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トピック

信吾 世相に
  〜プロの目で一言〜


「高齢者保健は欠陥システム」
 平成20年5月1日付けで「国民健康保険受給者証」なるものが
送られてきた。

 この保険証は以前の保険証と外観が同じで
(ハガキを一回り小さくした大きさのものを
2つ折りにしたものでやや厚い)
携帯には全く不向きなものである。私が
70歳になった直後である。

 その後医療機関に行って支払う時には以前から持っていた
「国民健康保険被保険者証」と同時に2枚見せないと
保険証として認められないことになった。
しかも、1部負担金の割合は3割で以前と変わりがない。
顧客である私や医療機関の大変さに対して
全く配慮がされていない上にどこへ行っても、クレームを
全く受け付けてくれない。私のストレスの貯まること。

 その上、この2ヶ月弱の間に都立病院、調剤薬局と
歯科医の3軒で一部負担金の割合を1割と間違えて
後で再度支払い不足分と領収書を持って支払いに行く
という無駄なことが起こった。
医療機関に対する情報提供の不徹底さが
明らかで、これでは国民から猛反対が起こるのも
うなずけた。

 ただお金を得ることに汲々としてお客様のことを
蔑ろにするとこういうしっぺ返しが待っている例として
参考になった。
どこぞやの国のトップが消費者国民の目線で
政治をすると宣言したのは素晴しいことだが
前途多難が感じられた。

 一方、民間企業ではやっとそちらの方に
シフトしかかってきているが、それでもまだ
不祥事が絶えず、残念である。
お客様を蔑ろにすれば、目先はお金が得られて
得をしたように見えるが、最後は破綻することは
目に見えているのがわかっているのに、なぜ。

 お客様は神様です。神様に喜んでいただく。
神様の声(クレーム)は宝だという考え方の
経営が現在の企業発展のための哲学だと
いうことです。
2008年6月26日

「アナログカメラについての体験談」
先日、長男から玉川上水駅の構造の写真を
撮って来てくれと依頼されました。
ところが、持たされたデジタルカメラが不調で
写真が撮れません。
あわてて近所のスーパーストアでレンズ付フィルム
「写るんです」を買い求めて事なきを得ました。

実は、昨年書棚を整理していると古いアナログカメラが
十数個出てきました。少しずつゴミと一緒に捨てましたが
最後に37年前に買った一番値段の高い(当時で十万円弱)の
カメラが1個残りました。
秋葉原でカメラを買い取りますという看板を見たのを
思い出し、そこへ持っていきましたがタダでも引き取って
くれませんでした。

それなりの大きさもあり、おおっぴらに捨てられず
思案しておりましたところ、ラオスに行くことになり
ラオスの人なら使ってくれるかもしれないと思い
現地のガイドに「使わなければ捨ててもいいよ」と
半分遠慮して渡しましたところ、少し眺めていましたが
本当にポイとすてられました。(ラオスではまだ
ポイと捨てられる)

ちょうど、正月で大勢の現地人が写真を
撮っていましたが、全てがデジタルカメラでした。
どの観光地でもフィルムは一切売っていません。
数年前までは山ほど売っていたのに。
こんな発展途上国でも、時代の流れの速さに
巻き込まれていることを知り驚きました。

プロカメラマンは別として、何故日本でまだアナログカメラが
売れるのでしょうか。私が買い求めたスーパーには
「写るんです」が4〜50個置いてありましたが
誰が買うんでしょうか。どなたか教えてください。

頭で考えるだけでなく、「現地で・現物を・現実的」に観る
ということを改めて再確認しました。2007年6月11日 10:49:25
おわり


「茸の話 その2」
 プロの茸栽培業者からシイタケの菌床(20cm立方)一個を夏に貰って育てている。秋に十数本の収穫があったが、その後ピタッと出てこなくなった。
 複数のプロに「これでおしまいか」と尋ねたところ「まだまだ出るよ」と言われ、今後のやり方を教えてもらった。
@たまには丸1日頭までどっぷり水につけること
A温度を高めたり冷やしたり、温度履歴をかけること
Bそれでも出なかったら、棒でひっぱたくこと
など、要するに
もっと刺激を与えろという指導であった。言われた通りやってみると、またまた冬になって十数本出てきた。
 工業製品を作っている私たちはどうしても[最適条件]でモノ作りをしようとするが、生き物はそれでは[温室育ち]になってしまい、失敗するということを教わった。
 企業も組織も[イキモノ]なので、温室育ちでなく、常に刺激を与え続けなければ育たないという、当たり前のことを身をもって悟った。2004年12月10日 12:27:04
以上



「茸取りが趣味です」
 最近、露天風呂入浴と茸採りを趣味にしています。
 茸取りの面白さは大げさに言えば、命がけのところがあるからです。世間では毒茸か、そうでないかと2者選択でしかみていませんが、実際はグレーゾーンもあり、一筋縄ではいきません。松茸だって少し食べ過ぎただけで、そうとうな下痢をします。
 目に見えない真菌の集合体なのに、殆どが菌独自の傘と柄のある1生命体のような形になるのか不思議です。とにかく不思議な生き物で興味が尽きません。
 今夏、秋田県横手市で農業をやっている知人の家を尋ねましいた.。広い畑に舞茸が植えてありました。舞茸はブナの木の幹に生えると思っていた私はびっくりしました。「これでコメの十年分が一年で昔は稼げました」と知人の弁。大きな小屋風の工場があって、ここでも棚状にして菌床が並んでいて膨大な量の舞茸が生産されていました
 一部椎茸もやっていて、20センチ立方くらいの菌床を1つお土産に貰って家に置いておいたところ、秋になると太くて立派な生椎茸が十数本採れました。冬に向かってまだまだ採れています。かわいくてかわいくて、この椎茸栽培には目が離せません。椎茸はホダ木で栽培するものとばかり思っていた私にとって、世の中の変化の早さに驚愕しました。「ホダ木だと2〜3年掛かるのを半年で勝負するのですよ」とのこと。
 10月20日に東京ビックサイトで全国農業祭が催されました。行ってみたところ、会場の一角に茸栽培のブースがありました。驚いたことに、そこでは一般家庭で菌床による茸栽培の宣伝をしていました。マイタケ・エンリギ・ヒラタケ・ハタケシメジ・ナメコ・シイタケ・ヤマブシタケ・タモギタケ・マンネンタケなどの菌床の作り方と栽培方法が書かれたパンフレットが備えてありました.。
 農業といえども技術革新の速さに、多少は技術革新の仕事のハシクレに居ると自負していた私にとってびっくりもし、その知らなさに屈辱感を味わいました。
 私たち(私も含めて)の周辺には、商売がジリ貧になっているケースを多く見かけます。でも、この激変の時代には少し見方を変えたり、,工夫したりすればとても大きなビジネスの種が転がっていることを知りました。2004年11月27日 11:36:27
以上



「燃料電池車は究極の低公害車か」
 最近、マスコミ等で究極の低公害車として、燃料電池車が取り上げられていますが、本当に低公害車なのでしょうか。
 車としては水素を燃料として、酸化エネルギーによって、水を排出するだけであるという意味では低公害でしょうが、燃料まで含めた全エネルギーシステムとしては、高公害システムではないかとしか、私には思えないのです。
 原料の水素を取り出すには以下の2方法しかないはずです。
  @水から水素を取り出す方法
  A有機化合物(化石燃料)から取り出す方法

 @の方法は「水から水素をとってまた水に戻す」という原理で、ただ単にエネルギーの循環をさせるだけで、エネルギー利用にはならず、当然他からエネルギーを補充しなければならず、そのエネルギーロスの累積分だけ多消費となってしまいます。
 A有機化合物の分子から水素を取り出す方法では、その分子は相対的に炭素が増え、その水素を抽出された分子をどう処分するかはわかりませんが、最後は二酸化炭素が増えることになります。
 水素抽出システムそのものは高公害システムだと私は思うのですが、そのことについてマスコミやメーカー等では一切言及されていません
 この例のように、世の中には目先の利益のことにしか、関心のない事例が大変多いと思います。生活の場やビジネスの世界でも、こんなことにだまされないように知を磨いておきましょう。
 どなたか「燃料電池車は全地球システム的にも、究極の低公害車だ」ということがおわかりの方、教えて下さい。2004年7月27日 15:35:01
以上


「松茸の街、中国雲南省徳欽にて」
 7月中旬に、世界の桃源郷といわれる中国雲南省シャングリラへ行ったついでにそのまた奥地の徳欽へも行きました。チベットに近い街で、私は知らなかったのですが松茸の一大集積地で、その集荷システムを垣間見ることができました。海抜3千米〜4千米にかけて、一面の松林です。日本の赤松とはだいぶ違う松です。
 まず始めに、松茸仲買をやっている家に家庭訪問しました。言葉が通じなくて、何も聞けませんでしたが中庭のある4LDKくらいの家でした。その中庭に4斗樽の倍以上はあるプラスチック容器が5〜6個あり、その中一杯に松茸がグレード分けされて入っていて、水(と思われる)に浸してありました。小さな容器も2〜3個ありました。
 夜になると、仲買人数人と背負籠いっぱいに松茸を入れたおばさん十数人と、ビニール袋に何がしか入れたおじさん30〜40人が、町の中心のT字路の所で松茸を広げ、グレード分けしながら、丁丁発止の取引をしていました。見物人も大勢で、大変な喧騒でした。
 工事中の山道を通った時のとですが、前を走っていたランドクルーザーが各飯場に声をかけていました。飯場からは若い男の子が松茸の入ったビニール袋を持って追いかけてきて取引をしていました。
 ちなみに、市場では日本では売れない外観品質の悪い松茸が1kg当り80元(1000円強)〜300元(約4000円)くらいでたくさん売っていました。この松茸の集荷システムの凄さにはびっくりしました。
 日本も販売システムだけでなく、零細農産物・中小企業工業製品・中古機械などの集荷システムを再構築すれば、海外や国内の市場をもっと拡大できると思いました。2004年7月21日 10:56:54
以上


「世界の桃源郷、中国雲南省シャングリラにて」
 7月7日(水)から10日間ほど世界の桃源郷といわれる、中国雲南省シャングリラに行ってきた。
 雪山に囲まれた盆地に高山植物が咲き乱れ、それはそれは別天地であったが、ちょうど、中国の学校の夏休み開始と重なり、学生や家族連れが大勢来ていて、桃源郷とはおよそ雰囲気がかけ離れた大変な混雑振りだった。ガイドの話によると、2年前までは自分の勤めている旅行社の扱う中国人の比率は50%以下であったが、今は99%が中国人であるとのことである。ここ1〜2年の間に中国人の旅行熱は爆発的に増え、ものすごく大きな市場になってきているとのことである。
 シャングリラの町の中心部には、日本の100円ショップと同じ、1元(13〜14円)ショップが軒を連ね、(2元ショップ・3元ショップ・・・と多種ある) 扱う商品群や広さなど日本の100円ショップとほぼ同じであった。私は靴下を1足買って2〜3回履いてみたが、まだ使えそうである。
 驚いたことに、タキガワという日本ブランドの釣り糸が置いてあった。日本の100円ショップは殆どが中国製であると聞いているがこれらはまさにグローバル化の一端だということがわかった。雑貨等の世界でも「中国だけが強いのではなく、日本だって弱くはないのだ」ということを知った。旅行熱もグローバル化だ。
 中国の沿岸部だけでなく、奥地でも大きな変化が起っている中国の人件費が安いから、日本の製造業は勝てない、なんてうそだ。各々の強み弱みを補い合うことこそがグローバル化であると実感した。
 喝、日本人よ、弱気になるな、未来は薔薇色だ。 2004年7月20日 13:30:18
以上


「結果だけで仕事を評価すると」
 先日、○○県警で長期間にわたり、大勢の警察官が摘発実績のノルマ達成のために、虚偽の捜査書類を作成していたという事実が発覚した。結果だけで仕事を評価すると、こうなるのは当たり前で、悪を取り締まる警察でも、こうなってしまう。
 最近、企業でもグローバル化の一環として、今までの日本の年功序列型の曖昧な評価システムが見直され、結果で仕事を評価するシステムが流行している。しかし、結果だけで仕事を評価すると、上記の県警のよう行き過ぎが起るし、チームワークが阻害されるケースも起る。特に、日本人は個人主義や契約社会に慣れていないため、結果主義を導入した日本の企業は、必ずしも思ったような成果をあげられないで、苦戦しているようだ。
 組織の上位者は結果に対して責任を取らなければならないが、それをそのまま下位者に押し付ければよいとは、単純にはいかない。下位者には仕事のやり方に指示を出し、よい仕事をさせることで、その仕事振りに対して評価してあげないと某県警のようになる。
 第一戦で働いている人は、結果のことは一番よく知っている。誤魔化そうと思えばいくらでもできる。それをさせないために、厳重な監視システムを作っても網の目はくぐられるし、費用もかさむ。それよりも、よい仕事をやっているかどうか(やる気・人間性等も含む) で評価するしかない。ところが、現場のことがわからない上位者は、、何がよい仕事か正しく指示できない場合が多い。的外れな指示ではよい結果は生まれてこないし、現場の人間から嘲笑される。
 この、仕事のやり方の評価の仕方が、世間では大変難しいことになっている。日本以外の国では、これを解決する一手段として、個人との契約によって結果の評価をしているが、集団主義で契約嫌いな日本では、表面的に外国の真似をしても、その心まで読みきれなければ、失敗するのは明らかである。
 日本はこのむずかしい「仕事のやり方の評価」を、うまくやるためのノーハウを築くことに挑戦し、世界に日本的経営モデルとして発信することを心掛けて行くしかないのではないか。
 このたびの事件で、そんな感想を持った。2004年7月5日 12:51:33
以上



「ニーズの無い奴が開発したものは売れない」
  ☆年金は 関心の無い 人が決め
 これはどなたかの川柳ですが、この川柳と同じような経験をしました。
 先日、某ディスカウントストアーへ時計を買に行ったところ、隣でお客様と店員の会話が面白かったので、聞き耳を立てました。
 顧客がウン十万円の置時計を指差して「これよりもう少し高いのは無いの」 店員「これなどは如何でしょうか」 客「もっといいの無いかな」 店員「これはかくかくしかじか、こんなこともあんなこともできる高機能品でして、絶対、お買得だと思うのですが」 この店員は、一見して学校を卒業して2〜3年目。どう見ても、ウン十万円の置時計をめでる生活をしたことが無いことは明らか。もちろん、その客は買わないで帰りました。
 その時、ある私がコンサルティングをしたメーカーの開発会議で、若者向きの食品を試食していた老役員が塩味が気に入らないと味の修正を指示していたのを思い出いだしました。
 第1回開発会議を通過し、最終開発会議でGOがかかりそうな、年金という商品はニーズを感じない長老連中がいくら会議を牛耳っても絶対に「若者には売れない」ことだけは現代の経営学の基本から、確かなこととお見受けするが如何・・・。2004年5月18日 9:48:58


「金儲けは善」
 先日、うちの息子が「今日、銀行へ預金をおろしに行って頭にきたよ。100万円の半年定期で利息がたったの9円だよ。それで一部を送金したら手数料が315円もかかったんだ。
儲からないと言って我々からこんな変な形で金を巻き上げられたのではたまんないよ。早くもっと儲けて、我々にサービス向上して欲しいよ」と、愚痴をこぼした。
 そう、資本主義では企業は「儲けてそれを社会に還元(サービス向上)する」のが善である。
 今、構造改革とやらで農業、医療、教育、郵政、道路、金融、公社等を株式会社化しようとしているが過去に成功した社会主義的善から抜け出せないで抵抗している勢力が出来ない理由ばかり述べたてている。しかも、これに多くのマスコミや有識者と称する連中が乗っているのは理解に苦しむ。
 「儲けて社会に貢献する」ことこそが我々に果たされた義務であると、息子のなにげない愚痴から知らされた。2004年4月29日 10:00:09
以上


「きめの細かさと効率」
 日本酒が無くなったのを思い出して、通りがかりのやや大き目のディスカウント酒店へ寄った。日本酒は大量に置いてあったが、全てが有名な醸造元の商品で、無名な蔵元の酒(地酒)は一切置いてなかった。確かに、たいして売れもしなくて、仕入れに手間ばかりかかって効率の悪い地酒を扱うのは、商売としては邪道かもしれないが、客である私にとっては、何とも魅力のない店と感じた。
 帰ってきて、新聞を広げると、M百貨店の「全国有名駅弁大会」というチラシが入っていた。先日の東京新宿K百貨店の全国駅弁大会は大盛況でその二番煎じかと思われるが、有名と付くところが気になった。
 失敗事例を生かすことは、失敗した仕事のやり方を反省して次回からやらなければ役に立つが、成功事例は成功させるために大変な努力をしたことや、何度も小さい失敗をした事実が表現されないためにあまり応用できないし、やってもうまく行かなくて「あれ(成功事例)は特殊な事例だった」と逃げてしまうのがおちである。
 Kデパートの成功は半年・1年前から旨い弁当を出している零細な駅弁屋に日参し、口説き落として参加させるというはなはだ効率の悪いことをやって、初めて店の魅力を高めた結果に過ぎないと聞く。
 企業経営は効率重視が必須であるが、それだけではダメだという事例を垣間見せて貰った。2004年1月29日 10:40:27
以上


「ちょっとした意識のずれが恐ろしい」
 中国の旧正月・春節に天津にある次男の嫁の実家に招かれて、先週行って来ました。
 そのついでに、かねがね疑問に思っていた「中国人はなぜ靖国問題にナーバスになるのか」というのが知りたくて、いろいろな人に聞いてみました。すると彼らは逆に「なぜ中国人が嫌がる靖国神社に、日本の総理大臣が行かなければならないのか」と質問を返されました。こんな行く行かないだけの単純で簡単な問題に、お互いが分かり合えなくて、なぜ行き違いが生じるのでしょうか。
 もう少し突っ込んで聞いてみました。「この天津に戦没者のモニュメントはありますか」と嫁の父親に聞いたところ「有りますよ。明日(旧暦元旦)行ってみましょう」との返事で、翌日行ってみました。大きな水上公園の片隅に、高さ10mはあろうかという立派なモニュメントでした。水上公園は大勢の人でにぎわっていましたが、モニュメントの周りは人っ子一人居ませんでした。「正月や建国記念日にお偉いさんや一般の人たちは手を合わせに来ないのですか」「来ません。そんな風習はありません」とのこと。「貴方は先祖の墓参りには行かないのですか」「行きません」という返事でした。翌日、同じことを北京に居る30歳代の知り合いの男に聞いてみましたが、彼も全く嫁の親と同じ答でした。
 でも、日本のマスコミや政府からはこんな情報を私は得ていません。タブーとして触りたくないのでしょうか。問題先送りですよね。「こんなのたいしたことない。放っておけばいつか、かたがつくよ」ですか。
 大家族制の中国では、数年に1回一族郎党が集まって派手な墓参を行なうと聞いていた私は、大きな誤解をしていました。これで私の疑問点は氷解しましたが、振り返って、ビジネスの世界でもこんなことが時々散見されることに気が付きました。
1 先方と大切なところで意識がずれているのに、同じだと思い込んでしまって、クレームにする。
2 お客様のニーズがわかっていると思っていることが微妙な所で違っていて、顧客満足が得られない。
3 本来、やらなければいけない提案営業やPRを見落として、失注してしまう。
4 問題を安易に考えて、先送りにして大ごとにしてしまう。
等などです。

 今回の旅行は大変参考になりました。2004年1月28日 10:59:58
以上


「敵は全て味方であるというモデル」
 中国天津に住んでいる次男の嫁の両親から春節(中国の旧正月)の招待があり、先週行って来ました。1年半前にも行ったのですが、この間の変わりようにはびっくりしました。
 天津の繁華街は東京の銀座や新宿以上にしゃれた店が多く日本製を含めた世界のブランド品日本製の偽物装に日本語のひらがなやカタカナが書いてある現地製の商品があふれていました。中には、日本の若い女性タレントの写真付のレッテルが貼ってあるミネラルウオーターもありました。かつての日本人が横文字や欧米人の容姿がかっこいいと思ったのと同じ感覚で日本文字や映像を現地では見ているようです。それほど現在の中国では日本の文化が市場に受け入れられ始めたということを見せ付けられました。この変化に、中国は強敵と思うと同時に、すばらしい協力者でもあると感じました。
 そこでふと気がついたのですが、企業や個人にも同じことが当てはまるのではないかということです。家族の一人一人が私のライバルであると同時に協力者でもあります。企業もライバルとは果敢に戦っていますが、ある時は協力をし合っています。
 敵は全て味方であるというモデルを構築すると争いや裏切りなど、企業や私個人で悩んでいた問題点のいくつかは解決方法が見えてくるということを知りました。私にとってすばらしい発見でした。 2004年1月27日 13:31:35


「医療の世界の管理について」
 昨日、病院で「栄養指導」と称するものを受けさせられた。
 実は、永年の高血糖症対策として昨年1月から血糖値管理をやらされているのだがその一環としての栄養指導である。
 幼児性・単細胞動物的性格の私は1つのことをやれと言われれば、とことんやるのはそれなりにやるのだが2つ以上になると両方とも出来なくなってしまう。
 血糖値管理をやれと言われて、1日3回朝・昼・夕食前に血糖値のデータを採り、食事は1日1,600kcalにしろと言うことなので、毎食の食べた内容と量を個々にカロリー表示にしている。その他にも、運動量を午前・午後・夜に分けて万歩計の歩数でデータ化し、体重も朝起きてすぐ測定している。これらのデータを全て表にし、1目でわかるようになっている。
 血糖値は80〜140mg/dlに収めろとのことでこの範囲なら緑色に、ややオーバーなら黄色に200mg/dl以上なら赤色に塗り分けている。そして、緑色の範囲を外れたらわかる範囲でその原因を記入し、対策が思いつけば書き込んでいる。ここまでやると医者のほうがびっくりしてこんなにバカ丁寧にやる必要はなく、はずれ値が少しくらい有っても気にしないで、全体の流れを抑えれば良いとのたまわれた。
 品質管理屋の私とすれば、外れ値は不良品であり少しでも減らすべく、その原因を調査し、対策をうつのが管理だと思っているので、企業の世界と医療の世界の管理に対する考え方の違いをまざまざと見せ付けられた。この程度のデータ解析でも私からすれば、まだまだ甘い血糖値管理だと思っているのに、医療の世界はこんなお粗末な管理の考え方で良いのだろうかと思った。
 このあとに、ついでに塩分管理もやれと命令されたが2つ以上のことは同時にやれない性分の私にとっては無理なので、どちらか一方にしてほしいと依頼した。でも、よくよく考えてえ見ると塩分管理は大の男にとってとても出来る代物ではないと気が付いた。まず、塩分のデータはどうやったら取れるのだろうか。代用特性すら今のところ思いつかない。まして、私個人が取れる対策などがあるのだろうか。
 そのことを医者に言うと、そんなの簡単で、刺身につける醤油を少しにするとか、ラーメンの汁を飲まないとかすれば良いとのこと、こんなの管理と言うのだろうか。
 異次元の世界を垣間見せて貰って勉強になった。2004年1月15日 15:11:20
以上


「超満員と超閑散」
 元旦での体験です。息子にさそわれて「JR東日本元旦1日乗り放題1万円切符」を購入し、八戸からレンタカーを使って十和田湖方面の温泉数湯をハシゴしてきました。
 早朝の東京駅での光景はJR東日本の新幹線ホームは超満員、東海道新幹線の乗客は超閑散でした。私たちの乗った「はやて・こまち」は全車指定席にもかかわらず、立席で乗っている人で超満員、かたや東海道新幹線は1両に数名程度しか乗っておらず、企業経営の違いの差をまざまざと見せつけられました。
 ざっと頭で計算してみて、内輪に見積もっても1編成で千人以上の差があり、3時間で30編成が動くとして、この間の収入差は3億円以上になります。運送業はランニングコスト(変動費)は殆ど零ですから全部が丸儲けです。
 同じようなことで、八戸の北に国道と平行に走っている高速道路は超閑散、国道は超渋滞でした。もっと高速料金を安くして、国道を走っている車をのせれば、ランニングコストはゼロに近いのですから収入が増えるだろうにと思いました。
 以前と比べて、最近は極端にイニシャルコスト(固定費)の比重が高くなり、以前とは違った価格設定方法やイベント設定が必要になってきていることを、今年の元旦に勉強しました。2004年1月5日 13:08:13


血糖値の管理で想ったこと」
 今年の初めに胸の病で3ヶ月弱入院した。退院時に医者から「血糖値の管理」を厳命され「毎日、朝・昼・夕食直前に血糖値を測定して80〜150mg/dlに収めること。食事は11600Kcalとすること。そのデータは通院時に医師に見せること」と言われた。
 限られた食事の摂取量では、摂取カロリーと血糖値はまったく相関が無く、データを取るたびに「今回は多過ぎるかな、それとも少な過ぎるかな」と数字の予測はぜんぜん出来ず、常に怯えている状態である
 病院での食事制限の講義には、家内も立ち会わされたせいか、家内も献立に神経を使っているが、頻繁に血糖値オーバーになってしまう。すると私は「バカヤロー。ダメじゃないか」と大声を張り上げ「私の身体のことは、私がコントロールする」と啖呵をきって、その後は私が自由にやっている。今度は家内が「貴方ダメじゃないの」とくる。つまり管理責任を持った人間がうまくいかないと、どやされるのである
 企業の管理についても同じことが言える。大まかには原因と結果の因果関係はわかっているが、微妙なところでは多数の原因が絡み合っていて、思った通りの結果が出ないのが普通である現場の第1線の人たちが一番よく分かっているのだから、管理はその人たちに任せて、上司は大所高所から外部の目でアドバイスをするのが良いということ、権限の委譲について、当たり前のことではあるが、身をもって体験した。2003年9月6日 11:50:09



「見えない消費者を見た」
 今日8月3日(日)、32歳の長男にそそのかされて「さようなら301系」というイベント列車に乗りに行ってきた。三鷹9:48発、高尾行きの快速電車である。1966年製(約36年間活躍)地下鉄東西線乗り入れ用、初めてのアルミ車とのことである。
 10両編成で超満員。乗客は30歳台と40歳台の男性でほぼ90%以上茶パツは千人以上の乗客中10人以下女性、老人、20歳台以下は一部の小学生を除いて、ネグレクティブ・スモール今夏、珍しく真夏日の暑いなかで我慢我慢。この熱気の異様さは半端ではない。
  30歳台、40歳台の男性は生産者(サービス業も含む)としては見えるのだが、消費者としては、はなはだ見えにくい存在であるそれが突然目の前に消費者として壱千数百人も現れたのだから、ビックリした。この人たちも消費者だったのだ」ということがわかりとてもうれしくなった。
  経営者の皆さん(私も含めて)「こういう真の日本の国を背負って立っている人達を、もっと消費して貰う対象としてニーズやウォンツを掘り起こす必要があるのではないかと痛感した。そうしなければ「日本の国の真の経済発展は望めないのではないか」とも思った。2003年8月3日 18:03:35
以上


「私の身体は不精者」
 背中に違和感を感じたので、医者でレントゲン写真を撮った結果、影があり医者は大変だと言って入院させられた。当方はまったく自覚症状は無く、だるさ・痛み・熱・咳・痰など一切無く、例のごとく毎日検査漬けにされたが、どのデータも血糖値以外は正常で治療のしようがなく、医者は万歳してしまった。
 細菌かウイルスか真菌(カビ)という敵のどれかに身体が蝕まれているのに、熱も咳も出ないということは私の身体が不精をして敵とぜんぜん戦っていないということである。
 例えば、CRPという血液の検査(昔の血沈のようなもの)では大変よい値になっていて、敵がいないから闘っていないということがわかる。私の身体の大本営には敵が居ないという情報しか伝わっていないということである。
 そこでハタとおもいついた。私個人の健康だけでなく、私たちの私生活やデフレに侵されている企業も全て結果は大変だということはわかっていても、敵の状況が全然わからず、それを別に問題はない、敵が見えないということは居ないということだと錯覚を起こし、のんびり構えて敵とまったく戦わないという不精に陥っているのだということがわかった。
 とりあえず、私の主治医は何もしないで様子を見てこのままレントゲンの影がなくなってくれれば儲けもの、もっとひどくなれば敵の正体もわかるだろう、という待ちの戦術を決め込んでいる。私たち周辺の私生活やデフレ下の企業もこんな解決法しかないのだろうか。2003年5月31日 12:50:07


「合理性(効率)とスキンシップ」
 ちょっとした胸の病で医者通いをしているが、主治医とどうしてもうまが合わず苦労している。 とにかく両方とも信頼関係がない。医者と患者の関係は信頼関係が何といっても一番大切だと自分は思っているのだがどうしても修復できないでいる。
  理由はいろいろあるだろうがよくよく考えているうちに理由の一つがわかった。それは「自分はその医者(中年の女医)にからだを触られたことが一度もない」のである。手のひらを当ててその上からトントンと叩く触診や聴診器を胸に当てるとか脈を診るとかの診断が一回も行われないのである。 たくさんのデジタルな検査データを端末で看、またX線やCTの映像(アナログ)を看て診断を下してくれる。とにかく古典的なこと一切やらず超近代的なのである。
  ここでハット気が付いた。企業のコンサルタントの端くれである私も超近代的とまではいかないが、もしかして私の指導が企業の人に対して、一見ムダに見えるスキンシップ的な部分が欠けているのではないか。合理的なもののみを追究することを指導してそれでこと足れりとしているのではないか気が付いたのである。反省している。
  この辺の兼ね合いが企業経営の難しいところですよね。ご意見を期待しています。


「いったい、元旦とは何だ」
 JR東日本で元旦日帰り乗り放題乗車券を使って秋田県の田沢湖周辺の露天風呂に浸かってきた。
  駅レンを使ったのだが、係員が「今日はガソリンスタンドはどこもやっていないから、満タン返しでなくていいよ」と。将にその通りで、ガソリンスタンドどころか、全てのお店が閉まっていて、昼食をとることすら出来なかった。
 急に、帰りの新幹線の中での飲食が心配になりコンビニを探し回っていると、畑のど真ん中に東京周辺の数倍はある超弩級の広さのスーパーに出くわした。中は超満員で品物も山と積んであり数千円のオードブルセット、刺し身、寿司、洋菓子などが飛ぶように売れていた。
  帰ってきて、家の近くの住宅街にあるいつもは静かなファミレスへ子供が行きたいというので行ったところ、入るのに30分弱、入ってから30分強も待たされた。勿論、周辺ではコンビニ以外は全ての店は閉まっていた。 かつて、キリスト教が発明した日曜日という安息日がごく近年になって、大消費をする曜日に変化したように元旦という休息日が無くなって、大消費日になる予兆を感じた。
 正月は休むという日本人にとっては当然の考えかたが、好きにつけ悪しきにつけ、変わって行くことをまのあたりに体験して、我々は古い考え方から早く脱却してユーザーニーズにマッチしたビジネス考えてゆかねばと思った。2003年1月2日 11:55:33


「鹿児島で糸引き納豆を」

 先日、鹿児島へ行く機会を得た。
 霧島山麓の一軒宿の温泉旅館に投宿したところ、朝食に糸引き納豆が出た。宿の女将に「西日本の旅館にしては納豆が出るなんて珍しいね」と疑問を投げかけたところ「ええ、4年程前にドーム体育館の屋根葺きに東京から来ていた職人さんから『納豆を出してくれ』と言われてお出ししたところ、大変皆さんに喜ばれて、今でもお客様の8割はお食べになっています」という返事が返ってきた。
 前日の夕食の時に隣に座った、茶パツやピアスを着けた作業服のお兄ちゃんと話をしたが、出身地は北海道、東北、関東、中部地方と東日本から広範囲に来た人たちだった。本社は東京だそうである。宿はそういう建設関連の人たちで満杯であった。
 前日に泊まった指宿の民宿の親父が「最近、建設業の仕事が無くなって、土地の土工が他所へ行っちまって、困っているんですよ」と言っていた。働く場所が固定化されないで、流動的なことはよいことだと思うが、地域や職種によらず技術と技能を持っていないと職業選択の場でスポイルされるということを、当たり前のことながら改めて実感した。2002年12月20日 9:24:56


「銀行は潰れる(国家が潰す)」
 先日、自宅の内装をリフォームした。資金が無いので銀行から金を借りることにした。
  いざ、借用証書を書く段になって記入欄全部に自筆で手書きで書いてくださいときた。「なにおっ。このパソコン全盛時代に手書きだトオ「ええ、お上のお達しです」「ばかやろ、この規制緩和時代にかっ
  10年前に借りた時は、先方が全部記入してきて「ここに実印を押してください」だけだった。
  5年前に借りた時は「名前の記入欄を自筆で書いてください」「ほいほい。お安い御用で」「その末尾に実印を押してください」「バカヤロウッ。俺はサインしたのだぞう。その上ハンコとは何事だッ。今時、世界でハンコ使っている国なんかねえぞ 
 役人が規制緩和の時代でも権力を離したがらないのは、わかる。今、企業では「劇的に変わらねば」と言っているくせにまだ、外資系の企業を除いてはほとんどが印鑑を使っている。
 これからITの時代と言われるのに日本ではなんと無駄なことを多くやっていて、私を含めてあまりに身近過ぎるからか、それに気がつかない人が大勢居ることがわかった。 
 まだまだ、私たちの身の回りに無駄がゴマンとあることを知り、嬉しくなった。2002年12月16日 17:20:01

「経営者よ、会社の未来を語れ」
 今日(11月25日)の朝日新聞1面に「民営化後の高速道路、建設投資1/7以下」と出ていた。
 土木関連の設計事務所に勤めている私の息子はその新聞を見て「うちのトップは先行きの見通しが立たないから、年末のボーナスは出せないといっているんだよ。こっちに仕事をたくさん押し付けておいてさ」と。
 「このままでは過労死するのではないか」と心配するほど親の私から見ても息子はよく働いている。セブンイレブンどころか、朝7時過ぎに出て行って夜中の12時過ぎに、毎日終電で帰ってくる。月に数回は徹夜と称して家に帰ってこない。土曜もほとんど出ている。そのくせ、残業代は50時間打ち切りで、後はサービス残業となり、残りの百数十時間は残業代がゼロである。
 「これからは国家予算も減り、会社の経営がジリ貧になるのはわかっているのに、トップは何もしないんだ。何か新しい事業を起こすでもなく、それが無理なら劇的に事業を縮小するとか、我々に対して何のコメントも無いんだ。彼らは自分の停年までに会社が潰れなきゃいいと思っているのだろう。問題先送りじゃ、若けえもんはたまらないよ」と嘆いて会社へ出て行った。
 振り返ってみると、私を含め日本のほとんどの経営者が息子の会社のトップと、ほとんど同じであることに気が付いた。少なくとも、日本の経営トップは「若い従業員に未来を語る」必要性を強く感じた。2002年11月25日 10:36:01


「本田宗一郎と井深大展」
 昨日、両国の東京江戸博物館へ行って「本田宗一郎と井深大展」を見てきた。大変な混みようで展示物をちょこっと見るのがやっとだった。感想を一言でいえば、私の学生時代は如何に物心両面で貧しかったかということと、如何に希望に燃えていたかということを思い知らされた。
 当時、自転車といえば現在の4輪車以上に貴重品で、それに蕪に似た燃料タンクの付いている、将に本物の原動機付き自転車に初めて乗った時の、驚きと幸福感は忘れられない。「こりゃ楽だ。もう漕がなくてもよいのだ」と。また、学校からテープ起こしを依頼され、千葉に居る伯父の所へ行って、あのどでかいテープレコーダーを操作したことを思い出した。「もう筆記をしなくていい。ノートを取らなくてもいい」。
 ところで、昨今を翻ってみると、当時から比べて物に関して言えば、大変便利になったような気はするが、本質的な部分は何も変わっていないのではないか。「パソコンは便利だけれど、あの操作性の悪さは何だ。自動車、あれは人殺しの凶器だぜ。少なくとも原付は人殺しはしねえ」。まだまだ「物」は貧しい。一方「心」の方は当時と比べようもないくらい元気が無い。当時は「過去の価値観は全てダメ。変えて行かにゃあ」だったのが「過去はよかった。でも変えて行かにゃあ」という時代に変わった。これが厄介の源泉である。「こういう風に変えよう」「今までこれで良かった。変えるの反対」となる。
 会場には「過去のしがらみに囚われるな。失敗を恐れるな」という一室があり、当時としてはわれわれ思っても見ないような斬新的な商品や失敗した商品の展示が大変印象に残った。特に失敗商品を見たときには「よく展示してくれた」と涙がるほど感激した。
 「経営者の皆さん、少し消極的になり過ぎていませんか。失敗からノーベル賞が生まれるそうですね」。でも「今は昔と違って、ほんのちょっとした失敗でも命取りになるんですよ」なんて言われると、返答に窮するが。2002年11月24日 11:47:51


「台湾、国際競争力第3位」
 先日の新聞によると、台湾が国際競争力で第3位とあった。一方、日本は昨年の20数位から14位になったと書いてあった。
 実は、その新聞発表の数日前に、仕事で台湾へ宇野首相の時以来、しばらく振りで行ってきた。台湾の変わりようは思っていた以上で、特に物価が日本とほとんど変わり無く、びっくりした。幾つかの工場を見せてもらったが、みんなクリーンルームになっていて、見学時は全て防塵服を着せられた。前回に見学したあるプリント基板装着工場では、埃まみれの所で作業をしていて、思わずクリーンルームにしてはどうかとアドバイスをしたのを思い出し、隔世の感をいだいた。
 今回見学したある工場では、設備が主力で人間はまばらにぽつんぽつんとしか見えず、従業員は400名強、150名の大卒フィリッピン人と30名のタイ人という構成であった。また、別の工場では、2年前まではゴルフバッグの製造工場で、そのまた2年前までは紡績工場だったところを買ったそうである。ゴルフバッグ工場も紡績工場もみな中国へ行ってしまったとか。台湾は今、目の前に大中国を抱え、日本以上に空洞化が進んでいることをまのあたりに見せてもらった。ところがお会いした一般の人々、経営者、従業員みなさん大変元気がよい。ある経営者は「空洞化こそビジネスチャンス」と言うし、ある従業員は「この工場に来て2ヶ月目、ここをクビになったらまた別の所へ行く」とあっけらかんとしていた。変化に怯えず、積極的に取り組む姿勢には感心させられた。
 一方「日本は」というと、1990年以降ずーっと「中国が悪い、政府が悪い」と人のせいにしたり「今は時期が悪い、じっと堪えていればその内、好いときもあるさ」と消極的になってしまっている。ある日本に来たばかりの外国人から「日本は不景気というが、それらしいものが見当たらない。本当に不景気なのか」と質問され、返答に窮した。強いてその外国人の目で探してみると『地方都市の中心街のシャッター街化、温泉街大ホテルの窓明かりの少なさ、上野公園博物館・美術館周辺のブルーシート街化等』が上げられるが、これとても不景気のせいでなったわけでなく、構造の変化に付いて行く根性が無かったからである。
 今回、台湾に行ってみて「日本が不景気なのは日本人の元気の無さそのものであり、原因と結果が逆である」ということを知った。その打開策として「自らが変化することに努力せねば」と悟った。2002年11月17日 10:56:55


「またまた、イベント列車なつかしの○○号大繁盛記(第2弾)」
 何時ものように、鉄道オタクの息子に頼まれて某駅へイベント列車なつかしの○○号」の指定券を買いに行った。10時発売に間に合うように9時半に到着し、10時ジャストにキーインして貰ったが、やはり満席と出て買えなかった。今回のイベント列車は12両編成で1千席以上あるのだが、零点数秒で満席になるとは信じられない。多分、旅行社が前以て買い占めているとしか考えられない。その証拠に、キャンセル待ちを頼んでおくと、発車数日前にほぼ確実に「キャンセルが出ました」という電話が来る。
 ところが、このキャンセル待ちを依頼するのは大変なことで、ほとんどが断られる。相当しつっこく強引に頼んでも、手間が掛かって面倒くさいので、半分以上は受け付けて貰えない。お客さんが欲しいと言っているのに、売ってくれない」という事実を経営者は知っているのだろうか。知っているとして、どう指導しているのか第1線が「面倒くさいから売らない」というのは当事者が悪いのでなく、経営の問題である。もったいない話だと思う。
 この事例は唯単に鉄道だけでなく、あらゆる業種に見受けられる。スーパーマーケットで「○○商品はどこにありますか」と聞いたら嫌な顔をしてあごでアッチ。書店で本が売り切れてないというので「取り寄せて貰えますか」というと嫌な顔をする店がある。居酒屋で入ろうとすると席が一部空いているのに「満席です」と言って「お待ち下さい」とも言わない。サービス業だけでなく、消費財、生産財の世界でも「売るのが面倒だから売らない」という社会主義国のようなことが、まだこの不景気で物が売れない時代に日本でも残っているのは残念である。2002年10月4日 11:59:59


「変てこりんな品質保証」
 1年程前に、ある大手の百円ショップで目覚ましタイプの置時計を買った。秒刻み音がやや大きいのと、バッテリーの上がりが早いけれど、時間は正確で電池交換のとき意外は時刻調整をしたことが無い。今でも使っているが大変満足をしている。
 急に家内が旅行用に目覚し時計が欲しいと言い出したので、その百円ショップで小型の目覚まし時計を買った。電池も普段使わない小さな電池で、別売のためこれも100円出して買った。家に帰って開けてみると「この時計は1%程度の不良品が入っているので、不具合があったら買った所へ持ってくれば、交換する」と印刷されていた。使ってみたところ、長針が不安定なのと遅れがひどいので、買った所へ持参して交換してもらった。買ってから1週間後であったが、もうその品物が無く、それより1サイズ上の時計になった。これは電池が単4使用で自宅にある。取り替えた物はまだ使用していないので品質についてはまだわからない。
 市場に「1%不良品が出るよ(AQL1%)」という品質保証はQC屋として何だかへんてこりんな気がする。解っているのなら出荷検査などして市場に出さなければよいと思うが、売価100円では出荷検査すらできないということか。でも、数字を出して品質保証をしていることはよいことだと思う。
 手間隙かけて、交通費を使って、100円の小型電池が使えなくなって、それで100円救えたらしいということは、私は鎌倉時代の長者に戻ったようだ。(鎌倉時代の長者が、落とした小銭を大勢の人夫に提灯を持たせて探させたという故事がある)
 百円ショップの品質保証とは何かこれからどんどん物価が安くなるが、そういう商品の品質保証とは何かということを考えさせられた。2002年9月20日 12:43:31


「やっぱり品質(日ハムと雪印)」
 相変わらず、企業の経営モラルがマスコミで問題になっている。今、日ハムが槍玉に上がっているが、スーパー等の小売業では製品ボイコットが行われている。でも日ハム製品は一部の販売店で最近、ボイコット解除に動きだした。一方、雪印の製品は未だにごく少量を店頭に見かけるのみで大きなダメージを受け続けている。
 両社とも業界ダントツ1位の食品会社であるが、その差は何かというと、トラブルの原因が品質問題であるかどうかということである。同じダメージでも品質トラブルは如何にダメージが大きいかということを今回は勉強させられた。2002年8月26日 11:49:39


「サッカーW杯フランス」
 サッカーのワールドカップで、4年前の前回優勝チームであるフランスが、1勝もできずに予選落ちしてしまった。サミットに上り詰めるのは大変なことであるが、転げ落ちるのに何と早いことか。
 敗因についてはいろいろあると思うが、素人の私がとやかく言えることではない。ただ、世間ではこういう場合、「驕り」とか「慢心」という言葉で片付けてしまうケースが多い。企業経営でも同様である。ただ、私はこの程度の反省や敗因分析では「勝ちて冑の緒を締めよ」程度の対策しか浮かんでこない。
 スポーツチームも企業も存続させて行くことに意味があるとすれば、勝ったその時から次のことを考えていかなければならない。頂上から次の頂上を目指すには、必ず一度は下りを降りなければならない。つまり、今まで一番大切にしてきたものを捨てる(殺す)ということである。これは指導者自身も逡巡してしまうし、まして周囲からは猛反対を受ける。今まで最高であったものを捨てる(殺す)のであるから。
 w杯のフランスを見て私自身、捨てる(殺す)ことの大切さを教わった。2002年6月12日 11:33:20


「東京スタイル株主総会」
 今どきの繊維産業で、株式配当を数百%も筆頭株主から要求されるような、金持ちの企業が日本に存在するとは知らなかった。
 この株主総会のニュースから、今世間でいろいろ議論されている、経営というものについて再度考えてみた。@会社経営とは?A会社は誰のもの?
 @会社経営の目的は利益を出すことであると一応世間では言われている。でも、利益の出し方が問題であると私は考えている。ともすると世間では、今回の例のように利益を全て株主に還元しさえすればよいという、アングロサクソン的な短期利益獲得主義の考え方に陥りやすい。でも、賭場ではあるまいし、我々が期待する会社は長期にわたって収穫できる「金の成る木」であって欲しいのである。つまり会社は永遠の発展と存続を目的にしなければならない。
 Aイエス・ノーの返事で代表されるアングロサクソン人の単細胞的二元論から言えば「会社は株主の物」という考え方は単純で分かり易く、対応がしやすい。一方、日本人の複雑的あいまい論の「株主だけではなくて、従業員や調達先や顧客などのたくさんの人の物」と言う考え方があるが、これだと何が何だか分からなくなり、諸問題に対応し難い
 ただ、この@の長期利益還元という考え方からすると、逃げ足の一番素早い株主だけに目を向けた経営は成り立つのだろうか。ただ、できるだけ株主に逃げられない経営だけはしなければならないだろうが。2002年6月12日 10:45:37


「イベント列車なつかしの○○号大繁盛」
 鉄道オタクの息子に頼まれて「イベント列車」の座席指定券を買いに行った。
 1ヶ月前の朝9時半にA駅に行ったところ、そのイベント列車の指定券を買おうとする先客がもう6人もいた。隣のB駅に急いで行くと、先客はまだいなかったので、発売開始時間10時ジャストにスイッチオンして貰ったが、満席と画面に表示され購入することができなかった。0.0数秒の勝負に窓口の駅員は600席ほどでは、いつもこうなんですよと平然としていた。彼の話では「イベント列車」でもたまには売れ残るのもあるが、大半がこのように瞬時に売切れてしまうそうである。
 「イベント列車」を1編成走らせるには大変な労力がかかり、その費用を計算したら、満席になっても採算上はどうかわからないが、お客様(この場合マニアだけかもしれない)に喜んでもらえることはすばらしいことである。
 私たち企業人も、今まで通りの考え方のただ単に大量生産大量販売だけでは、価格競争に巻き込まれて最終的には売れなくなるのはわかっている。それを避けるヒントとしてマスではなくてニッチのユーザーを対象に、手間隙かけることはできないが、きめの細かい企画力(知恵)で勝負すことも考えてみる必要があるのではないかと思った。2002年5月23日 12:27:47


「企業のディスクロージャー」
 今週の日曜日7日に家内、息子と3人で横須賀へ行ったところ、米軍基地の一般開放があり、入場希望者が1Km以上も長蛇の列で並んでいた。家内と息子が以前、米軍の座間キャンプに行ったことがあり、当時のことを思い出して、それはそれは楽しかったと懐かしがっていた。世界中の国の中で一般の人に自国の軍事基地を見て貰うという国が他にあるかどうか知らないが、米国の懐の深さには感心した。
 一方、日本の企業の懐中に入ってみると、企業の内外に対してただ「情報を独占していたい」という個人または組織の潜在ニーズだけにより、情報を秘密という大義名分で隠しているケースが非常に多い。多くの経験から私はお客様にご迷惑がかかること意外は、秘密にしても企業にとって何のメリットもないと思っている。
 今、日本国政府は我々個人に対し、間接金融から直接金融へ、貯蓄も自己責任をとって博打をしろと奨励している。リスクに責任を持ってもっと儲かる株や債券を買えということだが、我々素人には情報はほとんど皆無で、プロに聞けといわれても利害関係が錯綜するため信用できない。とすると、私たちが選ぶ企業は「儲かる企業」ではなくて「好きな企業」ということになる。「私はあなたが好きです。もっと社会の役に立つ仕事をどんどんしてください。そのための活動資金としてささやかですが私のお金を使ってください」ということでしか投資ができない。そのためには、私たちがほれ込むための情報を提供して欲しいのだ。
 会社の将来の戦略を私が聞こうとすると「それは企業秘密です。ライバルに知られると困ります」等と言っている会社が日本では実に多い。こんな会社はこれからは絶対に生き残れないと思う。2002年4月9日 9:47:56


「大きいからといって怖くない」
 かねがね、企業の経営のお手伝いをしていて気にしていたことであるが、大企業では組織が大きくなり過ぎて情報のつながりが遅く、トップの決断が遅れ企業が鈍重型になっている。それにも拘らず、日本の大手企業と称するところでは、大きくなければ生き残れないとばかりに合併を繰り返している。21世紀の経営はIT(情報)戦争の時代である。それに勝って生き残るしかない。それには即断即決、即行動の身軽型の企業しか生き残れない。もう20世紀ではないということを大企業の経営者はわかっているのだろうか。
 一方それと対照の零細企業では、大企業が襲ってくると怯えている。今こそ、小さな企業がやれることが山ほどある時代にも拘らず、相変わらずの20世紀的経営に固守している。
 1例として、かつて、文京区一繁盛商店街であった私の町の柳町商店街は、大手スーパーとディベロッパーに浸食されて無くなってしまった。休日は休むは、配達はしないは、パックの入れ目は大きいは、これではスーパーとどこが違うのか。小さいからこそ機敏にユーザーニースに対応できるのに、自分の都合だけで商売してはもはや21世紀は生き残れない。
 日経新聞4月5日(金)P33「経済教室」に野口悠紀夫青山学院大学教授がその辺のところを触れているが、その通りだと思う。
 みずほ銀行のざまは何だ。1部のシステム関連の人間は知っていたはずだ。それが決定権のある上部までつながらなかったことによる悲劇である。
 経営好調の企業は組織は必然的に大きくなってしまう。21世紀は組織を大きくしないということが大きな経営課題になるのではないか。
2002年4月8日 9:53:50


「感動という商品」
 先日、娘が高校時代の仲間の結婚式に出席して、母校の恩師のスピーチがすばらしくて感動したといって帰ってきた。
 スピーチを職業の一部としている私にとっては、大変興味をそそられる話である。私は話し方が下手でスピーチには大変苦労をしている。ただ、お客様のニーズにできるだけ合わせるようにしようと考えて話しをしてきた。ところがお客様はそれだけでは満足していないようである。当方がうまくいったかなと思うスピーチは意外と反応が鈍く、失敗スピーチと思った話に「先生。あの話しよかったよ」等と言われてとまどっている。お客様は自分のニーズを超えたもの、自分が考えてもいなかった話しを期待しているのだ、つまり感動を求めているのだ、ということに気が付いた。「これは難しい!日暮れて道遠し」である。
 昨今、日本の経済停滞がひどいと叫ばれている。日本(世界も含めて)の経済が急激に伸張した時代を振り返ると、その直前に大きなパラダイムシフト(基本的価値観の激変)が起こっている。日本の戦後の経済成長は「お客様は神様です」というパラダイムシフトによって起こった。日本の現在の閉塞感打破には新たなパラダイムシフトが必要である。それは「神様に感動を」ということになる。ニーズを超越した、思っても見なかった期待以上の感動的な商品(ハードもソフトも)を提供することを21世紀の我々経営者のねらいとしたい。難しいけれど。2002年2月10日 9:51:52


「働くことのクオリティー」
 「日本の人件費が高い」ということで、日本産業のエース製造業が○国周辺へ工場を移転させている。仮に日本の年収が○国の年収の20倍とすると、今後とも○国よりも20倍の経済的豊かさを維持しようとするとしたら、○国よりも20倍差以上に仕事の質を高めて行かなければならない。量は1日24時間でかわらないから、両国の差はたいしたことはない。質である。
 「貴方の今やっている仕事は○国の20倍以上ハイクオリティー、ハイグレードですか」もしそうでなければ、他の日本の産業に「おんぶして貰っている」わけで、それをこのまま続ければ○国に追い上げられることになる
 企業では、第一線のの人々からトップに至るまで、全員が働くことの質を高め続けることを進めて行かなければ、競争に負けて生き延びられない
 ○国の人が観光で日本に来て「わあ、日本は物価が安くてなんてすばらしい国だ」と言われたら、喜ぶべきことであろうか。2002年1月4日 10:37:20


「ラーメン40円の時代」
 26日(水)の日経新聞に「経済諮問会議がデフレ2003年度脱却(物価が上昇に転じる)との見通しを示す方針」という記事が出ていた。私が生きてきた20世紀後半は第2次世界大戦の後始末と冷戦の影響で地球規模では物不足が続き、トレンドとしてインフレの時代であった。今から40数年前、私が学生時代のころはラーメン1杯40円の時代であった。今は500円以上している。
 20世紀末期から21世紀にはいると、冷戦の終結と同時に東アジア、東南アジア、東欧などの国々の生産力が上がり始め、地球規模では物余りの時代になった。これだけ経済が地球規模になってしまって、もはや国と国との戦争をすることが不可能となった現在、21世紀の前半はトレンドとしてデフレ時代となることは間違いないだろう。経済諮問委員会が何と言おうと、40数年後はまた、ラーメン1杯40円になるかもしれない経営者(家庭も含む)はこのことは覚悟して経営しなければならない。
 21世紀は知恵の時代である。これからの知識情報社会では優秀な人材不足の時代になる。日本人が外国人より豊な生活を続けてゆくには、教育(学校、企業内、自己啓発)レベルの向上しかない。安価な労働力で行えるベルトコンベアー生産方式から、多品種少量生産に対応でき、高度な知能を必要とするセル生産方式を日本の物作りの原点にしなければならない。コンベア-物は海外へ委譲し、企画力、販売力、マネジメント力などの総合力を高めるための知恵を結集するシステム作りが日本の生き残りの唯一の道である。
 それにしても、私はインフレもデフレも同等の悪だと思うのだが、昨今の経済学者の間では同等ではなく、インフレよりデフレのほうがより悪いというような風潮があるのは理解できない。2001年12月27日 11:01:51


「トップ。オマル、ムシャラフ、ブッシュ、小泉」
 今回のアフガニスタン空爆に関係した「トップの対応の仕方」が企業経営を考える上で大変参考になった。
 アフガニスタン(タリバン)最高指導者オマルは勝てもしない米軍相手に「国民よ武器を取って戦え」と言って国を滅ぼしてしまった。ロシアに勝ったとでも思ったのだあろうか。一方、ムシャラフ、パキスタン大統領は国民の大半が「アンチ米国」にもかかわらず、この時とばかり米国の弱みに付け込んで、米国からの援助を引き出している。
 ブッシュ大統領は「国民から歓呼の声に送られて」アフガニスタン空爆を行い、危ない橋を渡っている。日本の小泉首相は外国や国内から非難を受けながら、相変わらずの本音と建前を使い分けている。日本に戦略が在るのやら無いのやら。諸外国から不気味がられている。
 国民の総意に従うのがトップの役目か。かつて、日本では「よきにはからえ」的経営が一つの経営モデルとして存在した。一方「つべこべいうな、おれについてこい」的経営も存在した。最近の日本の大型倒産の例を見ると、その倒産理由は前者が半分、後者が半分のような気がする。今回の空爆の例のように国や企業を潰したり、弱らせたり、大博打を打ったり、外部不信を起こしたりしないために、トップはどうしたらよいのだろうか。
 「米百表」の故事ではないが、国民や従業員全員にもっと勉強してもらい、苦しくともトップと国民や従業員全員が一丸となって知恵を出し合って経営していくシステムを構築するのがベストではないか。2001年11月22日 10:56:27


「今年の補正予算について」
 今年の補正予算を米国のテロ事件もあったことだし、「もっと増額しろ」という経済学者の意見が喧しい。ケインズ流にいえばそういうことになるのかもしれないが、そうすれば「景気が上向くのか」という保証については、誰も何とも言わない。前のこの項の「インフレ目標値」でも述べたが、経営の世界から見ると経済学のことはどうもよくわからない。
 よくよく考えてみると、経営の世界で企業の経営改善をしようとするときには、生産性の向上が主な目的となる。そのためには応急対策と恒久的な対策とがあるが、経営指導者の眼から見ると「経済学は応急対策をする学問」ではないかと思われる。予算を少々いじくったところで国家の本質が変わらなければ、景気上昇などは一過性で終わってしまう。日本の1990年代はまさにその哲を踏んできたのではないか。
 経営改善に取り組んできた私たちは「できない言い訳はするな。どうやったら阻害要因を取り除いて、新しい改善が出来るか考えよう」というのが鉄則であった。今、国家の生産性を上げようという時に、国を指導する立場の官僚や代議士がこぞって、国の機構改革に「出来ない理由」を言っているほうが、補正予算などよりよほど問題ではないか。


「米国議会反対1票について」
 アメリカという国はすごい国ですね。今回のテロ事件のような、こういう満場一致型の決定の場でも必ず、たった一人でも反対する人がいるのですね。
 多くの企業でコンサルティングやいろいろな団体等の組織でもまれてきた私の経験から「満場一致で決まったことは後になってみると、ろくな結果にならない」ということが例外なく言えるのです。
 そんな古い昔ではありませんが「コメを一粒も外国から入れない」という議決が国会議員の満場一致でなされましたが、それからいくらもしないうちにウルグアイランドでパーになったことなどもいい例ですね。
 かつて、ある小さな月刊誌の編集委員をやっていたときに、ある事情で「その雑誌のネーミングを変えよう」ということになりました。編集委員全員が賛成ということで、私も大賛成でしたが、以上のような理由から急遽、私一人がディペード的発想と手法で猛反対に回りました。昼で終わる予定の会議が、夜中までかかりました。
 でも、そのときの議論の議事録がその月刊誌発行のコンセプト(指針)として、今非常に役立っています。編集上のことでもめると「議事録、議事録」といってバイブルのように扱われています。
 企業内の会議でも、絶対に満場一致にしてはいけません。後で必ず、後悔することが起きますから。


「インフレ目標値」

 現在の日本経済の閉塞状態を打破するために「インフレ目標値を示せ」という経済学者の意見が喧しい。私は経営の話なら自信を持っているけれど、経済の話でこんな提案が出てくると、経済学のことは何もわかっていないのだと自信を無くしてしまっている。
 「デフレ目標値を決めろ」というのならわかる。「今年下半期はこれ位のデフレ率に、来年上半期にはこれ位のデフレ率に、最終的に中国との物価格差をこれ位に」というのならわかる。「我々国民はそのために何をし、何を覚悟せねばならないか。指導者は何をしなければならないか」という進路を示すことができる。デフレスパイラルが怖いのではない。急激なデフレが起こるのが怖いのであるインフレもデフレも良いことではないが、まったくゼロというわけにはいかないので緩やかな形にして行こうということではないのか。デフレ傾向の時代になぜインフレ目標などという出来もしない目標を掲げるのか
 赤字の続く企業が黒字目標を掲げるのとは全然意味が違うということを経済学者はどう考えているのだろうか。(赤字は悪、黒字は善)(インフレもデフレも悪)


「ニューヨーク、ワシントンの大惨事」
  かつて、日本の底力とされた「和を持って尊しとなす」や「出る杭は打たれる」という風習が、この10年間の日本の経済停滞で見直され「もっと自己主張を」とか「グローバル化」とか「強いことはいいことだ」という価値観に変わってきました。でも「強ければいい」という価値観も、今回のこの惨事でグローバルな経営モデルではない、ということが証明されてしまいました。
  最近のリストラで希望退職者を募ると、あっという間に予定数をクリアーしてしまうという世相ですが、これも単なる退職金の魅力だけでなく「いつかチャンスが到来したら、会社をやめたい」という人が大勢いたということではないのでしょうか。
  トヨタ自動車の成功例や日産自動車のゴーン流改革の成功例から「全員を巻き込んだ知恵の出し合いのシステム作り」が現代唯一の成功への道ではないかと思います。
 企業や全世界の人々全員が弱者や若者を含めて、ただ単に話し合いの場を設けるということでなくどうしたら企業や地球が良くなるかという知恵を出せる場、つまりシステムを作れないか」と思っています。


「兵庫・明石の花火大会圧死事故」
 兵庫県明石市の花火大会で多数の観客が死傷されたことに、謹んでご冥福とお見舞いを申しあげます。
 ただ、相変わらずのマスコミ報道に時代の古さを感じました。確かに、公の機関の対応のまずさはあったでしょうが、全てをそちらにもっていくのはいかにも日本的ではないでしょうか。米国では、マスコミは「もっと、個人一人一人が自分の安全に対して身を守る努力をしなければならない」という報道にになるのではないかと思います。
 今、政府は国民に預貯金をしないで、株を買えと奨励しています。昨日我が家へ信用金庫の外務員が来ました。彼曰く「今までは上司から、預貯金を取って来いと言われ続けてきましたが、今度は投資信託を売れとかわりました。今まで30年間も個人的にお付き合いさせていただいたお客様に、元本の保証できない商品をお勧めすることは、手堅さで信用を得てきた金融機関の一員として、とてもできない」とこぼしていました。
 今回の構造改革は「国民一人一人がリスクを負え、もうお上に頼るな」ということです。構造改革に賛同しているマスコミがこんな古い偏った報道をしては困ります。マスコミ内もまた構造改革をして欲しいのですが、国に頼るな、政治に頼るな、警備体制に頼るな、マスコミに頼るなということです。
 私たち国民一人一人がリスクを負い、知恵を出し、よく遊び、よく学び、汗水流して働けば、こんな経済的閉塞感など簡単に吹っ飛ばせるのです。「職(既得権)を失ったらどうしよう。コメ作りネギ作り(既得権)を失ったらどうしよう」と既得権を失うことにおびえているから、問題は何時までたっても解決しないのです。
企業経営もまったく同じです。


「富山県小杉町のコーラン破棄事件」
 先日、富山県の小杉町でパキスタン人の経営する中古車置き場に、コーランが裂かれて投げ捨てられていたということから、怒ったパキスタン人が町役場や県庁にデモで抗議をするという事件があった。
 その新聞記事の写真を見て、デモを仕掛けたパキスタン人がこちらが想像していたよりも多いのにびっくりした。たまたま数年前に新潟県新津市でパキスタン人と日本人の結婚式に出くわして、そのときのパキスタン人の多さに驚いたのを思い出し、地方都市でもこちらが思っている以上に外国人が増えているという事実を知った。
 町役場や県庁の職員は思ってもみなかった異文化との摩擦にさぞやびっくりし、対応に苦慮されたことと思われる。我々日本人の殆どはコーラン(の本)は物であり、パキスタン人にとっては心である。その文化ギャップに始めて出くわしたときにどうしてよいかわからないのが普通である。これから日本ではこんなことがもっと頻発するであろう。文化摩擦を避けるためにだからと言って、外国人を日本から追い出すことはできない。摩擦が発生してもその都度何とか解決していかなければならない。なにしろ、日本人の使った中古車をパキスタン人がロシア人に売ってくれているという時代なのだから。
 それと同じく、企業でも外国人を今以上に大勢受け入れなければならないという事態が、グローバル化という意味で避けて通れない。この時、想像もつかないような文化摩擦に頻繁に出くわすようになるであろう。私のお手伝いした会社でも、@メッカの方向がわかるように工場の床の主だったところに矢印を付けてくれ、A食事での牛肉はハレルの儀式を行ったものにしてくれ(豚肉を刻んだ包丁で処理した牛肉なんか食えるか)、B(これは中国人の話だが)工場の食堂の臭いに耐えられないので別の部屋で食事をできるようにしてくれ(日本人からすれば中国の食堂のほうが日本より臭いが強いと思うのだが)など、これらはどれも数十人全員の要求で、担当者からすれれば信じられないような問題にびっくりしていた。
 これらのギャップは研究したり、情報収集をしたりすればある程度は予測できるが、それでもできないものの方が多いのではないか。そうであるならば、ギャップが発生しそうになった、あるいは発生したときに逃げ腰でなく、積極的に対応するのが一番問題解決の近道ではないか。それがまた日本(人)にとってグローバルを知るという意味でも一番有効ではないかと思う。


「政府の個人株主奨励策」
 株式持合い制度が崩壊して、金融機関が保有してきた株を「株式買取機構」を作って政府が買ってやろう、という話が出てきた。問題解決策としてこんなナンセンスな話はないが、これについてはここでは触れない。
 長引く日本の不景気を何とかしようという対策の一環として「個人株主奨励策」というのが出てきた。税制や制度を変えて個人が株を買いやすくしようというのがねらいである。諸外国と比べて日本の個人の株式所有が極端に少ない。個人の現金は殆ど郵便貯金に廻ってしまい、株とか債権などの直接投資に廻っていない。国民よ、もっと株を買えということらしい。政府は国民に博打をしろと奨励しているのか。でも、郵便貯金や銀行普通預金でもペイオフがあって今までのように国民はリスクを負わないで国に安全を期待するのはもうお断り、とのことらしい。でも、こんな姑息な手段で今の株安を解決できると思っているのか。かって、こんなお粗末な株式制度でも株高の時代があったのだ。株安を解決する基本対策は発行企業が利潤を出し、その夢を提供するようにすることが本質である。株を買えば儲かるということがわかれば、国民は買うのだ。
 企業で問題解決のお手伝いをしていると、いろいろアイディアが出てきて、一つ一つはなるほどと思うのだが、それを組み合わせると前記の株式対策のような風が吹けば桶屋が儲かる的なボタンのかけ違いが生じることがある。それを避けるには2つの方法がある。
 一つは、複眼的方法で、21世紀の問題発生の要因は複雑多元的になり、その解は複数になる。従って、一つの解に凝り固まるのではなく、複数の解を検討する複眼的な見方が必要になってくる。
 二つ目は、従来のオーソドックスなやり方を忠実に実行することである。仮説をたててデータで検証し対策とすることである。企業ではややもすると仮説が先行し、仮説を対策にして検証をしないことが多い。データ解析は重要である。日本の一般国民が株を買わないのは「バブル末期に株に手を出させられて、ババをつかまされて大損をさせられた人がいかに多かったか」というデータを見れば一目瞭然である。また、日本で現在金持ちの大半は老人である。聞けば「この年になって、後いくらもないのに金儲けしてみても、死んで持って行けるわけでなし、それより損をしたくない」と言うのがおちである。「わからなかったら聞け。ただし真に受けるな。本音は何か」「税金を取られるから株を買わない、とは何が言いたいのかを知れ」「税金を取られるのがいやだから、商売をしない」なんていう人がいるだろうか。


「マツダ」と「マイカル」
 「そばめし」が売れて過ぎて、生産が追いつくまで再度発売中止にしたそうであるが、私はまだ食べていない。「麺と米では食感が合わなくて美味しいのかなあ」とよく売れる理由がわからないでいる。
 自動車会社の「マツダ」とスーパーの「マイカル」が希望退職を募ったところ、わずか1日とか半日で目標を達成したというニュースを聞いて、別の意味でよく売れた理由に私は驚いている。終身雇用制に対する意識が若者だけではなく中堅社員にもここに来て急激に崩壊してきていることがわかる。これらの経営上の変化の激しさにトップはついて行くのが大変である。
 希望退職者を募ると、優秀な人間から辞めて行く。残った人間で後をやっていくとなれば、従来通りのやり方で続けていたのでは、人材低下という点でうまく行かなくなるのが通例である。外部から優秀な人材を引っこ抜いてくることができないとなれば、内部の人間を優秀な人材に育て上げなければならない。つまり、今まで以上に教育に企業のトップは力を入れなければならない。ところが、教育はすぐには効果が出てこないし、それなりに費用もかかる。希望退職者を募るという状態になったときの企業の経営状態は時間的にそんな悠長なことは言っていられないし、教育に費用をかける余裕も無い。私の今までの経験から、殆どの経営者はわかっていながらそこのところを無為に過ごして経営をジリ貧にしてしまった方が多かった。企業は人なり人材無くして経営無し
 もう一つ私の経験から「全ての人間は潜在的には優秀なものを持っている」ということを知った。「この人は使い物にならないのではないか」という人がある日突然、優秀な人材に変身したケースを何度もお目にかかっている。従業員を優秀な人材に育て上げられないのは経営の責任である。教育というとすぐ、Off-JT(集合教育)を思い出すが、O-JT(職場の仕事をやりながら覚える教育)の方が時間(早く)、費用(安く)、効果(役に立つ)という観点からよりベターだと思う。O-JT教育をお勧めする。これからは終身雇用制が崩壊して、人材の移動が激しくなるであろうが、だからと言って「人材教育を疎かにした経営は成り立たない」と強く感じている。


「首相のゴルフ」
 ゴルフは私はやらないが、休日に首相がゴルフをやるのは私人として当然なことだと思う。また、マスコミではとやかく言っているが今回の事件のレベルでは、連絡をとりながらゴルフを続けたことに対しても、別に非難されるようなことではなかったと思っている。官邸に急いで取って返してそこで陣頭指揮をすればこの事故の処理がより好転したとは考えられないし、総理大臣だからといって24時間仕事をしなければいけないわけでもないだろう。近年情報機器が発達してゴルフをやりながらも逐一情報が入る時代になった。第2報、第3報を利用してそれから行動を起こしても、今回の場合は別に問題はなかったのではないかと思われる。私も出歩くのが商売で、家との連絡にはそれなりに気を使っている。完全なエマージェンシーであれば、判断は簡単であるが、微妙なケースでは、つい「もう少し状況を見て」ということになる。
 それはそうではあるが、今回の場合は惜しいチャンスを逸したような気がする。素早く行動を起こし、陣頭指揮を行えば、少しは人気取りになったのではないか。私もある種の人気取りという観点から、こういう微妙なケースでは行動を素早く起こしたほうが良いと反省した。
 企業トップの方、何時もこういうケースに多々出くわしておられると思いますが、ご意見をお聞かせください。


「良いデフレ・悪いデフレ 良い物価下落・悪い物価下落」
 デフレや物価下落を良いとか悪いとか、ある価値観で決め付けてしまうことにはいささか抵抗があるが、ものを考えるときの整理に使ったり、表現したりするときには便利である。そのような理由からこの言葉を使わせて貰う。
 コンサルタントとして過去二十数年間、特にこの10年間は原価低減の指導を多くの企業でやってきた。乾いた雑巾を絞る(実際はまだビシャビシャの濡れ雑巾ではあるが)ような思いで必死に努力をしてきた。それが物価に反映してここで言う良い物価下落、つまり良いデフレに協力してきた積りである。資本主義においては「原価低減は絶対的な善」であると考えてやってきた。ところがここに来て世間では「物価が下がりつづけるデフレスパイラルは悪である。政府や日銀はインフレ目標を示せ」などという輩が出てきた。
 これからは好むと好まざるとに関らず、グローバル社会の時代である。経済でグローバルに戦わなければならない時代になった。つまり「国体」から「オリンピック」に否応無く出場するようなもので、強い敵がワンサと居る。
 日本は外国と比べて物価が高いといわれている。また、人件費が高いので外国製品と競争できないといわれている。生産拠点も安い人件費を求めて海外に移している。でも「ユニクロ」や「マクドナルド」が画期的な低価格で大きな利益を出している。これは「よい物価下落」であるが、そのコンペチターは生き残りをかけて価格破壊に追従している。これが良い物価下落なのか、悪い物価下落なのかはわからない。その内、ついて行けなくなった企業は電話帳から消えてなくなるだろう。これは悪い物価下落であるが、資本主義の掟で早く死んでもらわないと後のものが伸びられないということである。質の高い企業のみが生き残り繁栄できるために日本がこれまでのインフレ体質で付けた垢や澱を早く削ぎ落とすためにも、デフレスパイラル大歓迎である。これまで数十年間血のにじむ思いでやってきた男の観点から、必死に努力した企業のみが救われるという日本にしたい。


「新大久保駅の転落救助事件」
 最近、気の滅入る話ばかりが新聞を賑わしているが、その中でもこの事件を知った時は言いようのない悔しさを感じた。よく街中で他人にからまれたりして困っている人が居ても、周辺の人は見て見ぬ振りをして、誰も助けてあげないケースを見かける。私も時々憤慨してその事件に入り込むこともあるが、殆どは君子危うきに近寄らずで済ましてしまうことが多い。
 今回の事件も善意が通じなくて、全員の死という形で終わってしまったことに、この世には神も仏も無いのかという虚しさ、悔しさを感じた。
 しかし、結果から見れば、相手を助けられなかったのだから、愚かな行動ということになる。こういうエマージェンシー発生時に、とっさの判断で行動を起こさなければならないとすると、企業ではどんな訓練をしておかなければならないのだろうか。これは個人の生まれつきのセンスの問題であって、訓練方法は無いのだろうか。企業内の安全管理の中にKYTというのがあるが、こんな程度のことしかないのだろうか。
 まして、経営のトップは常に少ない情報からすばやい判断を要求される。ひとたび間違えると、末端の者まで大きな被害を受ける。バブル期に手を広げる判断をしたトップが経営していた企業では今、四苦八苦しているところが多い。危機管理と称して何かやっているところもあるようだが、要は、私たちは常日頃からエマージェンシーの予測を積み重ねて行き、それに対応する方法を準備しておく以外にとっさの時の判断力を養っておく以外に方法は無いのではないかと、考えさせられる事件であった。
 どなたか、名案があれば教えていただきたい。


「成人式の不祥事」
 今年の成人式の荒れ模様が新聞などのマスコミを賑わしたが、概ね各マスコミとも騒いだ若者を非難した論調であった。私も一部の騒いだ連中を弁護する気はさらさらないが、何故騒いだかということに触れてみたい。
 全国的にいろいろあったらしいが、特に高知県と高松市の例が顕著に報道された。この2つの共通点は四国であることと、自治体の首長の講演で起きたということである。四国という環境については、私は不勉強で何も知らないが、首長の講演ということについてはいささかびっくりした。私が小中学の頃、始業式や終業式に自治体の首長が話しをしに来たが、どれもつまらなくて静かにしてはいたが、腹の中はブーイングであった。さすが成人式のときはどこかの大学の先生だったと思うが、これもつまらない話であった。ただ、一つだけ覚えているのは「大人の世界では、全てがきれい事ででは片付かないよ。そういう時はこんな考え方で対処するといいよ」という例をいくつかあげた話しだけは覚えている。この時、どんなつまらない話でも、こちらの聞き手のセンスさえあれば、それなりに自分の役に立つものがあるのだと知った。この考え方はある種の反面教師として自分のその後の人生に大変役jに立っている。
 今時、成人式に自治体の首長が出て行くとは私の40数年前の経験からするとびっくりであった。なんと主催者の企画力のなさよ。聞き手はユーザーである。お客様ですよ。お客様に迎合する必要はないが、ニーズに合わせる、真にお客様が求めていることに対応するという発想が完全に欠けていたのではないか。教えてやる、教育してやる、ありがたく聞けというプロダクトアウトの考えに凝り固まっていたところを一部の若者に突かれたのではないか。私は先輩から「2人以上の聴講者が居眠りしていたらその講義、講演は失敗だったと思え」と教えられた。それくらいの覚悟で、プロとして真剣勝負で臨めということだと思う。
 私たちが提供する商品(ハードもソフトも)に対して、企画力の重要性を改めて再認識した。


「やっぱり品質」
 最近、商業の世界でもいろいろな不祥事が喧伝されている。そごうの破綻、ダイエーのトップ交代などバブルのツケが表面化してきたのであろう。イトーヨーカドーがダイエーを売上高で追い越したとか、そのイトーヨーカドーをジャスコが利益で追い越したとか、この2000年は商業会で変化の過渡期に直面しているようである。
 その中で、ユニクロのファーストリテイリングが異彩を放っている。安売りのくせに売上高ではかなわないイトーヨーカドーより利益が多いそうである。周辺の人に聞いたところによると、ユニクロの商品の品質はまあまあであるという。私はかつて、中国や東南アジアの縫製業にも少しかかわっていたことがあるが、現地で品質を良くする事は至難の業であった。
 1023()の朝日新聞夕刊1面に創業者柳井正さんが「中国の技術でも、同一製品をつくり続ければ品質はよくなります」と言っているが、品質を良くする事はそんな生易しいものではない相当の努力をしているはずで、私はそこのところが一番知りたい。
 とはいえ、今中国は品質面でまあまあの商品を作れるようになってきたのも確かであろう。どちらにしても、安くても「やっぱり品質」が基本であると言うことを改めて認識した次第である。



「三菱自動車のリコール隠蔽問題」
 今回の問題も初めは一担当者またはその直属の上司の会社を守ろうとする善意?から起こったことである。ところが企業の大小を問わず組織はそれを容認する方向へいつのまにか走る。それが組織の持つ特徴である。この件については雪印乳業のところで述べているので省略する。
 ところが、ここに一人の悪意?の人間がいた。密告をしたのである。一般に、一人の密告者に対して、百人の密告予備軍がいるといわれている。近頃、マスコミでは内部告発によって明るみに出た事件と思われるものが非常に多くなっている。これを防ぐには、清く正しくあれば良いのだが、企業は生き物である以上、叩けば埃が出るのは防ぎようが無い。私の子供(社会人)は家で食事の時に時々自分の勤めている会社の愚痴をこぼす。そして最後に「俺の会社の内部の一部を外部にチクレば、会社は間違いなく潰れるぜ」と嘯いている。
 この問題を解決することはほとんど不可能に近いと思われるが、唯一の方便としてガス抜きを作ることである。外部にタレコム前に社内にタレコメル組織を作って置けないだろうか。 私の息子の意見を聞くと、会社の役に立つ意見をずいぶんもっているのですがねえ。

「ロシア原潜と報告」
 ロシア原潜のニュースで驚いたことには「あれだけのニュースがよく我々のところに届いたな」ということである。つい先日までのロシアで軍事施設のトラブル問題は全て軍事機密として闇から闇に葬られていたはずである。今回の件もロシアの高官にとって、最近の情報伝達のパワーをまざまざと見せ付けられてびっくりしたのではないか。
 次から次へと発表される高官の状況説明は聞いている素人でもまったく信用できないような矛盾した内容で情報後進国であると伺えた。事実に対する報告はほとんど無く、類推による状況報告だけである。例えば、ハッチに1人いるという発表が有ったが、どういう事実に基づいて言っているのか、まったく不明であった。つまり、何時の時点まで内部と交信し、どのような内容であったかなど、まったく事実が語られていない。
 ただ、私たち日本の企業人も情報を聞き取る者、報告する者ともその点が曖昧になっていることが多いように思われる。
  @それは事実か類推か
  A類推とすればどういう事実に基づいてどう推論した結果か
  B最悪の事態はどうなるか
ということを聞く方も、話すほうも心がけて話すようにせねばと、
今回の原潜事件で反省た。

「雪印乳業の不祥事」
 雪印乳業へは私は直接品質管理の指導をしたことはないのですが、雪印と取引のあった企業へは数社かかわってきました。それらのどの企業の方も「雪印さんはすばらしい。日本の食品会社の中ではナンバーワンの会社だ」とおっしゃっておられましたし、事実その会社の一部のデータにはそのような事実が読み取れました。20年程前になりますが、私が粉ミルクのことで雪印の社長当てにクレームをつけたことがあるのですが、そのときの対応の仕方がずば抜けていました。速さといい、内容(質)といい毅然とした態度で私が納得のいく回答をしてくれました。私は品質管理屋ですので、社会正義のためにクレームは積極的に出すのですが、その中でもクレーム対応は雪印がダントツナンバーワンでした。それがこのたび、品質管理といい、クレーム対応といい、なんとお粗末な。
 いくつかの私の指導会社で、かつて製品に雑菌が入るというテーマで原因追究をしたことがありましたが、今回のようにバルブに発生源があったというケースが何がしかありました。それほどプロからすれば、バルブに雑菌が付きやすいというのは常識です。でも、その問題解決をした会社では10年経つとそのトラブルを知っている人は半分以下に減ってしまいました。当時、必死になって原因を調べ、大変な思いをしてマニュアルを作りましたが、マニュアルの存在すら知らない人が半数以下に何時の間にかなってしまっています。
 これを解決するには「徹底」です。問題が解決したと思ったときに止めるのではなく、もっとダイナミックに継続してゆくことです。継続は力です。品質問題が解決したら、今度はコスト・リダクションにチャレンジするのです。「もっと安くできないか。もっと手が抜けないか」と徹底して追究して行けば、厳しいマニュアルに変えて行けます。忘れられてしまうことはなくなるでしょう。
 クレーム対応についても、危機管理の問題としていますが、それよりも情報管理の問題だと思います。トップには悪い情報は伝わりにくいというのが、組織の特徴です。まず、トップは常に現場に出て行くこと。そして、指導会を開いて悪さ、問題点が常に全員の共通認識になるようにしておくことが大切です。日本は10年前までに、品質問題のおおどころは潰しましたが、その後、急にコスト問題に変わりました。でも、その徹底さが不十分です。80年代にあれだけ品質問題に大勢の人の知恵を結集したそのやり方が、90年代のコストリダクション問題に大勢の人の知恵がなぜ結集できなかったのでしょうか。安易な海外シフトやリストラと称する首切りでコストが下がるのでしょうか。見かけ上は下がっても大トラブルを起こしては何にもなりません。
 80年代のような、会社の悪さ、問題点が従業員全員の共通認識とし、全員の知恵が総結集できるようなシステムを構築したいものです。

「今回の選挙」と「IT革命」
 今回の衆議院議員選挙で私の選挙区では、ITを強力に推し進めなければならない省の大物大臣が落選しました。選挙期間中はただひたすら名前だけの連呼、連呼だけでした。
 あまりのうるささに、20代の長男はホームページに苦情を入れようとしましたが、ホームページにはアクセスできませんでした。長男は「ひょっとすると落ちるかも」と言っていましたが、案の定その通りになりました。
 かつて、連呼は選挙期間中の運動として大変有効な手段でした。「あの先生は頑張ってやっているようだから、1票入れてやるか」と連呼という少ない情報の中から私たちは微妙なニュアンスを嗅ぎ取って投票をしていました。
 しかし、今や情報の渦です。ITという手段を使えば自分の個人主張はあまねく伝わる時代になりました。その先端を行ってもらいたい政治家が一番遅れているのを、今回の選挙で嫌というほど見せ付けられました。
 私たちの企業にとっても「ついこの間までは有効な効率のよい手段であったものが、あっという間に陳腐化してしまう恐ろしさがある」(特にIT利用の世界では)ということを「他山の石」として肝に銘じて置かなければならないと今回の選挙で教わりました。



「三国人」と「神の国」
 今春、私が手を掛けて面倒を見ていた30歳代前半の後輩Sから「メールアドレスが変わりました」というメールがはいりましたので、「委細了承しました」という返事をメールでしました。
 ところが、すぐにSから私の長男宛てに「了承とは何だ。お前の親父をもうちょっと何とかしろ」というメールが来ました。Sは私の長男と親しくしていたのですが、この返事には唖然としてしまいました。私にとって何のことやらさっぱりわかりません。まず、長男に聞いてみました。「おかしいか?」「そりゃ、おかしいよ。もっと簡単にしなければ」「これ以上短くならないよ」「違うよ。親父とは話しにならねえ」とさっさと消えてしまいました。
 次に国語が得意な長女に聞きました。「了承という言葉はごく偉い人が下の人に使う言葉でこのケースではとても失礼な返事よ。本人が憤慨しているのは当然よ」「でも、僕は目上の人にも使っているけれど。蔑視、軽蔑用語かい」「違うってば。どう説明をしていいかわからない」とやはり逃げられてしまいました。
 いよいよ私の頭の中は混乱してしまいました。「了承」という言葉を使ってご迷惑をかけている会社の方に謝りかたがた状況を話し、意見を聞いてみなした。皆さん「別に。ちっとも気になりませんよ」とおっしゃいます。しかし、傍で聞いている若い人は首をかしげたり、にやっと笑っています。その人達に「使い方おかしいですか」と聞くと「おかしいです」「どこが。なぜ」「うーん。わかりません」と言う返事しか返ってきません。どうやら、30歳代後半を境に評価が異なるようです。
 そうこうしているうちに「三国人」「神の国」問題が発生しました。私には古い違和感のある言葉です。そうです。何となくわかってきました。若い人にとって「了承」という言葉は古い違和感のある言葉だったのです。この件に関しては、私に謝罪、撤回の意志がないのと同様に、I先輩、M先輩も同様でしょう。言葉の世代間ギャップというのは恐ろしいですね。
 問題解決の1方法として「まず人(お客様)に聞け」というのが鉄則ですが、人に聞いただけでは問題は解決しません。すぐ傍のいいところまで話してくれるのですが、少しずれます。でも、問題解決はやはり、人(お客様)からよく聞くところから始めて、実態を調べ、よく考える(知恵を働かせる)のが正道だということを今回もまた追体験をしました。

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