「命理正宗」格局解説 抄訳その3

傷官食神格 附傷官十論


はじめに

 その3ということで、財格に続き食傷格を訳します。原文は、段落に分かれてませんが、訳者の方で適当に段落分けしています。ご了承ください。例によって、命式例は省略します。




傷官食神格

 楠曰く、
 傷官食神とは、陰陽によって分けられ、陰と陽の場合は傷官、陰が陰を見る、あるいは陽が陽を見る場合を食神という。食神は我の血気を盗むものである。
 子平書で傷官食神の理論について書いているものは多いが、うまく説明できていない。
 何をもって傷官というかといえば、けだし人の身にとって、官星とは自分を統制するのを官といい、まあ府県の役人のようなものである。ひとつひとつの行動するにも規則を守り、あえてみだりに行動してはならない。
 さて傷官とは、すなわちこの官を傷つけ殺すことで、官の統制に服さず、上官を殺すようなものであり、強い賊とかよそ者といったものである。この格の場合、官星は見ない方がよく、もしまた官を見るようなことがあれば、まさに府県の役人をいためつけるようなもので、さらに府県の役人をみれば、彼らはあなたを解放するであろうか?今の書にいう、傷官見官は災い百端、というのはこのことだが、この理屈を直接的には説明していない。
 また曰く、
 傷官が傷じ尽くすのは最も素晴らしく、最も恐れるのは傷が多いことでかえってよくない、と。これはこれで正しいのだが、意味がはっきりしない。傷官格というのは、命中に官星を見ず、入格して、ただ純で病がないのは、日干に気があるといっても、もし傷官が多ければ、我が身の気を奪い尽くしてしまう。もし人が大黄朴硝(漢方薬)を次々服用すれば、いろいろと効く薬でも、身は洩らされ弱くなり、気を傷つけてしまう。では何の薬が身を救うかといえば、このように弱い場合は、附子(漢方薬)などの温薬を用いて、その性命を救うことができる。
 もし、八字に傷官食神が重畳するなら、日主はまた衰弱し、急いで印運に行きその傷官を破り、財運に行って日主を支えなければならない。これが病がある命である。薬を得て救えば、また多くは富貴であり、さらにもし日主が生旺で比肩が多すぎ、財が衰弱しているときは、傷官は財を用神とする。さらに、官星を見るのを喜ぶ、その比劫を制することで財星を助ける。どうしてまた官をみて喜ぶのか?前後進退の言(おそらくは六親間の関係のことを言っているのだと思いますが、本当に何を意味しているのかは不明)というのは、我によりそって兄弟が多すぎるときは、官星はただ我が兄弟を制するだけで、財を起こし、この官星は我の福となるのであって、災いは我にもたらされない。
 故に書に云う、
 木火傷官は官は旺であることを要し、金水傷官は官を見て喜ぶ。以前の人はこの言を言い立てて、かえって人を惑わせている。はっきりと進退の説を講じなかったためである。そういう理由ははたして何なのか?木火傷官格は、例えば甲乙木が正月に生まれた場合、火を見れば仮傷官であるが、その火は強くなく、炎も明るくない。且つ木気は堅く、火を見ても木の真性は焼かれず、さらに木が強ければ、金の旺相した官星を喜び、木を剋制する。それはすなわち金木は名を成すの用で、すなわち木火傷官は官が旺を要するという理屈が成り立つのである。もし甲乙木が巳午月に生まれれば、炎火は木気を盗み、すなわちこれが真の傷官というものであり、また官を見るのを恐れるのである。もし日主が強く傷官が多ければ、官殺は反って我の権力となり、また多くは富貴となる。金水傷官が官を喜ぶとはどういうことか?もし庚辛日主で子、亥、丑月生まれで水気が重なれば、庚辛の金気を洩らして弱くし、これは金寒水冷ということになるが、丙丁火の官星を喜ぶ。これは金気を暖めるわけである。もし水気が多くなく、金気も強くなければ、官星を恐れる。
 以上の内容は傷官見官の例外です。傷官見官は単純に悪いというわけではありません。ただし、傷官と正官は隣り合わない方がいいです。なぜなら傷官は正官の七殺にあたるからです。例えば甲の傷官は丁で正官は辛ですが、丁は辛の七殺で辛を非常に剋して辛を傷つけるためです。
 また云う、
 土金の官去ってかえって官となるのは、官を去るのがよい。この説も近い考えである。ただ水木傷官格だけは、財と官をみて始めて喜ぶというけれども、財をみるのはよいが、官を見るのはよくない。この下の官という字は人を惑わす。傷官格には、真の傷官と仮の傷官がある。真の傷官とは、甲乙日干が巳午未月に生まれる場合で、真に火は傷官の用神してはたらく。甲乙日は火によってその精英を焼かれて、火が多ければ木性は失われる。そこで北方水運を喜び、それでその傷官を破って、木気を助け起こす。もし火が少しであれば、印(水)がそれを破るのを恐れる。故に破れた傷官は壽元を損なうという。もし甲乙木が正月二月に生まれれば、火を仮傷官とする。その火はまだ明るく激しくもなく、その弱い火を用神とするなら、まさに木はよく火を生じ木は栄える。木火通明は廟廊を助けるという。
 また云う、
 仮傷官は傷官運に行けば発する、と。もし南方火運に行けば、その弱い火を動かし、かつ木気が堅ければ、火は木の精英を洩らして、多くは富貴となる。もし北方運に行けば、その弱い火を破り、まさに仮傷官が印運に行けば必死という。真の傷官は傷官運に行けば必ず滅する。もし甲乙木が巳午未月を見れば、傷官の洩らす気は強すぎ、再び寅午戌の火運に行けば、木の精英をもらすこと甚だしすぎで、どうして死なずにいられようか。書にいう、木が飛灰となれば、男児は壽夭と。
 ここまでは、日主、傷官の五行や強弱によって、どういう六親が必要かということを説いています。が、ちょっとまどろっこしくて整理が必要ですね。
 しかして、傷官格の人は多くは傲気とはなぜか?子平はその理については言わず。けだし、人が官を用いるに、我を統制するのを官といい、我がその官を恐れずにこれを傷つけるのは、悪いことをするのを肯定しほっておくわけで、どうして傲慢僭越であることを好まないことがあろうか。また多くは聡明とは何か?けだし日主の気を破るのはその精英を洩らすことで、是はその素晴らしさを外に出すことである。ゆえに多くは聡明である。
 もし日干がつよければ、精英を洩らすことを喜び、すなわち高官大臣となる。もし日干が弱く、洩らす気が多すぎるのは、多くは遠回しで間違った貧乏な学者となる。けだしその精英を洩らし、精英を好むことをしないからである。
 もし男なら官星を子となし、傷官を見て之を破るため、多くは子を剋す。その理は理解しやすい。もし財をみれば暗に子星を生じ、すなわちまた子ができる。食神格も多くは同じようなものである。
 もし2,3の傷官が混じるのをみて、一つの食神があるなら、食神生財格といい、また日干が強いことを要する。食神はその財星を生じ、最も偏印が梟神奪食となるのを忌む。もし食神が多ければ恐れず。ひとえに真傷官と同じで、印運を恐れない。もし食神が一つで、命式に官殺があれば、食神制殺であるわけだが、偏印によって食神が破られると、制殺できないため反って身を剋し、多くは壽夭で貧寒である。
 傷官格は多くは墓運に入るをおそれ、故にその災いは激しいというのだが、またこれも明らかにはその意味を説いていない。けだし傷官格とは、官や上長を傷つけ殺す人であり、このような人は牢獄へ入るのであり、必ず苦労するものである。この説もまあまあ似たような考え方である。ただもともと真傷官が多すぎるのは、洩らすのが多すぎるわけで、傷官墓地にいけば、またさらに洩らすことになり、徐々に精神を失って多くは死ぬ。また墓に入らないことによる害とは、また仮傷官の気が軽く、日干が強く、傷官がその精神をもらすことを喜び、さらに傷官墓地に行けば、また一つの傷官をそえてその精英を洩らし、墓運に入るのは反って多くは富貴となる。墓に入ってはならないという説は、ただ傷官の軽重真仮を論ずることで、その理論が全く正しいことになるのである。
 傷官墓地というのは、例えば木日主の墓は未、火日主の場合は戌、土日主の場合は戌、金日主の場合は丑、水日主の場合は辰ですから、いずれも傷官を蔵干に持っています。つまり、一つの傷官を添えるということになります。ちなみに私は十二運において陽生陰死(陽順陰逆)の考え方はとっていません。
 補して曰く、
 傷官とは、我が彼を生ずるをいう。陽が陰を見るのは、例えば甲が午月に、戊が酉月に生まれたとかで、陰が陽を見るのは、乙が巳月に、己が申月に生まれたような場合である。またの名を盗気といい、身旺を喜び、印綬を喜び、財星を喜び、傷官を喜ぶ。身弱を忌み、無財を忌み、官星を忌む。行運も同じ。
 もし甲が午月に生まれ、天干に丁火が多く、命式に官星がはっきりでていて、行運にまた官があれば、これは身弱官に逢うといい、官を傷つけることが僅かで、その災いは言うに及ばない。故に曰く、傷官見官は禍百端となす、と。財や印があればこれを解き、もし傷官が傷つき尽くせば、四柱に一点の官星も留めず、また身旺あるいは印運に行けば、かえって貴となす。故に定真篇にいう、傷官もし印綬を見れば、貴は言うべからず。もし四柱官星を傷つけつくしたといえども、身は旺じがたし。もし一点の財気もなければ、ただ貧薄の命である。故に元理賦にいう、傷官無財はたのむべし、巧みといえども必ず貧。つまり財をみて妙とするのは、財がよく官を生じるからである。傷官七殺は、傷官が七殺を剋すのははなはだしく、その効果はすぐに表れる。
 年柱に傷官があるのは、父母が両方とも健在ということはなく、月柱に傷官があるのは、兄弟すべてはそろわない。時柱に傷官があるのは子供はひたすら凶である。日支に傷官があるのは、妻妾をもつのは免れない。
 傷官は命式に官星があり、行運で官星が取り去られれば発福する。傷官に印があれば官殺を忌まない。財方に行けば発財する。傷官の用神が印であって比(劫)を見れば災いとなる。傷官の方に行けば発福する。もし傷官があって財がなく、比劫に遇えば、悪行に走ったり器用貧乏だったりする。
 妻を剋し子を傷つける命式というのは、もともと傷官が多く、さらに傷官運に行くのはよくない。この場合は官を見れば発福する。故に曰く、傷官無官でまた滞る運は、行運で官運に入れば、その間はかえって貴である。もし傷官が弱く、ただ傷官一つだけならば、傷官運に行くのがよい。強い弱いをよくみきわめるのがよく、一つの考え方にとらわれてはいけない。
 また曰く、
 傷官格は、才能は高いが傲慢である。常に自分が世の中で一番と思っており、驕慢で人を侮る。周囲の人々は嫌がるし、彼が貴人であれば遠ざける。故に古い歌にいう、傷官の人の志は高く王侯をも超える、勝つことを好み他人から抜け出すことを好む。
 また曰く、
 傷官はもとより官星と互いに見ることを喜ばない。もし、金水傷官、水木傷官、木火傷官、の場合は官星をそれほど気にしない。故に古歌にいう、火土傷官は傷つけ尽くすのがよく、金水傷官は官を見て喜ぶ、木火傷官は官が旺じることを要すと。土金の場合に官があってそれが取り去られると反って官となる。ただ水木傷官の場合のみは、財と官が両方そろってはじめて権力となる。
 また曰く、
 男命で傷官がいくつもあるのは後継を剋するが、傷官で財があるのはまた児多し。また曰く、傷官に財あれば、死宮に子あり。傷官に財なければ、子宮に死あり。女命で傷官を犯せばもとより夫を刑し、しかして財と印がともに旺じればまた夫は栄える。故に曰く、女命傷官は格中に大いに忌むが、財が旺じ印が生じれば、夫は栄え子は貴命である。
 金不換に云う、
 傷官四柱官を見るは、老いにいたっても児はない。
 また曰く、
 傷官傷つけ尽くせば、すなわち官星を見るのは凶で、傷官見官は行運が財にいけばそれが解けて素晴らしい命となる。
 纂要に云う、
 およそ傷官が旺相運に行くのは吉で、死墓にいくのは皆凶である。陽順陰逆、用をもって推命する。すなわち用とは、甲に属するのは、甲の長生は亥で、沐浴は子、冠帯は丑、臨官は虎、帝旺は卯、衰は辰、病は巳、死は午、墓は未、絶は申、胎は酉、養は戌というのがこれである。
 補して曰く、
 およそ傷官格、旺相運に行くのは吉とは、命式の傷官が弱く、しかして行運が旺相する臨官帝旺の地に行けば、すなわち吉にして福が栄えるということで、死墓みな凶とは、これは命式の傷官がすでに重く、しかして墓死の運に行くのは、みな凶で災いがあり命は敗れるということである。例えば甲日午月生まれや乙日巳月生まれがあり、命式中に寅午戌の字があって、さらに戌運に行けば、寅午戌の三合は傷官でこれが墓運に入るが、必ず災いとなるというのがこれである。陽順陰逆、用神をもって推す、というのは、陽の傷官が用神となり、運が順行なら、その災いで死ぬものが多く、陰の傷官が用神となり、運が逆行ならその災いは小さく、必ず死ぬというわけではないということである。故に酔醒子の気象篇にいう、入庫傷官、陰生陽死、その傷官が軽く旺相運に行けばもとより吉。もし年上傷官で、柱中に多かったり三合だったりして旺じすぎるのは、また財なく、さらに旺相運に行っても、泄気がだんだん甚だしくなりかえって凶である。故に古歌にいう、年上傷官はもっとも嫌うべきで、重ねて傷官を恐れるのは清いとはいえない。
原文は「重怕傷官不可[エン]」。[エン]は益と蜀を並べた字で、意味は免除するとか清潔であるとか選ぶとかいう意味。この文の意味は不明。
また、古歌にいう、傷官が傷じ尽くせば最もすばらしく、なお傷官が多いのを恐れる場合は、かえってよくない。この格局中の多くの変化は、それを知るには十分に考えをめぐらさなければならない。
 また古歌にいう、
 戊己生まれであまり強くない場合、月時両方に傷官がある場合、必ず頭顔に欠点があり、おできや膿ができて若い頃は苦しむというのは、この三つの歌をみて、命式に傷官がすでに重いときは、傷官が強くなる行運に行くのはよくないというのは明らかである。纂要のいう言軽いとは、まさに旺相運に行くことである。とにかく軽重をよく考え、一つのことに固執してはならない。
 命式中の傷官が重いと、墓死運に行くのはもとより皆凶なのであるが、正気傷官では、命式中で軽いといっても、墓死運に入ってはならないのである。ゆえに古賦にいう、傷官食神が並び身旺ならば、庫(墓)に遇えば、災禍があるものである。陰陽の別があるといっても、前言のように非常に詳しく看なければならない。
 以下、原文は次のようになります。 「又格解以下二格、與此格合解、亦非尽傷官、以月令生我者、正倒禄、非以日主暗冲者言、内有二字泛指四柱、非指傷官也。」
 この部分の意味ははっきりとはわかりませんが、「格解」という書に書かれていることを訂正しているものと思います。単に訳すと、
 格解の以下の二格はこの格と合わせて解し、また傷官を尽くしていない。月令をもって我を生ずるというのは、正に倒禄であり、日主と暗冲するものを言っているわけではない。内に有りというのはおよそ四柱を指すわけで、傷官を指しているわけではない。
 訳しても意味不明です。
 食神格に補して曰く、
 食神とは、我が彼を生ずることをいう。陽が陽干を、陰が陰干を見るのをいう。例えば、甲日が丙を、乙日が丁を見るような場合である。丙の禄は巳であり、甲の人の食神は丙で、また巳を見る場合、また丁の禄は午であり、乙の人の食神は丁で、また午の字を見る場合、これらを天厨食神という。そしてそれは、食神に気があり、日干が旺じている必要がある。これは貴命で幸福であり、富命で長寿である。故にいう、食神に気があえば財官に勝る、まず食神と日干がともに強く、最も忌むのは偏印が食神を奪い、比肩が食神を分けることである。また官星も喜ばないし、刑や冲があるのも喜ばない。財が相生するのは喜ぶ。
 ただひとつの食神は、食神といえるが、およそ二つ以上あるのは、すなわち傷官というべきで、かえってよくない。この場合は子が少なく、剋されれば生きていくのは難しい。
 もし食神が純粋であれば、その人の財は厚く食は豊かで、度量は広く、肌つやがよく恰幅がよく、悠々自適、子供があり、長生きができる。この場合は、食神が死絶運に行くのを忌み、並びに偏印梟神運は、災いや咎が生じ利はない。ただ偏財がよくそれを制し救うことができる。故に洪範にいう、偏財は利益をあたえ寿命を伸ばすというのは、それが偏印を制する場合である。
 また云う、
 食神は明朗で寿命が長い、継母が食神に逢うのはよくない、もし妾が来て救助しなければ、かえって秋草が秋霜に遇うようなものである。(落ちぶれるということ)
 古歌にいう、
 食神が強い場合には財を生じるのを喜ぶ。日主が剛強であれば福禄が来る、身弱で食神が多いのは、反って害となる。あるいは偏印に逢うのは凶災をまねく。
 また云う、
 食神が生旺で刑剋がないのは、この格を全うして財官に勝る、さらに運が生旺の地に行けば、若いときに科挙に合格し天子の顔を拝む、と。




附 傷官十論

 甲木傷官で寅午があるのは、火明木秀で名利は堅い。行運で最も恐れるのは財官が旺じる運で、戌の行き来するのをみれば壽元は阻まれる。
 乙木傷官で火が最も強く、運が官殺に逢うのは転じて良いとする。ただ水が多く傷が尽くさないのを恐れ、終身名利はあってもひねくれている面がある。
 丙火傷官で水のない土が多ければ、財が旺じる運に行けば福が興ってくる。もし水運に逢えば傷滅に遭い、人情は変わりやすく総じて空しい。
 丁火傷官で土がまた柔らかいのは、性格が傲慢ではかりごとをめぐらせる。運が印綬に逢って官殺が連なれば、簡単に家を成すことができるが、どうして友人たちに与えるだろうか。
 戊日傷官は最も金を恐れ、またこの格は木が来ることをおそれる。金が弱ければ財運に行くのを喜ばず、土すでに磨耗して消え金もまた沈む。
 己日傷官で金が旺じるのがよく、弱い金と柔らかい土では財の行運を喜び、運が官殺に逢うのはついに災いとなり、名利の興亡は長くは続かない。
 庚日傷官は官を見るのを喜ぶ、運が官殺に逢えば貴命である。正にことは硬い金が火の鍛錬に逢うことであり、若くして試験に合格し高位に上る。
 辛日傷官で申子辰があるのは、傷官が傷じ尽くすということで財星を喜ぶ。東南の順運にいけば滔滔として好運であり、傷官運の場合は命式を細かくみて判断する必要がある。
 壬水傷官は浮木を恐れ、官殺を見れば返って仇となる。さらに財旺官生の運に行けば、今度は財官は欠けることなく至上の幸福を得られる。
 癸水傷官は官を見るのを恐れ、戊己が天干にあるのを最も嫌う。さらに財旺官生の運に行けば、いろいろと苦労が多く災いが多く発生する。
 以下は命式例となるので省略。



訳者のあとがき

 もとの文章がまどろっこしいのと、背景を十分に検討していないせいもあり、ところどころわけのわからない訳になっています。整理が必要だとは思っています。
 昔から、六親のうち傷官が最も難しいとされています。張楠もこの項の大半を傷官格に費やしており、食神格は最後の方にごくわずかしか解説していません。それだけ傷官格に強い関心があったものと思います。私思うに、いやゆる四吉神、財官印食、にたいして四凶神、すなわち劫殺梟傷のうち、傷官が強くても貴命、とくに科挙に合格するような人が多かったため、その理由をずっと考えていたのでしょう。同じことは七殺にも言え、この二格については特に細かく解説しているように思います。


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