嵐電 太秦駅 -94年3月-


一旦企画を始めると、止まらなくなるのが、このコーナーの悪いクセ。ということで今回もまた、90年代の「記憶」を振り返ります。ガキができる前は、国内外とも、頻繁に旅行に行っていました。中でも関西は、けっこう仏像とか好きなので、奈良・京都の仏閣など、出張等にからめて、毎年のようにどこかを訪ねていました。そんな中でも、94年春の嵐電のカットがありました。例によって鉄分が薄い時期なので、今は「太秦広隆寺」と駅名が変わった太秦駅で、電車を待っている間に撮った4カットだけです。とはいえ、嵐電、叡電は、観光とかで乗っているワリには写真を撮った覚えがなく、嵐電の写真って、もしかして前にも後にもこれだけではないでしょうか。そういえば、あんまり「電車」の写真って撮った覚えがないですね。



太秦駅に侵入しようとする、嵐山行きのモボ101型、モボ105号。モボ101型は、今でも現役で活躍していますが、名義上は昭和4年に藤永田造船所で製造された車輌で、なんと80年選手ということになってしまいます。とはいうものの、走行機器は1960年代に新型と交換され、車体も1970年代に新製交換されていますので、中身は1970年ごろの車輌ということでしょうか。実際、この時すでに冷房化されています。この日は、嵐山行って、その帰りに嵐電で広隆寺に寄った後で、ここから再び電車で四条大宮へ向かい、市内の中心部へ戻ろうというところでした。


太秦駅を発車して、嵐山に向かうモボ105号。嵐電は太秦駅を出ると、広隆寺の門前の部分のみ、三条通りの路面を走ります。専用軌道と併用軌道、駅の両側で2つの顔を持っているのが楽しいところ。都市間は専用軌道、都市内は路面併用軌道という「純正インタアーバンスタイル」は、日本では関西の私鉄のお家芸だったワケで、そのDNAが受け継がれているような感じもします。とはいうものの、この区間の路面は100mちょっとだけ。「横に長い踏切」と考えられないこともないくらいの距離なんですが。


入れ替わりに、四条大宮行きのモボ611型、モボ614号がやってきました。モボ611型は、廃車になった昭和7年田中車輌製のモボ111型の機器を流用し、1992・93年に製造された車輌です。ということは、このときは嵐電では最新鋭。それにしても、この右折中のフィガロはなんでしょう。電車に対しては、停止信号が出ているのでしょうか。直進方向の信号が緑ですから、なんか強引な感じですね。バックに見える嵐山・保津峡の山々が、なかなかいい感じです。


最後は、広隆寺の門前を行く、モボ614号のアップ。こうやってみると、嵐電の色調は、寺の土壁と木々の色と見事にシンクロしているんですね。この色は、昭和初期から変わっていないようなのですが、さすがに応仁の乱を昨日のコトのように覚えているといわれる京都だけのコトはありますね。この年は、平安遷都1200年の周年イベントの年だったんですよね。実はこれ以後、嵐電には乗っていないのですが、今はどんな感じになっているのでしょうか。



(c)2009 FUJII Yoshihiko


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