ジャパンタイムス2010.10.10掲載 記者、Edan Corkill 訳 :小原 信弘-
---------------以下、本文は数ページに渡る論文となっているが、抽出して掲載。
「公共空間で座る権利」のために立ち上がろう!--
----------旅人は一息ついて腰掛けたい。行政は知ってか知らずかそれを許さない
1994年数日の日本滞在でのある日、新宿でのこと、ランチタイム時になったので学生なりに奮発して、またアウトドア好きのオーストラリア人気質も手伝って
デパートの食品売り場で旨い物を仕入れてどこかのベンチで食べようと思いついた。
食品売り場では首尾良く好みのものがそろいました。しかしその後が悲劇でした。
30分ほど街をさまよい、私のランチのためのベンチを探したのですが見つかりませんでした。最終的に私が座ったところは、西新宿のロータリーのバス停のど真ん中の
なベンチだった。次々とバスが出入りし、乗客達は哀れな私を横目に見ながら通りすぎるなか、私は視線を避けながら顔を赤くしてトンカツサンドをほおばっていたのだが、トンカツサンドを食べるためにこのベンチにいるのでは無く、次のバスを待つついでにトンカツサンドを食べている振りをするしかなかった。
私はそのとき、私が当たり前と思っていた西欧諸国によく見られる公共的なベンチは日本では非常に少ないという印象を漠然と持ったのだが、しかしそのような状況に
もすぐなれ、「郷に入らば郷に従え」の格言の実践者になっていた。
吉野屋などのすばらしい日本独特のファーストフード店の常連となり、ランチのためのベンチを
屋外で探すこともしなくなっていた。
それから16年経った今、公共スペースにベンチが無いという不満は多くの外人共通の不満であることを知ることとなった。
数々のブログなどでそのことが述べら
れているし、外国人旅行者の意見を調査すれば多分もっと顕著にその傾向は現れるであろう。ここ3年東京を訪れた旅行者に対する日本観光協会による調査のなかでも街で
座るベンチが無いことと、ゴミ箱が無いことが不満の上位になっている。 しかしは日本人は特にこの国のお役人にとっては、街もっとベンチをを設けてほしいという意見
があることにほとんど関心が無いようである。
この記事を書くにあたっての私の取材の中でも政府機関を始めどの地方自治体も、前述の日本観光協会の調査報告書に目を通した形跡は一つもなかった。
電話取材でも応対した担当者が取材の内容にとまどうという事が何度もあった。今年の海外からの旅行者は1000万人にふくれあがると(昨年は680万人)いうのに
この現実である。そしてさらに高齢化が進むこの国で、これでよいのであろうか。
この国では公共スペースで人々がくつろぎ休憩出来る場所が不足しているのは事実か、
そうであるとしたらなぜそうなのか、もっと日本人は、特に行政は議論してしかるべきである。日本観光協会の調査結果の事例のなかで、2009年オーストラリアの20代の旅行者
は「もっとベンチとゴミ箱を増やしてほしい」と述べているし、イギリスやベルギーの青年が、またオランダの老人も同じ意見を述べている。
東京都始めその他の小さな地方の街においてもその管轄権は迷路の様に複雑である。もしオーストラリアの旅行者が歩道でベンチを探すけれど見つからないとする。その
不満を伝えるべき相手はある場合には区役所に、別な場合には東京都にあり、そして日本政府にあるという場合さえもある。東京都に於ける全ての道路は歩道を含め、その 管轄を3つの行政区分に分けているためである。
同じように、旅行者が公園でベンチを探したとする。公園には、ベンチが設置されているケースは多いものの、そうでない公園で旅行者が不満を持ったとしても、道路と同じくその管轄は3つの行政区分にわかれており、その不満を伝える相手がどこなのか面倒な話となる。----中略-続く-------
本文掲載写真転載
|