十二運論集


 十二運は、四柱推命では定番となっていますが、最近は十二運をあまり重視しない術者が多いように思います。その昔は、ほとんど十二運だけでみていた術者もいたんですが…。
 それはともかく、十二運については、実は異説がいろいろとあります。また四柱推命ばかりでなく、六壬や星宗などの中国占術では広く使われます。
 ここでは、雑学的に十二運についての諸説を取り上げてみたいと思います。一口に十二運といっても、いろいろな説があるのがわかるでしょう。
 十二運のいろいろな表をあげて、その後それに対する評論などを紹介します。まずは『子平真詮』から。




『子平真詮』 「陰陽生死論」(抜粋)

陽主聚,以進爲進,故主順;陰主散,以退為退,故主逆。此生沐浴等項,所以有陽順陰逆之殊也。四時之運,功成者去,等用者進,故毎流行於十二支之月,而生旺墓絶,又有一定。陽之所生,即陰之所死,彼此互換,自然之運也。即以甲乙論,甲為木之陽,木之枝枝葉葉,受天生氣,己収蔵飽足,可以為来剋発泄之機,此其所以生於亥也。木当午月,正枝葉繁盛之候,而甲何以死。卻不是外雖繁盛,而内之生気発泄已盡,此其所以死於午也。乙木反是,午月枝葉繁盛,即為之生,亥月枝葉剥落,即為之死。以質而論,自與気殊也。以甲乙為例,余可知矣。
(中略)
人之日主,不必生逢禄旺,即月令休囚,而年日時中,得長禄旺,便不為弱,就使逢庫,亦為有根。時産謂投庫而必沖者,俗書之謬也,但陽長生有力,而陰長生不甚有力,然亦不弱。若是逢庫,則陽為有根,而陰爲無用。蓋陽大陰小,陽得兼陰,陰不能兼陽,自然之理也。


 陽は集まりを意味し、進むことであり、故に順となる。陰は散じるを意味し、退くことであり、故に逆となる。これが長生沐浴等の項であり、よって陽順陰逆と異なる理由である。季節の運は、功成った者は去り、作用を待つものが進み出る。故に十二支の月をめぐっていき、そして生旺墓絶と、一定の順番があるのである。陽の生ずるところは陰の死するところである。お互いに変わるのは、自然の運行である。例えば、甲乙を論ずれば、甲は木の陽であり、木の枝葉は天の生気をうけてその中に収蔵し溜め込む、そしてその気を剋し発し洩らす機会をまってそうすることができる、その生気をうけるところが亥である。木が午月になれば、まさに枝葉は繁盛する季節であるが、どうして甲には死であるのか。外見は繁盛しても、内では生気は発し洩らしてすでに尽きてしまう。そこで午を死とするのである。乙木は反って午を是とし、午月には枝葉が繁盛する、すなわち生となる。亥月には枝葉は剥落し、すなわち死とするのである。性質で論じるのと、気とは自ずから異なるのである。甲乙を例にしたが、あとは推して知るべし。
 以上が陰陽生死論の論拠です。以下は、面白いので挙げています。
 人の日主は必ずしも禄旺に逢って生ずるものではなく、月令が休囚でも、年日時中に長生建禄帝旺があれば、弱いとはならない。ことに庫(墓)に逢うのもまた根があるわけで、時柱に庫があれば必ず冲が必要というのは、俗書の誤りである。ただし、陽の長生は力があり、陰の長生はあまり力があるとはいえない。しかし弱いわけではない。もし庫に逢えば、陽は根があるわけであるが、陰は用いることができない。だいたい陽は大きく陰は小さい、陽は陰を兼ねるが、陰は陽を兼ねないのは自然の理である。
 この部分は面白くまた興味深いと思います。
 それにしても、陽の長生は強いが、陰の長生は力が弱いとかいうのは、陰陽生死論を主張する割には、何となく腰が引けているというか、言い訳がましい気がするのですが。
 さて、この説の十二運を挙げると次のような表となります。なお、生は長生、敗は沐浴、冠は冠帯、禄は建禄、旺は帝旺です。


 この場合は土干は火干と同じになっています。また陰陽で生死が逆であり、また禄旺が逆になります。
 これが「淵海子平」をはじめとして、四柱推命では最もよく使われる十二運の表です。ほとんどの四柱推命の書籍はこの表を採用しています。



『六壬粋言』 「五行十干生墓、土墓従火」

起長生日墓之法、有五行十干之別。五行則不論陰陽、一例順行。十干則分陰陽順逆、陽之死地、即陰之生地。如此用則十二神中臨官、即係日之禄神。日禄不錯。不知此法乃子平家所用。六壬向無此例。査陳公獻郭御青二先生所存占験之課、倶用五行生墓。而不用十干生墓。其応如響。即此以観。可以知所適従矣。
戊己墓神、有従水用辰者、有従火用戌者、各執一見、莫適其帰、不知六壬一書、丙戊同巳。丁己同未。旺禄等神。土既従火為用。而絶墓等神、反従水為用。不亦自相矛盾耶。故戊己断以用戌作墓、方得其真。

 長生日墓を起こす法は、五行と十干の別がある。五行の方は陰陽を分けず、すべて順行である。十干は陰陽順逆を分けて、陽の死は陰の生とする。この十二神の臨官を日の禄神とする。日禄は間違いない。この方法は子平家だけが用いるものかはわからないが、六壬ではこの例は見当たらない。陳公獻や郭御青の両先生の行った占いの課式は、ともに五行の生墓を使っており、十干の生墓は使っていない。しかしその占いは当たっている。このことから、五行の方が適しているとわかる。
 戊己の墓神は、水の墓である辰に従うというものと、火の墓である戌に従うというものがある。それぞれには考えがあるが、その帰するところをとってはならない。六壬においては丙戊を巳として丁己を未とし、旺禄等は土は既に火に従っているわけである。しかして絶墓は水に従うというのは、矛盾していないだろうか。故に戊己は戌を墓とするのが全く正しいのである。
 簡単に言えば、六壬では五行生旺を取り、土は火に従うということです。
 文中の陳公獻の著作は「六壬指南」であり、郭御青は「大六壬大全」です。ただ、「大六壬大全」では十干生旺を説明しているはずですが…。
 表にすると、次のようになります。

五行
火土

 この取り方は一部の四柱推命家も使っていますし、私もこのとり方を使っています。



『果老星宗』 「五行長生例」

五行長生例、以生年納音所取。
(以下表)

 五行の長生は生年の納音から取る。
 この文の後に次のような表がついています。

納音五行
土水

 この五行生旺では土は水と同じとしています。ただし、この五行生旺は生年の納音から取れと指定していますので、日干からの十二運には採用できない表なのかもしれません。ただし、この表で日干から十二運を取っている子平や六壬の術者もいることはいます。



『子平粋言』 「何謂地支蔵用」(抜粋)

木生於亥沐浴冠帯於子丑、臨官於寅、・・・(中略)

 木は亥で生、沐浴冠帯は子丑、臨官は寅、・・・
 表にしますと、次のようになります。

五行
沐浴冠帯臨官
沐浴冠帯臨官
沐浴冠帯臨官
沐浴冠帯臨官
--臨官-臨官

 『子平粋言』の土行の十二運の配当はユニークで、四仲支には十二運を当てておらず、四季支はすべて旺、そして四孟支は、寅巳は火と同じ、申亥は水に同じとなっています。これは後述する『命理約言』と前述の『果老星宗』の折衷案を頭で考えた結果でしょう。実占的にどうかはわかりません。そもそも徐楽吾は実占では変通星を重視し、十二運をほとんど使いませんから、どうでもいいのかもしれません。。



『子平大法』 「年支喜忌」

十二長生起孟地、戊火己水各分行、用神歳支来参看、喜神有情忌無情

 十二長生は孟支から起こすのが原則で、戊は火、己は水と同じにする。用神年支で十二運を見る場合は、喜神は好作用、忌神は悪作用とする。
 『第二編子平』では「用神歳支」の部分は用神が歳支に来るならば、だそうです。
 これを表にすると、

火戊
水己

 これは戊を燥土、己を湿土に分けて考えたものです。何となく折衷案的な感じがしないでもないですが。
 燥土は戌未で、湿土は辰丑ですが、辰の蔵干は戊であり、未の蔵干は己ですから、戊が燥土で己が湿土というのは、どういう根拠かちょっとわからないですね。



『命理約言』 「十干生旺墓等位論」(抜粋)

旧書十干従各支起長生、沐浴、冠帯、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絶、胎、養、十二位有陽生陰死、陰死陽生之異焉。夫五陽育於生方、盛於本方、斃於洩方、尽於剋方、於理為順、若五陰生於洩方、死於生方、於理未通、即曲為之説。而子午之地、終無産金産木之道、寅亥之地、終無滅火滅水之道。諸旧書命格、丁遇寅酉以財論、乙遇午、己遇酉、辛遇子、癸遇卯、以食神論、倶不以生論。乙逢亥、丁遇寅、癸遇申、以正印論、己遇寅蔵之丙、辛遇巳蔵之戊、亦以正印論、倶不以死論。其論墓則木必於未、火必於戌、金必於丑、水土必於辰、従無以戌為乙墓、丑為丁己墓、辰為辛墓、未為癸墓者、則陰陽同生同死為是。
考広録云、甲乙一木、而分陰陽、非可以死木活木岐而二之。既為一木、同生同死故古人止四長生、此説可為確拠矣。至其中命名取義、亦多未通。如長生之後、続以沐浴、謂之敗地。若嬰児初生、沐浴気弱、不能勝而敗也、夫沐浴細事、既不足列於生旺之属、且世無因浴遂至敗壊者、若以淫欲之殺、豈裸形而浴者、皆宜淫乎、況自生起旺、一路発栄滋長、方生何以忽敗、既敗何以能復旺也。冠帯雖成立之義、亦為不倫、臨官之官、帝旺之帝、尤属無謂、当正其名曰、生、長、成、盛、旺、衰、病、死、墓、絶、胎、養、則名而理順矣。
至於土之生旺墓、有従寅起者、有従申起者、夫土位乎中央、貫乎八方、旺乎四季、原不必與四行同例、必不得己、則起寅近是、蓋申酉皆我生、既洩我気、難言生長、亥子皆我剋、亦労我力、難言盛旺、若云水土一家之気、則我剋者尚為一家、生我之火、我生之金、安在非一家乎、若起寅、則母生倶生、母死倶死、其理差長、然自生寅至旺午、可以従母、至未戌丑皆其本気、又難分衰墓養矣、則論土之法、只当以巳午為生、寅卯為剋、申酉為泄、亥子為財、四季為旺、更自合理、何必拘拘数十二位乎。
或曰、臨官即禄也、帝旺即刃也、禄刃以陽順陰逆取、則生死亦応以陽順陰逆取矣。是大不然。衰病官旺者、十干歴十二支、盛衰之序也。失時退気則為衰病、当時得気則為官旺也。禄刃者、十干遇十二支、取用之法也。異類有生剋、則取財官、同類無生剋、則取禄刃也、昭然両義、何容藉口乎。

 旧書に十干には各支から長生、沐浴、冠帯、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絶、胎、養、を起こし、十二位は陽生陰死、陰死陽生の別があるとある。五陽は生方で育ち、本方で盛んとなり、洩方で倒れ、剋方で尽きるという理屈で順である。五陰は洩方で生じ、生方で死、となり理屈には合わない、すなわち間違った説である。さらに子午の地では、金を生まず木も生まない場所で、寅亥の地は火を滅せず水を滅せずの場所である。いろいろな旧書の命格は、丁が寅酉にあえば財で論じ、乙が午に遇う、己が酉に遇う、辛が子に遇う、癸が卯に遇うのを食神で論じる。ともに生では論じていない。乙が亥にあう、丁が寅にあう、癸が申にあうのを正印で論じ、己が寅の蔵干丙にあい、辛が巳の蔵干戊にあうのもまた正印で論じ、ともに死で論じてはいない。墓を論じるには、木は必ず未、火は必ず戌、金は必ず丑、水土は必ず辰で、したがって戌を乙墓、丑を丁己墓、辰を辛墓、未を癸墓とすることはない。すなわち陰陽同生同死が正しい。
 考広録にいう、甲乙は一つの木であり、をれを陰陽に分けているのであって、死木と活木の二つに分けるということはできない。既に一つの木であるから、生死は同じで故に古人は四長生と書いたわけで、この説が確たる証拠である。そのまた命名の意味を考えると、また多くは意味がわからない。例えば長生の後、続いて沐浴とあるが、これを敗地という。もし嬰児が生まれたばかりで沐浴は気が弱く、勝つことはできず敗れることになる。その沐浴は細事であり、生旺に属するとはいえないし、そのうえ浴によってついに敗壊にいたることない。もし淫欲殺を使うならば、どうして裸形として浴するものは皆淫欲がよいだろうか。いわんや自生から旺を起こすのは、ひとたび発し栄え滋養して長ずるのはまさに生であってどうして敗といえるだろうか。すでに敗してどうしてまた旺ずるだろうか。冠帯は成立の意味があるといっても、これは倫理に則していない。臨官の官、帝旺の帝など意味がない言葉である。正しい名称は、生、長、成、盛、旺、衰、病、死、墓、絶、胎、養、で、この名称が理にかなっている。
 このあたり言葉がややこしいのですが、要は十二運の名称が適当でないと言っているにすぎません。
 土の生旺墓に至っては、寅より起こす者あり、申より起こす者あり。土位は中央であり、八方を貫く。よって旺は四季であり、必ずしも四行と同じになる必要もない。また必ず己を分けることはなく、寅から起こすのがほぼ正しい。蓋し申酉は我が生ずるわけで、すでに我が気を洩らしているため生長とは言いがたい。亥子は皆我が剋するわけで、また我が力を労するため、盛旺であるとは言いがたい。もし水土が同じ気であるなら、我が剋するものとまた同一ということになるが、我を生ずる火、我が生ずる金をどうして同一ということができないだろうか。また衰墓養を分けるのは難しく、どうして必ずしも十二という数に拘る必要があるだろうか。
 ある人はいう。臨官はすなわち建禄であり帝旺はすなわち羊刃である。禄刃は陽順陰逆を取り、すなわち生死もそれに応じて陽順陰逆を取るべきである、と。これは大いに間違っている。衰病官旺は、十干が十二支を経て示す、盛衰の順序である。時を失い気が退くのを衰病といっているわけで、まさに時が気を得るのを官旺といっているのである。禄刃とは、十干が十二支に遇った場合の作用の仕方を示すものである。異類には生剋があり、すなわち財官を取り、同類には生剋はなく、すなわち禄刃を取る。この両方の意味は明らかであり、どうしてこれを口実にすることができるだろうか。
 『命理約言』は陳素庵の作と言われますが、『命学尋真』によると陳素庵の名を騙った偽作であろうとのことです。たぶんそうでしょう。作者の真偽はともかく、『命理約言』は名著の一つと言われています。
 これによると、陽生陰死、陽順陰逆の説は間違いだと断言されており、十二運については、先に述べた『子平粋言』の考え方と近いです。異なる点は、『子平粋言』では、申を長生、亥を建禄臨官としているのに対し、『命理約言』では申亥は長生建禄ではないとしています。さらに土支は旺としていますが、その他は分けられないということとしています。寅を長生、巳を建禄、土支を帝旺とする以外は決まらないということです。



『四柱推命学入門』 小山内彰著(抜粋)

 問題は、三合・局は旺相死囚休とはまったく相容れない考え方である生旺墓絶を根拠としている点にある。生旺墓絶とは、1年12ヶ月を巡る間に、五行は12の段階をたどり、変遷するとし、考案されたものである。それぞれの呼称は、人の一生にたとえられており、次のような12の名称がある。(中略)日本における中国系の占いでは、これを十二運と言ったり、あるいはまったく別の名称に変えて利用しているものを見かけることができる。中にはこれだけで人の一生を論じたり、日々の運勢を見る視点として利用している安易なものさえある。
 さて、この生旺墓絶のどこが旺相休囚死と相容れないかと言うなら、例えば、旺相死囚休によれば、木は火旺である午月には休令となり、衰え始めた時期ということになるが、生旺墓絶によると、木は午月には「死」であるとされているのである。また、旺相死囚休では、季節の変わり目に土旺が必ず巡るのであるが、生旺墓絶は人の一生にたとえた巡りであるから、土旺のような時期があることは全く考慮されていないのである。
 したがって、もし生旺墓絶と旺相死囚休の両方を同時に採用するなら、五行の四季における変遷は支離滅裂になってしまうので、どちらか一方を採用するしかないのである。
 当然のことながら、訳は不要でしょう。(笑)
 これはこれで全く合理的な意見であり、実際いわゆる十二運と旺相死囚休とが異なる部分があるのです。しかし、旺相死囚休と生旺墓は相容れないというほどの関係ではありません。十二運における「死」と旺相死囚休における「死」とは名称は同じでも別の作用であり、その辺は事実誤認(とまで言っていいかどうかはさておき)があります。(ただし淵源は同じだという説はあります)ただ、旺相死囚休を重視し、十二運はみない、という考え方は、これはこれで筋が通っていると思います。小山内氏の四柱推命は、”十二運だけで人の一生を論じたり、日々の運勢を見る視点として利用している安易な”四柱推命とは天と地ほどの差があります。私は十二運に対しては、氏の考え方とは違いますが、氏の姿勢は理解できます。



「滴天髄 総論干支」(抜粋)

陰陽順逆之説、洛書流行之用、其理信有之也、其法不可執一。

 陰陽順逆の説は洛書にあった循環の用である。その理屈は信ずるに足るものであるが、その方法は固定的に捉えてはならない。
 この部分は、『滴天髄輯要』には「陽順陰逆其理固殊、陽生陰死其論勿執」とあり、これだと、陽順陰逆は特殊な理論で、陽生陰死は採用してはならない、という訳になり、陽生陰死は否定されます。
 一方この文では陰陽順逆の説は否定されてはいません。どちらが原文なのかは、テキストを研究する必要があるでしょう。もっとも否定はされていませんが、全面的には採用できないと、いささか腰の引けた感じではあります。



『五行大義』 「論生死所」(抜粋)

五行体別、生死之処不同、遍有十二月十二辰而出没。
木受気於申、胎於酉、・・・(以下略)

 五行別に生死の場所は同じでない。十二月、十二時に同じようにある。
 木は申が受気、酉が胎、・・・
 古いテキストですが、『五行大義』をみてみました。
 以下表にしますと次のようになります。受気は絶、葬は墓、王は旺に相当するかと思います。

五行
沐浴冠帯臨官受気
沐浴冠帯臨官受気
受気沐浴冠帯臨官
受気沐浴冠帯臨官
寄行沐浴冠帯臨官衰病受気

 これが『五行大義』の十二運ですが、これは土は火に近いようですが、若干違います。これはあくまで知識として。これを使う術者は(現在は)いないようです。とりあえず紹介のみ。



各書の十二運の違い

 いろいろな本(私の蔵書)で十二運をどうしているかをまとめてみました。(順不同)

(1)『淵海子平』型
  『淵海子平』『星平会海』『子平真詮』『命理正宗』『五術講義秘笈』『当代八字実務編』『滴天髄摘要』(問題提起あり)『八字命批範例』『命理探源』(諸説を紹介)『大六壬探源』『推命の秘訣』『泰山流四柱推命学入門』『六壬尋源』『天文易学六壬神課』『六壬鑰』『六壬神課神断要訣』『六壬輯要』『大六壬占術』

(2)『六壬粋言』型
  『六壬粋言』『大六壬預測学』『六壬指南』(少し違うが)

(3)『果老星宗』型
  『果老星宗』『古今七政五余析義』『大六壬総帰』『大六壬心法指要』

(4)『子平粋言』『命理約言』型
  『子平粋言』『命理約言』『命理通鑑』(諸説を紹介)

(5)『子平大法』型
  『子平大法』および透派の著作

(6)『新推命学』型
  増永篤彦師独自の十二運の考え方。六十干支十二運を重視する。
  ここでは内容は述べません。

(7)十二運不採用
  『四柱推命学入門』『鵲橋命理』『最新四柱推命理論』

 採用している書の数では圧倒的に『淵海子平』型の十二運が採用されています。多数決では『淵海子平』型に軍配があがります。もっとも(何も考えずとまでは言わないが)単に転載しただけの書も含まれていますから、数だけでは決まりませんが。
 一方、最近の子平書(研究熱心な著者のもの)は十二運をあまり(あるいは全く)考慮していません。




あとがき

 以上、十二運についての考え方を拾ってみました。改めて調べてみると、結構細かい部分で違うことがわかりました。上に挙げた以外にもバリエーションはもっとあるでしょう。
 さて、私の考えですが、私は基本的には(2)の考え方をとっています。私が入門のころ読んだ本で内田勝郎氏の著作があるのですが、氏も確か(2)の考え方で、その影響を受けたこともあるでしょう。
 私が(2)を採用している理由は次のようなことです。
  ①陽順陰逆の理論的な背景に納得がいかないこと。
  ②重要神殺である駅馬、咸池桃花にはそれぞれ四長生、四敗の支が採用されていること。
  ③土を水に寄せることは生剋の理からして納得がいかないこと。
  ④六壬では土干は火干と同じ支を寄宮とすること。
等の理由で(2)を採用しています。実占上は困ったことはありません。ま、四柱推命をやるときには十二運はあまり重視していませんから当然ですが。
 ②は少しわかりにくいかもしれません。駅馬というのは、動の神殺であり、寅申巳亥が割り当てられています。これは長生の性質を反映していると考えられます。また桃花は淫欲の神殺と言われ、子午卯酉が割り当てられています。基本的には沐浴の性質を反映しています。(実際沐浴が咸池桃花にあたります)
 それから考えると、午が長生になるとか、巳が沐浴になるとかというのは、しっくりきません。私は生旺墓というのは三合の作用と同時にエネルギーの強さや発現の仕方の違いだと思っています。
 次に挙げるのは、すでに「個性の見方」に示した表ですが、この表が私の考える十二運の基本的考え方です。

五行十二運分類
長生、建禄、病、絶
沐浴、帝旺、死、胎
養、冠帯、衰、墓

 そして、土はこの表の火と同じと考えています。

 以上は私の考え方ですが、これを押し付ける気はもちろんありません。十二運についてもまた研究途上ですし、最近の推命家たちは、十二支については、十二運ではなく旺相死囚休や蔵干の生剋を重視しています。私も四柱推命では十二運はほとんどみませんから、四柱推命に限っては、ま、有り体にいえば、どうでもいいのです。
 しかし、六壬においては、十二運というか、生禄墓旺が重要です。ただし、私は神殺の日墓、日禄、生気、羊刃はあまり使わず、五行的な生禄墓旺をより重視しています。



   作成  2011年 5月18日
   改訂  2017年 5月11日  HTML5への対応