六壬断案 その1



はじめに

 『六壬断案』は邵彦和の六壬占断例集というべきもので、私の手元にある『大六壬断案新編』には218例があります。すでにそのうちのいくつかは紹介しているのですが、218例すべてについて、課式と占断の概要、および私の補足や意見をつけて紹介していく予定です。
 課式は挙げますが、原文は省きます。原文に遁干はついていませんが、私が理解しやすいよう遁干を付しています。
 課式の十二天将は原文のままですので、私のとり方とは基本的に違います。(同じ場合もありますが)参考までに、この書の貴人の取り方と新法(すなわち私の取り方)を比較表にしてあげておきます。

日干乙_丁_
昼貴人(本書)丑未子申午寅卯巳
昼貴人(新法)
夜貴人(本書)丑未酉亥丑未申子未丑卯巳卯巳
夜貴人(新法)

この表をみるとわかりますが、昼夜貴人に二つの支が入っています。これはどういうことかというと、占時支はおそらく抽籤で選んだものであり、昼夜貴人の別は占った時刻で決めていたためだろうと思います。

 以下、例1から順に見ていくことにします。


  天時 例1~例2
  宅墓 例3~例13




 天時 例1~例2


例1 韓太守占祈雪 建炎三年己酉歳11月初四己卯日寅将酉時

初伝玄武青龍貴人玄武勾陳
中伝朱雀
末伝白虎

 邵先生の判断は、「数日来天気は暖かく、州縣が雪が降るように祈っているようだが効果はないようである。今この課をみると、明日は天候は変わり、巳時になれば風が吹いて寒くなり、未時は雨になり、亥時になれば雪になるだろう。七寸ぐらい積もる。」
 明朝から役人たちは巳時を待った。すると風が起こり、瞬時に雲が集まり、未時にはわずかに雨が降った。役人たちが帰ると、北風が強くなり非常に寒くなり、4時間後には雪が降りはじめて次の日の未時にやんだ。積雪は七寸であった。
 この課は火が下に伏せて、水が上に昇るもので、雪か雨かがある。またこの場合は申が夜貴人であり、これは権柄であり、日上にはまた天河の水がある。上に運が昇りきっていて、必ず下に流れる。初伝巳火は子に剋されて、玄武が乗っているため、大風雪に変わる。そもそも巳戌卯は鋳印で、春夏秋は必ず雨、冬は必ず雪、末伝卯は白虎で、申とともに白色を示す。申は空亡で空から降ってくることを示し、すなわち自然の生ずるところである。火は下に伏せて、水は上に昇るとは、まず雨である理由の一つ。申子は水であり干上支上にあることが二番目の理由。三伝が順行であることが三番目の理由である。卯は雷であり、西方に行くとは白虎が制しているためである。冬月は雷はならず雪となる。子は勾陳で、雨を占えば雨は降り続き、雪を占えば厚く積もるといえる。

 すでに説明があるのですが、若干の補足を。
 三伝が巳戌卯は鋳印とありますが、普通は太常がなければ鋳印課とは言いません。鋳印課はだいたい雨が少ないと判断するものですが、ここでは雨が降るといっています。
 積雪七寸の根拠が示されていませんが、五行数では申が七で子が九です。常識から判断して七という数をとったものと思います。ただ、数の取り方は非常に難しいので、こんなに単純に判断したとは思えませんが。
 私の見方では、まず、四課を見ると、申子は水局、子丑は北方合で水の意味が強いです。とくに干上神が子ですから雨か雪というのが考えられます。翌日は庚辰日であり、申子辰と水局となります。よって次の日には雨か雪になると考えられます。
 初伝は巳ですからこれは晴れですが、玄武は水神であり、全くの晴れとも言いがたいところです。中伝は朱雀がありこれは晴れですが、翌日の辰に冲されますから、すっきりと晴れません。
 久しく雨が降らない場合は、子の地盤支で雨が降るとされます。子の地盤支は未ですから、未時に雨が降るというのは、その説のとおりです。
 冬の晴れた翌日は寒くなりますから、雨が雪に変わることは常識的にもわかることでしょう。


例2 十二月戊申日子将申時 占晴雨

初伝玄武玄武螣蛇貴人勾陳
中伝青龍
末伝螣蛇

 邵先生の判断は、「潤下課で、玄武が子に臨み発用となる。中伝には申青龍があり、末伝は夜青龍である。春の占いなら水溢れるが、冬なので必ず大雪である。その後、辛亥日は雨、丙辰日は雪、戊午日は晴れるが風が起こる。」

 辰申子が水局で青龍(木神)を生じています。酉金は水を生じますから、これは雨ですが、冬なので雪と判断するのは妥当でしょう。水が多いですから大雪と判断します。
 亥日には朱雀(火神)が乗じていったん雪は雨となり、午日は子を冲して水局を解くので雨または雪はやむでしょう。また午の上神は戌であり、午と会、辰と冲ですから、晴れることになります。




 宅墓 例3~例13


例3 張九翁戊午生51歳占宅 戊申年九月庚寅日辰将未時

初伝勾陳白虎太陰螣蛇勾陳
中伝螣蛇
末伝太陰

 邵先生の判断は、「干支上神が長生であり、家に利があり人に利がない。干上が発用で支上が末伝で末伝は干から生じられ支を生じている。費用について陳姓の役人と不和である。子供が結婚することで家計は壊れる。11年間は孤独でひそかに暮らす。そのとき財産は4分割される。」
 巳は庚の長生で発用であるが、寅は巳を洩らし、亥は庚を洩らすので、始めはよく終わりは衰敗する。寅の数は7、亥の数は4であり、11年間は身が衰えるとする。日干が洩らされるので、費用がかかるとする。亥は婦人とし、よって子が結婚して家計が壊れるとする。また亥は太陰であり、老いてひそかに暮らすとする。中伝は寅で役人とし、トウ蛇があるので騒擾ありとする。また寅は財であり、絶神であり、亥を洩らすので、妻と役人が訴訟を起こすとした。

 占宅の場合、日干を主人、日支を住宅とします。庚は一課発用巳に剋され支上神に洩らされます。寅は亥に生じられますが巳に洩らされます。主人にとっても住宅にとっても結果はあまりよくありません。
 初伝は一課から起こし、官鬼で勾陳ですから訴訟ごとが考えられます。二課に寅がありトウ蛇がついていますから、予想外の事態でしょう。
 末伝亥は太陰で、三課と刑ですから、結局財産を失うと判断されます。


例4 葉助教戊午生51歳占宅 戊申年正月辛卯日子将未時

初伝玄武白虎朱雀朱雀玄武
中伝朱雀
末伝白虎

 邵先生の判断は、「この課は干が支を制する。贅婿課という。太歳が宅に入り宅を剋する。六年のうちに家屋は破損して墓地となるであろう。年長者を葬するが6年先はばらばらになる。外姓または還俗僧人が騒ぎを起こし家が破れる。太歳の上神は墓神であり、丑土は申金を生ずる。申金は年長者であり。卯数は6、ゆえに6年を経ずして起こる。申は僧とし、辛と申は同類、よって還俗僧とする。」
 卯に玄武が乗じ、これは門戸分張である。癸丑年、叔父が死に、家にまつる。叔父に3人の子供あり、一人は僧還俗であり、家産の分与を願うが、助教は納得せず、結局裁判となり、六分割された。6年後、一男一女が死ぬ。

 古法なので私の見方とは昼夜貴人が逆ですが、そのままにしています。
 申を僧としていますが、これは『苗公鬼撮脚』の伝送申の項に「申加卯上為僧人」と書いてあるとおりです。こういうのを見ると、大六壬の活断の凄みと難しさを感じます。
 “太歳の上神は墓神”とは、すなわち末伝であり、終わりを墓と判断しているというわけです。


例5 邵三翁癸亥生46歳占宅 戊申年八月辛巳日辰将亥時

初伝天后天后勾陳天空天后
中伝天空
末伝螣蛇

 邵先生の判断は、「この課は妻を主とし、日干は日支上にあるので、夫は去って妻を脱するということで、妻を年長とし夫を若いとする。妻はもともと兄の妻であり、得てから9年は相守り、8年目に兄弟不和となり、死しても葬儀はなし。目下主は妻を喪い、磨圧東門によって、また再婚することになる。」  申をひき臼とし、卯に加えるのは東門を圧するとする。辛は卯を妻とし、上に天后をみるのは妻を主とする。干また支についてかえって勾留するのは上に勾陳を見るからである。申は日干の同類で日干の上に妻財が来るので、兄の妻とする。末伝は丑で墓であり、螣蛇がつき数は8であるから8年は生地となって兄弟不和、9年に死者が出るとは巳の上に戌がつき、戌は5巳は4で、あわせて9だからである。

 これも貴人が私の見方と昼夜逆ですが、そのままにしています。
 訳してみてもわかりにくいし、真意がはっきりしないところもありますが、私流に解釈してみます。
 辛日で日上に卯があり財で天后がついています。これは妻を指します。卯上には申があり、もともと申は卯の正官ですから夫です。しかし申は空亡で天空です。また申は庚金であり辛金の兄ということができます。よって兄はすでに亡くなっており、その妻を娶ったと判断したわけです。ところが辛金の寄宮は戌であり、戌は日辰上にあります。戌は日支巳を洩らします。巳は宅であり妻です。これが夫は去って妻を脱するということです。この戌巳の合計は9年ですから、9年相守るというわけですが、末伝の丑に至れば丑は金の墓で土生金ですので、申は力を得て申と辛金は張り合い、しかして申は卯の上にあり、金剋木と卯木を剋するので妻を喪うと判断したものと思います。
 占宅とあるのは、おそらく家はもともと兄のものであったためと思います。


例6 邵秀才癸亥生57歳占宅及父母 己酉年二月乙巳日戌将
   亥時


勾陳青龍勾陳天空青龍
青龍
天空

 邵先生の判断は、「三伝と四課が同じであり、重複して用いることができない。一課卯は辰に加わり、卯辰は(木土だが)乙木を内に持ち、剋関係とはならない。二課寅卯も三課辰巳も剋とならない。剋がないので遥剋課とし、卦名は弾射とする。これがまさにこの課にあっている。術者の多くは四課の卯を発用として元首課とするが、この時点で違いがある。占って何が応じているだろうか。皆用に術を用いるに詳しくなく、かえって六壬は当たらないとかいうのだが、どうして偽りではないことがあろうか。この課は乙木が土を剋し、卯が日干を害して、宅は人を容れない。初伝の辰は宅上から出て卯にもどる。これは父の財を奪うことである。三伝が支干を離れず、卯は乙の禄、寅は同類、必ず兄弟は出て行ってしまうが後に戻る。辰は勾陳であり訴訟である。課中には父母がなく、同類にとどまり併呑する。占ってもらう者は父母と16,7年同居しているが、あと2年で行年が亥子になるので、父母の葬式を出すことになる。」

 貴人の取り方は前と同じで昼夜逆です。
 それはそれとして、本文にも述べているように、この課は初伝を卯として卯寅丑を三伝とするのが普通です。卯を初伝としても結論はあまり変わらないような気がするのですが、どうでしょうか?みなさんも考えてみてください。


例7 邵巡検癸亥生46歳占宅 戊申年六月庚辰日午将寅時

玄武青龍螣蛇玄武青龍
螣蛇
青龍

 邵先生の判断は、「金日で水局を得て子孫であり、子は青龍である。また辰土は玄武で、建禄申には[トウ]蛇がある。息子の一人は騒々しく、一人は死んだ。また一人を得るが、父母の気力は疲弊して、家を潰すことになる。この家は12年後に怪しいことが起きて住めなくなる。任をうけて後に必ず水陸の職を得て、水辺に三度人につく。紹興15年(1145年)乙丑月三日に63歳で亡くなる。」

 解説によると、12年後に家で怪しいことが起きて住めなくなるというのは、三課に螣蛇がつき空亡であるということ、申(庚)は数で7、辰は5で、合計12であるということ、さらに末伝には青龍があり、[トウ]蛇が龍に変わるとし、それで怪しいことが起きると説明しています。また、63歳で死ぬというのは子が申に加わり、申は7、子は9で、7×9=63 という説明をしています。また、63歳の行年は辰で水局の墓にあたります。
 この数目の使い方というのは、一定の決まりがあるわけではなく、活断を必要とします。また辰の行年で亡くなるというのは、わからないでもないのですが、断定するには難しい気がします。


例8 任三翁庚午生39歳占宅 戊申年十一月壬寅日丑将申時

白虎白虎朱雀勾陳天后
貴人
青龍

 邵先生の判断は、「下女と妾が争い、下女が出ていくが再び帰ってくる。また常に子息や兄弟が何かと騒ぎを起こすが、ただし末伝空亡絶なので(原文のまま)、最後はそういう騒ぎも収まるだろう。」
 酉を下女とし、その陰神は寅である。寅は日辰で宅である。辰は天后で妻妾とし、酉には勾陳がつく。勾陳はずるがしこい人とし、日上辰と合なので、辰日にまた戻ってくるとする。発用子は支上未と六害であり、障害が多い。また巳は絶であり、甲辰、乙巳日には自然と絶えることになる。

 昼夜貴人が新法と逆になっています。
 原文では末伝空亡となっていますが、中伝の間違いでしょう。
 ちょっと補足すれば、宅である寅は子孫であり、発用子は兄弟にあたります。また未には朱雀がついており、朱雀は口舌とします。また、ここでは戌に触れていませんが、末伝戌は辰と冲であり、また日干を剋します。巳は貴人ですが、妻財で空亡であり、この課式では妻や財を失う象が見えます。


例9 邵伯達占宅基 己酉年十月庚寅日十五寅将酉時

青龍青龍貴人天后天空
太陰
六合

 邵先生の判断は、「支上が空亡なので宅は得られていない図である。初伝は脱気で青龍があるといっても空地でありまた暫く住むにしても定住ではない。中伝巳は官で店業を示し太陰は婦人であるから老婦人の店業を得てこれを宅基とする。これは婦人のあっせんによるもので、その婦人とは親族である。」
 本人には兄弟が多く、伯父叔父ともに住んでおり、早く家を出ようと思っていた。占いのとおり叔母の店屋を買うことができ、丁巳年に家を作ったのである。
 宅を見るには支を見て、支上が空ならいまだ宅基はないとする。かえって中伝に長生をみれば、新宅を求める状況で、この方が生旺ならばそうであるとみる。巳は店であり、子は北方、太陰は婦人、末伝戌土は庚を生じ、すなわちこれは年長者とみて、また戌は下僕になるとする。六合がついているので成就する。

 補足の必要はないと思います。判断としては比較的やさしい部類に入るでしょう。しかしながら、それぞれの象意を丹念にたどれば、上のような結論が得られるわけですが、状況をよく知っていなければ、なかなかこういう判断はできないですね。


例10 童保儀丁巳生52歳占宅 戊申年六月丁巳日初七未将酉時

勾陳勾陳天空天空太常
朱雀
貴人

 邵先生の判断は、「陽神がなく課式すべて陰であり命は衰敗不振、そのうえ下女に不測のことあり、厠で命を落とす。家のまえの大木は枯れ朽ちて、もしこれを除かないとなにかと事が起こる。子供はお腹を患い、またのちに家は豚小屋となり、豚が盛んになり人を剋す。四年で敗、六年で敗尽である。」
 本人は深く信じなかったが、本年十月一人の下女が厠に落ちて死亡。家の前には二百年の大きな楓の樹木があったが大半はすでに枯れて朽ちて、親族の墓に寄りかかっていた。十二月には外郷一人が樹下で首をくくった。その後も占のとおりとなった。
 宅上は卯、末伝は酉でともに六数であり、故に六年で敗尽とした。また巳亥は四数である。甲寅旬の乙卯は真木とし、故に大樹が門にあるとしたが、卯は天空でこれは朽ちている象、丑は閣、亥が丑の上にあり、養豚とした。丁の死神は酉で酉は下女、亥は厠で、これは下女の死が厠であることである。

 ちょっと補足すれば、丁の子孫は丑であり、丑は空亡で勾陳がついています。丑、勾陳ともに土神であり、胃腸が弱いと判断しているのでしょう。
 また酉は火行の死で、貴人とはいえ卯(樹木)と冲ですから、上のような判断となったのでしょう。
 この判断では、亥を厠とみたり豚とみたり、丑を子供とみたり閣とみたりして、一つの支神で多くの象意を引っ張り出しています。これは「外応」とも通じるものがあります。
 また原文には、「大楓樹が族人祖墳に係る」とあります。日本ならさしづめ「先祖の墓の障り」というところでしょう。占術でそれを言い当てているところがちょっと面白いです。


例11 鄭宣義占宅 八月癸丑日巳将丑時

天空天空朱雀天空朱雀
太陰
朱雀

 邵先生の判断は、「この課は人は多く宅は狭い、人興って宅替わる。四年を出ずして必ず酒房を修造して厨房にて一人の下女が酒中で死ぬ。叔婆の家を買ってはならない。必ず後悔する。また三ヶ所に店を持つが、先に二ヶ所を開いて財を得て、三ヶ所めはだめである。宅前に洗い鍋がおかれるが、そこは8年のうちに失う。そのとき家はバラバラになる。」
 鄭兄弟は十人いて家族全員で40人いた。辛亥年に酒房を造り、12月にそこで下女が酒を飲んで酔って死亡。己酉年に叔婆と交易、後に果たして後悔した。丙辰戊午の二年は2つの店は繁盛したが、己丑また洗い鍋を門前に置いたところ乙卯二月に弟婦がその中で死亡することとなった。(hiroto注 この辺の干支は年だとするとおかしい、誤植か?)
 人多く宅狭いとは、巳酉丑の金局で癸が生じ、丑は金によって洩らされるためである。酉を下女とし、丑は八月には死気であり、酉は巳地にあって巳は厨房(かまど)とする。癸が酉をみれば酒である。よって下女は酒房の厨房で死ぬとした。三店とは、日上支上末伝の巳であり、巳は店業とする。1ヶ所がだめだというのは、巳は癸の絶であるからである。巳は鍋とし癸水があれば、これは洗い鍋である。8年とは二つの巳で、巳の数は四である。支上と末伝の巳は財爻とするが、干上の巳は財爻とはみない。絶神が日上に加わるとみる。

 丑時に占うというのはちょっと時間的にどうかなという気がしますので、邵先生は抽籤で占時を決めていたのかもしれません。
 この書(『大六壬断案新編』)の注によれば、最後の店がだめなのは、上の干上神の巳ではなく、末伝の巳であるとしています。理由は末伝は帰結であり、巳が絶地であるというのがその理由です。私の考えでは、三伝が逆生、すなわち巳生丑、丑生酉となっていますから、巳は衰える傾向にあります。末伝の遁干は乙ですが金局で剋されますので力不足です。巳は財で朱雀ですから非常にはやることは予想できますが、最後は衰退という判断ができそうです。ただ、巳が3つあるから店を3つ持つと判断するのは、ちょっと私は賛成しかねます。
 癸に酉で酒と判断するのは語呂合わせ的ですが、個人的にはこういう判断というか解釈は面白いと思いますし、好きです。合理性はあまりないのではありますが、何となく中国的な解釈だという気がします。


例12 王徳卿辛酉生48歳占宅 戊申年十月壬子日卯将卯時

天空青龍青龍天空天空
青龍
朱雀

 邵先生の判断は、「この課は人は財禄は穏やかだが、膀胱に気が有り、陰腫水気の憂いがある。宅上に帝旺があり財物は興隆し、今年は子が生まれまた孫を添える。中伝は子であり、子へんに亥は「孫」の字となる。末伝は卯で朱雀であるので、門戸は安からず、戸役のことで騒がしい。堂の上には不適当なお札があり、家中はひとときも安静ではない。池からの利益を得て大いに発福するが、16年の寿命ののち、水腫にて亡くなる。」
 王さんは士人でよく家を治めたが、膀胱の病をたびたび受けた。本年三月子が生まれ、また12月には孫も生まれた。常に戸役は騒がしく、堂の上に一天師が掛かっており、これによって夜は寝られず、怪異は起きるので、これを外したところ、事なきを得た。池で多くの魚がとれて利益を得たが、16年を過ぎたところで果たして死亡した。壬子日で亥子が旺じており、亥は四数で課中に4つあり、4×4=16で16年とした。

 まずこの課は伏吟課であり、静穏の中に動きがあるとします。それは、三伝の取り方で、この場合は干上、支上のあと末伝を支上の刑をとるからです。したがって、終わりは基本的によくないと判断されます。
 この課式はほとんど水気で構成されており、水が多いため膀胱の病気という推論は比較的容易に得られます。青龍は財ですが、木神で子孫にあたるため、子供が多いというのもまあわからないではありません。
 しかしながら堂上にお札があるという判断はなかなかできるものではありません。注には壬の墓が辰であり、辰の遁干は甲で辰は[トウ]蛇であるから、と説明がありますが、説明自体はわかるにしても、それを導き出すのはこれはほとんど不可能でしょう。家を見にいけばわかるとは思いますが。
 さらに、4つの亥だから16年というのは明らかに間違いであると原文の注にはあります。それによれば、16年後は行年が辰でありこれは壬の墓で、また16年後は亥年で天空であるからとしています。確かにこの方がましな説明だとは思いますが、いまいち納得感はありません。ちなみに子の数は9、卯は6です。私の解釈としては亥子は壬の禄旺であり、4+9=13年はとくに問題はないが、末伝卯は空亡で壬の死にあたり、子との刑で壬を洩らすので、卯に至れば死亡すると判断するとします。卯は6数ですから、13~19年後に死亡するというのが私の判断の結論です。これはいたって常識的だと思いますが、いかがでしょう。


例13 童得松丁巳生53歳占宅 己酉年六月壬戌日未将丑時

太陰青龍天后勾陳太陰
勾陳
太陰

 邵先生の判断は、「この課は徳を失い神が消えるものである。人は亡くなり家は破れる。それは壬の徳は亥であり亥は閉口とするからである。徳がないとは徳を失うということである。身命が亥に臨み、火は水に剋される。これを神が消えるという。生気は剋を受けしかして死気を主となる。これが人亡くなるということである。辰が来て宅を破り、また干支の墓として、家を破るとする。一つは宅水が通らず、二つには台所や厠は不便である。我去って彼は絶える。彼来たってここに絶となる。墓来たって日を剋する。このため凶課とする。」
 童さんは先生の言を聞き、ついに店屋居住を移りその家は空き家となった。しかして災いは解けたのである。

 これもすでに別のページで紹介ずみですが、この童得松とは例10の童保儀と同一人物ではないかと思います。すなわち例10から1年間に下女が亡くなったり、大木で首をくくった人がいたりと、とても住んでいられる状況ではなく、あわててまた邵先生の判断を仰ぐことになったのだろうと。
 さて補足しますと、壬の日徳は亥で、巳は水の絶に当たります。また三課四課は土支であり、亥は剋を受けます。絶地にあって冲剋を受けますから、亥は働きにくくなります。これが徳を失うということです。ここでいう閉口とは旬尾のことを指していますが、旬尾だから徳を失うという説明はちょっとどうかな、と思います。
 神が消えるとは、本命が巳でありまた干上神も巳で、返吟課ですから亥に剋されます。また土支に洩らされますから、これが神を失うという状態です。
 辰戌は天羅地網であり、火水の墓神ですから、家が破れるという判断ができます。台所というのは原文ではかまどであり巳が示すもの、厠は亥が示すもので、互いに冲ですから不便とします。
 これまでの説明が「我去彼絶、彼来此絶、墓来剋日」ということです。
 返吟課ですから動きが大きく、この件は迅速に起こる、あるいはすでに起きていて、事態は急を要します。


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   作成  2010年 8月 8日
   改訂  2018年 2月24日  HTML5への対応