六壬断案 その3



  宅墓 例30~例42




 宅墓 例30~例42


例30 郭徳占家宅壬申生38歳 己酉年六月甲寅日未将午時

六合六合朱雀六合朱雀
勾陳
青龍

 邵先生の判断は、「人宅みな旺神に逢う。今六月は本性の旺ではない。東方の旺を守る、すなわち分をわきまえて身を守ればよく、へたに動かないのがよい。もし分に安んじれば自然と福を受け、ひとたび動けば艱難辛苦があるものとする。辰が卯に加わるのは六害で、六合がこれを封じる。巳が辰に加わるのは勾地網で、また勾陳に逢うのはこれを押さえ込む。三伝は子息に至り、子息は銭物を費やし破る。これにより衰敗する。また子供は病気がちで死ぬまでただ費やすのみであり、これを取債の子とする。年がたつにつれて子供は徐々に財を費やしていく。」

 解説の必要はほとんどないでしょう。六月は晩夏であり、身宅ともに衰える季節になります。また青龍は木神で青龍が午につくのは焼身といい、まさに財を減らす意味です。
 ここで面白いのは、六合が六害を封じ込めるということです。十二天将が支関係を押さえ込むというのはちょっと聞いたことがありません。次の巳が辰に加わるのを勾地網と言っていますが、巳が辰上にある場合巳は囚人とみることがあり、それを勾陳が抑えるというのは、まあ意味はわかりますが、これも面白い見方だと思います。


例31 葉助教丙辰生四月初九日寅時生54歳占家宅
   己酉年二月初四癸丑日亥将未時


螣蛇天空螣蛇天空トウ蛇
天空
天后

 邵先生の判断は、「宅の後ろ東の便所は水溝が通らず。人は目を患う。人は常に腸にくる風邪で下痢症である。婦人は血脈が通らず。人は浮腫で死ぬ。西北の水路が閉塞しているためで、もし水路が通らなければ、婦人は癲癇重病である。」
 葉家は果たしてその通りとなっている。だいたい三伝辰土が亥水の堤となり、亥は午火を剋する。午は逃れようにも身宅上にある。日干は午を制し、日支は六害となる。ゆえに宅は害を被り、かえって人を害することになる。干は水、支は土で土剋水となる。中伝もまた水で末伝の辰に断たれる、すなわち盛り土で水をふさぐ形となり水が通らず。よって血脈が行かず、人は病となるのである。戊午年、婦人は産後癲癇を患うがこれは螣蛇の騒擾の象意の故である。午は心臓、血脈が通らないということは心臓病を示すものである。

 三伝が逆逓剋となっています。これはすなわち発用が整わず、険難閉塞の象です。発用は財ですから、妻は病財は亡とします。
 病気がいくつか出てきますが、五行的には、火は目、心臓、土は胃腸、水は婦人病や腎臓です。また午には下痢、亥には癲癇、疫痢の象意があります。天后が辰に乗じるのは毀粧といい婦人にはとくに悪い象です。


例32 童三十四公丙申生74歳占家宅 己酉年戊申日巳将卯時

天后天后玄武太常天空
螣蛇
六合

 邵先生の判断は、「この課は老人が子供を送るもので、良にして利あらず。初伝の子は子息とし、天后は少女とする。すでに初伝にあり、中末伝にはない。これは家は進まない(発展しない)ということである。身の上に親族がある。行年上には破敗があり、宅上の戌は玄武であるから子供らは家を出ていき、それぞれが財産を取っていく。その第三子は最も不肖である。四課が発用であり、これは玄武の陰神である。すなわち子孫が賊である。当年三番目の嫁を喪い、また少女が嫁ぐ、来年は訴訟、二子が死ぬ。壬子年は長子が亡くなり、甲寅年には四子を喪う。財物はことごとく尽くされる。」
 童公には五人の子があり、ここに至ってわずかに二人が残るのみとなる。日上未は親族であり、陰上に酉をみる。酉は兌に属し少女である。初伝子を子息として、これは自分より下であり、老陰老陽の輩はおらず。行年上巳は老陽とし、卯の上に臨むは自敗であり、亥を老陰とし、酉の上にありこれも自敗。寅は日徳であるが空亡であり、辰は財庫だがすでに空である。財はもはやない。

 74歳で行年は卯となります。卯上は巳で卯を洩らし(すなわち敗)日破となります。
 残念ながら、今年、来年、再来年の判断をどうやったのかよくわかりません。基本的には未を親族と見れば天空がついており、親族が徐々に減るのはわかります。また寅は戊の官鬼ですが、官鬼は妻財の子孫にあたり空亡ですから、子供が亡くなるというのもわからないではありません。が、どの子供がいつ亡くなるというのをこの課から出すのは難しいです。私にはどう判断したのか見当もつきません。


例33 汪四六公癸丑生57歳占家宅 己酉年壬午日辰将申時

白虎白虎六合朱雀太陰
天后
六合

 邵先生の判断は、「水日で火局、人はみな財であるが、日上未を生じて、土は水を剋するので財は官鬼になるといえる。未は親族であるが、男は未だ娶らず、女は未だ嫁がず、消費は多い。宅上は子息で斉わず、堂屋林木があるが、蛇が木にいるわけでなく、これは雷嗔木で、怪異が次々と出る。でなければ廟の中の木である。雷鳴が人を驚かす。さらに十年、訴訟の中で死ぬ。」
 汪家ではことごとく財が尽くされ、甲寅年は家屋が雷にあい、戊午年には訴訟で死亡した。8月の雷殺は戌であり、戌に寅が加わりさらに白虎を見るのは、雷の怒りである。寅は午に加わるのは高所で、これは棟木である。己酉から10年は午であり、甲木はは午で死であるからこの年に死ぬ。

 この例は新法と昼夜逆貴人となります。
 さて、この課では雷がひとつのキーワードとなりますが、どこから雷が来たのでしょう?この課が8月かどうかははっきりしませんが、仮に8月とすれば雷殺は寅です。本文中の戌は間違いで、寅に戌が加わる白虎なので雷の被害に遭うというのは、一つの解釈でしょう。また雷というのは木神であり、支上に寅で六合と木が重なり、また一二課は木局で卯の類神に雷があり、朱雀が乗じていますから、まさに雷といえるでしょう。
 10年後の訴訟中に死ぬというのは、午が甲木の死だからという説明では上手くありません。10年後の太歳は午で行年は未です。未の陰神は卯で朱雀でこれは訴訟であり、また午の陰神は白虎で凶神です。未戌は土神で壬を剋すので、訴訟中に死亡すると判断できるでしょう。


例34 伊伯廷甲戌生36歳占宅 己酉年丙午日卯将申時

螣蛇玄武朱雀太常螣蛇
太常
六合

 邵先生の判断は、「子と丑は合で、末伝は長生、子は丙を剋するといっても丑寅を得て鬼を引き生とする。初伝中伝は六害であるが、始めは凶で終わりは吉でありそうだが、寅は空亡で、引進できず、生をみて生とはいえず、かえって凶咎となる。甲寅は必ず災いがあり、子丑年は多くのことあり。急いで移れば免れる。」
 伊は性格が高慢であり、甲寅年には百日あまり入獄してほとんど死にかけた。子丑に多くのことあり、己未には妻母をみな亡くし、庚申には子を喪う。後に転居して災いは免れた。およそ干支が合を見るのは、だいたいにおいて好い課とするが、いま甲辰旬で寅を見るのは、進めば空亡、退けば子の剋があり、すなわち子丑の年は災いが起き、甲寅年に死亡するとしたのである。旬末は空亡に入るわけであり、ゆえにその年をそういうのである。

 新法とは昼夜貴人が逆になります。
 原文で一部わからないところがありそこは飛ばしましたが、話の筋はわかると思います。
 干上と支上が子丑の合で、このような課は通常よい課といえますが、子は官鬼螣蛇で凶神です。子は巳上にあり螣蛇ですから両蛇夾鬼となり発用ですから、凶と判断されます。寅は長生、六合は吉将ですが、空亡で丙を生ずる力がありません。
 己未年の行年は亥で貴人ですが、亥上は午であり白虎で羊刃ですから妻財に不利です。また庚申年は行年が子であり子上の未は太常で葬式の象があります。未は丙の子孫にあたります。


例35 某占家宅 正月丁卯日子将卯時

トウ蛇太陰トウ蛇朱雀青龍
太陰
白虎

 邵先生の判断は、「門戸はかすかで暗く、葬儀が重なるであろう。小人に災いがある。子はトウ蛇で宅に入り発用である。白虎は午に乗じて酉上にあって末伝となる。これは蛇虎が二八の門に加わるわけで葬儀が重なるというのである。子卯は刑であり、当年この人は自死し、また孫も死ぬ。白虎が死気に乗じて末伝にある。また子午は道路神としてトウ蛇白虎が乗じる。門戸の上に死殺が乗るため、このようになる。」

 この課は三課が発用で官鬼トウ蛇がつきますので、家は不吉です。また卯の上にあるということは門戸が悪いといえます。(卯酉は二八の門です)
 これは正月の占ですので、午が死気ということになります。あとは書かれているとおりです。


例36 汪解元占宅基43歳 己酉年二月庚戌日亥将酉時 

天后螣蛇天后天后玄武
螣蛇
六合

 邵先生の判断は、「宅の後ろに山が迫り、宅の前に水が迫る。水は宅を過ぎて東に流れるが真直ぐに行く。女が多く男が少ない。子は役人とし、孫は軍卒僕従となる。財も人も散り散りになる。四陽が東南に臨むといっても、無関格拘検(意味不明)、日後水が宅を壊す。身役ことごとく敗れる。この宅基は庚兌山行龍で、坎山を主となし、およそ周囲に山水が迫っていて、ついに辛山がこれを削るとするのである。」
 果たしてこの家は後ろに山が迫り、前に水が近い。次の年建造し、10年のうちに四人の女の子が生まれた。男の子は県の役人になり、孫はあるものは僕従、あるものは軍に身を投じた。この宅は官によって押収されて毀され、後に水に浸かった。
 宅は申に加わり、戌は山岡として、山が迫るとする。宅上に天后があるので前に水があるとする。水は寅を過ぎるので真直ぐに行くとした。東南は両所の風路であり、螣蛇が騒がすところである。故に役人、また財物を失う、兼ねて水が破壊する、としたのは子にあるゆえである。末伝辰は軍卒僕従で六合が乗じるからである。

 ところどころ意味が不明ですが、私なりに解釈してみます。
 家の後ろに山が迫るとは戌が山岡と説明していますが、これはちょっと変です。戌は申に加わり、申には白虎が乗じていますから、これは普通なら家は道路に面していると判断すべきでしょう。もっとも、申の遁干は戊でありこれは山だと解釈できますから、山がちな場所と判断は可能でしょう。宅前に水というのは支上が子水ですからこれもわかります。水が東に流れるとは註によれば子上が寅だからとありますが、私はちょっと違う意見です。子の地盤支は戌であり西北西です。すなわち水は西北西から流れてくると判断します。
 子は役人で孫は軍卒僕従というのは、『六壬断案』では子を子供としていますが、子水は庚金の子孫であり、子の陰神は寅でこれは役人、寅の陰神は辰でこれは兵隊や下男ですから、これもまあ説明はできます。さらに女が多いというのは、子に天后がつくからでしょう。人も財も散り散りとは、庚金の財は寅卯木ですが空亡であり、また子水は辰戌土に剋されますから、子孫の繁栄は難しいということでしょう。
 庚兌山行龍とは意味がよくわかりませんが、庚兌とは金で西を示し、西に山があってそこから東に水が流れていることを示しているのだろうと思います。青龍は午で辰方東南にあります。坎山とは坎が水、山は土であり、地形のことを指しているのでしょう。辛山とは辛の寄宮が戌であることから戌土ともとれますし、辛は亥の遁干ですから西方にある辛亥水が家を流すともとれます。
 この例の説明は以上ですが、まだまだ意味不明のこともあります。例えば「東南両処風路」というのとか。


例37 某占宅 癸酉日巳将申時

天后朱雀天后太陰白虎
朱雀
青龍

 邵先生の判断は、「四正が相加わり、死でなければ敗である。今午が酉に加わり天后となり発用である。午火は酉に至れば光なく、天后は水でまた敗で酉上にある。すでに用神は死敗神であり、すなわち男女淫奔となる。午は宅に加わっており家中に淫乱不明のことがある。のちに息子の嫁は実家に帰り、事が明らかになる。」
 子が青龍で卯に加わるのは無礼の刑で、酉は酒色淫敗、青龍が水に乗るのはすなわち脚浮であり、戌が日上に加わって動きをつかさどる。結果このとおりとなった。

 三伝は四仲支ですから、十二運だと胎か沐浴(敗)か帝旺か死になります。日支酉の沐浴桃花は午であり天后がついています。また中伝と末伝は子卯の無礼の刑であり、秩序の乱れを意味します。
 青龍が子に乗ずるのは普通は入海と言い、悪くはないのですが、この場合はあまりよくないとみているようです。戌が日上に加わり動意となるというのはちょっと意味がわかりません。戌は官鬼白虎で確かに物事がすぐに表れるというふうにはとれます。


例38 某占宅 正月己巳日午将酉時

勾陳トウ蛇勾陳天后朱雀
トウ蛇
太陰

 邵先生の判断は、「家中に婦人あり、一本の歯が欠けている。近いうちに台所を新たに改修するために新しい煉瓦を地面にしきつめることになる。」
 申が発用で勾陳で巳に加わっている。巳は双女として口とする。申は骨歯であり、勾陳は折損、三伝は破となっていてこう判断する。また巳はかまどであり旺相しているので、新しく改修するとした。はたしてその人の姉妹は歯が欠けており、さらにかまどを改修した。

 本では正月となっているのでそのままにしていますが、そもそも正月の月将が午のはずはないので、これは五月の間違いでしょう。そうでないと巳が旺相するはずがありませんから。
 家中に婦人ありというのを巳が双女であるからとしていますが、これはちょっと違うのではと思います。二課の天后が女性を表し丑は日干の兄弟ですから姉妹ととれます。歯が欠けているというのをこれから読み取るのはちょっと私には無理です。
 勾陳は家宅占では修造を意味します。巳は火でかまどであり五月は夏で季節に旺じていますから、台所の更新という意味が出てきます。
 申亥寅は互いに破であり、巳が加わると寅申巳の三刑になりますから、改修には注意が必要です。ただ寅と亥は合で戌と会で火局となりますから、それほどの凶意はないものと思います。


例39 鄭三公辛亥年四月一日未時生59歳占墳地
   己酉年正月二十三壬寅日子将寅時


青龍青龍六合太常天空
白虎
玄武

 邵先生の判断は、「この課は艮山行龍、坎山落穴であり、これは正龍ではない。左には山がなく右に両重白虎があり、また第三重と考えられる。子孫は淫を貪り酒を好む、後に酒家の雇われ人となる。婦人は不正で淫奔。そのうえ墓の棺の中には泥があり遺体はシロアリに食われる。右に水がある。末伝は人を道童となし、自身は酒で敗れる。老いて妻なく、他人の妾を妻とする。六年酒病を患い三年で終わる。」
 鄭三公は富であったが子供に書を読ませ、科挙に合格することを望んで、邵先生に占ってもらったのである。その地は果たして艮に山が来て坎山落穴であった。正山はなく過山をもって判断すれば、右に両重の白虎があり、山は右より来て三重のように見えた。
 三公は日夜飲酒し、二年後妻が死に、徐知府の妾を妻とした。行いは悪く三公の死後、次子は徐氏をいっしょに酒を売り、妻と息子の嫁はよそ者に連れられて出ていった。子孫は全く役に立たず。三公は64歳で酒病にかかり67歳で死亡した。先生の言うとおりとなった。左辺に無とは伝が行かないことであり、申は白虎となし、午が去るに加わるのをまた虎とする。ゆえに両重来を山と考え、子午は玄武六合で、故に子孫は邪淫とする。
 壬日は酉を天空としこれは酒敗、子孫は酒家に雇われるとする。また婦人は妓とする。酉は六数で、六年を酒敗としさらに三年で死とする。酉を半分増やしたものである。

 意味がよくわからない部分がありますが、とりあえず補足します。
 日支は寅でこれは艮であり艮は土であります。四課は青龍であり寅の陰神で発用ですから、艮山行龍ということになります。また寅上神は子水で坎です。坎とは穴のことです。したがって穴に落ちて青龍に至らないということになろうかと思います。
 左とか右とかがよくわからないのですが、日支寅は辰地すなわち東南にあります。辰土は空亡で南方午地にあるので、すなわち左には山がないとします。右の両重白虎とは申に白虎が乗じているのと申金自体が白虎であることか、または戌が昼白虎であり、申戌が北方から西方の地にあるため、右と称したのかと思います。庚金は東北の地にあり、やはり右といえます。
 酉を酒と解釈するのは邵彦和の常套手段であります。また酉は壬の沐浴(敗)であり、酒色の意味が出てきます。
 天后である辰は空亡、また末伝午は財で婦女子を表し玄武がついているところから、別離あるいは娼妓を示すとします。
 また初伝は戌土で墳墓の土を表すとして、その上神が申で白虎です。白虎には蟻という意味があると註にはあります。


例40 徐承務丁未生37歳占墳地 己酉年九月癸卯日辰将卯時

螣蛇朱雀螣蛇貴人天后
朱雀
六合

 邵先生の判断は、「この地は非常によい。ただしおそらくこの時は葬るのに土地を得ることができない。」 徐氏曰く、「どうしたらいいでしょうか?」 先生曰く、「前後左右に穴があり、また山側に一人の女性の墓がある。どうして葬ることができようか?必ずや金を支払うことでその後葬ることができる。そうすれば必ず貴人が出ることになる。これは水が星辰と合しているのが好く、山川は清秀、文筆は双峰、必ず卯龍が入首し、乙山辛向となっている。辰は墳地であり、空亡が発用なのは穴があることを示す。戌もまた墓を示し酉に加わり、酉は天空でこれは虚墳である。初伝を山穴とすれば以前の戌は墓である。卯は子孫で貴人とし、脱気とはしない。」
 徐氏は汪家を訪ねて山を買った。汪兄弟は三分のうちの一つを長兄が将来買うことにしており、空の棺おけを埋めてあり、また将来のため3、4個の穴を開けていたのだが、皆空いていた。徐丈は銭をそろえて汪長兄に話をしてこの墓地を買った。庚戌年九月に妻を葬った以後は、子孫が皆科挙に合格したのである。巳が辰に加わるのを貴とし、巳は双つを示す。故に双峰あってこれを文筆星と名づける。宅は貴人を得る。この場合癸は卯を脱気とはみずに、子孫に貴人が出るとする。申酉は日干水の母であり、水が来て去る、みな星辰に合う、巳は双女であり、故に二人の貴人が出るとする。

 支上は螣蛇官鬼ですから一見悪いようですが、幸い空亡ですから凶意は減じられます。初伝中伝は空亡で末伝が財で六合です。午は旬首であり寅卯木に生じられます。六合とは交易であり、金を払って手に入れるという意味が出てくるでしょう。
 この文でよくわからないのが「水合星辰」です。「水母合星辰」というなら何となくわかります。水の母は金であり申酉ですが、申酉は辰巳と支合の関係です。支合は吉意があります。また申は水の長生で青龍が乗じており未に臨んでいますから吉とします。
 また「卯龍入首、乙山辛向」もよくわかりません。私自身は2通りの解釈をしています。卯龍とは辰を指し、辰は穴で首を入れる、辰の寄宮は乙ですので乙山辛向となる、というのが一つ。もうひとつは卯が貴人の場合の青龍が申であり、申は未地にいます。未の遁干は乙ですので乙山辛向になるという考えです。私は後者の方をとります。ちなみに註では「辰を穴とし卯に臨む、かつ支上神と為す」とだけあり、全然わかりません。ま、前者に近いでしょうか。
 なお、少し補足しますと、巳は双女で二つという意味があります。巳には朱雀が乗じており、朱雀は文書を示します。


例41 劉秘教占宅41歳己巳命 己酉年六月初一戊申日未将酉時

天空六合螣蛇天空勾陳
太常
太陰

 邵先生の判断は、「家勢は衰退する。日上神は空亡で日を剋し勾陳である。旧事がいろいろと出てきてことごとく巳にふりかかる。宅上午はトウ蛇が羊刃を帯びており、家人が家で争いバラバラになることを示す。初伝丑は天空で卯上にあり、これは泥土が門を塞ぐことである。婦人や下女は常に腹痛があり、こしけがある。自身は脾泄。末伝は来年を過ごしがたいことを示している。太陰は若い婦人が家を仕切ることを表す。」
 乙卯年果たして住宅は壊れて、一家は分居することになった。

 日支申は支上午螣蛇に剋されますから、家は早晩争いごとになり、バラバラになることがわかります。初伝丑は泥で卯上にあり卯は門戸ですから、門は泥でふさがれるとなります。中伝亥は財で婦女を示し丑に剋されますから、土病すなわち胃腸病です。また亥および支上太陰は女性器ですからこしけと判断しています。酉は太陰で婦人をあらわし、卯と冲で日支を申を助けますから、婦人が家を仕切るとします。
 なお勾陳は旧事を表し、また本人の年命は巳でこれは戊の寄宮ですから、旧事が身にふりかかるとします。


例42 郭仲起辛未生39歳占宅 己酉年六月甲寅日未将寅時

青龍青龍貴人青龍貴人
太陰
六合

 邵先生の判断は、「本命は墓から来て身となり、これを天網自裏という。また本命上が発用となり、空亡である。中伝は空亡に臨むのでやはり空、これは子息がまた子息を見るという形で、子を剋し子を退けるということである。きっと星運は不利である。仕官しても昇進はなく、末伝で妻財をみるのは再婚である。未年に萌芽が始まるとの意味である。宅に井戸があり、井戸は未で人を剋す。もし引越ししなければ12年たって死亡する。未は八数であり、二つの未があるので16年とする。まず八年は全部カウントし、その次はその半分の四年とするので、12年となる。」
 翌年、郭丈は引越しした。たぶんそのことで凶を免れただろう。

 本命が未で日干の墓となります。また干支上神は空亡であり、いまの家は得るものがないということになります。子は甲の子孫であり、また子の上の巳も子孫を示します。巳はねに剋され戌に洩らされますから弱いです。青龍は仕官を示しますが空亡であり、中伝に至っても先々いいことがありません。
 子と未は害ですから、このままでは家族の体調不良を招きます。
 12年という具体的な数字が出ましたが、結局翌年引っ越したので、この12という数字が妥当だったのかどうかは不明です。


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   作成  2010年10月 3日
   改訂  2018年 2月25日  HTML5への対応