羽越本線、最初で最後の夏 その4 -1972年8月-


さて最初で最後の羽越本線シリーズも、これで4回目。ここでやっと二日目に突入です。親父の用事は夜のイベントと宴会にあったので、翌日は撮影して帰るのみ。ということで、再び笹川流れに挑戦です。今川-桑川間で列車が集中するタイミングを見計らって狙ったようですが、片側が山片側が海というこの区間では、やはり撮影可能なポイントは限られますし、上り下り両方を押さえられるポジションは取りにくいようです。ネガカラーですし、作品というよりは効率を考えた撮影となってしまいました。まあ、でも日本海がバッチリ入ってますから、これはこれで楽しい思い出です。行けて足跡を残せただけでも良しとしましょうか。1972年というのは、カウントダウンの終わりが見えてきて、もう背中に火が着いてしまった時期ですから。



まず最初は、酒田機関区のD51513号機が牽引する下り旅客列車。今回は撮影場所は一緒なので、比定・考証作業は牽引機の機番がその全てになります。35oネガカラーなんで、アップのカットがないとナンバープレートは読み取れません。丸っこい数字か、直線的な数字が程度はわかるので、まずこれを押さえます。次に、基本は受け持ち工場の違いで機関区を特定、そこから先はデフの点検穴の形状、特別な補助機器の有無、発電機の排気管の取り回し等を比較しながら絞ってゆきます。標準型はなかなか苦労しますが、なんとか513号機と比定しました。機関車が陰に入っていますが、海に陽射しが来ているので良しとしましょうか。


続いてやってきたのは、酒田機関区のD51292号機が牽引する下り貨物列車。横に100mぐらい移動していますが、基本的には同じ地点です。微妙な時間さで陽が昇ってきて、今度は列車にも陽射しが来ています。この比定も苦労しましたが、末期の羽越筋の配置は全検残のある東日本のD51をかき集めて使っていましたので、意外と前歴の違いによる個体差があることに改めて気付きました。まあ、ぼくが九州のカマのように精通してなかっただけということもあるのでしょうが。電柱が多いので、シャッターチャンスに苦慮するポジション。中継信号機とカブっていますが、ここで切ったのは多分岩場を全部写したかったからだと思います。


同列車を見返り気味のショットで、もう一度押さえます。個人的にはテンダーに1500l重油タンクの載った東北仕様のカマは、見返り気味の構図も魅力的だと思います。子供の頃に、臼井さんの奥中山の三重連の写真を見たのが刷り込まれているのでしょうか。海の上には、ミニ灯台みたいな標識灯が見えます。夏の午前中らしい、すがすがしい雰囲気ですね。こういうのジオラマで作れたらいいのですが、海はマット画か実写合成しかやりようがありません。1輌目のトラは配給車代用と見えて、車輪が載っかっています。2・3輌目は、九州ではおなじみ塩素用の黄色いタキ5450。なかなか模型ファン心をくすぐる、楽しい編成です。


今度は上り列車がやってきます。登場したのは、新津機関区のD511060号機の牽引する上り貨物列車。個人的には、羽越本線というと1500lタンクを背負った戦時型D51というイメージがなぜか強いです。確かに、相対的に戦時型が多い路線ではありましたが、船底テンダーと大型重油タンクというコンビネーションがなかなかマッチして迫力があったというのも確かです。しかしその分戦時型は考証が難しいのですが、こいつは特徴があります。戦時型ながら標準ドームに改装されたカマは、この時期には新津の1060号機と、酒田の1133号機の2輌しかありません。その内、うっすら見えるナンバーからこれは1060号機と比定いたしました。バックの漁船がいい味を出しています。


続けて戦時型が登場します。今度は新津機関区のD511002号機が牽引する、下り旅客列車。海をバックに順光のサイドビューを押さえます。これも、特徴あるカマなのですぐに機番を比定できます。なんと砂撒管が戦時仕様のままの2本ではないですか。アップではないものの、比較的キレイに取れていますので、ディテールが見てとれるのが強い味方。これだけで1002号機と特定できます。しかしこうやってみると、あと2カ月という最末期にもかかわらず、かなり状態良く手入れされていることが見てとれます。九州同様、東北も手入れのいいカマが多かったといわれていますが、実際大事にされていたというのが図らずもわかりますね。


これまた3カット目とほぼ同じ構図ですが、1002号機も見返り気味のショットを押さえておきます。船底テンダーと1500l重油タンクのコンビネーションが、はっきり見てとれます。これぞ裏縦貫というところでしょうか。今の若年ファンがEF81を見ると、同じような思いがあるのかもしれません。しかし1輌目のオハフ61の姿も、今となっては貴重な記録。デッキのドアは開け放たれたまま、窓もフルにオープンしていますが、ヨロイ戸を下して陽射しを防ぎつつ、風通しを図っています。旧型客車の夏は、これだったんですね。車内では「冷凍ミカン」が食べられていたりして。ちなみに、オハ61系の板張りの背もたれは、夏はわりと涼しくて許せました。



今回最後のカットは、酒田機関区のD511133号機が牽引する上り貨物列車。これサイドビューもあるんですが、ネガが変質・変色してしまってフォローできない状態なので、泣く泣く見返りショットでお送りします。そう、これまた考証しやすい戦時型。先程触れたように、この時期この区間の運用に付く可能性があるのは2輌しかいない、標準ドーム改装のカマです。必然的にこっちが1133号機ということになります。それにしても、ワラ1のウェザリングの効き方はスゴいですね。半ば廃車体のようなサビのマワり。やっぱりこういうのは、カラーでないとわかりませんね。事実は小説より奇なり。模型でこんなのやったら、総スカンを食いそうですが。では、次回に続きます。


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