「命理正宗」格局解説 抄訳その6

専禄格、雑気財官印綬格


はじめに

 その6ということで、専禄格と雑気財官印綬格を訳します。




専禄格

 纂要にいう、
 この格は甲寅、乙卯、庚申、辛酉日生まれである。四柱に官殺があるのを忌み、刑冲破害はよくない。歳運も同様である。
 元理賦にいう、
 八専であり、日干支が同じものである。七殺の大運、年運は多くは凶、というのがまさに専禄格である。




雑気財官印綬格  附時墓格

 楠曰く、
 雑気財官とは、だいたい辰戌丑未の四支であり、これらは天地不正の気で、天地の四つの牢獄のところ、また天地の四つの収蔵の庫とする。
 丙丁日で辰月生まれで、天干に戊己がおおく透干していれば、これを雑気火土傷官格といい、乙木が多く透干していれば、これを雑気印綬格といい、癸水が多く透干していれば、これを雑気財官格という。
癸の場合は財ではないですが、財官格と称しているのでしょう。
 戊日戌月生まれで、身弱で丁火が多く透干しているのは、雑気印綬格とし、辛金が透干しているのは雑気傷官格とする。
 またいう、
 雑気財官は冲を見るのを喜ぶというのは、ただ日干が旺じて雑気財官が用である場合、喜ぶのである。もともと(雑気財官というのは)財が天地の庫の中にあり、それは堅く閉ざされているというわけである。例えば戊日辰月生まれでは、癸乙が財官であるが、銭は庫の中にあって十分堅くしまわれている。もし戌がなければ鎖がかかっているのにどうしてこれを開くことができようか。冲が財庫を開けば、福はたちまち興ってくるのである。もし財官が必要ないなら、冲でもって財庫を開けてはならないのである。命式は中和するのがよく偏るのはよくないわけで、また冲を嫌い害神となす場合に、冲があればその害はしだいにひどくなる。
 雑気財官格の場合は、日主が強ければ月支を冲する支があれば発達するということです。これを「冲開財庫」といい、四柱推命の秘伝の一つであります。普通冲は支を傷つけるために、いい意味はあまりないのですが、土支の場合は例外です。ただし、日主が強くなければ害があります。
 もし丙日辰月生まれの場合、乙木印星があらわれて、さらに乙木が日主の隣にあれば印綬格とする。このとき命中に金気があれば、もとより印星は衰え、もしさらに戌運に行けば、戌の蔵干辛金が辰中の乙木を冲破する。これはすなわち財を貪り印を壊すということで、この場合はどうして雑気財官が冲を見て喜ぶということができようか。
 この例は丙が弱いということもありますし、辰には印があっても財がありませんから、冲すればかえって害となるということになります。
 また丙丁日戌月生まれで戊土が多く透干しているとき、雑気傷官格としますが、もともと日干丙丁は火に属し、九月に到れば授衣の月で、火気が寒涼の中にあるわけで、土をみれば火の精は洩らされることになり弱くなります。よって東方木運を喜び、その傷官を剋して取り去れば、洩らされることもなくなります。木運を喜びまた日主を助けるので吉なのですが、もし辰運に到れば、冲することで戌の中の戊土が出てきて日主を洩らし弱くなるので、どうして死にいたらないことがあろうか。これもまた雑気財官が冲をみて喜ぶとしてはいけない例である。
 とくに丁日で戊が多いのは火が抑えられますから木が欲しくなります。よって木運は喜神といえます。しかし戌というのは火の根でもありますから、辰運の場合は、戌の戊土を出すことよりも、戌を冲することで火の根を弱めることになりますから、どちらにしてもよくないということになります。丙日の場合、もし通根している支が戌だけだとすれば、さらに悪いといえます。
で、結論。
 ただ身旺で財官がある場合に、冲開をよろこぶわけで、早年において発達する。この格と傷官格は両立しない。この格においては庫の中に何があってそれがあらわれるかをみて、それが用神かどうかを定めなければならない。(ここでいう用神は喜神の意味でしょう)書にある冲をもって開くはおよそ美しいというのは、どうしてどうして間違いではないのである。
 古歌にいう、
 雑気財官印が月支にあって、天干に透干してあらわれて始めて豊かであるといえる。財多くして官が強いのは冲破するのがよく、切に干支が抑えられるのを忌む。
 補して曰く、
 財とは養命の源、官とは扶身の根本、印とは資身の基礎である。この三者は辰戌丑未月に蔵している(ことがある)。この四つは天地の四隅の気で、東西南北の正気ではないので、雑気財官印綬格というのであるが、この格は透干してあわられるのを喜び、また刑冲破害を喜ぶ。また財官を用神として、財官が透干すれば、あるいは印綬を用神として印綬が透干すれば、財が透れば富であり、官が透れば貴であり、印が透れば吉である。万物の気が現実のものとなり、故に始めて豊かとなるわけである。もし財官印がかぎのかかった庫のなかにあれば、冲なく刑なければ、すなわち若い時はそれが庫の中にしまわれて発達しない人となる。それで冲破がよいというのである。もし支干の財が比肩劫財に抑えられていれば、あるいは官が食傷に抑えられていれば、また印綬が財星に押さえられていれば、そのうえそれが多くなりすぎれば、その富貴は現実のものになって福とはなりにくいものである。故に切に干支が抑えられるのを忌む、というのである。
 またいう、
 辰戌丑未は四季となし、印綬財官は雑気にある。干頭に透出すれば格は真であり、ただ財は多くを尊貴となすと論じる。
 補して曰く、
 辰には乙戊癸があり、すなわち水の墓庫は春季とする。戌には辛戊丁があり、すなわち火の墓庫は秋季とする。丑には癸己辛があり、すなわち金の墓庫とする。未には丁己乙があり、すなわち木の墓庫は夏季とする。この四季には財官印綬が蔵される。みな天地の不正の気であり、故に雑気という。すべからく格中に何の干が透っているかをみて福かどうかをみる。だいたいは雑気格は貴気が透出すれば微妙であるが、財をみて多くは尊貴とするのは、いわば官がなく財がある場合で、また財が官を生ずることになれば、多くは試験に合格する命といえるのである。
 またいう、
 雑気は従来不純であるが、天干に透出して始めて真となる。身強で財旺し官禄を生じれば、行運で冲刑をみれば非常に運がよくなる。(原文は宝が集まる)
 補して曰く、
 辰戌丑未は四隅にあるというのは、東西南北の純然の正気ではないとはいうものの、天干に透干すれば、まさに真の格とする。身強とは庚申辛酉の類で、財が強いというのは未月で木行東方に行く場合、戌月で火行南方に行く場合、辰月で水行北方に行く場合、丑月で金行西方に行く場合、これが生旺の地というわけである。すなわち身分の高い地位に上ったり、要職についたりする。命式中に冲や刑がなければ、行運でめぐってきても、やはり宝が自然と集まるので、いわば倉庫は金銀で一杯になるというのである。
 またいう、
 五行四季が月支に逢い、印綬が天干に顕れて強ければ、四柱は相生するような官殺を喜ぶ、さらに財産は一杯となり頭角をあらわす。
 補して曰く、
 甲乙日丑月生まれ、丙丁日辰月生まれ、戊己日戌未月生まれ、庚金日辰戌月生まれ、壬癸日戌月生まれは、みな月支が季月に逢うということになる。それぞれ印綬を蔵しており、天干に顕れるのを喜ぶ。また柱中に官殺があり、財に気があれば、財生官、官生印、印生身となり、身が財を剋することで栄誉を受けるのである。印が財の生に頼るというのは、官が財によって旺じることによるのである。あるいは、これを雑気印綬というのは、官禄があれば、ただ貴が顕れるだけでなく、財を資し業を産して盛んになるのである。(財的に豊かになる)必ずしも天干に財が顕れる必要はない。
 日干と月支の関係が微妙ですので注意が必要です。私は、上の場合官と印がどういう位置関係にあるかが重要になると思います。
 またいう、
 月令提綱は冲してはいけない。九割は冲は凶となる。ただ財官があって墓庫に逢えば、行運がここに到ればかえって成功する。
 補して曰く、
 財官が月支にあれば冲してはならない。冲すれば十のうち九は凶である。ただ財官が庫にあれば、冲がなければ発しない。必ず冲運に行くことによりまさに発福するのである。
 またいう、
 生旺のばあいは墓庫絶に逢うのがよい。墓庫が来れば生旺は発し、生が生旺に加わっても生旺に過ぎよくない。墓庫が休に逢うのはついに発しない。
 補して曰く、
 生が生旺に加わっても生旺に過ぎよくないというのは、生旺の場合は墓庫絶に逢うのがよいということであり、別の意味があるわけではない。同様に、墓庫が休に逢うのはついに発しないとは、墓庫が来れば西欧は発するというのと別の意味があるわけではない。もし命中に財官印が生旺の場合は、財官印の墓地に入るのはよくない。故に官が旺じたり印が旺じたり財が旺じたりする場合は、墓に入れば災いがある。もし日干が生旺なら、日干の墓庫に入るのはよくない。故に身旺入庫は必ず災いが起こるというのである。墓庫が来れば生旺が発するというのは、もし財官が墓庫にあれば、必ず財官生旺の地に来れば財や官が発し、もし身主の墓庫であれば、必ず身主が生旺の地に来れば、身が発することができるということである。
 また生旺に生を加えるのは生旺に過ぎよくないというのは、もし財官が生旺なら財官をさらに加えて財官が生旺なのは、強すぎて咎がある。いわゆる財多くして財なしとは、運が化殺に逢って災いを生じ、官多くして官なしとは、はなはだ旺で運が傾き危ないということである。
 化殺というのは、財が多くなると財生官で官が強くなりすぎ殺に変わるということだろうと思います。
 日主が生旺のときに、さらに生旺の運にいけば、日主が強くなりすぎて必ず災いを受ける。いわゆる生地にあってさらに生旺運に逢うのは、身を退き位を避けるのがよく、壮年においては官禄を受けることはないということである。
 墓庫が休に逢うのはついに発せずというのは、財官が墓庫の地にあるとき、財官が休敗運に逢うということで、どうして財官が発せられようか。日主が墓庫の地にいるとき、日主が休敗運にあえば、どうして身が発しようか。
 まとめると、強いものは強くなりすぎず、弱い場合は強めた方がよいという、ごくありきたりの結論となります。
 三車にいう、
 財官雑気格で財が透出するのは富、官が透出するのは貴、印綬が透出するのは父母の不動産、財帛の富を受ける、文書宣勅によって保護されるということがある。もしこれらが透出してなければ、冲刑があれば少しばかり発する。身旺であればよろしく、身弱であれば、冲刑に過ぎる。(よくないということ)
 景鑑にいう、
 雑気財官で身旺ならば、冲があって発する。もし財官が強すぎればかえって孤独貧困となる。それは、身弱で庫が閉じてあって財が広く強い場合、刑冲を受ける場合をいう。
 集説にいう、
 財庫とは蓄え蔵しているということで、辰戌丑未のことである。月令が透出しているとは、年や時干にあることであり、また一点の官星もないときにこの格を用いる。甲が辰を見れば、辰土は財庫であり、四柱の天干に戊己が透干すれば絶妙である。だいたい四柱では、財気が多い場合は貴格とはいえないのであるが、官がなく財があれば官を生ずることができ、多くは試験に合格する命である。ただし、庫を閉じこんでいるのはよくなく、刑冲破害を必要とし、それでその鍵を開けてしまえば、発福することができる。
 またいう、
 庫官とは、蓄わえ蔵することをいう。辰戌丑未の四季が月令を得ることである。但し庫の中に何があるのかは透出するまでわからず、月干に透出すれば絶妙である。あるいは、年干時干に出てもよい。さらに刑冲破害で身旺であることが必要で、七殺が透干しても刑冲破害を恐れず、もっとも制伏する行運を喜ぶ。合せられるのがよく、それすれば貴命である。もし制伏なく、合なく、身弱であったら、必ず害となる。丙子日で辰時ならば庫官とするが、若いうちは発達しがたい。辰は水庫であり、天干には傷官があってはならない。もし傷官が強いのであれば晩成という。行運でもまた傷官運に行ってはならず、官星の行運を喜び、身旺官旺を喜び、冲を喜び透干を喜び、天干の財印は閉を忌む。
 最後の方は財生官、官生印、印生身のことだと思います。
 またいう、
 丙丁生まれならば、辰を庫官とするのは、水土を蔵しているのが辰であるからである。およそ四柱に木があれば、あるいは亥卯未と寅があれば清とし、もし木がなければ土が丙丁の官を奪って、濁卑となり不清となり、栄誉は顕れない。
 洪範にいう、
 時に乙木と南の墓に逢うのは、富でも不仁であり、丙が陰金に遇って北の墓にあるのは、貧とはいっても徳がある。
 補して曰く、
 南の墓というのは未庫である。北の墓というのは丑庫である。陰金というのは辛金であり丙火の正財である。
 乙木に未は身旺で財がありますが、官はないので貴とはいえません。丙に対して辛は財で丑には官がありますから、財生官で貴となる可能性はあります。
 またいう、
 辰戌丑未が全部あるのは財庫であり、富貴となる。
 またいう、
 財星入墓は、まさに刑冲があればかならず妻を刑する。
 金持ちになれば、往々にして妻をないがしろにするものです。(?)
 またいう、
 冠帯互いに逢うは、さだめて風声の醜という。
 補して曰く、
 辰戌丑未は互換であり、これを犯せば風声は美しくないというのであるが、これは女命にいえることであって、男命がこれにあえば大富貴であり、ついには父母を剋す。
 例えば甲の冠帯は丑で墓は未です。丑未は互いに冲します。乙の冠帯は一般には辰であり墓は戌で互いに冲します。これを冠帯と墓は互換だといっているわけです。墓なり冠帯なりがあってそれが冲になれば、どちらであっても同じ作用となりますが、このような冲は女命にはよくないと言っています。これは、再三述べているように、冲によって財庫が開き、財は印を剋するからです。古来女命においては財よりも印が重要とされてきたからですが、現代ではこの考えは変える必要があるでしょう。
 またいう、
 四柱に有鬼の墓があれば、夫は早く死亡し、歳運夫星が絶であれば、夫とは生別死別することになる。
 集説曰く、
 八字の中で、甲は辛をもって夫とするが、丑があればそれを金鬼の庫とする。もしさらに辛があれば、必ず夫は黄泉の国に入ることになる。流年大運が官鬼の絶敗の地であれば、きっと夫婦は死別することになるだろう。
 これもまた女命の話ですが、条件に合う女性は結構多いわけで、他の条件をよく見る必要があります。
 またいう、
 財星入墓は、少しの刑冲で必ず発する。
 四言独歩にいう、
 月が四季に生まれ、日が庚金に座せば、何で身の弱さを憂うだろうか。旺地にいけば名をなす。
 またいう、
 壬日戌月生まれ、癸日未月生まれは東方運を喜び、剋に逢えばすなわち絶する。前は剋を改めて、冲に逢えばすなわち絶するとする。
 またいう、
 戊己日丑月生まれは、比肩を忌まず、金が多いのは入格する。午戌に逢うのを忌む。曲直丑月生まれは、比肩帯印で金が多いのがよい。壬癸日丑月生まれは、土厚くて金が多いのがよい。
 補して曰く、曲直とは甲乙日生まれであり、金が多いのが貴である。印は化殺の故である。(印が官殺を生じる)壬癸日丑月生まれが土厚いのが貴とするのは、金庫が身を生じるためである。
 古歌にいう、
 財官が庫の中に蔵している場合、光が当たらなければ福はあきらかにならず、もし庫の門が開いて表に出れば、きっと官貴は尋常でない。
 継善篇にいう、
 納粟奏名は、財庫が生旺の地にあるときである。
 継善篇の抄訳でも説明していますが、税金を納めて名を上げるということです。納税受爵とでも訳したらいいでしょうか。
 補して曰く、
 この段には二説あり、一説は財庫が生旺であるということ、例えば金日未月生まれならば、未は財庫であり、日干は自生自旺の地にいなければならない。そうすれば財があって発福するということで、この説に従うべきであろう。これをただ本文を解して順に読まないのは誤りである。およそ用神は生月から取るものであり、四季の月をとって雑気財庫とするのである。あるものは雑気というとき、日が庫に坐すととるものがあって、例えば辛未日というような場合で、それを格にとるのである。どうしてこういう日が身旺を喜ぶということになろうか。日干を生地にとるとは例えば甲子日のような場合で、自旺というのは甲寅日のような場合をいうのであって、その上で辰月生まれであれば財庫とするのである。
 旧注は、一物がこれを開くのがよく、例えば戌が辰庫を冲して開くような場合である。また戊己土が透干していれば、比劫が干にあってそれを抑えるのはよくない。経にいう、若くして庫を発するのは難しく、ただそれを抑えるのを恐れる。故に、納粟奏名とは、この説に従うのが理にかなっている。
 一説には、この部分は身が財庫に臨み、月令が生旺の地であるという意味だとする。仮に金は木を財とするが、辛未日が身が財庫に臨み、もし冬月生まれならば、財庫が生地におり、もし春月生まれならば財庫が旺地におるとする。ゆえに財庫が生旺の地に居るというのだというのだが、これは牽強というべきものである。
 およそ雑気は身旺を喜び、身が休囚の地に居るならば、日干が非常に弱いとし、どうして生旺の財に勝るであろうか。これはいわゆる財多身弱であって、まさに富室の貧人というべきで、どうして納粟奏名などができようか。財庫はもともと固く生旺であるべきだが、そのためには身が生旺の地にいなければだめで、この説は前説に及ばない。とりあえず参考まで。身が生旺であって、財庫がまた生旺なのはさらに絶妙というべきで、日主が強くあるべきなのは当然として、その他はもっぱら財庫が生旺であると言うべきなのであろう。
 [ショ][コ]天にいう、
 雑気財官は細かく見なければならない。天地四季は光輝をはなち、身強財旺で官を生ずるのは、運が中年に到れば高位に上る。官星が顕れれば名利があがり、非常に高貴な人となり、英雄もし財庫を開けば、最高の地位に上る。
 原文は、「運至中年掛紫衣、官星顕達利名斉、軽裘肥馬鳳凰池、英雄若得開財庫、五花官誥拝丹塀」です。それぞれの句を意訳しました。
 またいう、
 印綬が身を生じるのは凛気が清く、辰戌丑未月生まれで、四柱に財がないのは、名が顕れ、印に遇えば福が加わり寿命も増える。官旺の行運ではうまくいき、龍楼鳳閣も名を馳せる。若くして試験に合格して名をあげ、その声名はとどろく。
 龍楼、鳳閣は星名ですが、ここでは単に宮殿の意味だと思います。
 玄機賦にいう、
 官旺で印旺でさらに財が旺じれば、墓に入れば災いがある。傷官食神で身旺であれば、庫に遇って災いが起こる。
 補して曰く、
 官軽く印軽く財が軽ければ、墓に入るのは妨げなし。もし四柱財官が三合で非常に強いときはつまりは日干が弱いわけである。また墓に入り三合が連なれば、官が旺じて身を剋し、財旺で殺を生じて、日主はますます弱くなりすぎるため、必ず災いとなる。もし印綬が非常に強く、その上三合があり、また墓が三合の運に入れば、生気が強すぎで、やはり災いとなる。木盛んにして水漂うとか、土多くして金を埋めるとかいうのがそうである。
 命式で傷官食神が軽く、庫に遇うのは災いがないが、もし傷官食神が三合で強くなりすぎ、また墓と合すれば、すなわち絶気が甚だしくなるにつれ必ず災いになる。これは身弱の極みというべきであろう。(傷官格で論じた)身弱で庫に遇うのは災いがなく、ただ四柱に比劫の三合があれば、身旺にしてよるところがなく、また庫に遇えば身はますます旺じて、制がなければ災いとなる。これは身旺の極みというべきであろう。ゆえに、生旺は墓庫絶に遇うといっても、生が生旺に加われば旺に過ぎよくない、また中和を福とし、偏っているのは災いとなるというのである。
 平凡な結論ですが、庫を開く場合でも、財官の場合は日主が強くなければならないし、日主が強すぎる場合は庫は根となりますからよくないということで、四柱は中和を尊ぶという基本に帰着してしまいました。



訳者のあとがき

 専禄格と雑気財官印綬格を訳しました。
 専禄格については、格と独立するほどのことはないと思います。
 雑気財官印綬格については、中和を重んじるところは、前まで論じた格局と同じなのですが、雑気財官格で重要なのは、「冲開財庫」ということです。これは、秘伝というほどではないにしろ、推命の秘訣の一といえるでしょう。土支の冲というのは土支どおしですので、単純な冲剋(例えば子午)とは作用が変わってくるのも当然です。
 ただ、私の経験からいうと、「冲開財庫」の条件にあてはまる命式は普通の人にはなく、冲はやはりあまりよくないようです。途中、十中八九は悪いとありますが、そのとおりでしょう。ただし、名をあげるような人(有名人とか富豪とか)にはままいるようです。それらの例はおいおい紹介できるでしょう。
 さらに雑格は続きます。


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