「窓のとおく」の“チータカタッタ、ピーヒャララ”。アンジーが教えてくれなかった元ネタはこうです。
さらば、わたしの友だちよ──
さらば、となえよ、ばんざいを!!
聖林さがしにわたしは行こう、
なぜかはわたしも言えないが。
おぼえておいて、おねがいだ、わたしが去ったのちまでも、
わたしを動かすこの大志。
チータカタッタ、ピーヒャララ、
君らといっしょにいたいんだ、
けれど、ここらで、さようなら。
三原さんはこれを恐らくスチュアート・オルソップ「最後のコラム」で読んだのだと思うが、肝心の「最後のコラム」にもこの詩の出典元は書かれていない。
クラレンス・デイはアメリカの随筆家。1874-1935。
「窓のとおく」でグレアムが持ち出した滑稽詩。これも多分スチュアート・オルソップ「最後のコラム」から。
「最後のコラム」の注釈によると、ヒレア・ベロックはイギリスの随筆家、詩人、批評家。1870-1953。「ヘンリー王」は「戒め物語」にある滑稽詩らしい。
「バイバイ行進曲」でグレアムが最後の一行を思い出せずにいた「主の祈り」は、もちろん新約聖書で読むことができる。が、三原さんはこれをスチュアート・オルソップ「最後のコラム」から引っ張ってきたに違いない。しかもエピソードごと。最後の一行を思い出せなかったというオルソップ氏の体験談が「最後のコラム」にある。
コラムニストとして名を成していた著者が、急性骨髄性白血病もどきの発病以降に、自らの死と向き合いながら綴った「回想録であり、臨床報告であり、詩的エッセイ」(訳者あとがきより)。コラムニストの書らしく引用やもじりが多彩で豊か。
「ブルーカラー」でのグレアムのモノローグ「どこへ行こう どこまで行こう 日ごとボク達は繰り返し… どこへ? もう行かないのだ…と心で知る日まで 心で知る日まで」中にある「心で知る」を指して三原さんは「この言葉を拾ってきたのは、スチュアート・オルソップ『最後のコラム』からです」と「はみだしっ子語録」で語っていたが、拾ったのはこの言葉のみならず。「奴らが消えた夜」より後の「はみだしっ子」において、三原さんは本書を実に頻繁に活用している。
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