南の庫から 若松機関区'71春 -1971年4月1日-


「北の庫から」に続いて、「南の庫から」。これまた、安易な発想ですね(笑)。このタイトル、出てくると思っていたでしょ。ということで、「記憶の中の鉄道風景」3周年を記念して、新シリーズをはじめます。九州には、何泊もする長期ツアーから、全部夜行だけで突貫した短期ツアーまで、1970年から1974年の間で8回ほど蒸気機関車の撮影行をしていますし、毎回、許可が取れる機関区は、事前に申請して見学許可をもらって行きましたから、ネタはけっこうあります。ということで、まずは九州でも北のほうから。最初は、1971年4月の若松機関区です。



まずは、若松区の重鎮ともいえる、D50形式。今でも梅小路機関区で保存されている、140号機の現役時代の姿です。D50形式は、9600形式より製造時期は新しいのですが、この時残っていたのは、すでに若松区の2輌のみ。いかにも、古色蒼然という趣がありました。D50自体は、この前年、最初の九州撮影行の時に出会っていましたが、絶滅寸前のレッドブック掲載種という感じで、拝めれば御利益タップリという存在でした。


次は、これまた保存機として、吉松駅前に今も鎮座している、C5552号機です。C55の52、57号機というと、吉松区の印象が強い方も多いと思うのですが、ぼくなんかからすると、やはり若松区に所属し、筑豊本線で活躍していたイメージが鮮烈です。52号機は、この頃から調子のいいカマで、大いに活躍していました。若松区というと、給炭塔や木造の方形庫はよく見ますが、こんなレンガ造りの台座のある給水塔もあったんですね。


ここからは、カラーで。ネガですが、さすがにブローニーなので、40年近く前の写真とはいえ、画像も、色の残りもくっきりしています。背景の若戸大橋が、くっきりとまぶしいですね。カマは、D50の置き換えで直方から転属になった、D5142号機です。九州のナメクジは、回転火粉止を装着していない分、煙突周辺がオリジナルのまま残っているカマが多く、このカマもそうですが、流線型の魅力が一層引き立ちます。この時期九州では、機関区の見学時間が決められている場合が多く、この時も、バックにファンの姿が見えています。この日、ここにいらっしゃった方おられたら、ぜひ御連絡ください。


最後は、最初のコマとほぼ同じ地点での、D50140号機と、69646号機の並び。九州は、形式入りナンバープレートを残しているカマが多かったのですが、なぜかテンダーにつけている場合が多かったようです。そういう意味では、C5534号機や、C5721号機など、形式入りプレートを正面につけているカマは、特に人気がありました。この69646も、パイプ煙突ながら、旧字体の形式入りプレートが光っています。前照灯がLP42というのも、旧字体のプレートにフィットしています。九州のカマというと、全部LP403と思っている方もおられるようですが、9600とかには、LP42のもけっこういたんですよ。



(c)2007 FUJII Yoshihiko


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