じでしょうか。架線をはじめ電線がウルサくなる構図ですが、単なるバッタ撮りよりは少しでも海が入った方がいいということで選んだものでしょう。ただ、そういう事情でもなけりゃ、こんな場所で撮る人もいないだろうし、シーンの記録も残らなかったということですね。こんなカット撮った人、ほとんどいないでしょうから。


(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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