最初で最後の夕張線 -1975年7月15日-


さて最後の北海道撮影旅行は、ぼくにとって最後の現役蒸気機関車撮影旅行でもあった。もっと言うと、無煙化により現役蒸気機関車がいなくなって以降、鉄道写真の撮影旅行というもの自体全く行っていないので(通常の旅行のついでに復活蒸機を撮影したり、旅行ではなく鉄道写真を撮影に行ったりはしているが、鉄道を写すための旅行には全く行っていない)これが正真正銘最後の撮影旅行ともなった(今後も行くことはないだろう)。前日の室蘭本線は蝦夷梅雨に祟られてしまったが、この日は何とか持ち直して曇り。追分に降り立って最初のカットは、前回の最後に掲載した上り旅客列車を牽くC5738号機の発車シーンでしたが、その続きから参りましょう。



行きがけの駄賃とばかりに、追分駅構内での写真がもう1カット続きます。追分機関区のD51828号機の牽引する上り貨物列車。車扱貨物ですが、返空のチキとセキが連なっていますので、夕張線からの列車のようです。炭鉱の貨物というと石炭車がおなじみですが、北海道では支保工に木材を使っていたので、道内各地から丸太を運ぶ長物車もよく見かけたものです。828号機は戦後ほぼ一貫して旭川で活躍したカマで、追分へはこの年の4月に遠軽から移動してきました。現役蒸機終焉のときまで生き残った運のいいカマで、現在はなぜか四国の高松で保存されています。



この日に撮影した写真の中から2カットは、すでに<夕張線・川端-滝ノ上間 -1975年7月15日->で公開しています。この日は曇りで時々太陽が顔をのぞかせるような天気でしたが、光線状態のいいカットはすでに使ってしまっているので、今回は比較的雲がかかった状態のカットばかりです。前回同様、おなじみの川端-滝ノ上間の夕張川の夕張第一橋梁での下りの返空セキの貨物列車です。牽引機は開放キャブで標準煙突の標準型D51ということまではわかるのですが、ちょっと機番は特定できませんね。夕張川沿いの景色は、ちょっと北海道っぽくなくてワリと好みだったりします。複線だった跡の橋脚も、ジオラマにしてみたい感じです。



もうワンカット、夕張第一橋梁での撮影。光線状態が悪くなってきたので、これはもう遊んじゃっていますね。これまた下り貨物列車ですが、機番はわかりません。まあこの撮影旅行自体が観光半分撮影半分ぐらいの気持ちでしたし、最後の夏休みということでどこにいっても撮影者が溢れている状態でしたから、かなり気を抜いて撮ってます。もう少し世代が上の趣味人の方だと、ぼくらが撮り始めたころにはすでにそういう心境になっていたのでしょうが、大学生になって最後の時になってはじめてその境地になったというところですね。この頃中学生とかで、やっと間に合った世代の方には悪いのですが。



最後は場所を移動して、今度は夕張第二橋梁での撮影です。夕張線は谷間を走ってゆくので光線状態がキツいところが多いのですが、ここは多少開けていることもあり、陽射しも出てきてほどほどいい感じになりました。超引きの撮影ですので、これも機番は比定使用がありません。力行の煙を撮ったような写真で、個人的には気に入っていますが。景色も含めて、この場所を知っている人でないと北海道での撮影とは思えない写真ですね。結局夕張線はこの日が最初で最後の訪問となってしまいました。風景はそれなりに面白いと思うのですが、その前の北海道では残ったライトパシフィックを一輌でも多く効率よく撮影するというのが主眼でしたから、追分までは行きましたがこちらには入りませんでした。





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