「命理正宗」格局解説 抄訳その8

子遥巳格、丑遥巳格、壬騎龍背、井欄叉格


はじめに

 その8ということで、子遥巳格、丑遥巳格、壬騎龍背格、井欄叉格を訳します。




子遥巳格

 楠曰く、
 子遥巳格というのは、甲子日甲子時である。これは、子中の癸水が、巳中の戊土を遠くから動かし、さらに戊土が丙火を動かし、丙火が辛金と合することからいうのである。甲木は辛金を正官とするわけで、命式天干中に庚金があった場合、辛正官があれば破格となる。また、午があれば子は冲されて動くことができない。
 風が吹けば云々、という説明と同じように思います。結論からいえば、甲子日甲子時に庚辛がある場合や午がある場合は悪いということです。
 揺動の揺という字を使うはずだが、遥という字を使うのは遠くから合をなすということで、その理屈によるものである。月令に正格があれば用神とするのは正しいが、正格でなければ月令を用神とするのは、理があるようで間違いである。これは幾例もみてそうである。西方申酉戌巳酉丑運では、正官が強くなることを恐れる。
 喜忌篇にいう、
 甲子日がまた子時に遇えば、庚辛申酉丑午を恐れる。
 ある人曰く、この格は旧伝では、甲子日甲子時は、子が巳宮の戊土を遠くから合して、それで丙が動き、また酉中の辛金を合して官星とするので、身旺の行運である必要がある。もし月令が木に通じれば、まさに歳運をみる。および四柱のうちに庚辛申酉があるのを忌み、官殺填実とする。また丑がともにあるのを忌む。午は子を冲する。遠くにあるのは取り去ることができない。あわせていまだに官運を喜ぶという説はない。しかし格をみるに官運を喜ぶとはどういうことか?私曰く、この格はもとより正官星を見てはいけない。もし春月生まれで、また印が重なることになり、もし冬月生まれなら印はますます旺じる。官がなければ身旺極まりなく、歳運で官星にあえば、多くは資財ますます盛んになり、功名はあらわれ、大富貴となるはずである。私はかつてこう考えて、それで木旺で金を得れば、まさに棟梁の木となり、官印両全、すなわち貴人となる、とした。これらの格局はまたまさに通変で、一つにこだわってはいけない。すなわち官星を見てはいけないというこの説は場合によっては正しい。経にいう、通変はいわば神である。観古歌にいう、甲子重ねて甲子時に逢うのは、生旺であればなんともいえない。月が日主を生じて根が強ければ、運が官に入ればかえってすばらしい。すなわち格の解釈はでたらめというわけでなく、官を見てもいいのである。ある人は、この歌がわからず、月が日主を生じ根が強いというのを改めて、根が弱いとしているし、また運が官に入れば反ってすばらしいというのを、かえってよくないと改めているのは、間違いである。ただ春月冬月生まれは、干支に水木が多すぎるということを論じており、強さ弱さをよく見極める必要がある。もし食傷印財官の月の生まれならば、ただ六格でもって判断すればいいので、なにも子遥などという格でみることもない。そうしなければ、ちょっとした差とはいえ、大きな誤りとなる。
 張楠も最後に書いているように、子遥巳格などは格として考えなくてもよく、この格をあまり真剣に論ずる必要はないと思います。



丑遥巳格

 楠曰く、
 丑遥巳格というのは、癸丑日生まれで丑が多く、巳の中の戊が癸と合して官星となるということで、丑が多いことが必要である。また、辛丑日生まれでも、巳の中の丙が辛と合して官星となり、巳が多いのを恐れる。また寅が丑の隣にあった場合を恐れるが、それは遥することができないわけで、この考え方は前と同じである。
 寅である理由がよくわかりません。後では寅は出てこず、子となっていますし、冲ということであれば未でしょう。
 辛癸日で丑が多い場合は、官星を喜ばない。年と時に子巳があれば、名利ともに虚である。
 ある人が曰く、この格は旧伝では、辛丑、癸丑の二日だけで丑が用神で多い場合を主にいう、癸辛は巳の中の丙火戊土を動かし官星とする。申酉の二つを喜ぶ。ただ一つだけでも合となりなかなかのものとなる。もし四柱にもともと子が隣にあれば、巳が多くても遥して取り去ることはできない。歳運もまた同様で、もともと官星がなければ、まさにこの格を用いる。官運を喜ぶことはないとの考えがあるが、しかして格を解けば官運を喜ぶとはどういうことか?私曰く、この格はもともとは官星をみてはならないのであるが、もしきわめて身旺であるばあいは、官の行運を喜ぶのである。運は子遥巳格と同じと考えてよい。ゆえに古歌にいう、辛日癸日で多く丑をみるのは、名づけて遥巳といい官星と合する。官星を喜ばないといってはいけない。官が来てかえって成るということを信じるだろうか。また観古歌にいう、諸般の貴気は合する格といっても、六格の大綱は外していいということにはならない。さらに向背運辰行をみれば、一つの考えで財を取ることはよくない。子遥丑遥の二格で身が強すぎれば、官運に向うのを喜ぶことは、まず明白である。
 [ショ][コ]天にいう、
 癸辛の二日で丑があれば、巳と遥合して官星を得る、申酉が巳と合すれば功名があらわれ、富貴栄華万事うまくいく。丙丁は破で、戊己は冲。かさねを着て鼎を並べてかえって恩栄をうける。年時に子があって丑と合すれば、この格は成立しない。
 補して曰く、
 丙丁が破というのは、辛日で大運で丙丁は官殺運である、戊己が冲というのは、癸日で大運が戊己は官殺運である、ということである。かさねを着て鼎を並べてかえって恩栄をうけるとは、正格で解するいわゆる官運を喜ぶということである。
 丑遥巳格も、存在しない巳に対しての作用を説くものです。しかし、私には巳である理由がわかりませんし、それに特別に格として取り出すことはなく、他の格に則して考えれば十分であろうと思います。



壬騎龍背格

 格曰く、
 壬騎龍背格は壬辰日で辰が多く、すると戌と冲して戌中の丁火を冲出して財星とする。辰寅が多くなければならず、寅が多ければ戌と合して、龍にのるを以って吉とするが、これは根本的に理があるわけではない。ただ名前が美しいので何となく人を信じさせてしまう。辰が多ければ戌を冲するというのは理があるのだが、この格だけで禍福を論じてはいけない。命式で別に正格がとれなければ、これを参考にする。
 喜忌篇にいう、
 陽水重ねて辰の位に逢うのは、壬騎龍背の郷にいるとする。
 古賦にいう、
 この格は壬辰日で、四柱に辰が多い場合を貴とする。寅が多いのは富、壬日で辰に坐すのは、丁を財とし、己を官とする。辰が戌中の丁戊を冲して、壬辰日は財官を得るとする。しかして寅午戌の三合があり、あるいは壬日が寅に坐していれば、年月時柱に辰が多くあれば、貴とする。もし壬辰日で年月時がみな寅なら、これはただ富命とする。寅午戌を財として地を得るとする。もし年月時がみな辰であれば、財官を冲出すれば、それで名を四海に揚げる(名声が高くなる)ことになり、その権威は広く伝わり大貴である。
 古賦にいう、
 壬騎龍背は官にいるのを恐れる。重ねて辰に逢うのは貴がありあまって、もし寅が多く辰が少なければ、まず陶朱にも匹敵する富豪となる。
 [ショ][コ]天にいう、
 壬騎龍背は喜は非常で、寅が多ければ福で命が長く、辰が多く官印重ければ、六[トウ]三略に通じた英雄となり聖王をたすけ、勲章をもらい、広く辺境の地まで平定し、先賢は立ちついに天理をきわめ、権威を粛整して四方を圧する。(この辺は権威が高いことをいろいろな言い方で述べている)
 名前がかっこいいので、これを格にしたいところですが、実際のところ別に格として掲げる必要はないかと思います。辰は水の根となりますから、辰が多い壬辰日は日主が強くなります。するとだいたいにおいて財官を喜びますから、貴命になりやすいとはいえます。ただしそれ以上のことはありません。辰が多ければいいというのは、戌がきても一つの辰と冲するだけですから、壬が極端に弱くなることはありません。墓庫は冲にあって開くといいますが、それだけではなく、壬が弱くならないという効能もあるのです。
 寅が多い場合は寅と戌が会して火が強くなるということですが、それは天干に火があっての話で(あるいは行運で丙丁に逢う)、これも無条件に成立というわけではありません。
 結論としては、このような格を記憶しておく必要はないということです。



井欄叉格

 楠曰く、
 井欄叉格は、庚子、庚申、庚辰の3日で、申子辰がすべて地支にあるのをいい、午戌の財官を冲動して庚日の財官とする。寅午戌があるのを恐れ、それはこの格を破壊することになるからである。
 庚日時が潤下に逢うのは、壬癸巳午の方を忌む。時に子申に遇うのはその福が半減する。旧注にいう、井欄叉格を論ずるに、庚日生まれであって地支に申子辰がそろうのをいう。これは潤下がそろうということで、庚は丁を用いて官とし、子が午を冲するのをいう。庚は甲を用いて財とし、申が寅を冲するのをいう。戌中の戊土は庚の印とし、辰が之を冲するのをいう。つまり申子辰の3つの叉が寅午戌を冲するというわけで、財官印綬とするというわけである。四柱に申子辰がすべてそろうのを貴とし、必ずしも3つの庚が必要なわけではない。3つ庚があればそれはなかなかのものであるが、庚日生まれで庚年または月時生まれであったり、戊子戊辰であっても別にいいのである。ただ申子辰はそろわなければならない。東方の財地に行くのを喜び、北方傷官、南方火地に行くのは貴としない。これはすなわち壬癸巳午の方であり、これをこの格は最も忌むのである。もし時に丙子があれば、これは時上偏官格である。もし時に申があれば、これは帰禄格である。この場合は福が半減する。すなわち福気は不全で、名声はむなしく利は薄いだけである。
 補して曰く、
 壬癸巳午の方を忌むとは、北方傷官、南方官運を忌むということである。旧注はそれを明らかにしているが、では壬癸の方を忌むとはどういうことか?伝にいう、中和は福とし、偏党は災いとする。格中には申子辰があるわけで、傷官の旺に会う。もしさらに北方壬癸運に遇えば、すなわち傷官洩気が過ぎ、必ず禍となる。まさにいわゆる四柱もし三合傷官の殺があれば、行運が傷官に及べばその禍は言うまでもない。
 [ショ][コ]天にいう、
 庚日で申子辰がそろうのは、井欄叉格で官星と合し、また三格に逢い官印が多いのは、巳午未に臨めば辛苦を受ける。壬癸は破、丙丁は冲、命式行運中でそれらに逢わなければ名があがり、世をすて仙人になるようなことはなく、また科挙に合格して高い地位に昇る。
 これも特に格として独立させることはないように思いますし、この格になれば大貴とは必ずしもなりません。実際本文でも条件をいろいろつけていますので、そんなにいろいろ条件をつけるぐらいなら、格にする必要はないんじゃないの、と思います。
 庚日で地支に申子辰がそろえば、まず庚は申に通根しますから、日主が強くなる可能性は高いです。しかし金水の命となると、まずは金寒水冷を心配せねばなりません。これは仮に従旺、従強格でも凶意がありますから、壬癸水を最も忌むというのは理に合っています。
 寅午戌を恐れるとは冲になるからでしょうが、これは無条件に成立するとも思えません。金寒水冷は解凍するのに火が必要な場合があるからです。個別に検討しなければならないでしょう。



訳者のあとがき

 子遥巳格、丑遥巳格、壬騎龍背格、井欄叉格を訳しました。私はこれらの雑格について格として取り扱うことに否定的なので、あまり真剣に訳していません。
 実例については、「命式例集」で取り上げますが、あまり適当な例ではないと思いますし、このような格は全然考えなくてもいいでしょう。


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