神保美佳プロフィール

2007年11月現在。


■生年月日

1964.2.12

■経歴
神奈川県出身。法政大学卒。
OL時代の1989年、創刊したばかりの「パチンコ必勝ガイド」へ投稿したものが掲載され、
それが業界に入るきっかけとなった。OLから業界誌記者を経て1993年独立。
パチンコ歴は1985年くらいから。パチンコ業界歴は1990年から。
パチンコ雑誌デビュー作→「パチンコ・ラブレター(投稿作/下方に掲載)」

■仕事
パチンコライター。パチンコ、パチスロ専門。
「パチンコ必勝ガイド」などの白夜書房系パチンコ・パチスロ雑誌をはじめ
マンガ雑誌、新聞、業界誌などに機種紹介やコラム、取材記事など執筆中。
パチンコの歴史関係やサブカルチャーなどに関するコラムが得意。

著書…「平成パチンコ大図鑑777(白夜書房・1994年)」
「パチンコ年代記(クロニクル)(バジリコ・2007年)」
共著…「懐かしい日本のパチンコ台(東邦出版・2004年)」他2〜3冊


■興味のあること
パチンコやパチスロを打ったり販促グッズを収集したり。
大学生の頃から、パチ&スロメーカーのロゴマークマニア継続中。
音楽鑑賞、自分がいいと思えばクラシックからハードロックまで何でも。
クダラないことを考えたり書いたりしてセルフツッ込みすること。
腕時計やピンバッジ集め、海外旅行、ショッピングセンター徘徊。
ダイエットマニア気味(しかし効果を伴っていない…)。

■好きなタイプ
頭が良くて社会性があり、奥ゆかしくて人生急いでない人

■苦手
群れること、干渉されること、強制されること、比較されること。
キッチリキッチリやること、人前で喋ること、派手なこと。
生の魚介類、キノコ類とか色々食べられないものが多い。
茶坊主、見栄っ張り、お天気屋、乱暴者、吝嗇、社会性がない人、
不思議くん、無責任、生活音がうるさい人、不潔、礼儀知らず。



 『パチンコラブレター/ザ・トキオ様へ』(『パチンコ必勝ガイド』1989年9月号掲載)

 パノラマっぽいの、大好き。
私はビルの5Fで働いていますが、窓からの眺めがすごくパノラマっぽいです。手前には家の瓦屋根が連なり、その先にはビルがニョキニョキ立っています。そして、ビルの間を高速道路が通っていて、ミニカーのような色々な車がひっきりなしに走っているのです。どこかの博覧会の、変てこりんなパビリオンたちも見てて飽きないけれど、こちらもけっこう負けてません。
 あれは6月のはじめでした。
 会社の先輩から「東京タワーがぐるぐる中で回ってるハネモノを見たゼ。知らないだろう」と言われ、熱狂的ハネモノファンの私は自分の知らない台があることにショックを受けました。そして片っぱしからパーラーをまわり、あなたを見つけたのです。神保町・P店での出逢いは私に三千発の玉をもたらし、その時から想いはつのるばかりです。
 あなたは、すごくまぶしい。
 平和の台がキラビヤカになったのは、いつ頃からだったでしょうか。たぶんスパンキー登場の時ぐらいからでは、と記憶していますがイマイチはっきりしません。ほら、木ワクの右上に、あの赤く光る装置が着き、ゲージのまわりも大当たり時、ピカピカするでしょう。それまではワクの右側が光るといえば、三洋物産の台というイメージが強かったので、初めてシマの横からあの赤い閃光を見た時は、ドキドキしました。最近はそれにも慣れてしまいましたが、あなたは何故か今までのどの台よりもまぶしく感じるのです。セル画の色が黄色っぽいからでしょうか? これはちょっと謎です。
 それから、あなたはパノラマっぽい。
 私は高所恐怖症なので、展望台というものに登ると、失神寸前になります。一応、東京・京都・神戸・マリンといったタワーには登ったことがあるものの、例えばエレベーターがちょっと強く揺れると、すかさず遺書をしたためようと手帳を取り出しかけたり、展望台が妙に混んでいると知るや、エレベーターの近くを離れないなど、常軌を逸した行動に出てしまいます。勿論窓際には行けないのでお土産屋さんをのぞいたりしますと、必ず小さいタワーの模型がありました。お土産のタワーたちはどれも金ピカで、リアルなものはあまりありません。でも、あなたのガラスの向こうの東京タワーは赤くて、展望台にちゃんと人もいます。そして、ヤクモノが始動した時、そのタワーの足の間をコロコロと銀色の玉がころがってゆく。本物の東京タワーの下を巨大な玉が通ったらこわいけれど、青い空をバックに、緑の木々や芝生と、黄色くそびえ立つビルと、赤いタワーのそばを銀色の玉が転がる様は、本当にパノラマチックです。ダメ押しに、ホラ、虹まで見える! ──あの展望台にいる人達から見る光景は、どんなだろう──。などと思いながらあなたを眺めている私の目つきは、けっこうアブないかもしれません。
 あと、あなたの音楽は不思議。
 あなたを大当たりさせる前、私はてっきり沢田研二の『TOKIO』あるいはYMOの『テクノポリス』(年がバレるかな)あたりがかかるのでは、と思っていましたが、全然聞いたこともないような曲だったので、少少ガッカリしました。それに、何だか変な曲。ところがそれもつかの間、あのメロディーは、奥が深くてなかなかその通りに口づさめないことに気づいた上、ハーモニーが少々哀愁を帯びていて、いつの間にか大好きになっていました。ちょっと金属的な響きがするところもアーバンチックでヨイですね。また聞きたくなっちゃいました。
 とてもまぶしくてすごくパノラマチックで不思議なメロディーを持っているトキオ様。あなたは限りなく出玉がよいけれど、波の荒さやヤクモノの厳しさも、他の台と比べものにならないくらい辛いですね。だからこそ、人々があなたを攻略しようと却って躍起になっているのでしょうか、どのパーラーも、あなたのシマは超人気です。あまりに人気があるので、私は逆に面白くない。空いている台は、鳴きも、寄りも、全然良くないのですから。でもね。トキオ様はただでさえ辛いのでせめて落としは超甘くしてほしいですよね。
 最後にもう一つ書いておきたいんですけど「似非ザ・トキオ様」が、実はいるのです。普通、ヤクモノの東京タワーは大当たり時以外、一回転して止まるという動作をくり返していますが、新橋の『●●●●●センター』762番台のトキオ様は、なかなかタワーを止めて下さいません。物理的に、Vゾーン入賞できるのか疑問です。(これって一台情報になるんでしょうか?)気をつけなくちゃいけませんね。
 では又明日。シー・ユー・アゲイン。(伏せ字以外原文のまま)

 …困ったものだ。もちろん、上のは『ワザと』書いたものなんだけど、今になって読み返すと、そんな思いでいっぱいになる。コレを書いた時、私は25才。無名の文房具メーカーでOLをやっていた。ナゼだか知らないが『パーラー』などという恥ずかしい単語を平気で使っていたり、本当、頭オカシい人のエキスが随所にタップリって感じがしますね、ハイ。
 けど、まだ必勝ガイドも創刊して1年位しか経っていなかったので、とりあえずこの投稿は目立ったのかもしれない。確か封書の表に『絶対載せて下さいコーナー係』などと、勝手にコーナー名を作って書いた覚えがある。…若さってヤツぁ、怖いもの知らずなんだなぁ。なんちて。
 とにかくコレを誌面に載せてもらい、現編集長のNさんと高田馬場で会うことになった。電話でお互いの服装を確認すると、確か私は緑のワンピース、Nさんは緑のポロシャツだったと思う。で、ファミレスの「ジョナサン」に行き、2人とも食べ物をオーダー。食べながらNさんがニヤニヤしながら「なんか、初対面なのに物食うって、変ですよね」と行ったセリフが、ナゼだかハッキリと頭に残っている。そんで、私は『パチンコ必勝ガイド』っていう雑誌の”テイスト”を、その言葉に感じてしまったんだなァ。えらく気に入っちゃってね。もう、あのノリは他が逆立ちしたってついてこられないと思う。
 この翌年1月、必勝ガイドから入場用バッジをもらった私は晴海で行われた『パチンコ博覧会』に仕事を抜け出して2時間だけ行っちゃって。ソレがきっかけで「パチンコ業界に入ろう!」っていう決心を固め、業界誌記者になったのだった。あ〜、光陰矢のごとし。
(1997.4 付記)

 ↑投稿作も上の付記もあまりに昔のもので、恥ずかしくて仕方ないのでさらに書き添えます(笑)。

 この投稿をした頃の「パチンコ必勝ガイド」は、エロ本の増刊号で確か隔月刊だった。最初の方は水着の女の子やエロっぽい漫画なども普通に掲載されていて正直買い辛かったが、毎回欠かさず購入し隅から隅まで読み返すのが楽しくて仕方なかった。
 既に「パチンコファン」「パチンコ攻略マガジン」「秘密のパチンコ術」「パチンコマル秘情報」といった雑誌はあったけど、なぜか一番ガイドが自分にとって面白かったのは、多分当時文章をメインで書いていたNさん(当時はバイト)によるところが大きいと思う。まぁ、上の付記でもノリを絶賛している通り。ちなみに写真は当時編集長の末井さんが撮っていて、アタシの投稿を読んで「この人、何かヘンだから載せましょう」と決めてくれたのは、今でも本当に感謝している。
 しかし、そんなに好きだったガイドに投稿してたものの、編集やライターになろうとかは全然思わず、すんなり業界誌に入ることにした。第一、攻略誌がこんなに長く続くとは思ってもいなかったしね。
 結局、3年後にはフリーのライターになったんだけど、振り返ると仕事的にはすぐ編集やライターにならずに、業界誌で業界の仕組みを勉強したり人脈を持ったりしたことが、結果的にすごくよかったと思っている。業界のことも台のことも両方フォローできるようになれて、仕事の幅も大きく広がったから。
 思えばもう、投稿から20年近くが経ってしまったしパチンコもその周辺も、ものすごく変わった。残念なことに台のサイクルも異常に早くなってしまい、投稿当時みたいに1台に対して入れ込むことも難しくなって来てはいるけれど、これからも何というか、相変わらずマニアックに熱中しつつ客観的な立場で業界の中にいられたらいいなぁ、と思っている。

(2007.11さらに付記)
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