「命理正宗」格局解説 抄訳その9

六乙鼠貴格、六陰朝陽格、刑合格、合禄格


はじめに

 その9ということで、六乙鼠貴格、六陰朝陽格、刑合格、合禄格を訳します。



六乙鼠貴格

 楠曰く、
 六乙鼠貴格は、ただ乙亥乙未日で丙子時をとる。子が来て巳を動かし、しかして巳と申が合して庚金を起こし、乙木の官星とする。庚辛をみれば乙を破り、用を取ることができない。もし乙丑乙酉乙巳日は官星に坐すということで破格で取れない。乙卯日はすなわち子を刑破するのでまた取れない。午を見れば子を冲するのでやはり取れない。正格に属するのであれば正格で論じ、正格でなければこの格をとる。理に近いところはない。
最初の子が来て巳を動かし〜、という説明は、例によって無いものを論じており、その意味で子遥巳格と同じようなものです。(およそ格としては意味をなさないということ)
 喜忌篇にいう、陰木が子時に遇えば、六乙鼠貴の地とする。
 三車一覧にいう、この六乙鼠貴格で、陰木というのは乙である。ただ子時に遇うとは、鼠を用いて申を用いないということである。貴とは天乙貴人である。乙日生まれの人は子申を貴人とする。六乙日生まれは丙子時がまさに天乙貴人であり、六乙鼠貴格というのである。申時はすなわち官星があらわれるため、とらない。
 旧注に曰く、この論は午が子を冲するのをおおいに恐れる。丙子時で子がおおいのはまたすばらしい。鼠が集って貴となるということである。また四柱に庚辛申酉丑があるのは、すなわち庚辛金をもっているわけで福分は減少する。歳運や大運でめぐってくるのも同様。もし月内に官星があれば、この格はとれない。もし命式中に官星がなければこの格を用いる。
 古歌に、乙日鼠貴格は陰木天干丙子時で、乙巳運は貴となりすばらしく、冲、官殺がなければまたすばらしい。若くして地位を得る。
 また曰く、乙木日丙子時生まれで、官、冲、害がなければまさにこの格とする。教育すれば科挙で首席となり、広く名声がとどろく。
 またいう、六乙鼠貴格は、乙日が丙子時に逢い、もし午の破がなければ貴はもっともすばらしい。四柱に申酉丑があるのを忌む。もし官殺がなければ高い地位に昇る。
 また曰く、陰木が陽に逢って子が多いのは、名を鼠貴といい貴は高くそびえ、柱中にただ南の位(午)があるのを恐れる。困苦傷残はどうであろうか。
 [ショ][コ]天にいう、六乙日丙子時生まれは、高い官位につき福は興隆する。午があらわれれば貴とはしない。用神を剋破するのはまず凶であり、酉丑がないのがよく、庚辛を忌む。傷官との合があれば豊かであり、命式に官殺がなければ栄華があらわれ、たいへん立派な屋敷に住む。
 補して曰く、この格は官殺冲刑破害を忌む。丑は官庫となす、よってあわせてあるのを忌む。そのむかし丑は子を合するとの説があり、丑が子を合するのを忌むというのは間違いである。この子は六乙の天乙貴人であり、合を喜び冲を忌む。子遥巳格で子を禄飛するのとは違い、丑は単に合となるだけである。
 この格は子が天乙貴人であるというだけであり、この格を特別扱いする必要はないでしょう。乙亥か乙未日で丙子時ということは、乙自体は日支に通根していますが、時干が傷官ということで、乙が強いというわけではありません。むしろ乙は弱くなる可能性が大で、とすれば金は忌神です。ですから金が悪い理由はわかりますが、時支に貴人があるからといって晩年は高い地位に昇ることは保証の限りではないと思います。



六陰朝陽格

 楠曰く、
 六陰朝陽格というのは、六辛日をとり、命式に官殺がなく、丙を辛の官ととるわけだが、およそ辛日戊子時生まれをとる。子は巳を動かし、巳ははよく丙火を動かす。この丙火を辛日の官星とする。ただし辛亥、辛丑、辛酉の3日だけをとり、辛巳日は丙火があり破格とし、辛卯日は卯が子を破り、子が巳を合することができず、辛未日は未中の丁火が七殺となるため、やはり辛金を破る。また巳があり破格となるのを恐れ、午が子を冲し巳を動かすことができないのを恐れる。ただ財運を喜び、官殺運で破格となるのを恐れる。別に格がとれれば別の格を用いる。この理は自ずから生まれ出たものではない。
 古歌にいう、辛が戊子に逢うのを朝陽といい、運が西方で日主が強くなるのを喜び、丑午丙丁があらわれなければ、高い官職につく。
 補して曰く、丑午丙丁があらわれないという一句は、だいたい丙丁があってはならないということ、午が子を冲してはいけないということで、これは経文と照らしてその通りである。その他、経文にあわせて丑が子を絆しては(ひきずる、合の意)いけないとあるのは正しくない。だいたい丑は金庫であって、身旺の地であり、また朝陽格では喜ぶべきものである。昔の人の命式をみると、西王大尉の命は、辛丑日戊子時であって、富貴の極であり、すなわち丑が子を絆することはできないのは明らかである。
 丑が子を合することができないというのは間違いです。丑と子は合して、金としての根の作用は少なくなります。
子遥巳格のように、子で遠くの巳を合するべきところを、丑の合があって巳を遥合できないのを恐れるとか、また飛天禄馬格のように、子の暗冲があるべきところを、丑の合があって暗冲できないのを恐れるとかいうのと違い、この朝陽格においては、子が何かと合したり冲したりするわけではないので、どうして丑を恐れる必要があろうか。
 もとより子遥巳格とか飛天禄馬格とかは意味がないと思っているので、私には上の論は無意味です。
 継善篇にいう、陰もし朝陽なら、切に丙丁火の位を忌む。
 補して曰く、この火の位というのは南方巳午の地支をいうのであり、丙丁とあい照らすものである。この格は火支で解かれる。巳午未といって未を加えるのは間違いである。未は財神の本庫(木の墓庫)であり、また印綬旺の地である。故に継善篇では、朝陽は季月に生まれた場合を印綬と称している。王群主の命をみると、
 己未 辛未 辛未 戊子  と3つの未があるが、貴であり王侯となった。これで未は忌むわけではないことが明らかである。
 六陰朝陽格だから貴命とするのは?です。この命は印が強すぎで、従強格とするべきでしょう。従強格は土金を喜神とし、この場合は命式のほとんどが喜神となります。しかし、土多い金には凶意があって、この命式では(己)土で辛が汚される形ですので甲や壬は五行的には忌神ですが悪くありません。
 秘訣にいう、辛日子時は火地に行くのを忌む。西北に行けば吉であり、東南にひとたびいけば凶を憂う。
 補して曰く、解説すると、西北に行くとは、北というのはおそらくは誤り、間違いである。想像するに西北というのは運が辛亥に行くことを示すのかもしれない。辛は西亥は北で、それで西北というのだが、辛亥の納音は金に属し、朝陽は金旺の地を喜ぶ。大運が庚子や辛丑に行くのは、庚辛が西で、子丑が北であり、これを西北というのであれば、これらの納音は土に属し、朝陽は印旺の郷を喜ぶ。このため西北に行けば吉といったのであれば吉といえる。解説で北は誤りだろうといったのは、この説は北の水郷(地支が水であること)は大いに忌むということである。秘訣が西北といったのは納音のことをいったのかどうかはわからない。東南にひとたびいけば凶を憂うというのは、大運が乙巳に行くことで、乙は東、巳は南とすれば、これは東南ということになるが、この納音は火であり、朝陽は火の郷を最も忌むのであのように行ったのだと思う。でなければ、東方は財気の郷であり、どうして凶を憂うことになるだろうか。
 古歌に曰く、辛日が単単に戊子に逢うのを六陰貴格で朝陽を喜ぶとする。丙丁巳午が命式になく、年運や大運でめぐってくるならば詳しくみる。
 補して曰く、術者の多くは辛日は単にあるというのは辛が一つだけで、さらに辛を見るべきでないというが、それは正しくない。この場合の単単にというのは戊子のことであり、さらに子を見るべきではないのである。子は一陽が初めて生まれるところであり、さらに子を見るのは単単にではない。故に六陰はただ一つの陽生を尽くすのがよく、解説ではここに言及していないので、あえて補足する。
 戊辰 辛酉 辛酉 戊子 は張知院の命である。
 戊辰 辛酉 辛丑 戊子 は西王大尉の命である。
この二つの貴命をみれば、単というのは辛のことだとするのは間違いということがわかる。
 [ショ][コ]天にいう、戊子時が六辛に逢うのは、朝陽が丙を動かし官星と合する、庚辛がもし遇えば貴とし、高い地位に昇る。寅卯は貴であり、丙丁は貧である。北方運に至れば身を傷つけることになる。中和純粋を官貴とし、おそらくは高官となるであろう。
 この格も別に特別の格ととる必要はなく、戊を印、子を食傷とすればよい、とは、「命理約言」に書かれていることです。私もそう思います。
 辛日戊子時で官殺がなく、日主が通根していれば、日主が強く従旺格や従強格になりやすい命式となります。とすると、土金が喜神であり、木水は状況次第、火ははっきりと忌神ということになります。このあたりは個別の命式をみなければ何ともいえません。六陰朝陽は即貴命ということにはなりません。



刑合格

 楠曰く、
 刑合格とは、癸亥、癸卯、癸酉日で甲寅時を見るときであり、命式に官殺がない場合をとる。寅時をとるのは、寅は巳を刑し、刑が巳中の戊土を出して官星とし、この戊が癸と合するために、刑合格というのである。
 刑が(ありもしない)巳中の戊を出して、それが癸と合するなどというのは、全くわけのわからない話です。
もし癸巳日であれば、戊土が破格となり、癸未、癸丑日は七殺が地支にあり破格となる。また巳を恐れ、また破格とする。申があれば申は寅を冲して破るので、寅が巳を刑出することはできない。このような理によるのである。
 喜忌篇にいう、六癸日が時支に寅に逢うのは、年月に戊己二方があるのを恐れる。
 旧注に曰く、この論は刑合格で、六癸日を主星とし、戊土を用いて正気官星とする。甲寅時に逢うのを喜び、刑を用いて巳中の戊土と癸日の官星を得る。もし庚寅ならば刑はならず、ただ甲寅時が正しい。行運は飛天禄馬と同じで、もし四柱に戊己があれば庚寅で甲を傷つけるのを恐れ、刑は壊れる。申を忌み福は減じられる。年運や大運でみるのもまた忌む。
 古歌にいう、癸日甲寅時生まれは、四柱に官星があるのを最も忌む。もし戊己庚申巳がなければ、壮年には栄華にして都に達する。
 補して曰く、癸日生まれの人、すなわち六癸日で、甲寅時とは時柱に寅があるということである。ただこれは刑合格としてとり、四柱に官星があるのを最も嫌うのは、寅が巳中の戊土と暗刑し、戊土は癸日の官星だからである。四柱に戊および巳があるのを恐れるのは、官殺がそのなかにあるためである。それで以下にいう、もし戊土の官、己土の殺がなく、ならびに巳が地支にある、および庚金が甲を剋する、申が寅を冲するようなことがなければ、この格は純であるというべきで、早年から発達し、高位に上る。
 またいう、陰水寅時で格がまさに清ければ、また庚の剋、刑することができないことを愁う。運が巳地にいかなければ、高潔であり名利を得る。
 またいう、癸日生まれで甲寅を得れば、これを刑合格と名づける。もし戊己庚申がなければ、富貴の人となる。
 またいう、癸日寅時は刑合格で、この格が時をえれば必ず名があらわれる。官星七殺に逢ってはならないし、庚申巳は災厄となる。
 [ショ][コ]天にいう、ただ癸日甲寅時で刑が官星を出せば貴であることを知るべきである。寅申の冲があるのは多くは災禍で、もし庚金をみれば悲しみにあい、戊己に逢ったり、刑冲があったりするのは、一生名利は必ずなく、年時日月に刑害がなければ、官位を得ることになる。
 補して曰く、旧注にいう、寅が巳中の戊土を暗冲し癸日の官星とする、庚を見て寅中の甲木を剋する、申が寅を冲して刑が官星を起こさないのを恐れる。いまだ亥午戌が寅と合するのを恐れるということはならない。遭う人は亥午戌が合となるのを恐れると解釈しているがただしくない。潘節使の命は、乙未 癸未 癸亥 甲寅であるが、亥は寅を絆していない(ひきずっていない)のは明らかである。また、甲戌 甲戌 癸酉 甲寅 陳侍郎の命であるが、午戌は寅を絆していないのは明らかである。遥巳のように禄馬が絆神を忌むということはないのである。
 この格も格として独立してみる必要もないと思います。時柱が食傷という以上の意味はないように思います。



合禄格

 楠曰く、
 合禄格とは、六戊日で庚申時に逢うのをいい、四柱に官印がない場合にこの格をとる。時上の庚が乙と合で起こし戊土の官星とする。ただ甲木が戊を剋して、日主を制するのを恐れる。また丙が庚を破り乙と合することができないのを恐れる。また寅が申を冲破したり、また卯が官星を見た場合を恐れる。
 書にいう、庚申時で戊日の場合は、食神が干旺の郷であり、年月に甲丙卯寅があるのはこれを遇にして不遇とする。(よくないということ)この格はただ時上食神格であるのだが、もし年月に官殺がなければ、合禄格としてまた理のあるものである。ただし、庚申とも傷つけられたり破られたりしないのが、おおくは有効である。
 ひとつまた、拱貴格というのは、甲寅日甲子時であるのだが、どうして貴であろうか。だいたい甲は辛金を官として貴とするが、この場合子と寅で挟まれた丑の中に辛金官貴があるのである。(丑は甲の貴人である)およそ子と寅はよい支であって、丑はその間にあるというだけである。また日時が甲で支の間に丑中の辛金を挟む場合、ただ庚が来て甲を破ることを恐れる。そうすると丑をはさむことができない。また申が寅を破り丑を挟めなくなることを恐れる。また午が子を冲して丑を挟むことができないのを恐れる。さらに庚辛申酉巳丑は破格となる。この格は実に有効であり、ただし中和するのを要する。強すぎたり弱すぎたりするのはとらない。もともとこの格は丑中の辛金を貴とし、また甲日が丑を見るのは天乙貴人とするというところから来ている。
 どうして拱貴格の話がここにあるのか、はなはだ疑問です。何か間違って挿入されたのか?
 格を解していう、秋冬生まれはなかなかのものである。
 喜忌篇にいう、庚申時が戊日に逢うのは、食神干旺の方にあると名づけ、年月が甲丙卯寅を犯せば、これは遇にして不遇。(これらに遇うことにより不遇となる)
 補して曰く、この段は旧注では、専旺食神格といい、またある人は合禄格という。また合禄格というのはもともと戊日庚申時、癸日庚申時をいい、二日とも食神合禄であり、喜忌はもとより同じである。
 旧賦にいう、この格は六戊日庚申時生まれで、卯中の乙木と虚合して官星貴気とする。もし四柱に甲があれば殺として、卯は官、丙は梟(偏印)、庚寅は申と冲、巳は申と刑、すなわち貴気を破壊する。これはすなわち遇にして不遇ということである。もし秋冬月生まれで、身と財が強く、また官殺刑冲破害および梟を犯さなければ、富貴は軽からず、故に曰く純粋なら主に大貴である。もしそれらがあれば福はほとんどなくなる。
 古歌にいう、申時戊日は食神でよく、最も秋冬を喜び福はありあまる。丙甲卯寅が来て剋破すれば、遇にして不遇、孤独で貧困となる。六癸日は庚申時を主に喜び、巳中の戊土を合して出し、癸日の官星を得る。もし四柱に戊並びに巳があれば、子申は刑で壊される。あるいは丙があると反って庚申時を傷つけ、福は減じられる。年運大運も同様である。また四柱に官星がない場合に限ってこの格となるともいう。
 壬午 己酉 戊午 庚申  史春坊の命
 壬申 辛亥 戊寅 庚申  鄭知府の命
 丙申 庚子 戊申 庚申  呉知縣の命
 癸酉 乙丑 癸丑 庚申  和同知の命
 これまた格として独立させるのかはどうかと思います。



訳者のあとがき

 金神格から合禄格までを少し強引に表にしてみました。ただ、私は以下の格にはあまり意味がないと考えています。

日干日支時干支時柱変通条件
金神格甲己癸酉乙丑己巳
飛天禄馬格庚壬癸子亥亥子が多いこと
子遥巳格甲子比肩、傷官官殺、申酉丑午のないこと
丑遥巳格癸(辛)丑が多く、子巳がないこと
壬騎龍背格辰が多く、寅は吉。官殺のないこと
井欄叉格申子辰申子辰がそろうこと、官殺、食傷のないこと
六乙鼠貴格亥未丙子傷官、印官殺、申酉丑のないこと
六陰朝陽格亥丑酉戊子印綬、食神官殺、丑午のないこと
刑合格亥卯酉甲寅食神、食神官殺、庚申巳のないこと
合禄格戊(癸)卯寅以外庚申食神、食神官殺、丙甲卯寅のないこと


 次は一行得気格の抄訳となります。


 >>次ページへ