「論大運」「論太歳吉凶」「論征太歳」原文と訳


はじめに

 「淵海子平」に収められている「論大運」「論太歳吉凶」「論征太歳」を訳します。いわゆる行運についての論であり、四柱推命の基本であります。ただし、全面的に採用できる論ではありませんので、そのあたりは注意してみていくことにしましょう。


「論大運」



夫大運者、以天干曰五運、地支曰六気、故名運気。
子平之法、大運看支、歳君看干、交運同接木、何也?且干支二字、六十花甲子之説用花字、若天干地支得其時則自然開花結子盛矣。月令者、運元也、行運就月上起。譬之樹苗、樹之見苗則知名、月之用神則知其格、故謂交運如同接木。然命有根苗花実者何?正合此意也、豈不宜矣!出癸入甲、如返汗之人。且如甲戌接癸亥、此乃干支接木。丑運交寅、辰交巳、未交申、戌交亥、此乃転角接木。東南西北、四方転角謂之接木、格局凶者死、格局善者災。寅卯辰一気、巳午未一気、申酉戌一気、亥子丑一気、気之相連、皆非接木之説、縱遇接甲、亦無大禍。
 大運は、天干を五運、地支を六気といい、それで運気と名づけるのである。
 子平の法では、大運は支をみて、歳君(流年)は干をみる。交運は接木と同じだが、何であるか?干と支の2文字で、六十花甲子の説では花の字を用いるが、天干地支がその時を得れば自然と開花し結実する。月令とは運元であり、行運は月柱から起こす。これをたとえれば樹木の苗木であり、苗木をみればその樹木の名はわかる。月の用神はその格を知ることになり、ゆえに交運は接木に同じであるという。さらに命に根苗花実があるとはどういうことか?まさにこういう意味なのであり、どうしてまずいことがあるだろう。癸から甲運に入るのを返汗の人という。かつもし甲戌運が癸亥運に続くなら、これを干支接木という。丑運が寅運に続く、辰運が巳運に続く、未運が申運に続く、戌運が亥運に続く(いずれも逆でも可)、これらをすなわち転角接木という。東南西北、四方の転角これを接木といい、格局が凶なら死に、格局がよければ災いとなる。寅卯辰が春の気、巳午未が夏の気、申酉戌が秋の気、亥子丑が冬の気で、気は連なっており、その間は接木とはいわない。このときにたとえ甲が癸と接していても大きな災いはない。

 大運の見方は流派によって見方が違います。「論大運」の見方は古い見方といっていいと思いますが、参考になるところも多いです。
 全体にまわりくどい文で、しかも訳がすっきりしないのでよけいにわかりにくいと思います。ちょっと補足すると、四柱は年を根、月を苗、日を花、時を実(果)とみて、命式をちょうど樹木のように見ます。このうち月柱(苗)が格局を決める重要な柱であるということです。月柱はその人の生まれた季節を示すわけで、大運のめぐるの季節の変わり目を転角接木と呼んでいます。転角接木の時期は、必ず大運の方向が変わるので、凶意を含むとされます。
 途中出てくる返汗とは返干のことでしょう。すなわち別の旬に入る場合のことを言うようです。例えば、癸酉運から甲戌運に入るならば、甲子旬から甲戌旬に入ることになります。しかし、甲から癸、あるいは癸から甲になるときは、水生木であり、必ずしも悪いわけではないと思いますが、六旬が変わるので変動が大きいということかもしれません。
 ところで、次に以前からの修正点です。前に訳したときはざっと訳したので見過ごしていたのですが、大運で甲戌運が癸亥運に続くことはありえません。干支接木とは干が癸甲で支が転角接木の場合をいいますので、癸丑甲寅、癸未甲申、癸亥甲子の3つの場合しかありません。



且如甲乙得寅卯運、名曰劫財、敗財、主剋父母及剋妻、破財争闘之事。行丙丁巳午運名傷官、主剋子女、訟事囚繋。行庚申辛酉、七殺官郷、主得名、発越太過則災病悪疾。行壬癸亥子生気印綬運、主吉慶増産。辰戌丑未戊己財運主名利皆通。此乃死法、譬喩須隨格局喜忌推之、不可執一、妙在識其通変、拙説如神。
 甲乙が寅卯運を得れば、名づけて劫財、敗財といい、おもに父母を剋し妻を剋し、破財闘争のことがある。丙丁巳午運に行けば名づけて傷官といい、主に子女を剋し、訴訟や刑罰のことがある。庚申辛酉は、七殺官の郷であり、名誉を得るが、あまりに官殺が強すぎるのは、病災や悪疾にあう。壬癸亥子は生気印綬運で、喜びごとや収入が増えるなどのことがある。辰戌丑未戊己は財運であり、名利が実現する。しかしながら、これらの考え方は死法(役に立たないというわけではなく固定的な見方ということ)であり、必ず格局喜忌にしたがって推命しなければならない。一つの方法にこだわらず、その通変を知るところに妙があり、そうすれば神の如き判断ができる。

 読めばわかると思いますが、ここでは大運支についても変通星を当てていますが、変通星というよりも五行の生剋をみるといった方がいいと思います。



干旺宜行衰運、干弱宜旺運、正乃干弱則求気旺之籍、有餘則喜不足之営。須要通変、更兼孤寡、空亡、勾絞、喪門、吊客、宅墓、病死、官符、白虎諸殺推之、其験如神。
又一法。羊刃、桃花、伏吟、反吟、死絶、衰敗者凶運。帝旺、臨官、禄馬、貴人、生養、冠帯、庫者吉。如空者、凶空者反吉、吉空者反凶。
 日干が強ければ衰運に行くのがよく、日干が弱ければ旺運に行くのがよい。まさに、干弱は気旺の籍を求め、有余なら不足の営を喜ぶということである。状況に応じた判断をしなければならない。さらに併せて、孤寡、空亡、勾絞、喪門、吊客、宅墓、病死、官符、白虎などの神殺をみて推命すれば、その判断は神の如し。
 また羊刃、桃花、伏吟、反吟、死、絶、衰、敗は凶運であり、帝旺、臨官、禄馬、貴人、長生、養、冠帯、墓庫は吉運である。凶運が空亡であればかえって吉で、吉運が空亡ならばかえって凶である。

 神殺がいろいろありますが、神殺表を参照してください。ここでは十二運も神殺の一種としてみているようです。なお、伏吟とは干支が四柱と同じ場合、反吟は干が剋で地支が冲の場合をいいます。



大運不宜與太歳相剋相沖、相沖者凶、更刑沖相剋者亦忌。歳沖剋運者吉、運剋歳者凶、格局不吉者死。歳運相生者吉、禄馬貴人合交互者亦吉。宜審細推之、無有不應験者矣。
 大運と太歳(流年)が相剋相冲であるのはよくない。とくに相冲は凶であり、刑冲があって剋があるのもまた忌む。流年が大運を冲剋するのは吉だが、大運が流年を剋するのは凶である。格局がよくなければ死ぬ。流年と大運が相生するのは吉で、禄馬貴人合が相互にあるのは吉である。このへんを細かくみれば、外れることはなくなる。

 ここでは大運と流年との関係について述べています。大運と流年の関係を見るというのは四柱推命にはよくある見方ですが、大運は命式の月干支から導かれるものであり、流年は生年干支の続きであるわけですから、ある意味命式内の相互関係ということができると思います。言い換えると、大運にしろ流年にしろ生まれた時点で決まったことであり、ゆえに四柱推命は宿命的な占術であるといえます。(他の占術と組み合わせればまた別の話です)



「論太歳吉凶」



太歳乃年中天子、故不可犯、犯之則凶。
命書云、日犯歳君、災殃必重、五行有救、其年反必招財。且如甲日見戊土太歳是也、剋重者死。甲乙者寅卯亥未日時者、犯剋歳君、決死無疑。有救則吉、乃八字庚辛酉巳丑金局也。
経云、戊己愁逢甲乙、干頭需要庚辛或丙丁火局焚木、有災勿咎、効此推之。或得己和甲亦解之。
 太歳というのはその年の天子であり、ゆえに犯してはならず、これを犯せば凶となる。
 命書にいう、日犯歳君、災殃は必ず重い、五行に救いがあれば、その年は反って財を招く。これは例えば甲日が戊土の太歳を見るような場合である。剋が重ければ死ぬ。甲乙日生まれで寅卯亥未日時であって、歳君を剋して犯すようなことがあれば、死は疑いない。救い有れば則ち吉とは、八字に庚辛巳丑の金局があるような場合である。
 経にいう、戊己が甲乙に逢って愁うというのは、天干に庚辛あるいは丙丁火局で木を焚くことが必要な場合であり、災いがあるか咎めはないかは、これをみて推す。あるいは、己が甲と合してその災いを解けばよい。

 書いてあるとおりですが、「命理一得」の「日犯歳君」の項も参考にしてください。
 しかし意外と「日犯歳君」の例は少ないです。強い日干が財を剋す場合をいうわけですが、内格で日干が強い場合は財は基本的に喜神ですので普通は「招財」となります。「日犯歳君」となるのは、外格である従旺格、従強格の場合か、内格で日干が強く財が命中(とくに地支)になくて日干と財の干の関係が悪い場合に限ると思われます。具体的には、甲戊、乙己、丁辛、己壬、庚甲、辛甲(ただしこの場合は逆剋となりがち)、辛乙ぐらいでしょうか。あまり神経質になる必要はないと私は思います。



大抵太歳不可傷之、相生者吉、乃五行有救、其年反必為財。犯歳君者、其年必主凶喪、剋妻妾及破財是非、犯上之悔。加以勾絞、空亡、咸地、宅墓、病符、死符、白虎、羊刃諸殺並臨、禍患百出。神殺加臨、軽重推之。
日干雖不剋歳、猶恐運剋歳君、若加歳運沖刑、羊刃沖合、主破耗喪事、儻有貴人禄馬釈之稍吉。八字有救無虞。
故云、太歳乃衆殺之主、人命遇之未必為災。若遇戦闘之郷、必主刑於本命。

 たいてい太歳は傷つけてはならず、相生は吉であり、また五行に救いがあれば反って財をなす。歳君を犯す場合、その年は必ず凶喪、妻や妾を剋す、あるいは破財、訴訟、刑罰などが起こる。それに加えて、勾絞、空亡、咸地、宅墓、病符、死符、白虎、羊刃などの諸神殺が臨めば、災いや憂いが続出する。神殺が臨む場合はその軽重を判断する。
 日干が歳を剋さなくても、大運が歳君を剋することもまた恐れる。もし太歳と大運が冲刑であり、羊刃と冲合したりすれば、破耗喪事がある。もし貴人禄馬がこれを解けば、やや吉になる。八字に救いがあれば恐れなし。
 故にいう、太歳がすなわち衆殺の主となっても(太歳が剋されても)、必ずしも災いになるというわけではないが、もし剋戦悪殺が多ければ、必ず本命を刑することになる。(災いになるということ)

 再び書いてあるとおり、歳君を犯すということはすなわち流年が財であるわけですから、喜神年であれば財をなす、あるは妻財に関する喜びごとがあるのは当然です。
 大運と流年の天干どうしが剋で地支どうしが冲の場合を天剋地冲、術者によって天戦地冲と言ったりしますが、とくに大運が流年を剋す場合の方が悪いとしています。私は統計的に整理したことがありませんので、そういう傾向があるのかどうかは判断できません。それよりも干支関係のよしあしの方が作用が大きいように思います。「未必為災」とやや自信なさげなのはそういう理由かもしれません。



「論征太歳」



征者、戦也。如臣触其君、乃下犯上之意。日干支沖剋太歳曰征、運干支傷沖太歳亦曰征、太歳干支沖日干支者亦曰征。但看八字有無救助、仔細推詳、百発百中。日干支合太歳干支、曰晦、大運合歳干者亦然。遇此主晦気、一年反復、欲速不達。
仮如乙丑、乙亥、壬申、乙巳、運行辛未、丙寅年、日干之壬剋太歳之丙、日支申庚剋太歳之寅甲、又且寅刑巳、巳刑申、申刑寅、行辛未運、合太歳木局之傷官、皆為不吉。其年甲午月火旺、戦剋己土、乙木生所為戦、故死於非命矣。
 征とは戦である。臣下が君主を犯すようなもので、下が上を犯すということである。日干支が太歳を冲剋するのを征といい、大運干支が太歳を冲傷するのもまた征という。太歳干支が日干支を冲するのもまた征という。ただし八字に救助があるかないかを見て、詳細を推せば、百発百中である。日干支が太歳と合するのは晦といい、大運が歳干を合するのもまた然り。これにあえば主に晦気といい、一年中繰り返しで、速くしようと思っても終わらない。
 例えば、乙丑、乙亥、壬申、乙巳で運が辛未、丙寅年の場合、日干の壬が太歳丙を剋し、日支申(庚)が太歳の寅(甲)を剋する、また寅は巳を刑し、巳は申を刑し、申は寅を刑する。辛未運では、太歳木局の傷官を合して、皆不吉とする。その年の甲午月火が旺じて、己土と戦剋し、乙未月もまた戦の生じるところであり、故に死して命を失うこととなった。

 ここでは、剋刑冲合が入り乱れることを戦を生じると言っており、このような命の場合は非業の死を遂げると述べています。
 乙丑、乙亥、壬申、乙巳の命式の持ち主だと丙寅年は1歳で夭折ということになります。ちょっと”hiroto的”に看命してみましょう。
 月令は亥ですので壬です。冬生まれの壬水ですから季節的に強い日主といえます。巳申の合があり、この2つの地支の作用は若干弱くなりますが、それでも壬は丑亥申の3支に通根しています。乙木は3干あり亥に通根しています。この場合には壬水は乙木よりかなり強いことになります。しかし丑土もあり従旺格といえるかは微妙なところです。ひとまず内格として五行的には土木火が喜神、金水が忌神とします。
 丙寅年は日主との天剋地冲であり、典型的な「日犯歳君」といえます。しかし丙はどちらかといえば喜神であり、私には丙寅年に夭折するようには思えません。もし悪いとすれば流年干を剋することではなく、地支の相互作用が複雑化していることが原因でしょう。地支についてみてみると、命式では巳申の合、申亥の害、行運とは寅申の冲、寅亥の合、寅申亥の三刑となります。
 ところで、以前に注釈を書いたときは、乙丑年ではなく己丑の間違いではないかとしました。というのは、上に書いたことだけでは1歳で亡くなるという感じはしないからで、それで己丑年の誤記だろうとしたわけです。そうすると丙寅年は37歳で男性の場合は辛未運にあたります。乙と己の誤記はありそうな話で、実際にそういう例に出くわしたことも数回あります。(いわゆる誤植というもの)
 己丑年生まれだとして考えてみますと、命式では巳申の合、申亥の害、行運とは寅申の冲、寅亥の合、辛丙の干合、壬丙の剋、辛乙の剋、寅申巳の刑、丑未の冲、など合冲入り乱れて作用が複雑化しています。私の実占経験からも、幼青年時ではなくある程度年をとった人が地支の刑冲破害合(三合、六合)が入り乱れる行運に入ると、事故災害に遭ったり時に横死したりすることがあります。それで私はこの命式は己丑年生まれではないかと思ったわけです。



あとがき

 「淵海子平」の行運論を取り出して訳しました。書かれていることは、大半が凶災についてであり、よいことはあまり書かれていません。
 その中で、私が注目している点は、「論大運」に書かれている「此乃死法、譬喩須隨格局喜忌推之、不可執一」という文です。劫財、敗財運は妻を剋しまた破財となる、ということは、ほとんどの四柱推命の市販本に書かれていることですが、それは「死法」である、格局喜忌を見極めて固執するな、とはっきり書かれています。すなわち、通変を知り活断せねばならないというわけです。「淵海子平」は四柱推命の基本テキストの一つであり、このことを四柱推命の術者が知らないはずはありません。しかし、こう書いている市販本は少ないのが実情です。



作成 2008年10月11日
改訂 2020年 7月11日  HTML5への対応、一部見直し