「喜忌篇」新解 - hiroto流解釈


はじめに

 「喜忌篇」は、『淵海子平』『命理正宗』においては「継善篇」の前にあります。とくに『命理正宗』においては、「六親篇」「気象篇」の前にあり、なんとなくこの4つがセットのような感じがします。
 「喜忌篇」は主として格局について述べたものですが、まとまったものとはなっておらず、断片的な知識の羅列です。しかも、単純にはうのみにできないところもあり、慎重に吟味する必要があるでしょう。しかし重要な賦の一つだと思います。多くの術者が引用していることからもそれがいえます。
 今回、かつて作成した抄訳を見直し、大胆にも自分の解釈をあげています。私は中国人ではないので、細かな誤訳やニュアンスの違いはあるとは思いますが、これまで得た知識をもとに、四柱推命の理屈に沿うように解釈してみました。さらに実例もなるべく挙げるように心がけました。
 テキストは台湾の武陵出版発行の『淵海子平』およびその注をベースにしていますが、参考文献にあげた他書も参考にしています。
 なお個々の格局については、「命理正宗」の抄訳集にある各格局の項を参照してください。(目次はこちらをクリック)




四柱排定、三才次分、専以日上天元、配合八字支干。有見不見之形、無時不有。神殺相絆、軽重較量。
 まず四柱命式を立てて、三才(天干、地支、蔵干)に分けて、もっぱら日干との関係、強弱をみる。(地支には)見不見の形というものがあるが、それはその条件にあった場合に用いる。干支六親どうしの関係は、その作用や強弱をよく見極めなければならない。

 「不見之形」については、「命理一得」にその解説があります。簡単にいえば命式中に明確に出ていない支をもとにした格局と考えていいと思います。しかしそういう格局を認めるかどうかは議論のあるところで、一つ一つ検証していく必要があると思います。
 最後の句でいう神殺とは、註によれは貴人と七殺のこととあります。以前は正官と七殺と訳したのですが、やはり六親や俗にいう神殺のことでいいと思います。
 もちろん正官と七殺ととっても意味は通りますが、この部分は全体のイントロダクションのようですので、一般的な干支六親でいいのではないでしょうか。


若乃時逢七殺、見之未必為凶、月制干強、其殺反為権印。
 時干に七殺があるのは凶とはいえない。この場合に月干支が七殺を制すれば、この七殺の作用で、地位、名誉とも高くなる。

 時上偏官格の説明です。この格は、日主が強く、七殺が時柱に一つだけあり、その他の柱には(地支蔵干は別として)官殺があってはいけません。また、七殺を制するのは食傷で、月干に食傷があればよいというわけです。

其殺反為権印の例  『三命通会』

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 『三命通会』に載っている史丞相の命式です。「淵海子平」の註にも命式例はありますが、それは年支が寅ではなく申となっています。その例だと年月は冲になりますが、この『三命通会』の例だと寅が並ぶことになり、乙日主は非常に強いです。辛七殺は巳に通根していますが、それほど強くはありません。日主が強く七殺は時柱にのみあり、さらに春生まれの乙日主は丙を喜びます。さらに順運ですので、この命式は貴命です。しかも大貴といっていいでしょう。この場合の丙は七殺を抑えるというよりも調候的なよさとなります。喜神は財官であり、早年から財官運がめぐってきますので、若くして頭角をあらわします。ただ庚運は官殺混雑となるので、多少苦労することになると思います。


時逢七殺為凶の例  1963年3月13日  『星命術語宝鑑』

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 七殺が時柱に一つだけなのですが、日主が強すぎです。木水は忌神ですが、行運が逆運ですぐに木水運となります。これは夭折してもおかしくない命だと判断します。


財官印綬全備、蔵蓄於月季之中。
 財と官と印綬が傷を受けずに、月支の中にある命式はよい。

 雑気財官印綬格のことです。「命理正宗格局解説」を参照してください。

財官印綬全備の例?  『淵海子平』

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 『淵海子平』に雑気財官格の富貴両全の命として挙げられている命です。戌中の辛正官が戊己土に生じられており、また財(土)が強いですから、富貴両全としているわけです。
 しかしこの命の場合、甲と己が干合して土化し、いわゆる従旺的な化土格といえます。雑気財官格の例としては不適当だと考えます。しかしながら、この命は化土格で丑運以降は喜神運が続きます。また地支は巳午戌と印(土に対する火)が強く、また命中に財(土に対する水)がありますから、財印兼備で富貴の命と判断されます。ただし丁運では壬を合去しますので、その期間はよくないでしょう。


官星財気長生、鎮居於寅申巳亥。
 官と財が長生にあるのは、寅申巳亥の地で落ち着いている。

 鎮居というのがどういう状態なのかはっきりわかりません。鎮は抑える、安定するというような意味ですから、上のように訳しました。
 もとより四孟支というのは活動的な支ですから、この句の意味は、財官が地支長生にあるとき、天干で財官がめぐってくると発達する、というような意味だと解釈しています。次の例は、『命理正宗』の「喜忌篇」の註にある命式です。

官星財気長生の例  『命理正宗』

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 官は戊土、財は丙丁火です。寅巳に戊土(私はあまり採用しませんが)と丙火があるということでしょう。この命式では壬癸水が強く、財官を喜ぶ命式で、地支が財官長生ですから、丙丁戊己運では発展する命です。しかし以降は金水運に入るのでよくありません。


庚申時逢戊日、名食神干旺之方、歳月犯甲丙寅卯、此乃遇而不遇。
 戊日で庚申時生まれを食神干旺の方というが、このときに年柱、月柱に甲丙卯寅が来るとよくない。これはすなわち「遇而不遇」である。

 註によるとこれは専旺食神格の説明ということです。庚申はいわゆる八専の一つですから、戊日庚申時は通常食神が強くなります。食神が旺じるときは、“多くは”財を喜び官殺を嫌います。したがって甲乙寅卯となりそうですが、乙は庚と合して金化するということでここにはないのでしょう。また丙が入っていますが、これはいわゆる偏印倒食ということでしょう。しかし丙は『窮通宝鑑』などではほとんどの季節で調候喜神となっていますし、また戊が強すぎれば官殺が必要な場合だってあります。すなわち、あくまで“多くは”であって、必ずこの句がいつも成立するというわけではありません。
 この命式の例は貴命賎命いろいろありますが、例は省略します。


月生日干無天財、乃印綬之名。日禄居時没官星、号曰青雲得路。
 月支が日干を生じ天干に財がないときは印綬という。時支が建禄で官殺がないときは、青雲得路という。

 前の句は印綬格、後の句はいわゆる日禄帰時格(帰禄格)です。説明は「命理正宗格局解説」を参照してください。以下に註にある命式例をとり上げます。

印綬格の例  1512年11月12日  『命理正宗』
(なお生年月日はグレゴリオ暦で計算したものです)

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 亥卯未の方局もあり乙は非常に強い日主です。したがって財官を喜びます。財官があり地支に通根していますから貴命に入ります。乙卯運で職を辞めるとありますが、どちらかというと丙運の方が職を辞すにふさわしいように思います。もちろん乙卯運も忌神運ですからよくありません。


帰禄格の例  『淵海子平』

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 傷官と財がありますが、冬生まれで地支が全部水ですから、従旺格です。戊己丁巳などが忌神ですが、その他はあまり影響ありません。傷官生財で時柱も喜神ですから子供に恵まれます。


陽水畳逢辰位、是壬騎龍背之郷。
陰木独遇子時、為六乙鼠貴之地。
庚日全逢潤下、忌壬癸巳午之方、時遇子申、其福減半。
若逢傷官月建、如凶処未必為凶。
内有正倒飛禄、忌官星亦嫌羈絆。
 壬辰日生まれで辰が多い命式は、壬騎龍背という。
 乙日生まれで他に乙がなく丙子時生まれは、六乙鼠貴という。
 庚日生まれで地支に申子辰があるものは、壬癸巳午の行運を忌む。時支に申子が来る場合は福が半減する。
 傷官が月支にあっても、必ずしも凶となるわけではない。
 日支が正倒飛禄のときは、官星を忌み、合冲する支を非常に嫌う。

 上から順に、壬騎龍背格、六乙鼠貴格、井欄叉格、傷官格の説明で、最後の行は註によれば飛天禄馬格、倒冲禄馬格を指すということです。
 喜忌等は「命理正宗格局解説」を参照してください。


六癸日時逢寅位、歳月怕戊己二方。
 癸日生まれで時干支が甲寅のときは、年月に土気の干支があることを恐れる。

 刑合格です。とくに説明の必要はないでしょう。

刑合格の例  『淵海子平』

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 傷官が強く日主が弱いので、金水を喜びます。刑合格は時柱が傷官で強くなるので、金水が喜神です。月支酉は卯と冲するのですが、月干に辛、年柱に癸酉といずれも喜神ですから、家柄がよく、高い地位に昇ります。


甲子日再遇子時、畏庚辛申酉午丑。辛癸日多逢丑地、不喜官星。歳時逢子巳二宮、虚名虚利。
 甲子日甲子時生まれは、金性の干支と子が合冲されることを恐れる。辛丑日または癸丑日でさらに地支に丑が多い命式には官はよくない。地支に子巳があると名誉や利益はむなしいものとなる。

 子遥巳格、丑遥巳格です。同じく「命理正宗格局解説」を参照ください。

子遥巳格の例  『淵海子平』

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 子遥巳格格というよりは、天元一気格です。甲木の天元一気は申亥を喜びます。戊寅運は申を冲しますし、乙丑年は子を合しますので、この年罷免されました。


拱禄拱貴、填実則凶。時上偏財、別官忌見。六辛日逢戊子時、嫌午位運喜西方。
 拱禄格、拱貴格で、日時支の間の支があらわれるのは凶である。時上偏財は日干が強いということが必要で、別の官があるのはよくない。辛日戊子時生まれは午未を嫌い、行運が西方にめぐるのがよい。

 順に拱禄拱貴格、時上偏財格、六陰朝陽格です。

拱貴格の例  『淵海子平』

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 時支子と日支丑の間に甲の夜貴人丑をはさみ、その他の柱に丑がないので、拱貴格となります。しかしこのような格をとる必要はないと私は考えます。
 甲日主で木が強いのですが、それ以上に火が強い命式です。したがって木水を喜神、火金を忌神とします。幸い初運から木水運となりますが、辛丑運から金運となります。辛は丙を合するのでよいので、この期間は昇進しました。庚子運になると、忌神の官がめぐってきますので、突然職を解かれます。
 この場合丑運が特別凶であることはなく、拱禄拱貴格については格局の意味がないと考えています。


五行遇月支偏官、歳月時中亦宜制伏。類有去官留殺、亦有去殺留官。四柱純雑有制、定居一品之尊。略有一位正官、官殺混雜反賎。
 月支蔵干に七殺があると、年月時に七殺を制するものがあるのがよい。去官留殺、去殺留官といった類のものである。四柱が純であるのがよく、雑なら制があるのがよい。正官と七殺のどちらか一方があるのがよく、だいたいは正官が一つなのがよく、官殺混雑はかえって賎命になる。

 以前の訳とだいぶ変更しました。以前の訳よりは長くなりましたが、論旨はすっきりしているかと思います。『命理約言』に官殺去留法についての論があり、それを紹介すればいいのでしょうが、長くなるのでまた後日。上の訳でも意味はわかるでしょう。


戊日午月、勿作刃看。時歳火多、却為印綬。
 戊日午月生まれは、午が羊刃であるが、他の羊刃と同じように考えてはいけない。年時に火が多ければ、かえって印綬と考えるべきである。

 羊刃というのは実は陽刃であり、陽干の帝旺のことです。しかし戊は四季が配当されていませんから、火か水のどちらかを暫定的に採用しています。戊の場合は丙火と同じにするのが一般的ですが、帝旺を即羊刃として月刃格とせず、印綬格とすべきだといっているわけです。


月令雖逢建禄、切忌会殺為凶。官星七殺交差、却以合殺為貴。
 月令が建禄(正官)であっても、七殺と会するのを切に忌み凶とする。官殺が交錯する場合は、かえって殺を合するのを貴とする。

 註を読むと、この禄とは正官のことのようです。すなわち建禄とは月令正官の場合のことを指します。月令正官では地支に殺と会する支を忌むということです。例えば甲日の場合酉月が月令正官で七殺支は申ですが、申と会する子辰があると申を生じるので忌むという説明です。後の句の説明は暗冲合会や暗拱という考え方(格局)であり、さらにわけわかりません。私思うに、こういう考え方は、五行の原則にあてはまらないような命式に対して、無理やり喜忌をこじつけた説明であると思います。
 このへんの話はまた別のテーマにするとして、この句を私なりに解釈すると、月令が建禄であるのは日主が強いわけですから通常官殺が喜神になるわけですが、七殺というのはやはり凶意を含み、また官殺が混雑している場合は七殺を合して取り去るとよい、という意味にとればいいのではと思います。しかしそれではあまりに面白くなさすぎではあります。


柱中官星太旺、天元贏弱之名。日干旺甚無依、若不為僧即道。
 正官があまりに強すぎるのは、天元[ルイ]弱という。日干が強すぎて財官がない命式は、僧でなければ道士となる。

 今まで七殺が悪く正官がよいと言ってきたわけですが、正官が強すぎるのは天元贏(イン)弱といい、この場合は行運で正官を制する方がいいです。
 無依とは財官のことをさします。年をとり財官があったのがなくなったりすると、隠居して出家すると註にはあります。しかし、若いころから出家して高僧と呼ばれる人には、財官があるものです。高僧ともなると地位やお金が入るということでしょうか。
 ところで、以前の注にも書きましたが、僧道の命には、だいたいにおいて印があります。印によって旺になることが多い気がします。

僧道之命の例  1890年6月6日  『八字応用学宝典』

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 地支は寅午の会もあり火が強く、時干に火があり、日主戊を生じています。月干に壬財があるのですが、丁亥運に入ると丁が壬を取り去ったため出家しました。印による日干旺無依の典型例です。


印綬生月、歳時忌見財星、運入財郷、却宜退身避位。
 生まれ月に印綬があれば、年月に忌神の財星がない方がよく、行運に財が巡ってきたときは職を辞して身を退くのがよい。

 月令印綬ですと日主が強いので通常は財を喜ぶところですが、この場合は財が忌神ということですから、日主が弱い場合です。日主は貪財壊印(財を貪り印を壊す)で弱くなり印は財によって壊され、印は官職の意味がありますから、身を退くのがよいというわけです。
 例として「淵海子平」の註に下の命式が挙げられていますが、これは例としては適当ではありません。それで原註とは違う解釈をしています。

印綬生月歳時忌見財星?の例  『淵海子平』

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 註には己丑運丙寅年に亡くなっているとありますが、丙寅年は16歳であり、己丑運にはなりえません。己丑運ならば壬寅年か丙午年でしょう。
 この命においては、癸日は強いのですが、庚金がそれ以上に強くなっています。したがって財や食傷は喜神であり、時柱の財は喜神です。『造化元鑰』には癸日申月生まれは丁甲を用神とされています。まさに時柱の財、月干の傷官は喜神なのですが、月干はいかにも弱すぎです。己丑運では甲が合されて取り去られます。壬寅年ならば丁を取り去り、庚の制を失い、この年に亡くなるというのはうなづけます。丙午年は喜神年でそのようなことはないと思います。


劫財羊刃、切忌時逢、歳運併臨、災殃立至。
 劫財羊刃が月令にあるのをとりわけ忌む。歳運でさらに劫財羊刃があれば災厄を招く。

 以前は時に逢うというのを時柱だと思っていましたが、この場合の時は季節、月令と考えた方がいいと思い直しました。歳運併臨とは大運と流年が同じ干支の場合をいいますが、私は上のように解釈しました。

劫財羊刃切忌時逢?の例  『淵海子平』

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 『淵海子平』の註にある例ですが、『淵海子平』の例はどうも適当でないものが多いような気がするのですが・・・。
 この命は、甲が強く癸印があり官殺がありませんから、旺格とみるべきで、この場合の劫財羊刃は喜神です。壬子運までは喜神運が続き順調です。しかし辛運は正官で従旺格の忌神であり、さらに流年辛酉では月柱との天剋地冲です。この年獄中で死亡しました。
 これは南宋の岳飛将軍の命です。


十干背禄、歳時喜見財星、運至比肩、号曰背禄逐馬。
 十干背禄は、年時に財があるのを喜ぶ。比肩が行運に至れば背禄逐馬という。

 背禄の禄は正官のことで、背禄とは禄に背く、すなわち食傷のことをいいます。註ではもっぱら食神のことを指しています。食傷が強い命式においては財を喜ぶというのは、これまでも何度か述べてきています。馬というのは財のことで、行運で比肩(劫財)がめぐってくると財を剋しますから、馬を逐う、というわけです。
 ただし、『三命通会』その他の詩賦でいう背禄逐馬はまた別の意味があります。ここでは省略します。


五行正貴、忌刑衝剋破之宮。四柱干支、喜三合六合之地。
 喜神である官財印が、刑冲剋破に逢うのはよくない。四柱干支は、(概して)三合六合を喜ぶ。

 貴をどう解釈するかですが、貴は貴人ではなく、いわゆる喜神の財官印(しいていえば食神も)だろうと思います。喜神について、刑冲剋破が悪く合会がよいというのは一般論です。ただし合が多ければいいというわけではないというのは、いろいろな術者が言っている通りです。


日干無気、時逢羊刃不為凶。
官殺両停、喜者存之、憎者棄之。
地支天干合多、亦云貪合忘官。
四柱殺旺運純、身旺為官清貴。
凡見天元太弱、内有弱処復生。
柱中七殺全彰、身旺極貧無救。
 日干に気がない場合、時支に羊刃があるのは凶ではない。
 正官と七殺が同じくらいの強さのときは、喜ぶものを残し、よくない方は取り去るのがよい。
 地支天干に合が多いときは、また「合を貪り官を忘れる」などという。
 七殺が強く(正官がなくて)壊されず、身旺の場合は、貴命である。
 およそ日干が非常に弱く、日支がまた弱める支であってもまた日干を生じることになる。
 命式が七殺ばかりで、日干が強い場合は、非常に貧しい。

 訳にとくに問題はないと思います。
 五句めの「内に弱処有りてまた生ずる」というのは、註によると、例えば甲に対する申をあげています。(申は甲の絶です)申は庚金ですが、申中の蔵干には壬水があり、その水が甲を生じるということのようです。
 六句めの「柱中七殺全彰」の例として、乙酉乙酉乙酉乙酉、という命式を挙げていますが、この句はそうではなくて、従殺格のことを指しているものと思います。従殺格で身旺になれば貧賎の命です。


無殺女人之命、一貴可作良人。貴衆合多、定是師妮娼婢。
 七殺がない女性で正官がただ一つあるのは、よい夫をもつ。官殺が多くさらに合が多い女命は巫女や商売女や下女になる。(よい夫をもてない)

 昔の女性は貞淑さを求められましたので、こういうことになるのだろうと思います。

貴衆合多の例  1952年9月23日  『八字応用学宝典』

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 酒廊の女主人の命。まあスナックやキャバレーのママというところでしょうか。正官が二つあり、年月は辰酉の合があります。壬水が適度に強く(すなわち精力が強い)また酉は日干からみて沐浴です。己壬の悪い干関係もあり、男女関係で乱れやすい命といえます。


偏官時遇、制伏太過、乃是貧儒。四柱傷官、運入官郷必破。
 偏官が時にあって食傷の制伏が強すぎる場合は、貧乏学者になる。四柱に(喜神の)傷官があって、正官運に入れば必ずやよくないことが起きる。

 これも以前は、「偏官時に遇う」を時柱としていましたが、月令ととった方がいいかもしれません。しかし時上一位貴格であると考えても、理屈は通ります。

偏官時遇制伏太過の例  『淵海子平』

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 これは月支午中に己をみてその己を木が抑えると考えたわけですが、私は少し違う見方をしています。これは癸水日主で食傷の洩が強すぎる命です。食傷生財ですから聡明ですが、亥がなかったり戊が来て日主と合して化火したりしてしまうと、命式は燥に過ぎていわゆる木焚火烈の命になります。大運は申運を除けば亥運になるまでずっと忌神運です。財が忌神で日主が弱く貧乏でした。乙や午は眼であり、木焚火烈では眼をわずらい盲目になります。文章はうまく聡明でした。


五行絶処、即是胎元、生日逢之、名曰受氣。
 絶というのは胎の前にあって胎元というが、日支にこれがあるのを受気という。

 五行の絶は、木は申、火は亥、土は巳(水と同じ場合)、金は寅、水は巳です。申中には金、亥中には木、巳中には火、寅中には土、巳中には金があり、それぞれに印を含みます。また土金を除けば父母五行の長生にあたります。気を受けるというのは、絶といっても生の作用もあるということなのです。


是以陰陽罕測、不可一例而推。務要稟得中和之気、神分貴賎、略敷古聖之遺書、縦約以今賢之博覧、若通此法参詳、鑒命無差無誤矣。
 以上、陰陽をよく検討して、一例でもって判断することのないようにしなければならない。生まれつき中和の気をうけ、干支の喜忌貴賎を区別しなければならない。これは古の聖人の残した書物の大略をまとめ、今の賢人の博覧を要約したものであるが、もしこの法に精通して詳細まで理解すれば、命式を深く探求するときにも全く間違えることがない。

 こう書かれると、果たして私の解釈はよかったのか、と自問自答してしまいます。



あとがき

 以上で「喜忌篇」新解は終わりです。多少独断というか、私の強引な訳もありますが、ご容赦願いたいと思います。原文を付けていますので、皆さんでさらに研究を深められれば幸いです。
 原註については、訳すと大変ですし、また意味がわからなかったり、理屈に合わないところもあったりで、紹介することはやめました。
 今回の新解においては、過去の訳にいろいろと誤りを見つけて修正したり、その後の勉強の成果で考え方を改めたりしたところが随所にあります。見直しすることの大事さを痛感しました。



   作成  2009年 3月21日
   改訂  2017年 4月 2日  レイアウト変更、HTML5への対応