六壬断案 その2



  宅墓 例14~例29




 宅墓 例14~例19


例14 徐八公甲寅生55歳占宅 戊申年六月癸亥日初十未将酉時

太陰太陰太常太常天空
貴人
朱雀

 邵先生の判断は、「癸亥は六甲の終わりであり、陰が長じ陽は消えている、それでこの課は六陰相継とし、宅の勢いは極限である。物の極みは必ず変ずるものである。宅には現に兄弟6人が住んでおり、甲寅生まれなので多くは通用門のそばから出入りをしている。来年は女性が亡くなり、おのおのばらばらになる。必ず昇進して出世し後に必ず家をなす。子供は良く、晩年は福を受け、寿命は長く、えらい人からの力を得て、家業をなす。」
 徐八公は兄弟六家族が住んでおり、非常に狭かった。次の年太婦人が亡くなったため、家を出なければならなくなった。癸亥日は六旬の最後の日であり、亥の上は酉で、酉の上は卯であり、卯は日の昇るところなので、これを迎陽課という。
 中伝は貴人で太陰を発用とするので、これは妻を娶るということである。実際えらい人のお囲いさんを娶り、財を得て発福し、84歳で寿終わった。六家族というのは、酉は破砕で宅に入り、癸を敗るからで、酉の数は6であるからである。

 貴人のとり方は古法ですので、新法とは逆です。
 結果からみるとこの課式の解釈は比較的わかりやすいでしょう。日干は癸で亥は天空ですが、天空はすなわち廉幕貴人であり、酉は日干、干上神を生じます。発用は未で官鬼、太陰、中伝は貴人、本命は寅で子孫で六合となると、結婚してえらくなるということが見えてきます。末伝卯は酉と冲ですが、これは支上神と冲、すなわち家を出ることによって凶を避けられることを意味しています。卯は亥と未で木局をなし、本命寅を助けますから、家を出ることで福寿を得られると判断していいと思います。
 酉の数が6だから家には兄弟6人が住んでいたというのはちょっとこじつけくさいですが、六壬からすれば真っ当な見方だとおもいます。


例15 劉将仕庚午生40歳占宅 己酉年五月戊申日未将卯時

玄武玄武トウ蛇貴人勾陳
青龍
螣蛇

 邵先生の判断は、「すでに一人の妾がいて、さらに一人の妾を得る。精気は衰えて徐々に支えることができなくなる。三伝がみな財なので、家は賊に盗まれるところとなり、宅上の子は螣蛇であり、子は外横(意味がよくわかりません)である。すなわち宅水が合わず、長生は取り去られる。それで争いごとが多く、平穏なときがない。今年の太歳は水敗(すなわち金)でよいが、次の年は利なく、内臓の病気が出て苦しむ。溝は土でうまる。」
 未申の方向には水が来て剋するので、子は不肖である。しかして下女が宅の主となり、二人の妾を持つといったのである。酉は勾陳で行年、干上にあるので二人の妾ということである。酉は破砕であり、古いことが騒ぎとなり、戊日で水局なのは財気が盛んすぎて、財庫が出て行ってしまう。庫中に鬼があり、辰は劫財、玄武は盗人であるからの判断である。辛酉年四月に内臓の病毒で死ぬ。酉は臓毒であり、巳は4月で酉に会うとは、破砕が重なることになり、亡くなった。

 この課式から上のような判断を下すのは難しいですが、注を参考に読み解いてみましょう。
 三四課および三伝は水局であり、財気が旺じています。また干上には酉があり、酉は敗(食傷)で日支の桃花であり、また類神は下女です。天后寅、太陰卯は空亡であり、妻はおらず妾が多いと判断することはできるでしょう。勾陳の類神は醜婦であり、酉に乗じれば人間関係に問題があるとされ、また勾陳には不義という意味もあります。
 申酉は戊の子孫であり、申の陰神はトウ蛇で凶神ですから、子孫には恵まれないとします。
 酉年に病毒で死ぬというのは説明にもありますが、破砕だけで論じるのは無理があるように思います。


例16 何丞務丁巳生53歳占宅 己酉年二月戊子日戌将巳時

太常六合太常太陰六合
六合
太陰

 邵先生の判断は、「この課は日干が辰の上にあり、人は広く宅は狭い課である。宅上が発用であり、日上が中伝にある。これは宅に多くの人が居られず出ることになる。末伝は2課であり、これもそれを示す。ただし宅が人を剋しているわけではないので、これは自発的に出て行くとみる。もし出て行けば各自が自活するが、太陰により騒ぎや訴訟がある。13年後、人財また興り、元の家には狭くて居られないが人は集まる。これが日が宅に加わったことによるものであり、お互い接近すればまた破砕となる。」  本年11月に家を出て自ら商売をする。家はもともと兄嫁の家であり、13年後甲子年に家財についての訴訟があった。これは巳が4子が9であわせて13年ということである。壬戌年は卯を制して動かず、癸亥年は天罡辰がこれを圧してまた動かず。甲子年は人宅が互いに接近し、争いにいたる。訴訟はその年の春に起こされ乙丑年4月まで続いた。宅上は禄神であり人財ともに旺発である。

 ほとんど意味はわかると思いますが、若干の補足を。
 人が集まるというのは、干上に六合があり二課と合ですので、人が集まることを示しています。また戌は兄弟であり、兄弟が多いことを示しています。しかし卯は官鬼ですから決して平穏ではないでしょう。
 巳は発用で日干の寄宮であり、太常は飲食、生活を示しますから、これは家を出て自分で商売をすることを示しています。末伝卯は官鬼で太陰ですから、これは金銭もしくは女性に関わる問題だと判断されます。
 13年後は巳数と子数の合計で出しています。そのあとの解説ではその前後の太歳の上神と太歳との関係でみています。すなわち太歳上神が太歳支を剋していれば物事は起きないと判断しています。これはあまり使われない応期の判断方法だと思います。


例17 任太公甲午生75歳占宅 戊申年正月丙戌日子将辰時

太陰六合白虎太陰朱雀
天空
朱雀

 邵先生の判断は、「この課は干支六害、牛馬が自ら傷つく。戌は丑の刑で朱雀としこれは丑を害する。丑を田とせず牛とするのは、春の丙は相気相生で、生きている物をとったのである。午は屋であり馬であるが、馬として屋としないのは、午は空亡で固定物ではないとしたのである。また正月は午が天馬である。空亡であり墓の上で白虎がある。これは馬を害する。婦人は失明しているのは、午を婦人とし、午は離で目とし、墓に入るので失明と判断するのである。自身に淫婢がいる。丙日巳にとって午は本身、申を妻とし、酉を下女とする。巳が酉に加わるのは寵愛する下女である。天空は下男であり、これは上下乱れることを示す。老婦に血疾により結核あり。初伝太陰は酉で太陰は老婦、酉は血、丑の上にあり丑は墓であるから、血行がよくない。末伝は破砕で結核とする。結核は金の体である。山地で争いあり。末伝は丑で、春は火が丑土を生じ、また丑は牛である。丑は秋冬で丙火は旺じないが、丑土を生じるとはいえる。ゆえに山地とし、朱雀は争い、子孫は池で、行年上には子が辰に加わり、蛇が乗る。それで争いが起き理を失う。」

 古法では新法とは昼夜貴人が逆になります。
 あまり説明の必要はないと思います。丑午を牛馬ととるのはいいとして、あえて丑午を田宅ととらない理由はあまりないと思います。
 注で補足しますと、午は離火で離卦は中年の女性を示します。また午は目でもあります。丙日の羊刃であり白虎がついており、午は戌墓の上ですので失明と判断したわけです。
 この解釈もまたいろいろな支を人とみたり物とみたり、柔軟かつ多義にとっています。


例18 王解元辛未生39歳占宅 己酉年三月癸巳日戌将未時

六合天空六合朱雀天后
天空
玄武

 邵先生の判断は、「この課は宅に利があり人に利あらず。もし病気や訴訟ならば閉口卦である。日上は墓で天后で、遅滞であり、時運はいまだ通らず。幸い宅の六儀は長生で引進、また宅と合である。世帯は進むとは婦人が懐妊することである。不安が続くが長生で保たれる。亥は天空で丁神であり、移動や甕盆をあらわす。末伝は子息であり、湿にして感風(風邪)がある。西南西北は修理を行ってはならない。田は水の災いがある。行年は申で訴訟があるが、道士が解決する。」
 王解元(解元とは科挙に首席合格した人)は合格したのちあまりよくないので、宅が悪いのではないかと疑って占ったものである。ではなぜ科挙に合格したのか?宅上は旬儀であり長生である。旬首が旬尾に加わっており、これは周而復始格である。六合が発用でこれは世帯および財を得るということである。中伝の亥は丁が乗じて旬首の上であり、西南西北に属すので工事をしてはならないというのである。辰は丑に加わり破であり、田を開いてはならない。必ず水あふれる。後にその田は辛丑年にことごとく水につかって汚された。また除夜に水盆を移すとは、妻は妊娠しほとんど流産しそうになったが、寅と玄武がそれを示しているが、申が六合長生であり申が寅を制しているので、ゆえに保たれたとするのである。(無事懐妊したということ)その長子は12歳で水浴びをし湿にして感風となったが、無事である。家族で訴訟があったときも一族の中に道士がいて、和解をすすめて解決した。寅が長生に加わればすなわち道士とする。

 上の解説のとおりです。補足すると、本文中に「進」とか「引進」という言葉が出てきますが、これにはいろいろな意味があります。一般的には胎~建禄を進気、帝旺~絶を退気といったり、相生を進気としたりします。例えば、この課の三伝は申亥寅ですが、これは金生水、水生木で進気ということになります。一般に進気は吉です。子供が生まれたり財を生じたりということになります。というのは、食傷(子孫)生財というように、子孫は財を生じるものだからです。
 和解というのは、寅に玄武が乗じるところから来ています。寅は寺院、道士の意味があります。


例19 何宣義丁丑生33歳占宅 己酉年三月癸巳日戌将酉時

勾陳勾陳六合貴人天后
青龍
天空

 邵先生の判断は、「本人は貪色、志は高い。三伝と宅は南方にに並び、一生親族は得がたい。未が親族であり空亡であるからである。苦労して財物を得るが、末伝は酉で晩年には色欲におぼれる。一人の妾を得るが、欺かれついにはその妾の手で亡くなるだろう。財産は現在の数倍になるが、妾により盗られてしまう。行年亥は太常で破となる。これは外服(葬儀のこと)、また子婦は流産する。いまは3月終わりで4月になろうとしている。苦労して財を貯めるが、庚子にはそれも止まる。本命の下であるからである。宅上の財と三伝は南方であるから、南方にて荷物を運び財を得て家を成す。ただ寵愛していた妾に盗られてしまうことになる。」
 この年5月義母の葬儀があり、3月に長男の妻が流産、7月も次男の妻が風邪で発熱し流産。日上天后が寅に乗じて脱神(洩らされる)であり、寅は巳によって洩らされるので、3、4月は婦人が流産する。寅は酉を破砕として申に加わり、7月もまた流産ということになる。寅は亥を長生とし、太常であり、ゆえに葬儀とする。晩年色欲におぼれるとは、酉は天空であり、癸水の長生の上であるからである。

 古本には辛丑年生69歳とあるそうです。
 中伝は長生で青龍が乗じていますので、これは財と読み解けます。また三課は財であり旺じています。しかし午は空亡であり、末伝も天空ですから、最後には無に帰すといえるでしょう。末伝は酉でこれは水の桃花にあたります。晩年色を貪るというのはここにも示されます。


例20 林丞務丙辰生54歳占宅 己酉年六月辛卯日午将辰時

天后螣蛇天后太常天空
螣蛇
六合

 邵先生の判断は、「日上の子は盗気で天空を見る。これは下部遺漏で、子息はよくない。支上は破砕で発用であり、中伝は空亡、末伝はまた空亡の上である。日禄であるが空で、先行きは長くない。宅が破砕を犯し、子は盗気、これは子供たちが財をかすめとり、自分のふところに入れ、空になってしまう。別に暮らせば少しは延びるが、そうでなければ家は破れ財は散じてしまう。」
 林丞務には二人の妻に四人の子がいて、家は乱れて物は子供によって盗られる。空亡のため、常に淋疾があり、家計は徐々に傾く。これは辛が子の盗気で宅上には破砕があるため。子は一陽の始め、巳は六陽の終わり、身に始まって宅に終わる、すなわち自分自身から始まり、下部遺漏で家が破れて終わりである。子は子息、家が破れるのは子息のためである。初伝は宅上で、中末伝は空、これはうまくいかない。ただ干支が二箇所に分断される。
 初伝はまた破砕であり、子は脱空とし、六陽はその極めるところに至る。また破砕が初伝で天后である。これは佚女卦で妻は淫蕩、四番目の子供が愚かで有るのは、生まれのせいであり、さらに二人の子は悪巧みである。もし病を占えば必死であり、先を占えば精を奪われ亡くなる。

 淫佚課とは初伝が卯か酉なのですが、この場合は末伝が酉となっています。天后が初伝なので佚女課となり、これは婦人が淫乱である課です。支上が天后で発用ですから、宅上の妻が問題の発端ということになります。身上の子は水で空亡であり、精力減退あるいは子供がいないと判断できますが、この場合は精力減退ととった方がいいでしょう。
 子から始まって六陽は巳で終わりということから、身に始まって宅に終わると判断していますが、こういう判断の仕方はちょっと私にはできません。三伝は火生土、土生金と逓生なのですが、身を生じる中末伝は旬空、落空であり、よくありません。すなわち、家は衰亡していくとみます。


例21 馮修職己卯生30歳占宅 戊申年五月乙酉日申将卯時

青龍青龍太陰太陰天空
貴人
白虎

 邵先生の判断は、「この課は支が干に加わり、上門乱首課という。また用神は囚死にあたる。斗[ゴウ]辰は日干長生の亥に加わり、天獄課と名づける。弔い事がなければ災いがある。支が干を剋し、酉は下女妾である。おそらくは下女妾が亡くなる。初伝と中伝が六害で、貴人は行年でその上にある。甲乙は子を父母とする。まずは騒動がおこり次には悪いことが続く。また火災がある。これは凶課である。」
 時に、馮は主簿となり、この課は五月二日のものである。六月十七日に下女子が寵を争い、これを責めたところ自殺してしまう。申州に拘束され、能仁寺で一月に母が亡くなり、ついに丁の憂いを得てなくなる。これは支が日干を犯したためで、すなわち下が上を犯したということである。(このへんちょっと訳が雑ですみません)
 酉は下女であり、六合は世帯である。五月の火鬼は酉であり、下女は横死したのである。酉金は乙木を剋し、それは累を及ぼす。貴人六害とは拘束されることであり、また未は眷属で、子は父母とみて、母は土の剋を受けまた未に害された。これは行年がこれに加わり、剋害が重なり母は亡くなった。五月は巳の病符月であり、末伝になれば白虎は母の本宮で、家に葬儀があるということになる。またこの二月で母の妹も没し供養したが、未だ葬らず。しかして台所で火災がおき堂(亡くなった人を祀ったところ)まで延焼した。およそ火鬼が人を剋するというだけでない。六合は棺の木であり卯もまたそれである。

 この課は昼夜貴人が古法となります。
 いずれにしても、乱首課で天獄課となり、小事が大事となり、また心配事の尽きない課です。
 少し補足しますと、火鬼という神殺がありますが、それは酉につきます。また酉は日干の官鬼でもあります。これが五月火鬼が酉ということであります。
 この課については、新法の十二天将の方がうまく説明できそうに思います。新法の場合、酉は螣蛇、寅は天空、未は天后、子は勾陳、巳は玄武です。宅が官鬼トウ蛇となり、これは怪異騒擾の象です。その他中伝が勾陳となりますので訴訟ごとなど。どう説明できるかは皆さんで考えてみてください。
 こうしてみると、十二天将の昼夜というのは、互いに連関があるように思います。(例えば昼夜貴人の逆は簾幕貴人というように貴人であることには変わりありませんし)


例22 葉油餅店主庚戌生59歳占宅 戊申年六月戊辰日未将酉時

天空白虎青龍天空勾陳
太常
太陰

 邵先生の判断は、「丑亥酉は極陰課とする。幸い甲子旬で中伝末伝は皆空亡であり、災いがあって危ないといっても、不測の事態には至らない。ただ子孫は多く門戸に騒ぎがあり、財産資本は消えうせ、晩年は不本意であろう。思いもよらず土は東門を防ぎその他木板も堆積する。太陰が酉に乗じ亥に加わり敗処に空が乗じる。母は酒による病死、家は衰退する。」
 葉の家は東に門があり、果たして泥土がある。すなわち日干支は土に加わり、丑土はまた卯門の上で発用であり、ゆえに土が東門をふさぐというのである。
 二木が干支の土の上にあり、壁の外に木板があると知る。課は極陰で主に災いであるが、空亡を喜ぶ。いま中末伝が空亡であり、亥は陰の極というところまでいかないので、火災にはいたらず、財物を失う程度ですむ。子孫は多いが、戊辰のあたりは皆東方で丑寅卯の旺気である。甲子旬中 乙丑丙寅丁卯は三奇であり、災いなしとする。
 意に沿わないとは亥酉が西北であり、土の敗は酉で三奇は暗く、日月星は西北に傾くのでおのずと消滅する。母が酒の病気で辛亥年に亡くなるのは太陰を老婦として、酉は亥に乗じて酒とするのである。辛亥に死ぬのは太歳が亥にくるということで、空亡亥が空亡でなくなったということである。男女七人の子がいて婚姻に費用がかかり、家業は失ってしまった。

 三伝が陰支であり発用は夏の丑で弱く酉は甲子旬の旬尾です。これは淫乱酒色の象とされます。
 さて、依頼者は油餅店主ということなのですが、これは食べ物ですから太常です。太常が乗じているのは亥でこれは空亡です。発用が天空ということですので、災厄はともかく商売はあまりうまくいかないでしょう。支上寅は青龍が乗じて日干支を剋していますし、干上卯も木神で日干支を剋しますので、基本的によくない課といえます。
 面白いのは、辛亥年がくれば空亡亥が空亡でなくなるという記述です。原文は「辛亥、太歳填実亥」です。空亡のために凶を免れていても空亡年が来れば実現するというのは面白い見方だと思います。


例23 童秀才庚辰生29歳占宅 戊申年三月十一日乙未戌将丑時

青龍青龍太常朱雀青龍
朱雀
天后

 邵先生の判断は、「この課は人が来て宅に就く、まさに新宅の課である。宅は土なければよくないものだが、いま四課とも土であるのは前後左右皆山がある。山が高く家に迫っている。山には新しい墓が開かれようとしているが、おそらく墓の持ち主と争うことになる。左に青龍があり破砕を帯びている。必ず土で補えば将来富を得る。青龍が丑に加わるのは破砕であるが、かえって不備、ゆえに左は不完全で土で補うといったのである。ただ清秀の士は出ない。初伝は青龍で主人であり、末伝は財で天后でこれは婦人は寡婦となる象である。」
 婦人が寡婦となるのは、未は乙木の墓であり、日上の丑は刑剋である。ゆえに婦人は寡婦というのである。西北の境界はいまだ定まらず争っている。乙は土を財とし、凶神はなく、その家は大いに栄える。また青龍は財星でもある。

 乙日干の寄宮は辰で未の上にありますから、人来就宅といい、新居の象とします。
 3月なので晩春、春の土用にあたり、木土とも旺じることになります。
 注によると、発用丑は金の墓であり、金は官鬼ですから、まさに墓が宅に迫っていると判断するとあります。
 未は財で天后であり妻と判断しますが、未は木の墓であり、しかも申年の寡宿は未ですから寡婦と判断するというのは、定石にそった判断といえます。土支が多く日干を剋すので、夫の方が早く亡くなるでしょう。


例24 何七秀才壬申生37歳占宅 戊申年二月甲子日亥将午時

トウ蛇六合太常螣蛇天空
太常
六合

 邵先生の判断は、「年内に親戚が来て必ず大獄になる。天[ゴウ]辰が日干長生に加わる天獄課であるからである。太常が宅に入り、これは喪服の人が帰り来て騒ぎとなるということで彼により財産争いとなる。行年が年命の上にあり、今年のことである。その後一世帯が増える。およそ未が甲の墓であり、未は親戚で、天空は平地に丘ができる形である。初伝は子を父母とし、未は親戚、時に子未は六害、螣蛇は人を騒がす。三伝は干上から支上に至り、破砕が重なる。巳は台所であり、台所を分割する事態であり穏やかでない。」
 何秀才は5人兄弟で、ある日家財産を四分した。当年姉の夫が死にまた姉も亡くなり、家計は衰退、6月に弟が家に帰ってくるが、兄弟はみな認めず、ついには訴訟となった。彼は判決を不服として、戊申年6月よりさらに上へ訴訟を起こし、壬子年12月までかかった。甲は巳を子息とし、末伝戌は未と刑、ゆえに動きあり事が起こることとなった。いわゆる冲なくば発せず、刑なくば動かずということである。戌には六合が乗じ、卯戌は合で、これは世帯が増えることである。これはこの子が帰ってくる兆しである。当年6月訴訟とは、未上に子、トウ蛇があり、子と未は相害、よって訴訟。壬子年11月は二水が火を剋して破砕を制し、ゆえに落ち着く。

 昼夜貴人が新法とは逆になります。
 補足すると、2月の破砕は巳であり、巳は干上未の陰神で中伝にもあります。二課未は身内を示し干上と害、末伝戌と刑です。2課にはトウ蛇が来て発用ですから、これから見ると身内によるゴタゴタというのは見てとれます。また支上の巳は甲の寄宮寅と刑でしかも敗ですから、家は本人のためになりません。末伝六合が空亡ですので、結局裁判で判決が出ても、兄弟仲良くということにはならないでしょう。


例25 某占宅 戊申年九月甲申日辰将亥時

青龍天后天空青龍貴人
太陰
六合

 邵先生の判断は、「この家はもともと空の墓であり、今墓神が妨げとなり、家の中ではつねに声がする。一人の頭を布でまいた人が行きかう。それは60歳ぐらいの老人で墓にいて、まだ霊が浮遊しており、それで怪異が起きるのである。みな子を剋すのは、かまどの下に墓があるからで、もしかまどを移せば声はやむ。さらに第三間の下にこの布を頭にまいた老人の葬られたところがあり、5尺ほど掘り下げると見つけられる。」
 果たしてそのとおりであった。丑が頭に布をまいた老人である。

 これも新法とは昼夜逆となっています。
 こういう怪異現象は通常官鬼螣蛇を見るものですが、まさに申がその官鬼螣蛇となっています。また丑は9月の死神であり宅上にあり天空であるので、浮遊霊ということなのでしょう。5尺下というのは丑の数が5であることから来ていると注にあります。
 これに新法での十二天将をつけますと、申が青龍、丑が貴人、未が天空、午が白虎、子が螣蛇、巳は太常、戌は六合となります。子がトウ蛇で発用で墓神未の上にあり、二課ですから、本人が霊にまとわりつかれていると判断できるでしょう。子の上には巳があり、これはかまどを意味します。太陰がついていますから、何か隠されているとします。宅の上は財で貴人ですが、丑に貴人は神仏や年長者です。
 何となく新法の十二天将の方が合うような気がしますが、古法であれ新法であり、状況から活断を下せるのが名人といえるのでしょう。


例26 郁氏女乙酉52歳占宅 丙辰年五月初八日丁亥申将戌時

貴人太陰貴人天空太常
太陰
太常

 邵先生の判断は、「弾射格である。婦人は血気を患う。家は穏やかでない。下女妾が出て行く。家主は口舌の病気を患う。この課は門戸を改めるべきで、もしそうしなければ口舌の災いが出てくる。」
 五月十五日、果たしてその通りになった。

 弾射課というのは遥剋課のうち日干が剋するものを発用とするものです。この課は人に利なしと言われます。
 注にしたがって補足しますと、干上巳は羊刃であり、五月は火が旺じていますから、血気盛んとします。注には酉を門戸とするとありますが、卯酉は日月の出入りであり、そこから門戸としているのでしょうか?
 酉はまた下女妾を指し、発用で卯と冲であることから家を出ると判断できるでしょう。
 さてこの課で門戸を改築すべきとありますが、具体的にどう変えればいいのかは記述がありません。興味のあるところなのですが。


例27 邵三公壬申38歳占宅 己酉年正月壬午日子将子時

太常六合六合太常太常
六合
玄武

 邵先生の判断は、「この課は本人は自然と禄をえて、また持服相助があり、一生自分で衣食を守るが、親兄弟、子女や妻妾のために難あり。干の長生は自刑であり、自らもし残疾を得るならこれを圧する方角が吉である。宅上に造を添える(婦人を娶る)ため、世帯は増えるが、これは宅上に天馬が乗るためである。後に子孫によって銭が使われる。これは亥上によって発し、後に敗れるためである。妻は家を興し子を生むが、子供は多い。9年間に結核を患うのは午が9数で子孫(金)を剋するからである。」
 邵公は17歳で父を亡くし、自ら家を興して己を守る。養豚により家を成し、妻は賢く、男女12人の子を生んだが7人は死んで、残りは3男2女である。本人は性格に変なところがあり、後に婦人を娶って家を作り、さらに壬子年にも新たに婦人を娶る。そのため費用は数倍かかるようになった。また伝染病で死んだ豚を食べて一家が病気にかかり、その妻は結核になり、癸亥年までに一女を残しあとは亡くなった。干上が自刑であり、人が人を刑するということになったのである。また宅上も自刑であり、宅に人はいなくなる。末伝子は玄武で、子は子供である。玄武は用神を費やすものであり、玄武の長生は亥で自ら人を刑して去るということである。すなわち玄武が子供にあるということは子供が銭を使うということで、己巳年には家はなくなってしまった。

 新法とは昼夜貴人が逆となります。
 訳が悪いのと文章自体もわかりにくいので補足します。
 これは伏吟課ですが、悪いことに干上は亥、支上は午で、いずれも自刑となります。干上の亥は壬の長生で太常がついていますから、自ら家を興し生計を立てるということになります。それが養豚であるというのは、亥に太常がつくことから“まんま”ですが、ま、それはよしとしましょう。しかしながら亥は自刑なので家族はごたごたしています。
 宅上は午で正月の占いでは天馬となります。午は財で六合が乗じており、六合は生産であり婚姻です。何度も結婚することを示しています。
 末伝子は玄武ですが、子を子供や子孫とみるのはちょっと無理があると思います。子は劫財でありまた玄武は財を失う意味があります。さらに午と子は冲です。子の長生は亥ですので、まあ家の者ととれないことはありませんが、玄武といえば普通は盗人です。子供は金であり申酉です。この課は申酉空亡ですから子供とは縁が薄いことがわかります。
 この課から伝染病や結核はどう説明できるでしょうか。病気は白虎、伝染病は[トウ]蛇です。これらは戌辰に乗じています。土神であり日干、干上を剋すことから説明は何とかつけられないことはありませんが・・・。


例28 江文老占家宅 七月十五丁酉日午将辰時

朱雀太陰貴人貴人朱雀
貴人
太陰

 邵先生の判断は、「家の中に神様を祀っているが、正神でなく邪神である。これは独足五通の類であり、正神とは反する。独足は自ら災いとなる。少女が犯され、また醤油甕を壊す。蛇が宅に入る。」
 このとき江氏は五通神を備えていたが、足を一本折ってしまい、一本足のままとなっていた。酉は五通であり、丁はただの一足である。朱雀は午であり、七月はなお午将で、将の下に酉があるので、醤油としたのである。丁は怪異や壊れたもの。課中に酉丑の会があり、これは巳から起こる。巳は門を臨み、故に蛇が宅に入るとする。酉は兌金で少女である。よって少女を犯すとした。丁は酉を妻とし、丁は独足で故に妻は片足の子を生んだ。

 かなりオカルトな判断ですが、この課からこう読み取るのは至難の業です。
 少し補足を。五通独足神とは妖怪の類で、真っ当でない信仰対象です。下のHPに解説があります。
 http://kawa721.com/essey/essey01/essey1/gotu.html
 まず貴人亥は官鬼となり、貴人が官鬼につくのは人に害をなすとします。宅上にあるので、邪神を祀っていると判断されます。五通独足の類といったのはそういう意味でしょう。
 しかし丁でなぜ一本足としたか?実はよくわかりません。丁神とは駅馬のようなもので、激しい動きの象です。丁の字形から一本足としたのでしょうか?
 蛇が宅に入るというのもよくわかりません。丁は巳であり、また卯酉を門として、卯上に巳があるから蛇が宅に入るとしたと注にはありますが、これもどうもよくわかりません。
 判断のみならず、注もなかなかよくわからずオカルトです。


例29 徐大夫乙丑生占家宅 戊申年正月丙戌日子将未時

六合六合太常太常螣蛇
太陰
青龍

 邵先生の判断は、「支が日墓で、日上はトウ蛇である。これは人があたかも雲や霧の中にいるように進退不能。そのうえ天地転殺で、宅に加わり宅を剋する。太常は服、丙は卯を母とする。母は六月に亡くなる。妻は天地転殺の上にあり、六合がこれを挟む。妻は孕むによくない。孕めば亡くなる。本命の上は末伝であり、空亡であるが帝旺である。まずは妻母に備えることである。子年は自分自身が良くない終わり方をする。」
 徐は五月丁に服し、庚戌に監司を授かり、辛亥に赴任する。壬子11月に賄賂で自殺した。だいたい支が干墓に加わり、干は蛇に挟まれるのは、真の墓であり逃れられない。墓上には卯があり、すなわち天地転殺、季節に旺じて宅を剋しまた太歳が転殺上にきてさらにその上に本命がある。墓は太歳を圧し、太歳は殺に迫られる。殺は宅に入り宅を剋する。こういう互いの作用がついに凶咎となったのである。
 解説すれば、この課は十二位で上下帯殺、五月六月は今日の鬼月、子丑年は丙火の絶地で、本命が太歳に加わり、太歳の下は殺で宅に入るのが、凶の一。本命が歳に加わり墓であるのが凶の二、空亡羊刃が本命に加わり太歳を剋するのが凶の三。子丑年は丙の地を得ないのが凶の四、壬子年は行年丑であり不法の死となる。

 解説はあまりうまくない説明なので、私なりに考えてみます。
 まず干上が墓で螣蛇が乗じています。これは『畢法賦』でいう両蛇夾墓で凶は免れ難いとします。戌は支神でもあります。それはさらに支上卯に剋されます。太常は飲食や衣服ですが、葬式という意味もなくはありません。また卯の類神には棺木というのもあります。卯は発用申に剋されます。卯は転殺であり、とくに辛卯を地転殺といいます。
 申は丙の妻財であり、六合がついています。六合は生産であり卯は金の胎です。また申金の墓は丑で申上にあります。よって妻は流産するとします。
 午は確かに帝旺で青龍ですが、空亡であり勢いはありません。むしろ子年には午を冲して凶意が生じます。青龍は財物を示しますから、賄賂を暗示しています。

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   作成  2010年 8月29日
   改訂  2018年 2月24日  HTML5への対応