南の庫から 吉松機関区その1('71冬) -1971年12月19日-


さて、この「南の庫から」シリーズ。気がつくと、王手がかかってから、丸一年ほっぽっておいた格好になってしまいました。なんか、1970年シリーズに浮気してましたからね。ということで、いよいよ満を持して、このシリーズしんがりの吉松機関区です。しんがりなのは、それなりの理由があるワケで、それは最後の回をお楽しみに、ということにしましょう。初回の九州ツアーは、そもそも宮崎地区には足を踏み入れていませんし、2回目のツアーは、吉松にはいきましたが、機関区の見学にはいっていません。駅撮りはありますので、これは使うかもしれません。ということで、3度目のツアーで、初めての訪問となります。事前に、往復はがきを出して、許可をもらっての訪問です。



まずは、吉松機関区のアイドルというか、ペットというか、愛嬌者のC5691号機。構内で、入換作業中のカットです。吉松機関区のC56は、2輌配属の2輌使用で、1輌は山野線の貨物運用、もう1輌が吉松駅構内の入換運用についていました。検査時は、C55・57/D51が構内入換につきました。91号機は、戦時中の供出により、国内に残ったC56の再若番号機で、正面に残った大きな形式入りナンバープレートと、前照灯の大型機並のLP403換装とで、一段とボイラが細く見えるのが特徴でした。吉松では、矢岳越え対応の貨物の組み換えがあり、かなりの重入換が頻出していましたが、C56では、激しい空転を繰り返していたのを思い出します。


次の列車の本務機として、矢岳越えに挑むべく、準備を整えた人吉機関区のD511058号機。この日は、けっこう激しい雨だったので、地面にも水溜りができています。山線用の重装備D51は、人吉機関区を出区するときこそ、磨きこまれて黒光りしていますが、一度矢岳越えに挑むと、すっかり燻されて、「ウェザリング」が効いた状態になってしまいます。ということで、人吉でこそ、きれいな重装備のカマを見ることができますが、吉松で出会うときには、どれも鉱山の労働者のような、たくましく煤けた風貌になっています。これが、どれもきれいに磨かれた吉松機関区所属のD51と、好対照を見せてくれたものです。


激しく降る雨の中で出発準備をする、鹿児島機関区のC5782号機。各部から吹き出る蒸気が全体にまとわりついて包み込み、異様な迫力をかもし出しています。こういうのは、模型では、レタッチで「描かない限り」お手上げです。鹿児島機関区のC57は、肥薩線・吉松-鹿児島間の運用にはけっこう入っていました。元来、吉松機関区の運用のスジが鹿児島持ちだったり、その分、宮崎機関区の運用に吉松のカマが入ったりと、この時期の南九州のパシフィックの運用は、けっこう機関区間での融通があったようです。木造の大型方形庫の中には、吉松機関区配属の、C5785号機、D51536号機の姿が見えます。


給炭台の前に止まり、石炭を積み込み中の、鹿児島機関区の4次型C57191号機。191号機に限らず、4次型というと宮崎機関区というイメージがありますが、191号機はC61形式の宮崎配属に伴う移動で、71年10月に鹿児島に転属になり、最後の1年間を過ごしています。その手前には、次の矢岳越えの後補機となる、人吉機関区のD511151号機が、静かに出番を待っています。新製配備の「生え抜き」ではありませんが、D51形式が山線に投入された戦時中から無煙化まで、一貫して矢岳越えで活躍した人気ガマです。このカットは、構図がギリギリなので、ライカ判ノーカットでお届けします。


ここから2カットは、矢岳越えの補機連結風景をお届けします。まずは、連結前に一時停止位置に止まった、D511151号機。この列車の本務機は1058号機ですから、戦時型ゴールデンコンビでの峠越えということになります。連結相手の列車の最後尾は、東京北鉄道管理局の「北」の表記もなつかしい、大宮操駅常備のワフ21000形式。山線区間では、ワフの荷室も実用に供されていて、各駅で、区間内各駅発着の小荷物を積み下ししていました。この頃はまだ、沿線に住民がいたんですね。バックが霧雨に包まれているのも幻想的で、模型の写真でも白バックでボカすなど、応用が効きそうです。



今回最後のカットは、後補機連結の瞬間です。係員が、今からブレーキホースを結合しようとしています。まさに「国鉄」らしいシーン。鉄道が、日本のライフラインを支えていた時代ならでは、という感じがします。しかしこうやって見ると、構内とはいえ、線路の細さ(これは37kgかな)といい、枕木の間隔といい、当時の線路規格のプアーさが目に付きます。基本的には、この区間は旧鹿児島本線ですから、乙線のはずなんですけどね。ぼくはこのあと、この列車に乗って峠を越え、この日は川線の撮影でした。


(c)2010 FUJII Yoshihiko


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