南の庫から 吉松機関区その2('71冬) -1971年12月20日-


「南の庫から」シリーズのラストランナー、吉松機関区も2回目。とはいえ、前回の12月19日に対して、今回は12月20日。なんのことはない、二日続けての訪問です。いやあ、引っ張りますね。アストロ球団並み(たとえが、写真と同じくらい古いってば)。自分で言ってりゃ、世話ないか。前日は事前に許可を取りましたが、この日の分は、19日の訪問時にお願いしました。当時は、そういうこともできたんですね。で、19日は矢岳を越えて、雨天の中、川線を撮りに行きました。20日は、このあと大畑で撮影して、そのまま八代に抜けて九州を発つという、今回の九州ツアーのラスト・デイでした。



濃い朝霧の中、朝日の中に威容をあらわし、仕業を待つ蒸気群。なんとも幻想的な雰囲気をかもしだしています。向かって左は、吉松機関区所属のC57151号機。この写真からでも、特徴ある関氏の「K-3」デフが認識でき、機番考証が可能です。まん中は、人吉機関区のD511058号機。1058号機は、昨日はこの列車の本務機でしたが、今日は昨日1151号機が入っていた後補機の仕業です。一つづつポジションがズレていくような、仕業のローテーションだったのでしょうか。右の庫の中にいるカマは、残念ながら機番はわかりませんが、吉松機関区配属のD51です。


D511058号機の形式写真。昨日は雨でモヤっていましたが、今日は霧です。実はこの時間、冬の九州の遅い明け方なので、朝日が霧に反射して、東の空が全面的に光ってしまっています。こういう状態での逆光撮影なので、かなり辛い光線状態です。紙で焼くと、シルエットになってしまう感じですが、ネガ上には、それなりにディテールが捉えられているので、デジタルの補正で、暗室技のような感じで、なんとかバランスをとってみました。とはいえ、霧で描写がぼんやりとしているのは、どうしようもありませんが。


昨日は、構内入換はC5691号機の担当でしたが、今日は順当に、もう一台の僚機、C56156号機の担当です。吉松のC56形式というと、91号機と99号機というコンビが有名でしたが、99号機は71年の夏に全検切れとなり、鹿児島機関区にいた156号機と交代になりました。ワム80000、ワム90000といった、二軸車を連ねた車扱貨物は、日本のライフラインを鉄道が支えていた、国鉄の黄金期を思い出させます。C56形式は、九州のカマとしては珍しく、増炭板がありません。かき寄せるまでもなく、炭庫が小さかったということでしょうか。それにしては、タンク機にはついていたりするのですが。


昨日はC57191号機が入っていた、吉松泊りの鹿児島機関区の運用には、今日は72号機が入っています。出発に備えて石炭を積み込むべく、給炭台のある線へと入ってきました。バラストが見えないほど、シンダと泥に埋まってしまった路盤は、地面とツラいちになっていることがよくわかります。このあたりは、リアルタイムで蒸気機関車を体験したヒトなら、イメージがアタマに叩き込まれ血肉になっていると思いますが、JR以降の経験しか無い人には、ちょっとわかりにくいかもしれません。


ベルトコンベアを使って給炭中の、C5772号機。72号機の門デフ(K-7)は、同じ鹿児島機関区で廃車になった21号機から継承したものです。21号機が廃車になったのは、71年の10月20日。ということは、門デフ化してから、まだ一月程度という初々しい晴れ姿です。72号機は宮崎電化まで生き残っていましたから、門デフ機というイメージが強いですが、実は2年半程度だったのです。確かに、この年の春にも72号機を撮影していますが、そのときはまだ標準デフでした。



今回の最後は、そのC5772号機の門デフのアップで。この時はまだぼくは16歳ですが、今回の最初のカットをはじめ、2日目ともなると、いろいろ高校生なりに凝った「つもり」のカットに手を出すようです。霧の逆光に業を煮やして開き直った、という感じもしますが。でも、この構図はけっこう好きだったようで、いろんなところで撮ってます。そういえば、スワローエンゼルでも、こんなのがありましたね。このデフは、最初C5524号機に取り付けられていましたが、その後の2回の「伝授」は、鹿児島工場での作業です。それもあってか、このデフは、取り付け方とか、けっこうクセがあります。下枠に補強のパイプがついていることも、見て取れます。


(c)2010 FUJII Yoshihiko


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