今年のテーマ


新年更新せず 2006 その理由は以下の項末尾にあります。      

     作らない!創る!
今この地球で一番いけないのはモノを作りすぎることだ。それは地球環境悪化の根本的原因だ。
しかしメーカーはシェア争いで勝ち抜くためにたくさんの上にもたくさんのモノを作っている。数を作れば安くなる。じきに安さで競争ができなくなって品質で勝負という。品質向上にまた資源とエネルギーをついやす。そんなことやりたくない!!
DIVは良いものをたくさん作る事をしない。できない?創ることしかできない!。
創ったものは創ったものよりも出来が悪い。完成度が低い。品質に力を入れることも困難だ。神様の創造物の人間だってそう品質が良いワケではない。それでも人間はすばらしい。他に比類するものがないからだ。DIVはそういうものを創りたい。
  以下カンタンに解説すると。

デジタルカメラの水中ハウジングは工業生産方式で出来るシナモノではない。
工業生産は大量に規格品を造るのに適して、そのおかげで沢山の人が安い製品を利用できる。その結果、製品イコール工業製品のことだと思われるようになった。しかしデジタルカメラに使う水中ハウジングとなると、巨大なマーケットがあるわけでなく、その上カメラ本体がどんどんモデルチェンジされるから、大量に造ったら大量に売れ残る。
それなのに実際にはダイバーは大量生産品のハウジングを使っている。ちゃんとあるじゃないか。しかし少なくともオリンパスのそれは水中カメラハウジングではなく防水防塵プロテクターなのだ。確かにカメラは水やホコリに弱いから、そのプロテクターには確立された需要がある。それ自体では採算が取れない商品であっても、カメラメーカーとしては必要性がある商品だ。そして、ちょっと手を加えれば、たいしたコストアップにならずにダイビングにも使えることがわかり、ここに水中デジカメ時代が出現した。メーカーが認識していた以上に写真を撮りたいというダイバーの思いは強かったのである。それはちょうどニコノスの初期と似ている。
フランスで、開発された水中カメラ、カリプソを日本光学(当時)がライセンスを買ってニコノスとして発売したとき、それは、全天候カメラとしてであった。しかし実際に使ったのはダイバーばかりで、その評価は非常に高く、圧倒的シェアを獲得した。何よりも信頼性が抜群だった。信頼性は工業製品の特徴でもある。信頼性の低いものを大量に作ったらメーカーはどうなるか、考えるだけで恐ろしい。だからといって、ニコノスは成功した工業製品だったろうか。もしそれが利益を上げていればそれに続いて各社から水中カメラやハウジングが出たはずである。いくらかの試みはあってもすべて商品として実現する前に消滅した。工業製品としての水中カメラマーケットはなかったのだ。

防水プロテクターは各カメラメーカーが作り、それをダイビングでも使えるようにしているのが現実で、工業製品としてのデジカメハウジングは実は存在しないのである。だからxxxxカメラの水中ハウジングはありますか、とおっしゃるのは質問からして間違っている。xxxxカメラの防水ケースでダイビングにも使えるものがありますか?と聞くべきなのだ。そしてDIVはカメラメーカーではないからそういうものを作る力はない。

水中写真を撮るならば水中用に作られたカメラがいちばん望ましいという発想でおよそ半世紀前に作られたカリプソカメラ。そのライセンスを買ったニコンはそれでは工業的生産に見合うだけの需要なしとみて、タフな使用に耐える全天候カメラとして売り出したそれがニコノスである。おりしもベトナム戦争で、泥水の中でも使えるカメラが要望された。ニコノスの85mmレンズはそういう目的で作られたという。目測カメラで水中、85mmレンズのピント合わせは事実上不可能に近い。結局ニコノスを支えたのはダイバーであり、舘石昭のマリンダイビングだった。長い間ニコノスは売られていた。しかし他の機種や他社が参入するだけのマーケットはなかった。そして、40年に近い生産を続けて、多分それなりの利益もあがっただろう。モデルチェンジもおこなわれた。カメラのトップメーカーとしての意地もあったろうし、社会的責任を感じておいそれと撤退は出来なかっただろう。だが、どんどん変るデジカメでは、状況が違いすぎる。
そして、ハイテクの時代になって、ニコノスは大失敗をした。ニコノスRSを開発してすばらしい高度な水中カメラが出来たのだが、ハイテク技術は進歩が早く、またそのコンポーネントは大量生産しなければならないものだ。だから一気に大量需要を喚起しなければ工業的に成立しないのに、RSはあまりに高価だった。そして、大量生産デバイスの供給源であった母体のカメラ、F601の生産終了と共に姿を消さざるをえなかった。
あのカメラは根本的に成立しない商品だったのだ。だからそんなものが世に出たのは奇跡だったし、今それは希少価値としてさらに高価なプレミアムがついている。

ダイバーも悪い。ニコノスをAF一眼レフにしろと要求したのは「ありえないものねだり」だったのだ。しかし工業生産とはどういうものかを知っているはずのメーカーがそれに乗ったのは、偉いといえば偉いが無謀といえば無謀だった。そしてニコノスRSの撤退を非難したダイバーはもっと悪い。ニコンが早いところ見切りをつけて撤退したのは賢明だった。引き時を間違えて沢山売ってしまうと後の責任が出てくる。超高級特殊銀塩カメラをデジタル時代に生産し続ける羽目になったらエライことだ.

世の中、品物があふれて,欲しいものは何でもあるのが常識になった。工業化社会の成果である。工業化できないものは作れないから誰も見たことが無い。したがって非工業製品など目に触れることはほとんど無い。
何かで、たまに目に触れるとそれは工業製品だとアタマから思い込んで、意識さえしない。工業製品のレベルで評価するから高いとか、傷があるとか、センスが悪いとか、信頼性が無いとか、品質にばらつきがあるとかいうことになる。それらは、大量生産品にはあってはならない問題で、あったら商品として致命的だ。しかし、工業生産でなければあって当然の欠点なのだ。欠点のない物を作れと言うならば出来だろう。その場合は値段は途方もなく高くなり、普通のヒトには買えないものになる。どんなに良いものでも誰も買えないものだったら、作るだけ資源とエネルギーの無駄である。

欠点が無いものがいかに高くつくかの例として、最高ハイテク工業品の一つを挙げるのはオモシロい。それはデジカメの基本デバイスであるCCDやメモリーカード。デジカメの価格の中でCCDとメモリーカードが占める割合いが大きい事は知られている。メモリーカードは外観上なんの変りもないのに、容量によって値段は非常に違う。この種の半導体デバイスに欠陥があるかどうか、何しろ数百万の微少半導体が並んでいる中にはとうぜん数個の欠陥があり、そういうのは残りのすべて数百万の部分が正常であっても存在は許されず、廃棄される。つまりCCDやメモリーの価格は歩留まりで決まるといってよい。メモリーカードの素子欠陥は素子の数、すなわちメモリー容量に比例して生ずるから、歩留まりはそれだけ悪くなり大量の半製品がはねられ捨てられる。その歩留まりは各社企業秘密だ。大容量メモリーが高いのはそれだけたくさんのモノが捨てられている証拠で、どのくらい大量に捨てられているかは価格から想像すればよい。メモリー容量と価格が比例しているのは製造にそれだけ手間がかかっているからではなく、それだけたくさん廃棄されているからだ。ちょっとでも欠陥があれば価値ゼロになるシビアさが工業製品にはある。だから、大量生産技術でそれを克服しなければならない。工業化社会はそれを成し遂げてきた偉大な社会だ。半導体のチップは、特にそれが高度になればなるほど。超高価なステッパーを使った大量生産でなければ作れない。手づくり品が高級だなどここでは全然通用しない。

大量生産できないものに工業製品なみの品質を求めるのは間違いだ。出来たとしても値段は途方もないことになる。窯業製品、いわゆる焼き物には工芸品としてと工業品としての分野があり、工芸品のそれはたくさん焼いてその中から欠陥のない物を選び、あとは叩き割る。工芸品の価値はそれによってたもたれる。実用品としては差し支えがない程度の傷があっても消滅させられる。良いものができるのではなくて良いものだけが選抜されるのだ。それは職人の心意気、あるいはこだわりとして賞賛される。しかし、本当にそうだろうか。それは資源とエネルギーを無駄にして価格を吊り上げているあくどい商業行為ではないのか。

水中ハウジングは大量生産できない物である。 DIVは非工業製品として水中ハウジングを成立させる道を模索してきた。ダイビングを覚えると大半の人が水中写真を撮りたいと思う。ある調査によればそれは75%にもなるというし、それを聞いてもっともだと思う。だから、それに見合う価格と品質のものを供給したいというのがDIVの志である。そのことに誇りを持っている。だから作ったものの大半を叩き割っていいものだけ出すという高価な途はとるわけにいかない。探せばすべてのDIV製品に欠点があるはずだ。

製品の欠点を絶滅させようとすれば到底買えないほど高くなる。工業製品でさえ際限なく品質を追求していけるものではない。品質には際限がないからだ。どこかで妥協する。「すべての製品は妥協の産物である」、という名言がある。買い手が一切の妥協を拒否するのであればすべての商品は存在できない。重箱の隅をつつくようにして欠陥を探し出して追及するのは商品の質の向上に役立つどころかその商品を消滅させる事になる。
ユーザーが気がついて指摘するような欠点のほとんどはメーカーは既に気がついている。 当たり前だ。ぜったいに改善しなければならないものは黙っていても直してしまう。カタログに「改良等のために予告なく変更する事があります」と書いてあるのはそういうことだ。そしてたいした問題にならない程度のことで、しかも改良にコストがかかるものは当然後回しだ。儲けが出たら機会を見て直そうとか、次期モデルで改良しようとか、妥協をするのだ。

そんな妥協のあるものでもほしいものは欲しい。欲しければ買い手がその妥協を容認しなければならない。妥協の程度と欲しさの程度はすべての人によって異なる。欠陥があるのを承知で買うのであればそれはそれだけ欲しいからであって、そのヒトにはそれが値段とバランスが取れているからなのだ。それぞれの人にそれぞれの物を作るとはそういうことだ。

妥協のないモノを作りたい、それが正しい道だと信じている作り手は少なくない、というよりもそれが大多数のもの作りの心だろう、特にニホンジン。いわゆる職人のココロ。心意気.それが貴重なのはもうそれが希少価値になっているからだろう。当然、大量には作れないし.高いものにつく。その対極に大量生産がある.中間がない!妥協しないで中間を作ろうとしても方法がない。平気で妥協をするDIVとその生産システムをとり入れた個人メーカー以外には作れない。その妥協を妥当だと思えば満足出来る。DIV製品を悪く言うヒトは多いけれど、良さをわかる人も多い.妥協のない品物を作るココロは貴重だけれど、自分が買うものに妥協をすることが、ソンだとか不当だとか言うことはない。それなら買わなければよいまでだ。買ってから不満足だということはある.その予防のためには普段DIV製品を悪く言ってくれる人の存在は有難い.分からない人にまで売らなければならないほど沢山作っているわけではないのだし、作れるシステムでもない。

ハウジングの評価が陸上で手にとってわかるはずはない。新しい飛行機をいくら陸上で触っても実際に飛んで見なければ分からないのと同様だ。陸上で点検すると、水中で使うにはまるで問題にならないことばかりが問題視される。DIVでは常に新しいハウジングを試作する。当然それらの各部分の仕上がりはひどいものだ。あるとき液晶の窓とレンズポートをどちら側につけるのが良いか試作して液晶窓に大きくポート穴が開いて、そこを透明樹脂で埋めたことがある。当然液晶モニターの前には大きく接着面の埋めキズが立ちふさがっている。がしかし、テスト潜水の間ずっと液晶を見ながら撮影をして、ゼンゼンそれに気がつかなかった。支障がないどころではない。その傷があることを思いだしたのはエグジットしてカメラを水洗いしているときだった。

手作り製品で数が出るようになるとどうなるかを経験したことがある。銀塩コンパクトカメラでリコーR1というのがあった。これはほとんど唯一、位相差検出方式のオートフォーカスコンパクトカメラで、水中でもすばやく確実にピントがあった(この流れを今もリコーのデジカメはうけついでいる)。R1のハウジングを作った結果は大成功で、かなりの数が出始めた。生産が間に合わないので機構を合理化した。するとますます売れ出して、ますます合理化しなければならなくなる。数回の改良の結果リコーR1のハウジングは実に無駄のないシンプルなハウジングになった。その結果、こんな簡単なもので38000円は高いとネット上で噂さされるようになり、そんなこと言うならやめてやる!と生産停止。この優れた水中ハウジングはこの世から姿を消した。後の人はもうそれを使って簡単にピントが合うコンパクトカメラを楽しむ事が出来なくなった。どうせもう、時代はデジタルに移っていたから大勢に影響はなかった。際限なく良いものを要求するユーザーは商品を育てるのではなく殺すのだ。

従来の工業生産の技術を使って工業製品的高品質を保ってきたハウジングメーカーは、ご存知の通り、ほとんどデジカメハウジングを生み出していない。はるかに規模が大きいカメラメーカーの純正ハウジングはもちろん大量生産方式で作られておりそのほとんど(おそらく全て)は赤字を出し続けている。それでも大メーカーは体力があり、イメージアップの宣伝費だと思っているから成り立っているのだ。

手づくり超少量生産品にも改良は加えられる。というよりも常に改良また改良で一台作るたびにどこかが変ってくる。中には改悪もあるけれど全体としては改良だ。
総生産台数3台の○○○○カメラ用DIVハウジングは3台とも異なっているはずだ。10台あればほとんど全て違っている。50台程度の販売台数が見込まれるハウジングは函体を設計してデータにしてNC加工をする。これだと全て同じだが、それでも組み立てると修正の箇所が出てくる。そして各部の調整で細目寸法が決まってくるのは20台目くらいからだ。つまり20台ではかなり一定になり、50台生産するとほぼ完成型になる。しかしまだ、完成度は低く、欠陥はないがなにかと欠点は残っている。そしてその頃、中身のデジカメはもう新型に変わり、その型のハウジングの生産は意味を失う。結局完全に同じ製品は出来ない!一人のユーザーがまったく同じものを何台も買うということは、あまり考えられないから、それぞれが違っていてもかまわないはずだ。

時々,何台かまとめて買うから安くしろという要求がある.とんでもない。同じ人に何台も売るなら同じものを作らなければならない。手作りでまったく同じモノを作るのは不可能だし,似たものを作るだけでもはるかに手間がかかる.作った部品のひとつひとつを同一に作り同一に組み合わせなければならない.機能には関係がなくてもである.機能に関する部分は最初からちゃんと出来ている。2台ならまだしも、3台4台とも同じモノのにするにはもっと手間が掛かる。すべての部分の図面を引く。図面を作る手間をかけたからには少なくとも数百個の部品を作らなければ割が合わないが、必要なのは3個か4個なのである。どれだけむだなコストがかかると思うのか。
まとめて買えば安くなるというのはまとめて作るものについて言えること.手作り品ではまとめて買えば高くついて当たり前。まとめて作れば安くなるのはまとめて数千個作る場合で、その段階でやっと工業生産のメリットが出てくる。だがデジカメハウジングは工業製品ではない。水中撮影機材で工業製品と呼べるものは水中ストロボくらいだろう。

部品の精度をあげて、大量生産し、どの機械にも決まった部品が交換取り付け使用できるというシステムは、南北戦争で、スミス・アンド・ウエッソンの小銃で始まったという。確かに戦争に使う鉄砲ならそういう必要性はある。有名なフォードの大量生産よりも大分前で、このような量産鉄砲が、戦後余ったところで・・・・・映画ラスト・サムライの導入部のアメリカ側時代背景があるわけ。設計図や精度というものは大量生産システムに必要なものであって、最初から一台づつ自分で作る場合は本質的に無用。多くの場合、設計図を書いている時間にモノは出来上がってしまう。図面はモノを他に伝えるための通信手段であって、そこにある現物に比べればはるかに劣等な情報量しかない。DIVにはハウジングの図面はほとんどない。現物合わせが一番優れている。現物に合わせるのだから,現物にピッタリ合う。

絶え間なく変化しているデジタル製品の水中ハウジングでは図面を作って残しておいてもそれを後に再利用する場面はまるでない。二度と使わない図面がたまるばかりで、混乱の元だ。図面のみならずハウジングのあらゆる細部の記録を取っておいたら、二度と使わない情報の宝庫、つまりガラクタ情報アーカイブスになるだけで資源とエネルギーの無駄になる。

こうしてDIVの製品は近代工業社会のモノとは著しく異なっている。それはラストサムライ以前のもの作りシステムだが、デジタル時代のモノ作り方法の一つでもあるのだ。コンピュータがもっと利口なら、それに任せられる部分は非常に沢山ある。しかし今はまだコンピュータは与えられたデータでしか動けない。記録データが片っ端からガラクタアーカイブスになるデジタル水中ハウジングの生産に関われるだけの能力は持っていない。

賢いコンピュータはないわけではない。大量生産の場では威力を発揮していることはご存知の通り。与えられたデータの処理と繰り返し動作はコンピュータの長所だが、データがないところから何かを作り出すことは不得意だ。今でもコストを考えなければ、カメラを見せるとそこから自動的に最適ハウジングの設計をしてくれるコンピュータは可能だろう。DIVのノウハウをデータ化して、入れてやれば必ず出来る。しかし設計しただけではモノにならない。一台しか作らないものに設計図は無用であること今述べたとおりで、コンピュータはそのまま自動機械に直結してモノを作らなければならないのだ。それも可能だが、いったいどれだけの費用がかかることか。既にそれに近い機械は大量生産品の試作のためには存在している。量産すれば莫大な利益が上がる分野だったらできる。でも、ちょっと見込みがあるかもしれない程度の生産計画でそのような高コスト試作にはメーカーといえども二の足を踏んでいる。たった一台の製品を作るためにそんなものが使えるわけがない。しかし、それでも水中ハウジングのような単純きわまりないモノでしかもかなり高価なものを作る少量生産自動機械はいつか可能になると思う。一個作りではムリでも数十個単位で作るならコスト的に可能だとか。マスプロダクションに対してこれは十の位で作るからデカプロダクションと名前まで考えているのだが、まあ我々やキミの次代に期待するのはムリだろう。


資源,エネルギーを考えると、今の世界で一番間違っているのはモノを作り過ぎることだ.必要なものが必要な数だけあればよい.しかし,企業はそれではやっていけない.次々と必要を生み出さなければならないのだ.経営とは新しい需要を作ることで、それ以外の何物でもないと言う,これも名言だ。しかし需要と必要はちがう.前者は大量の必要を意味している。少数の人がどうしても必要としているものはたいていの場合貴重で高価な必要品だ。たとえば,病院の最新医療機器。少なくともその初期には需要はないし、きわめて高価である.しかしその有効性が高まり、広く知られてくるようになれば,需要が出てきて生産も上がり安くもなってくる。それでも必要が少ないものはある.特殊な病気にしか効かない機器がそうだろう。その病気の人にはきわめて必要だが,工業生産するほどの需要は生まれない.少量必要なものを必要な数だけ低コストで生産するデカプロダクションのシステムがあればどんなによいだろう。

それまでは、いくらほしくても売っていないものは自分で作るしかない。DIVも元々はDIY,Do It Yourselfなのだ。DIVというネーミングはその意味を表しているのだが、残念ながら誰も気がつかないウチにDIYも死語に近くなった。DIVは自分のほしい物を自分で作る工房だったのに。なぜそれをメーカーみたいに売り出したかといえば、自分用に一台作ることが今の工業社会では非常に困難になっていたからだ。旋盤一丁の町工場でも全てのもの作りは大量生産のシステムに組み込まれてしまった。何か部品を作るにしても何十何百何千個が単位である。一つだけ作ってほしいといったら、町工場の親父はそっぽを向く。せめて何十個とまとまればねぇ、ということで、いたるところで最低ロット数が要求される。もはや自分のための一個は、たった一個であるが故に作れない。

また多くの人は自分でものを作る経験もないし知識もない。部品一つ手にいれる方法も知らない。そこに目をつけた東急ハンズはにぎわっているが、そこでも工業製品の取り扱い売り場ばかりがえている。
作れないから買うつもりの人は、ほしいものを売っているところは探すけれど、ほしいものが工業製品として作れるかどうかに思いは及ばない。そして既に指摘されているようにこの国ではものを作る人が激減している。だからDIVの本来の仕事は、ものを造れない人のもの作りを代行することなのだ。買いたいと思う人にではない。作りたいけれど作れない人のためにDIVはあるのだ。

われわれの作ったものが、一見不細工であろうが、あちこちに傷があろうが、手アカがついていようが、それはあなたが自分で作ったものよりはるかにマシだろう。うまく出来たかどうかのテストはあなたがやるのがスジである。実際、水中ハウジングは完全なテストをしないでお渡ししている。工場の加圧水槽で耐圧防水のテストは全機について行っている。しかしそれぞれの機能を作動させるためのボタンやシャフトについて、加圧水の中で動かしてみるテストは行っていないのだ。それには人間が持って手で試さなければならないのだ。動かしてみる機械は作れるがそれこそ機械的な動作しか出来ないからほとんど意味がない。
製作した全機について人間がいちいち潜ってテストを行っていたらどれだけコストがかかってくるか分かるでしょう。第一、潜水病になってしまう。

水中でニンゲンが使う道具だから、それをオカの販売店の店先でいくらいじくりまわしても本当の使い勝手は分からない。文句があるなら一度水中で使ってみてからにしろ。

この意味では当社の製品に限らず全ての水中ハウジングは完成品ではない。最終テストはあなたがやらなければならないし、テストという以上は操作部分から水が入ってきたり、作動不確実だったりは当然ありえること。メーカーは責任をもって直すまでである。

水中ハウジングのような少量生産品でも扱っている機種が限定されていて、なおかつ長い年月にわたって同種のものを売り続けてきたのであれば、不良品は少なくなる。しかし、DIVの場合、現実にほとんど全てが初期生産品である。デジカメの時代になって、ますます全てが初期製品になってしまった。大メーカーの大量生産品でさえも製造の初期には不良品が出る。コンピュータのソフトにいたっては初期不良がないものを探すほうが難しい。初期不良を容認することに慣れなれないと全てのものは買えなくなる。


したがって、出来上がった水中ハウジングにいきなりカメラを入れて海外で潜ったりするのがいかに無謀であるか知るべきである。そこで気がつく不具合の多くは、水中ハウジングのような単純なシカケではたいていが現場で直せるはずである。自分で作るつもりでDIVに作らせた人であれば、たいていは自分で修理するだろう。しかし、今のユーザーの多くは、出来上がった完成品という、水中ハウジングにはありえない物を買って、完成度が低いものを売ってけしからんといきり立つ。そして自分で直すと後の保証がきかなくなるからと一切手をつけずに、写真を撮らずに帰ってきて、旅行がムダになった、旅行代をどうしてくれる、という。しかし、DIVハウジングに限らない。機械はすべていつどこで故障をするか分からないモノなのだ。そのことを前提にしないで行動するほうがおかしい。あるいは全てメーカーのせいにすればよいという、メーカーにおだてられて育った甘えだ。キカイの故障で計画が計画通りに行かなかったら、故障の可能性を含めない計画を立てて、しかもそれを実行したことに問題がある。ニンゲンだっていつ故障するかわからない。

    ということで作らない!創る!は今年のテーマを超えて、永遠のテーマになる。


                  *** NEXT ***          *** HOME ***