潤徳堂存稿(甲日~戊日) - hirotoの見方


■ はじめに

 「潤徳堂存稿」は袁樹珊師による命式鑑定例集であり、『命理探原』に所収されています。日本では中村文聡師が「新命理探原」と題して翻訳しています。
 ここではそれに挙げられている命式について、私なりの解釈をしたものです。袁氏解釈と同じように考えているもののありますし、私なりの命式の読み方をしているものもあります。どちらが正しいとはいいません。研究材料として挙げていますので、みなさんで判断してください。
 原文には命式と大運と命宮しか書かれていませんが、私の方で生年月日を計算して、さらに私流の月令、変通星、十二運、喜忌を加えています。大運の年数については、私流の計算方法で満年齢(端数は四捨五入)で書いており、原文と異なっています。喜忌なども原文とは違う場合がありますので、ご注意ください。
 また【袁氏鑑定】に書かれているのは、原文をかなりはしょったものです。実際何が書かれているかは、参考書を参照してください。

■ 甲日4例


為趙厚安先生推

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1853年10月24日生と推定
【袁氏鑑定】
 甲木が霜降以降の生まれなので日主は弱い。水の勢いが強く、木はその災いを受ける。木が弱いので金は用神(喜神)とはならず、火が必要である。命宮は午で戌と会して火となるが秋なので弱い。
 大運に火が巡ってはじめて志を遂げられる。中年運で土が水を剋し、火の制の作用を抑えるので、利がある。晩年は火運で事業も発展、基礎ができる。
 印が日支にあるので、妻が傷つくことがあれば反って二人は生きながらえて長寿となる。官殺がないので子供を得ることも遅い。一人だけとくに秀でた子供となる。
 

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:水木土金火  従強格  喜神:木火土  忌神:金(水)
 丑戌刑
【hirotoの見方】
 甲木は地支に通根しておらず季節的にも弱い日主です。壬癸が丑子と3支に通根しているため、月令偏財とはいえ強い印です。これはいわゆる浮木の命であり、また晩秋生まれであり凍木の恐れがあります。格局ならば従強格となりますが、この命式においては、この浮木の害を取り除くものを喜神とします。おおざっぱにいえば、喜神は木火土であり、金水を忌神とします。とくにこの命式の場合、火土を含む木支である寅未が好ましいのですが、未は丑戌と三刑になるので単純によいとも言えません。
 25歳までは金運であり苦労し、25歳から土運に入り、火運、木運と続くので、晩年の方がよりよくなるでしょう。
 日支から印が通根しているため、かならずしも妻は助けになりません。水が多すぎで官殺も丑戌に蔵しているだけで刑であるので、子どもはそう多くはないし、仮に多くても力になりません。ただ時干甲は喜神ですので、親を助ける子どもが出る可能性もなくはないでしょう。その場合は男子だと思います。



為王友蘭先生推

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1873年5月22日生と推定
【袁氏鑑定】
 甲木が並び林となり、巳と酉が金局を結んでいる。しかし夏で金が弱いので、勢いが小さく、甲木はいわゆる棟梁の材とはならない。ただし土を含む支が金を生ずるか、土を強めて火を弱める(暗くする)のはありうる。この場合は貴ではなく富となる。土金の行運ならば計画は大きく発展し好結果を生む。木火が強すぎれば障害がある。
 印綬が透れば父親が先に亡くなり、母親が後となる。比肩に逢えば兄弟が発展して事業の基盤が強固になる。日支が墓なので妻と一緒に長寿を保つことは難しい。この場合かえって別居なりして一緒にいないほうがよい。七殺に逢わなければ子供は早くはできない。しかし、子供が一人でもいれば、それによって慰められるだろう。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:火木水金土  従強格  喜神:木水(土)  忌神:火金
 巳酉半会
【hirotoの見方】
 前の命式と同じ甲日甲時生まれで地支には通根していません。丁火が夏生まれで戌にも通根しているため最も強く、癸水は時支に通根しているためそこそこの強さです。この場合は、火が強く日主が相対的に弱いので、原則として木水喜神で火金が忌神であります。金は棟梁の材とするため喜神であるというのは、ちょっと違うような気がします。戊は癸と合するので忌神ですが、己はこの場合甲を強める作用があるので喜神的です。
 この命式の場合も木支が必要ですが、卯は戌と合するので火は弱めるが木の根としては力不足、辰は戌と冲、亥は巳と冲で根としての作用は弱く、寅未は火の根となるので痛し痒し。ということで、あまり大きく発展する命ではないと思います。もちろん、ないよりはあった方がましではありますが。
 印が喜神なので母親との縁の方が大きいです。年支と月支が金の半会で、忌神なので、家庭環境は恵まれていたとはいえません。(貧乏とまではいかない)
 比肩が喜神で時支にあるので、前の命と同様、親を助ける子どもができる可能性があります。また比劫が喜神なので兄弟や友人の協力が必要だし、得られるでしょう。
 日支が傷官に通根しているので、妻からの恵みはなく、どちらかというと与える一方になりがちです。



為前清両江総督魏午荘制軍推

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1837年11月27日生と推定
【袁氏鑑定】
 丁火、辛金があり、甲木は棟梁となる。正官があって七殺なく、傷官があって食神がないのは清の命式である。滴天髄のいう一清到底有精神の命であある。計画があり能力があって、国家、国民に利益を与える。
 若いころは科挙には合格しなかったが、中年に入り火郷に行けば栄進する。68歳から甲運に入るが、甲辰年には天比地衝で平静を失い甲戌月は日主と反吟でさらに動揺する。その後の4年間は寂しいものがある。辰運も依然として雌伏するしかない。丁火運もよくない。朝廷から爵禄をもらっているのだから、養生につとめ安静を守れば子孫繁栄を見ることができるだろう。寿命は85歳まで続くだろう。
 財官に気があるため、妻妾が多く、嗣子が盛んである。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:金木火土水  偏印格  喜神:木火  忌神:土金水
 戌未刑
【hirotoの見方】
 甲木は亥未に通根しており比較的強い日主です。辛は2干あり酉戌に通根していますので、最も強いといえます。しかし、丁火の剋を受け、また辛自身甲を剋す力はそんなに強くないので、甲日主が極端に弱くなることはありません。丁は戌未に通根していますが、位置が遠くてそれほど強くなく、季節が冬であり、むしろ解凍の作用を果たしているといえます。喜神は木火、忌神は金土水でしょう。水は丁を弱めるのではっきり忌神です。
 傷官見官であり、袁樹珊師のいうような清の命式とはいえないと思いますが、両正官のうち一つを丁が抑えることにより官界で成功するものと思います。しかしこの命で高位に上ると判断するのは、ちょっと難しいかもしれません。
 中年から喜神運に入りますので、紆余曲折は多少あると思いますが、まずまず順調でしょう。
 甲運は日主が強くなりすぎのきらいがあり、そこで正官の制がきかないと運を損なうことになります。袁樹珊師の甲辰年はまだしも丙午年は丙が辛を合して取り去り、また午は丁を強めますので、これは辛金が弱くなりすぎです。この行運では隠居せざるをえないでしょう。あとは水運に入りますのでいい運ではありません。
 官が多くて気があるので子供が多いということはわからないでもありませんが、偏正財が日支時支にあって刑しており、土運が来れば妻妾が多いと判断するのはちょっと無理があるように思います。どちらかというと後付けっぽい。むしろ水火のバランスが適当であるがゆえに精力が強いという方が私には納得できます。
 なお、「三命通会」には甲日辛未時生まれで金気が月にあれば栄貴とあります。



為某武員推

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1884年5月14日生と推定
【袁氏鑑定】
 甲己は干合して土に化す。文章に巧みな士は軍門で身を立てざるをえない。四柱が清純であり、大計を立てるべきである。小事にこだわるとよくない。
 27歳前は土化せずに慈母が早くなくなり、迷うことになる。33歳から申運で、子と会して水となり土を潤す。この時期は活躍できるときである。ただし庚壬を蔵しているので、父親兄弟を失う恐れがある。癸運は順調。乙運には洩土するため早期に引退した方がよい。妻は硬く配偕して(仲が非常によいということ?)、子は3,4人。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:土木火金水  食神格  喜神:木水  忌神:土金火
 甲己干合、巳申合
【hirotoの見方】
 この命式においては、年干と月干は合去し、日干と時干の甲己の関係のみに着目します。地支は巳申が合であり、くしくも年月合ということで、この人の関心はもっぱら内向きです。夏生まれですから甲は徐々に弱くなりますが、己土はむしろ強められます。五行の強さは土木の順であり、喜神は木水、忌神は火土金となります。
 地支において土が強いわけではありませんから化土はしません。
 午運は子を冲し、未運は子を害します。子は印で喜神ですから、早年に母親を亡くすかもしれません。忌神運続きですから、早年は大変な苦労をするものでしょう。壬癸運は己を弱め甲を強めるので喜神ですが、癸運の方が吉意は強いです。その後は木運に入るのでよいのですが、乙運は劫財奪財で、甲を強めることはなくむしろ弱める方向に働きますので、このときに社会の第一線から退くことで晩年を安心してすごせるという袁師の判断は正しいでしょう。
 前に述べたように思考は内向きで、時干の己と干合していますから夫婦仲は堅く、家庭を重視します。巳申に官殺がありますので、子は3,4人としたのでしょうが、子供の数はあまりあてになりません。

■ 乙日6例


為伝先生推

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1887年3月1日生と推定
【袁氏鑑定】
 水が多く木が腐る害となる。幸い丁火があって土を蔵して、木をあたため水を制しているので、回復することができる。父親が亡くなっても兄弟が健在で、功名がなくとも資産はある。
 歳運が火土に逢うときは、家は立派になり身は華やかになる。金運金年では、得も損もある。水木の歳運では煩悩が多い。木は仁慈であり、水は流通であるから、木運はやさしく、水運は闊達となる。悪い友人とつきあうようになり、信用を損ね、身体を傷つけることになるだろう。身を慎み、臨機応変に行動し、友を選んで交際し、無理をせず、有限の精神を保ち、将来性のある事業を立てるならばよい。
 提綱(月令)が帝旺なら妻を刑剋するが、金石の心で対すれば、末永く仲良くすごせる。七殺暗蔵なので、子供は遅くできる。健康に注意すれば3人の男子を持つ。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木水火土金  化木格  喜神:木水火  忌神:金土
 未卯半会、午暗会
【hirotoの見方】
 私は、丁壬は合して木化するとみます。するとこの格は化木格であり、木水を喜ぶ命式となります。喜神は木水火で、金土を忌神とします。調候的には丙を喜び、壬を忌む命ですが、化木格という特殊な格ですので、壬はひとまず喜神です。
 木水が強いので、性格は袁氏のいうとおりでしょう。
 早年は金運であまりよくなかったはずです。戊己運は忌神とはいえ財運です。日主旺で財が強まるのですから、財の巡りは悪くはないですが、財のために悪いことに遭います。年月は木化して比劫となり、地支も比劫の気ですから、これは比劫争財となり、兄弟や友人が財を争うことになります。
 酉運は丑と会して金局となるので忌神ですが、丙運は調候喜神で寒くなりそうな乙木をあたためるため最もよい運でしょう。申運は寅亥の合と解き作用が出てきますので、喜神運といっていいでしょう。乙木は木運ですが、あまり日主を助けることがなく、奪印しますので、喜神といってもたいしたことはありません。木の根となりますが、丑午と合冲、亥と会するなど、地支の関係が複雑化するので、凶意があります。
 子供は3人というのがよくわかりませんが、丑中に七殺があり、丑は(袁氏流では)衰ですから2人程度、合わせて3人としたのか、午は(袁氏流では)長生で4人だが、気がないので一人減らして3人としたのか、よくわかりません。子供の人数は私もあまり研究したことがないので(そもそも当てるのは不可能だろう)。また結局3人だったとしても、偶然の一致だろうと思います。



為張先生推

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1891年7月8日生と推定
【袁氏鑑定】
 乙木日主で晩夏生まれといっても火を恐れない。木が多く繁雑の弊害がある。命中に水がなく、雨露潤沢の功がない。天時の利を得ず。人事はすでに周到である。不足を補える。政権は得られないが、商業の振興は可能。歳運で金水に逢えば、信用をえて、家は大いに名声が高まる。しかし火木運では困難損傷はまぬがれない。
 比劫が重なり、父親は亡くなり兄弟は多い。禄元と帝旺が斉しく逢うので妻は2人、子供は2人。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木土火金、水はなし  食神格  喜神:金土  忌神:木水火
 卯未半会
【hirotoの見方】
 日主乙木は4支に通根しており最も強く、戊土も未が2つあり季節も夏ですからそこそこの強さです。辛金は喜神ですが非常に弱いといえます。喜神は金土で忌神は木火水です。ただし袁師も言われるように、調候的には水が欲しいところです。
 年干は七殺、時干は正財であり、いずれも喜神ですが、辛は極めて弱いので、勤め人よりは商売人向きです。
 行運をみると、壬運は一応忌神としますが、辛金を火気から護る役目を果たし、作用は喜神的です。辛金を護り月干を生じるので、家の名声があがるというのは、そのとおりでしょう。その後は金土の喜神運が続きますから運は発達します。
 戊財は喜神ですが、甲運では強い剋を受け、癸運では合されるので、早年で父親を喪う可能性があります。もっとも父親を見るのは難しいのですが。
 建禄と帝旺があるので、妻も2人、子も2人と言っていますが、それはちょっと私には?です。私の見方は、正財が天干に出ているものの地支には2支に通根しておりますが、地支は偏財であります。身旺で財が強いのでエネルギーがあり余り、妻妾を多く持つということは想像できます。ただ命中に水がないので、子供はできにくいはずです。妻妾は多くても子供は少ないとします。



為陳先生推

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1895年10月25日生と推定
【袁氏鑑定】
 乙木で火が強いが、戌の蔵干辛が亥水を生じて、乾きすぎるということはない。また秋生まれだが、霜にも屈せず、人となりは善人で君子である。亥が巳と冲しているので先に挫折して後に発達する。医術を専門にしていることは人を救う一つの方法ではある。
 17歳前は暇にしており、それ以降は甲運となるが、乙卯年はひどく傷つく。これが小難ですめば幸いである。その後申運に入り巳亥の冲を解き、生機盛んで利益を得る。癸運はすばらしい運となる。未運では火の墓庫を刑して開き、よい兆しではない。家庭に問題があればそれを除くべきである。壬運から午辛運は名声が高まるが、恬淡として佳し。巳運からは交遊を絶ち老いを楽しむことになる。庚運に寿命となるおそれがある。
 妻は二人で子は三人。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:火木土金水  財帛格  喜神:木水土  忌神:火金
 巳亥冲、未戌刑
【hirotoの見方】
 乙木は未に通根していますが、それ以上に丙丁火が強い命です。秋生まれではありますが、巳亥が冲であるため火の強さが十分には抑えられません。この辺は袁師の鑑定とは意見が異なります。したがって喜神は水木、忌神は金火となります。土は火を洩らす作用があり、食傷の強いときには財があった方がよいことが多く、私は喜神と判断します。
 幸い16歳以降は木水運が続きますので、この期間は発達するでしょう。この辺は袁師と同意見です。辛運は丙を合して取り去るので忌神ではなく喜神です。暑くなりすぎるのを緩和します。巳運は火を強め、次の庚金は乙と合して乙木を弱めますので大凶です。辰運はそれこそ火庫を冲開するのでよくありません。この三運のうちに命を落とすでしょう。
 食傷が多く月令正財なので色好みの傾向ありですが、水が少なく巳亥の冲(亥は喜神です)がありますから、妻二人子三人というのはどうでしょう?むしろ家庭的にはあまり幸福とはいえないとみます。



為某君推

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1894年11月29日生と推定
【袁氏鑑定】
 乙木が冬生まれで季節的に萎絶しているが、午火丙火にあって寒木をあたためている。根は堅固である。性格は大雅で謹厳である。政界で雄を争うより、経営、商業界の方がむいている。守備範囲を広げなければ、小富を得て家にも恵みを与える。金が欠けているので、金融界によく、その他の商売はかえって成功は難しい。配偶者には火土をもつ女性をもらうとよい。官殺がないので子は少ない。この場合癸坐丁向の宅、丑未の門向で、寝室を乾兌の方角に設置すれば、二人のすばらしい子供を得ないこともない。23歳前は子丑運が最もよくなく、丙丁運はまだましである。24歳以降戊運では非常によい。29歳寅運では、よいといっても多少不足である。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木火水、土金はなし  印綬格  喜神:金土(火)  忌神:木水
 巳亥冲、未戌刑
【hirotoの見方】
 冬の甲乙木で丙を見るので、これはいわゆる寒木向陽です。木水が強いので従旺格となりそうですが、従旺格にしては丙が強く、寒木向陽ですから、普通の内格とします。すなわち金火土を喜び、木水を忌みます。
 官殺がなく傷官喜神なので、いわゆる官界向きではありません。丙と午で食傷であり土運となれば生財しますから、商売の方が向いているとの判断でしょう。幸いにして早年から喜神運であり、とくに25歳からは土運となりますので、発財します。命中、とくに地支に土がないので小富と言ったのだと思いますが、とくに戊運では大財を得ることができるでしょう。
 寅卯辰運は木が旺じるのであまりよくありません。53歳からの辛運では丙辛が合して水化します。この大運は日主が凍木となり大凶です。晩年のことは触れていませんが、これは以降は天干は水運ですし、地支は火とはいえ午は子と冲で作用を失います。とくに壬午運は時柱の天剋地冲でありますから、この期間はよくありません。
  時柱に喜神があり、これは男子が力になるということを示すでしょう。身旺で水が多いので子供は多く作れますが、官殺はなく、子供は少ないでしょう。



為某先生之子推

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1912年12月25日生と推定
【袁氏鑑定】
 乙木の冬生まれで水氾濫して火が欠けていると世の推命家は判断するが、庚乙が化金しているためこの論はあたらない。「三命通会」では巳酉丑月でなければ化金しないが、7月になればまた化するとある。しかし万育吾は「月中もし旺気得ずとも、僅かに時上旺気者はまた用すべし」という。時支に辰の冠帯(私は衰だとするが)があるので、旺気でないことがあろうか。また日支の亥は甲を蔵し、土化して金を生ずるのに、化しない根拠がないといえるだろうか。化金格とすれば、金は喜神で火を要せず、土を要する。名前に土へんや木へんの字をつけるとよい。14歳以前はよくないが、甲運以降寅運まで修業を積むべきである。25歳から乙卯運に入るので、事業は維新し発展をとげる。35歳から丙運で、上の人も下の人も公私乱れているので、貪る気持ちないことが大事である。40歳から辰丁運では名声もあがる。巳運からは職位から離れるべし。妻は土命の人がよく、子供は3人でいい子供となるだろう。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:水木金土、火はなし  偏印格  喜神:金土(火)  忌神:木水
 乙庚干合、亥子北方
【hirotoの見方】
 万育吾のいう時上旺気とは化五行の旺気のことであり、日主の旺気ではないと思います。で、私はこの乙庚の合は化金しないと判断します。たぶん多くの推命家はこの命式は化金格ではないと判断するはずです。
 この命式は偏印格と判断しますが、水が強すぎで乙木は浮木、凍木のきらいがあります。したがって調候的には火がほしいところです。しかし乙木は亥辰に通根していますから、根無し草というわけでもありません。乙に根があり水の生も受けますから、比較的強い日主です。庚は乙と合なのでその作用は乙に集中しますが、根がなく十分剋することができません。庚を強める金土は喜神であり、木水火が忌神です。しかし、行運の庚辛申金は忌神であり、また忌神のうち本当に忌むのは水と乙木で、甲丙丁などは全くの忌神というわけではありません。甲は水の害を乙木を助することで、丙は解寒の作用で、丁は壬を合去することで、乙木が凍ったり流されたりするのを防ごうとします。
 巳運は亥を冲するので乙の根がなくなり浮木になりやすいので、このとき職を失う、場合によっては妻を喪うことになります。午は子を冲して一応喜神なのですが、午の火として温める効果はなくなります。
 巳以降については言及していませんが、己未運はまずまずですが、庚運は水を生じるのでよくありません。命式中の庚は喜神なのですが、行運の庚は水を生じ、また日主を争合しますのでよくありません。申運では申子辰の水局が成立し、水が氾濫するため凶です。
 時柱は喜神ですから子供がすばらしいのですが、日支は忌神ですので、妻はあまりよくありません。それで土性の妻をもらえとアドバイスしているのでしょう。
 この命式は子供のものであり、結果が出ていないので何ともいえません。辰中の土財と、官印があるのでよいと「三命通会」には書かれていますが、正直私にはそれほどいい命には思えません。



為某校書推

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1895年3月29日生と推定
【袁氏鑑定】
 時支に酉があるので仁寿格とはみない。しかし酉は空亡で金の力が不足し、野草閑花(妓女の喩え)であるのは免れない。聡明であるが家は貧しい。年長の金の命の夫を持てば、たとえ妾であっても、安寧を得る。子供を一人得る。20歳前は人を歎息させるような悲惨な暮らしである。21歳は巳運乙卯年で、忍耐が必要。22歳丙辰年は小限己未。12月辛丑月、太歳支の辰が癸を含み、丙火を恐れない。巳酉丑と金局になるので、喜びがあり、身を金屋(立派な家)に蔵することになる。23歳から壬運で、夫は発達する。28歳は午運で2年間はよいが、30歳甲子年は卯酉子午がそろい冲するので、用神は破洩し、玉かんざしを叩いて割るの感がある。身を慎む必要がある。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木土水火土  従旺格  喜神:木水(火)  忌神:金土
 亥卯未木局
【hirotoの見方】
 校書というのは妓女、芸者のことを指します。文章からみて、19~20歳ぐらいのときの鑑定かと思います。
 曲直仁寿格を格局とするかどうかは別にしても、亥水もあるので従旺格だと私は考えます。と確かに酉金はあるのですが、あまり力がないとみます。
 実際、行運をみると、22歳以前は庚辰辛巳運であり、内格だとするとこの大運はほとんど喜神運です。二十歳以前は親の庇護の下にあるため、本人の大運は外に出にくいとはいえ、もし喜神運であれば妓女に落ちるほど悲惨ではなかったはずです。よって私は従旺格とみます。ただ従旺格にしては比劫、印が不足で、かつ財がちょっと強すぎるうらみはあります。もし曲直格を目指すなら己と酉はこの命式の傷です。偏財は父親であり、父親とは決していい関係ではなかったと推察します。
 22歳以前は官殺運で、官殺が強すぎるのは自己の力を発揮できず周囲に流されるようになります。19歳巳運甲寅年は巳運は忌神運ですが、甲は己を合して取り去り、命式の傷がなくなります。寅木は当然喜神ですから、この年を境に運は上向きになると思います。22歳から壬運に入り喜神運で丙辰年は辰酉の合で酉の作用が緩和され金を抑えますから喜神運です。辛丑月でも問題ありません。なお私の大運計算法では満年齢で22歳前半から壬大運に入ることになっています。
 30歳(満29歳)午運甲子年は歳運が冲となり凶意を含みます。
 47歳から西方金運に入ります。天干は甲乙運で喜神運なのですが、とくに酉運は月支を冲して非常に悪い運となります。

■ 丙日4例


為丁寿南先生推

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1882年6月16日生と推定
【袁氏鑑定】
 丙が夏至前後に生まれて火の勢いは強い。幸い壬水と亥水があり、これは雨のやってくる象であるのはよい面である。しかし、火は五つあり、水は僅かに一壬一亥であり、水火既済とはいかない。ただし戌中に辛金があり、水気を生ずるのでたやすく水がなくなることはない。辛金は丙の正財であるから経営して富に至る。西北の地がよく東南の地はよくないので、水のそばがよい。金水の歳運では名声があがり事業は拡張する。ただし、天性は光明で剛直が本質なので、少しも変易がないと失敗を招く。重厚、温和を加えればよい。陽刃が2つあり、妻位と合しているため、再婚するであろう。金水の命の妻ならばこのことは妨げず。貴人が子宮(亥)にあることから、これはよい子を喜ぶ証である。中年以降に子供をもつべきである。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:火土水金木  月刃格  喜神:金水土  忌神:木火
 亥卯未木局
【hirotoの見方】
 丙日主が強すぎるのは明らかですから、金水土を喜神、木火を忌神とします。戌は午と会して火の強い根となりますが、同時に己土の根でもあり、一概に忌神とも断じられません。己土は丙火を洩らす作用があります。
 およそ袁師の鑑定に同意します。壬がもう少し強いと貴命になると思いますので、金水運が巡ると発達します。逆に亥を冲する巳や壬を合する丁の歳運はよくないでしょう。幸い初運で丁未のあとは、天干は土金水、地支は西北運になるので、喜神運が続くので、特別火が強くなる年運を除けば、おおむね順調な人生でしょう。



為某君推

746454443424
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1857年6月17日生と推定
【袁氏鑑定】
 子水が用神であることは疑いない。酷暑に甘霖の大雨にあうようなものである。前運の癸運が意を得ていることで、子が用神であることを疑わない。壬が化木になるのはよろしくない。庚金は化水するもいまだ成らずで害が多い。来年は丑運にはいり金局をなるので身財両旺でこれまでの心配事から解放される。その後庚運10年は家が富み金が積まれる。妻は3人子供は1人。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:火金、木土水はなし  従旺格  喜神:木火土  忌神:金水
 亥卯未木局
【hirotoの見方】
 子が午と冲しており子水の作用は薄く、これは従旺格というべき命式です。ただし調候的には水が必要で、ここが難しいところです。強い丙はたいして水をおそれませんし、火のみの命式はあまりよくなく、むしろ水があった方がよいでしょう。癸はうるおいを与える程度で丙を剋するまで至りません。卯は酉と冲でどちらかというと作用はあまりなし、壬は丁と合して取り去るので調候用神としての壬の作用は期待できません。寅は午と会して日干を強めるので喜神、辛は丙と合しますが化水はせず忌神ですが、あまり凶意は深くありません。このころから運がよくなります。庚金は忌神ですが、日主が強く財に負けませんのでやはり凶意は深くありません。一方子は午と争合であまりよくありません。己は食神で忌神、亥は巳と冲で火の根を奪いますので忌神です。
 張楠は『命理正宗』で火全巳午未格はいまだによい命式を見たことがない、と言っていますが、これは命式に適度に水がないと悪いと言っているのだと思います。この命式に未はないものの、正にこれがそういう命式だと私は思います。



為朱季華先生推

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1913年3月26日生と推定
【袁氏鑑定】
 命宮は甲子で、また丑も二つあり、一見水と土が強そうで火が弱そうだが、季節は春で火は進気にあり、火は衰えていない。丑に辛金があり水を生じており、水が火をととのえている。気候の調和を得ている。そのため性格は果断で聡明であり、利を貪らず、高い名誉を得る。一生において発展するのはだいたい西北においてである。東南西南では発達はむずかしい。日支は羊刃で晩婚であり、早くに喪う。丑が時支にあり子供は3人とみる。26歳以前学問が順調なのは甲寅の木のおかげではなく、命式の水火がバランスしていることによるものである。癸丑運は学問も進み頭角をあらわす。これは癸や丑がその働きを果たしていることによる。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木火土水金  印綬格  喜神:金水  忌神:木火土
【hirotoの見方】
 丙が午に坐すので、基本的には強い日主でしょう。よくみると各柱とも天干が地支に通根していますから、それぞれの天干がそれなりに力があります。すなわち四行がほぼバランスしております。また年支丑中の蔵干辛金からみると、辛生癸、癸生乙、乙生丙、丙生己となり、いわゆる五行周流の命となります。これは一般に好命です。
 五行のバランスがいいため、性格は温和で、かつ毅然としたところがあります。
 しいて五行の強弱をつけると、月令に旺じている木が比較的強く、また春ですので火も弱くありません。水土は2つの丑の根を持ちますが、位置関係が遠く十分な作用となりません。すなわち木火の方が強く、水金は弱く、土はその中間に位置します。(土は火に生じられ、水は木に洩らされるため、土が水より強い)よって喜神は金水であり、忌神は火木土となりますが、火木が極端に強いわけではありませんから、総じて喜忌の変化はゆるやかでしょう。



為某兵士推

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1886年10月23日生と推定
【袁氏鑑定】
 丙は季節的に衰えてきており土の洩に勝てない。幸い日支の辰や命宮乙未には木があり、土を制するので火気に益する。家は貧乏だが勇敢である。今の職務は下っ端で不十分と思っても、高い志をもって俗に流されることなければ、集団の中で身を立てることができる。30歳以前はとくに危ないことはないが、辛運の終わり、丙辰年に父母に心配事がある。32歳の正月から丑運に入る。34歳己未年に災いがあるが、その他の4年は身を慎んで佳い。37歳から壬運となりあとは立派な職位とはいかないが長と付く者にはなり、昔とは違う待遇となるだろう。辰運以降は退役して農作業などがよい。妻とは遅く結婚し、子は一人であろう。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:土火水金木  食神格  喜神:木火  忌神:土金水
 辰戌冲、子辰半会
【hirotoの見方】
 火土を比べると季節が土用ですし、地支の数も多いのでやや土が強いです。ただし丙も二つあり、また戌に通根していますから弱くはありません。ただ比較すれば戊の方が強いでしょう。したがって木火を喜神とします。「三命通会」の丙辰日戊子時には戌月生まれで身旺ならば武貴とあります。東方運に行けば軍隊においてそこそこの地位に昇るでしょう。辰年や辰運は丙の根である戌を冲して凶です。また丑運の未年は戌との三刑に成るので、災いのおそれがあります。日支との冲があるので晩婚が吉。食神が旺じているので、子供は少ないでしょう。

■ 丁日3例


為某先生推

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1876年9月26日生と推定
【袁氏鑑定】
 秋生まれで金が盛んであり丁日主は弱い。木を喜ぶが命中の木は亥の蔵干のみで不足である。政治上での成功は無理であり、実利を伸ばすべきである。田畑や家屋などの不動産からの利益がよく商売からの利益は副次的にすべきである。二つの酉が自刑である。木火の強い命式の妻を娶るのがよい。子供は力になるが少ないであろう。寅運がもっともよい運である。癸運は悪いので、身を慎むのがよく、また慈善活動などがよい。卯から甲運にかけては木運であり、父親の恩恵が出て、家には多くの喜びごとがある。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:金火水木土  財帛格  喜神:木火  忌神:金土水
 酉自刑
【hirotoの見方】
 一見火が強そうですが、火には根がなくまた印もありませんから弱いです。辛金は弱々しくみえますが、季節に旺じて火より強いです。したがって木火を喜神とし、金水土を忌神とします。比劫が喜神で忌神の財が強く、また官殺忌神ですから、政治や商売はむいていないと判断するのは至当でしょう。行運をみると、辛壬運では忌神である丙丁を合するので、財に振り回されることになりよくありません。寅運から東方運に入り運が上がってきますが、人生での成功をおさめるには少し遅すぎです。晩年は木火運ですのでよく、いわゆる晩年好景の命です。



為前清丹徒県張星五大令推

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1845年12月8日生と推定
【袁氏鑑定】
 前運は木火運でよい。戌酉運はその次。60歳午運甲辰年はさほど悪くないが、ちょっとした動揺はある。61歳も続く。62歳2月10日(これは農暦)から辛運となり、金剋木でよくない。ただ流年は火土であるので、問題はない。66歳庚戌年は用神を損傷しており、平正ではいられず、早く隠居するのがよい。妻は正副二人、子供は少ない。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木火土水金  従強格  喜神:木火  忌神:金土水
 卯辰東方
【hirotoの見方】
 日主丁が冬生まれで戊に洩らされていますが、幸い巳に通根してさらに甲木が強く丁を生じているので、弱くはありません。月令には通じていませんが、印が強い従強格というべきでしょう。よって木火を喜神とします。早年に発達するまずまずの貴命です。水運は忌神ですが、癸運は戊に合されますし、壬運も丁と合して木化しますので悪くありません。もっとも悪いのは用神である甲木を剋す庚辛金です。
 妻二人というのはおそらく日支から透干しているのが甲乙木の二つあるということなのでしょう。時柱は喜神ですので子供は助けになるのですが、官殺があまり強くなく傷官もありますので少ない、との見立てでしょう。



為王君推

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1892年8月13日生と推定
【袁氏鑑定】
 丁が弱く、父母を幼年に喪う。兄弟は多いが、自己独立していかなければならない。富貴長寿は得られないので、実利を得るようにしなければならない。富貴ではないが、衣食には困らない程度にはなる。こつこつと着実に業をなすのがよい。妻はあまりりっぱではないが仲はまずまず。子供は遅くでき二人であろう。
 31歳以前のことをいえば、己運は憂喪を見る。酉運も損失が多い。庚運は苦労が多い。戌運からは苦労するも徐々に実績があらわれてくる。辛運は外は円満だが内は欠陥がある。完全によいとはいえない。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:水土火金木  財帛格  喜神:木火  忌神:金土水
 卯辰東方
【hirotoの見方】
 五行の強さは水土火の順ですが、いわゆる傷官見官の命で濁の命式になります。すなわち正官のよさが発揮できない命です。出世などは無理でしょうし、苦労を重ねることになります。年月に喜神の比劫がなく、仮に兄弟が多くても若いときの力にはなりません。実際によくなるのは癸が戊を合するときからでしょう。とくに壬子運では官殺が強くなりすぎるので注意が必要です。
 日支丑は午と害ですので、あまり仲がいいとはいえないのではないかと思いますが、丑中の辛が丙と合するので、それをとらえたのかもしれません。正官が傷官に抑えられていますので、子供は遅く少ないと判断したのでしょう。
 原文を読むとわかりますが、袁樹珊師もあまりいい命式とはいえないと判断したようで、いかにコツコツと人生を送るのが大事かを王君に向かって説いています。

■ 戊日6例


為某君推

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1888年3月28日生と推定
【袁氏鑑定】
 木が盛んで土が衰えているので、火で土を生じ、金で木を抑えるのがよい。しかし金火は弱く、父親は先に亡くなる。兄弟は三人いて権限を早くから握っているのは幸いである。27歳以前は損益が半々。28歳8月から午運に入る。1、2年目はよくないが、30歳丁巳年から己未年までは、外は華美、内は慶事がありよい。33歳から己運に入り、運が開ける。38歳未運は災難消耗のこと、43歳から庚運申運となり心配ごとはない。53歳以降は静かにするのがよい。妻は遅くもらい、子供は一人である。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木土火水金  正官格  喜神:火土(金)  忌神:木水
 寅戌半会、子卯刑
【hirotoの見方】
 戊日主で春生まれであり、季節的にはあまり強くありません。甲乙木は寅卯に通根して地支に子水もありますので強いですが、従殺格にはならず正官格となります。春生まれの土は木火を調候用神としますが、幸い寅戌が火の半会であり、また甲木は命中にあります。丙丁火があれば、木生火、火生土と通関の作用を果たします。また金は、命式中に水が少なく土を弱める以上に強すぎる木を抑えることになり、喜神と考えていいと思います。すると火土金が喜神なので、行運はずっと喜神運が続きます。
 行運については、袁樹珊師の見方と同じです。己運は甲を合して官殺混雑の害を除きます。いわゆる去殺留官でありとくに好運です。
 父親が早年になくなるとは、子卯の刑による判断でしょうか。火土が旺じることによるのでしょうか。はっきりとはわかりません。日支戌は卯と合しており晩婚でしょう。また、子水のみで水は弱く、燥の命式に近いので官殺が多いとはいっても子供はできにくいでしょう。



為李鴻沢先生推

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1901年10月17日生と推定
【袁氏鑑定】
 土金が強くまた木もあるが、水火が少ない。このバランスがとれれば発達する。
 39歳以前以前は完全によいとはいえない。蓄積はあるが挫折も多い。40歳は午運であり、次は癸運で化火する。14年間は先憂後楽の運である。苦労はするが考えることを捨てずにいれば実現する。54歳以降は壬辰運で義を好むし公に忙しい。60歳以降は子孫も栄え幸福を知る。妻は淑やかで子女は多い。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:金土水木、火はなし  傷官格  喜神:水土(火)  忌神:木金
 辰戌冲、申辰半会、丑戌刑
【hirotoの見方】
 戌月ですが、月令は辛で秋生まれです。辰戌の冲はありますが、戌は墓庫であり冲開とし、また申辰の半会(術者によっては採りませんが)もあるので、土も十分に強いといえます。季節は秋ですからやや金が強いでしょうか。この場合には財がよく、火で金を剋するのは必ずしもいいとはいえません。土金のバランスを崩さないのがよい方法だと思います。
 午運は戌と会して土を強めますから喜神と考えていいでしょう。ただ支の関係は複雑になりますので、単純ではありません。次の癸運について、袁師は戊と合して化火すると言っていますが、命中で火は弱く化火はしないとするのが普通でしょう。財とはいえ争合となり争いごとがあります。巳運は申と合して金を弱めてまずまず。壬運は辛金を調和して好運です。壬辰は月柱と天剋地冲ですが、辰は財庫で冲開の作用を受け、発財が期待されます。
 日支辰は財庫で冲開の作用を受けるし、日支の根ともなりますから、妻は力になります。また地支に水多く官殺忌神でも命式中にありませんから、子供は多くできる可能性があります。時柱は庚申で戊が庚を生じ、申は庚の禄です。さらに申中には壬財の喜神があるので家が栄えると判断したのだろうと思います。



為某婦推

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1875年10月23日生と推定
【袁氏鑑定】
 乙を夫星、戌中の辛金を子星とする。夫星は旺ではなく、子星は多くない。しかし命宮は乙酉であり、夫星と子星であるので、夫子とも盛んであるといえる。壬水が乙木を生じるのもまたよい。夫婦仲はよく子供が3,4人できることはそのとおりである。ただし陽刃が会合し多く苦労する。
 30歳以前は煩悩多い。これからの10年は喜びが多い。41歳から寅運に入り、燥土となるため、肺、肝、血の病気には注意が必要。44歳戊午年、47歳辛酉年は損傷にあうかもしれない。60歳ぐらいまでは爽健で還暦を迎えることができる。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:土火木水金  建禄格  喜神:木水  忌神:火土金
 午戌半会
【hirotoの見方】
 一見して火土が強く財官を喜神とします。官殺は印を生じるので忌神となりそうですが、甲乙木は丙火を生じる作用はあまり強くなく、むしろ戊土を抑える働きがあるので、喜神といえるでしょう。
 正官乙は喜神で透干しており、亥に通根しています。また水の生も受けていますから、相対的には弱いですが、全く軟弱というわけではありません。ですから夫は助けになります。子運は午と冲ですが、午は戌との会で冲の作用を減じますし、子は喜神ですから、この時期に結婚する可能性が大きいです。己運は忌神運で丑運は戌と刑ですが偏財の根となりますのでどちらかといえば喜神運でしょう。庚運は乙を合しますので、あまりよくないはずですが、袁師はたぶん化金すると考えているものと思います。
 寅運は亥と合して寅午戌の会の作用が大きく、燥命となります。乙木が枯れるため、肺や肝臓、また火が旺じるため心臓や循環器系の病気に注意が必要です。戊午年は日柱の伏吟であり、柱運年の三合火局となりますので、凶意があります。辛酉年は大運が辛であり、丙を合して乙を痛めますのでやはりよくありません。庚申年もよくないと思うのですが、申が壬の根となるということで、取り上げなかったのでしょう。



為前清宝山県宝甸膏大令推

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1842年5月29日生と推定
【袁氏鑑定】
 廉潔で文学はすばらしいが、科挙には合格しない。儒生から官吏になったため徳政を敷くのがよい。名声があがるはずである。38歳以前は火土が多く名は揚がらない。39歳から酉運に入り、戌運で挫折はあるが、62歳までは清廉で人々に恩恵を与える。63歳甲辰年は失敗する。64歳以降は壬運で意を得る。ただし乙巳、丙午の両年がよく、66歳の丁未年では丁壬の化木、巳午未の火方により災厄を招く。夏秋を越せば晩景はよい。妻は2人、子供は3人。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:土木火水金  偏印格  喜神:木水  忌神:火土金
 午戌半会
【hirotoの見方】
 この命も火土が強く燥命です。しかしながら財官喜神で透干していますから、行運次第で発達する命です。正官は寅に通根して壬水の生も受けますからいいのですが、偏財壬は根がなく弱いです。このことから清廉だけれども富とならないといえます。
 酉運からは金水運に入りますが、庚戌運はあまりよくないはずです。庚は乙と合して官と取り去り、戌は土を強めるからです。辛は乙を剋すのですが壬を生じてよく、亥は巳と冲、寅と合で幸いにして壬の根となります。壬運は確かにいいのですが、壬子は時柱との天剋地冲、丁未は壬を合して取り去り、火を強めますので燥土となりよくありません。災禍があるとの断も当然でしょう。
 妻が2人というのは巳戌に財があることからでしょうか。燥土の命なので子供は少ないと思います。



為某孀婦推

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1877年9月12日生と推定
【袁氏鑑定】
 辰中の乙木を夫星、酉中の辛金を子星とする。命宮が甲辰で、夫子とも強いようだが、甲は己と合して土化し、丑酉が金となりも木に仇をなしており、子とみることができない。
 23歳以前はまだよいが、24歳は大運辛、流年庚で、甲乙を伐採する。これは夫を喪い子供が夭折するという痛みがある。幸い日主は強く、性格は堅く、節は凛としている。行いはその地方に広まり、村々に名を残して尊敬される。寿命は60歳以上であろう。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:土火金水木  従旺格  喜神:土火金  忌神:木水
 酉丑半会、子辰半会
【hirotoの見方】
 寡婦の命ですが、袁師の文からみると、地方の名士となった女性でしょう。
 火土が強く、官殺が辰中にしかありませんから非常に弱く、これは従旺格とみるべきでしょう。従旺格で印があるので、財官殺忌神です。
 文からみて辛運庚子年に夫と子供を喪ったと推測されます。確かに辛運は丙と合してこの場合水化しますからよくありません。庚子年ならばなおさらです。時柱が合されるので子を喪うのは予想がつきますが、夫を喪うのはなぜか。一応辰中の乙木を夫星としてそれが半会になるからという説明はつきますが、どうもしっくりいきません。従旺格の女性は官殺が夫ではないのではないかと私はひそかに思っています。(でなければ従旺格の女性は結婚できない?)
 以下大運を見てみますと、亥運は水木を含みますが閑神でしょう。壬運は丁を合して印を取りますが、致命的ではありません。子運は丑と合しますが、やはり致命的ではありません。というのは、子丑の合は基本的に土だからです。癸運は戊と合してあまりよくありませんが、丙への作用が限定的なので、財としての働きが主となり、この時期発財する可能性があります。丑運は子と合して土の根となるので喜神。甲運は己と合して、この命式においては土が強いので土化して喜神運、この時期は名声があがるでしょう。寅運は木はあるものの、火の根となりまた弱いながらも土を生じて喜神運。ここまではたいして強い忌神運はありません。つまり喜忌のぶれが少ないので、意志は堅固、比較的安定した暮らしとなります。
 次の乙卯運は月柱の天剋地冲となり、忌神運となります。また68歳乙酉運は大運との天合地冲であり、よくない年となります。



為某君之子推

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1914年7月11日生と推定
【袁氏鑑定】
 水がない命式。年時柱は納音が大渓水で水を含むが、名前には雨かんむりをつけた文字がよいし、住むなら海や川の近くがよい。
 13歳は壬運丙寅年、翌年は丁卯年で、性格は早くもなく遅くもなく、心配ごともない。15歳からは申運で衛生に注意し早く成長しようと思わないこと。20歳からは癸運で、酉甲と続く。名声は全国に伝わる。35歳から戌運に入り肉親の災いがあり、精神的な苦痛がある。40歳から乙運に入り、亥丙子と続くが、時勢にうまくのればよい。再婚し、子供は少ない。

【"hiroto"的審査】
 五行強弱:木土金火、水はなし  印綬格  喜神:土金(水)  忌神:木火
 酉丑半会、子辰半会
【hirotoの見方】
 子供なので、果たして袁樹珊師のような人生を送ったのかはわかりません。たぶんに社交辞令が入っているような気がします。
 一般的には傷官見官殺、官殺混雑(甲と乙が離れているのでまだよいが)として、あまりよくない命だと判断するでしょう。木が強く次に土が強い命式で、金は弱く水は全くありません。土日主で木が強い命式は原則として火土金を喜神とし木水を忌神としますが、この場合水が全くなく夏生まれですから、水を喜神とし火を忌神とします。戊日夏生まれはすぐに火炎土燥の命となり、また木焚火烈ともなりますので、この命に関していえばぜひ水が必要です。逆に水があれば発達する可能性のある命ともいえます。
 幸い大運は早年は壬癸水運であり、中年以降は北方運ですからいいとして、問題は甲戌運です。。甲運は官殺が旺じてかえって辛傷官が弱くなり自己主張ができない時期となります。昇進等は難しく精神面での葛藤があります。戌運は寅戌の会で火が旺じて辛金を痛めます。とくに35歳己丑年は身旺となりますが、丑未戌の三刑となりますので、本人ではなく肉親に災いがおきやすくなります。
 丙運は辛と合するので火炎土燥の災いを避けることができますが(おそらく袁師は水化するので悪くないと踏んでいると思いますが)、それでも丙午年丁未年は注意が必要です。丁運は甲木の生をうけて火炎土燥の害が著しく、この時期に肺病などを患い、命を落とす可能性があるでしょう。ほんとにそうなったかどうかはわかりませんが。


(己日~癸日)に続く   >>



   作成 2009年 5月 5日  
   改訂 2021年 5月29日  HTML5への対応、一部見直し