***** 2017年9月6日-11日 *****
(独り言)
4年程前のことになる。
渋谷のギャラリーで開かれた「伊藤純一写真展 郷愁電車 −クモハ42−」
へお邪魔した。伊藤氏自身とは長いお付き合いだが、会場には他にも知っ
た顔がおり、写真展の趣旨からややはみ出して、旧交を温めるようなとこ
ろともなった。
その際、横軽廃止直後あたりにメールだけ頂いたことのあった・・・・・
実のところご本人に言われるまですっかり失念していたのだが、色々と符
合するキーワードからそういえばとなって・・・・・十川氏と、初対面し
た。伊藤氏と私の縁とは全く別のところで、十川氏と伊藤氏とで縁があっ
て、どうも十川氏が伊藤氏に、深町を知っているかと訊き、そいつなら俺
の横で的な話(あくまで喩えだから!)に、なってたらしい。
世の中、案外狭い。
翌2014年3月、彼は個展を開く。
「十川忠行写真展『あのときから』〜旧信越本線横川−軽井沢間の記憶〜」。
その辺りについては、以前書いた。
場所は表参道駅程近くのギャラリー、Space Jing。出来て間もないらし
かった。この年の暮れから「鉄展」もここで行われるようになる。
その辺りから、回り始めていたように思う。
Facebook には幽霊アカウントがあったが、十川氏の個展の会場であれ
これ話すうちに、どれどれやってみるかという気になって、これまで行き
場なく磁性体の肥やしにするだけだった写真を、ポツポツ上げ始めた。
一方、千駄木の小さなギャラリーの、鉄道がテーマの写真展のDMが届く。
たまたま送る気になったら、たまたま行く気になったら、というたまたま
の論理積的な縁で、15年以上かという長きご無沙汰だった方と再会もし、
積もる話等交えつつ、写真展良いなあ、という素朴な思いが、呼び覚まさ
れたようでもあり。
続く時は続くもので・・・そんな折である。
この年の夏コミの時だったように記憶する。一緒に「サークル」参加
している伊藤氏が、お疲れさーんとやってた席で、切り出した。
碓氷峠20年で、写真展やりませんか? このサークルの4人で・・・。
会場は Jing でどうかという。壁面が足りるかという不安が過ぎったが、
ここと浅からぬ縁がある伊藤氏、出来たばかりのここで、やってみたいと
いう思いがあったのかもしれないし、この面々を写真展に引っ張り出すこ
とにも、何か思うところがあったのかも、しれない。
ターゲットは 3年後。実際に動くのは 1年前くらいからだろうという。
決め事を整理して、具体的な準備は半年前あたりか。それまでの間にも、
写真展良いなあ、という思いは徐々に募り、あまり巡ってもいなかった写
真展を覗いたり、次には久々に参加してみたり・・・・・ウォームアップ
といえば、ウォームアップだったのかもしれない。
タイトルは「碓氷峠廃止から20年 -4人の視線-」。直球である。いや説
明的と言うべきか。ググれば様々な文脈で引っ掛かって、検索結果に埋も
れる(苦笑)。
はさておき、気を揉んだ日もあったようななかったような気もしつつ、
搬入日を迎えた。
懐かしいものを引っ張り出す・・・・・66.7‰ の、ほぼ原寸なんちゃっ
て勾配標。これは横軽廃止前当時、時々開催した沿線での BBQ パーリー用
に、洒落で作ったものである。廃止間もなくに開いた個展で、ディスプレ
イしたのを最後にしまいっ放しだったから、20年ぶりの蔵出し。
さらにゴソゴソやっていると、20年前の個展のお礼状を発掘。
概ねこの内容。
また何かお目にかけることがあったら、この時の自分を思い出してくれ、
などと書いてある。我ながら構ってちゃんである。一方「その後の横軽」
は追って行きたいとか、「横軽日和」に当分終わりはなさそうだとも書い
てある。実際その通りなその後ではあり、満を持してという程ではないに
しろ、あの時の延長に、今いることだけは確かと言える。
基本的には 4人 4様の組写真形式の構成、加えてプロローグとして、廃
止前後の模様の記録を並べる。
今回敢えて、「シェルパくん」で纏めた。奇をてらったつもりはなく、
率直に「まだまだ終わらぬ横軽日和。」を、表したかった。20年前に作っ
た「写真アルバム」もあるので、回顧モード的なものはこちらに、任せる
として・・・。
#世間的には斜め上過ぎたか、シェルパくんはポカーンとされたけど・・・。
自分のスペースは丁度コーナーにかかっていたので、そこへ例の勾配標
を立てかけ、ツッコミ待ちにする。
平日は終わり間際しか在廊出来なかったが、それでもこんなお客さんが
来ていたという話を聞いたり、或いは居合わせたお客さんと直接お話した
り。
喰い付きと言っては失礼ながら、プロローグのコーナーに見入る人は多
いようで、この時自分はどこにいた、この構図の中に知人がいる、等々、
今回の隠れコンセプト・・・・・というより自明か・・・・・としての
「同窓会」の部分は、果たせたものと思われる。殊にリアルタイムに知る
世代には。
一方で、そこに届かなかった世代、「伝説の」と仰ぎ見てるような人達
のアツさったらなく、どうしても 9/30 には横川へ行かなければならない
のです、と思い詰めたように話すお嬢さんもいたらしい(汗)。ギリギリ
滑り込んで時間切れで無念を積み残した、という話はまだ共感できるのだ
けれど、当人にとっては完全に「歴史上の出来事」な場合の、圧倒的に不
足する・・・・・どころか皆無の・・・・・皮膚感覚的実感を、知識情報
で補完するあまり、情念バイアス(?)を募らせる・・・・・のであろう
か。
自分の世代に当て嵌めれば、C62重連の「ニセコ」あたりが相当しそうだ
が、ゾワっと鳥肌を立てることはあれど、彼らの程に入れ込んでいるかと
いうと、恐らくそこまでではなく、このあたり情念リソース(笑)を他の
関心事へ注いでしまっているのか、それ自体がもう少ないのか、或いは一
種の達観、にあるのか・・・。
以前にも記したと思うが、横軽廃止後、大多数であろう、昨今で言う
「葬式鉄」は次のターゲットへ向かって去り、ホヤホヤの「廃線跡」の探
索に興じる向きもあったものの、「文化むら」開園のエポックまでは殆ど、
忘れ去られたような状態にあって、何かとすると「まだ碓氷峠とか言って
るの?」という空気が、あった。
廃止から 5年程経つと、懐かしいという捉え方をされるようになり、10年
でそれはより顕著に、決定的になった。
そして20年、完全に懐古の世界に浸かった一方で、「伝説」として捉え
る若い世代が増える。彼らはアツい。こちらが引く程に、アツい(笑)
・・・・・考えてみれば歴史上の出来事も、その時代を知らなければいわ
ば、フィクションの世界観と等価なのであり、なんのことはない、あのア
ツさは昨今流行りの「聖地巡礼」に通じる、ソレではないのか。
突然腑に落ちた(笑)。
その文脈でなら既に「頭文字D」があったし、最近になって鉄道を舞台と
する創作物もあって、「聖地巡礼」的要素は強化されているといえる。リ
アルタイム世代が確実に高齢化へ向かう(笑)一方、入口は違えど新しい
世代が、そこへ入って来ている・・・・・ナルホドね。
はさておき。
横須賀線色の 115系いわゆる「山スカ」を撮って回っているという若い
お客さん。横軽廃止当時は物心付くか付かないかという年齢だったという(呆)
・・・・・RMギャラリーの掲載経験もあるという、若き実力者だ。
どういう動機で観に来て下さったかは失念してしまったが(謝)、中央
線に残る 189系あたりからの接点だったか、お父さんが撮り鉄してたから
だったか。中央線沿線育ちで「山スカ」とは馴染み深い間柄という。
これヤバイっす、の連発が賛美であることは判っていたが(笑・・・と
いうより我々も碓氷の頃既に「我を失いそう」「心を奪われそう」的ニュ
アンスで自覚的に用いていたから昨日今日の用法ではないしましてや「逆
の意味でも使う」などと薄っぺらなモノでは断じてない)、写真を挟んで
の世代を越えた交流の妙。勝手に「大月のざんげ岩」と名付けいつかは登
りたいと思っている、岩殿山の眺め・・・・・月明りの富士山が絶品!(参)
・・・・・を教えてもらったり、最近しなの鉄道を狙っているというので、
軽井沢の離山から撮った矢ケ崎の花火を、ドヤっと見せたり。これマジで
ヤバイっす!・・・・・あははそうかヤバイか(笑)、ポケットアルバム
だったかタブレットPCだったかで彼が繰り出す作品に圧倒され続けたとこ
ろへ、どうにか一矢報いた(汗)。
アノ MAD.W 氏に師事(?)していたという方が。自分とほぼ同年代と
お見受けしたが、歩いているとクルマの MAD.W 氏に拾われて・・・・・
ん、CRAZY.I 氏に拾われたヒトがいたナ・・・・・その後俯瞰ポイントを
あちこち教わったという。そして `91年頃にはもう峠から遠ざかっていた
という。
えっ、すると私を峠へ誘った「峠の四季帳」がまさに連載中の頃。俯瞰
どころか、最初に碓氷を訪ねる前だ!
恐れ入りました(汗)。
「峠の四季帳」でもリアルタイムに「MAD.W は開墾にハマっているし」
と記されていた、丸山のコスモスの花壇作りも、手伝っていた由。
お陰様でございます(謝)。
前後するが、夏コミでのことである・・・・・いつものように乗り物系
エリアを回っていて、その黒っぽい本が視野に入るなり、スーッと引き込
まれた。
写真集「碓氷峠の彩」。畳み掛けるようなバルブ写真が印象的で、閉じ
ると殆どそれだったような気がする程だったが(失敬!)、また短い期間
に集中的に撮ったような気配が窺われるも、攻めてる。定番カットをかき
集めたようなものでは、ない。
まだいたか!・・・・・率直な第一印象。むしろまだまだ潜在する筈で
あることに、思いを巡らせるべきなのだろうけども。
厚さも値段もちょっとした分量だったが、速攻確保。作者さんにサイン
も頂く。
その”写庵”氏も今回、来て下さった。聞けば当時は高校生で、金銭的
にも制約のある中で、通っていたとのこと・・・・・わが身に置き換えれ
ば、EF58の荷物列車末期にバタバタ駆け回っていた頃に当たるが、あの頃
はただ車両や編成を収めることに躍起だった。幼かった。
まだまだ書き切れない程に多くの方にお越しいただき、6日間の会期は
終了。世の中狭いようで広いようで、碓氷という共通語を持つ方との再会
や新たな出会いがあり、今更に思い知らされる部分も多々ありつつ、また
確認し合えるものも、ありつつ。
そんな「同窓会」だった。
(終)