1220日(土)

 

 


 

さて、近畿日本ツーリストのマイツアーは、旅行会社が飛行機とホテルだけを予約してくれるが、それ以外は全て客の自由行動になるプランである。3泊4日で、5万円。年末とはいえ、や、安い。とはいえ、さすがに全額を部費では負担できないので、5万円は各自が自腹を切り、現地での交通費や食事代を部費持ちということにした。そして、財布の紐は奥井さんが締めた。しっかり者の彼女なら安心だ。

 

上海は、成田から飛行機で3時間程度である。隣の席の人と雑談しているうちに到着だ。

 

昼過ぎに到着して、真っ先に感じたのは「埃っぽさ」である。土地柄のせいもあるだろうが、何しろ街中で建設工事をやっているので、そのせいなのだろう。旅行会社が手配してくれたマイクロバスで、「上海賓館」に到着する。まあ、小奇麗なホテルだ。

 

時刻は3時で、すごく中途半端な時間だった。とりあえず、みんなでロビーに座ってコーヒーを飲みながら、次の予定を煮詰めることにした。主導権を握ったのは、もちろん、上海に何度も来た事がある中村先生であった。

 

先生は、「まずは『上海雑技団』の公演を見たいので、チケットを買いに行こう」と提案した。そこで、みんなで雑技団の公演先のホテル(上海ヒルトン)まで歩き、会計係の奥井さんがそこの窓口で2日後の公演のチケットを買ってくれた。

 

歩きながら感じたのは、土地の広さと建物の高さである。日本と違って大きな国土を持つ国の余裕なのだろう。それにしても、埃の多さには閉口した。喉がガラガラになって、口を利くのがたいへんになってくる。

 

さて、チケットを買った我々は、歩いてホテルに戻り、しばし自室でくつろいで腹が減るのを待った。これから川沿いで食事をし、それからいわゆる上海バンスキング(ジャズ)を聴きに行く予定であった。

 

部屋割りは、中村先生はもちろん一人部屋だが、奥井さんも一人部屋、俺と御子柴くんがペア、花井さんと戸丸さんがペアといった4室構成であった。奥井さんが一人ぼっちなのは、石原姉さんがドタキャンしたからである。

 

俺と御子ちゃんは、しばし雑談に花を咲かせてからロビーに降りた。全員集合してから、タクシーを拾って川沿いまで行く。川と言うのは、長江の支流の黄浦江である。市街からこの川を挟んだ向こうには、円筒形の巨大な塔が建っていた。いわゆる上海タワー(東方明珠塔)である。このテレビ塔は、市街のどの場所からでも見えるので、迷子になったときに便利な存在だ。

 

川辺は公園になっていて、多くの人々が散歩に興じていた。ほとんどが中国人のはずなのだが、顔立ちも服装も、日本人とまったく見分けが付かない。近づいて言葉を聞いて、初めて異国の人だということが分かる。さすがは上海、経済特別区。行きかう家族連れは、みんな笑顔を満面に浮かべて本当に幸せそうだ。もしかすると、彼らは平均的な日本人よりも幸せなんじゃないだろうか?

 

沈む夕日を背後にしながら、俺たちは飯屋を探して街をさまよった。少し奥まったところに小籠包の店があったので、みんなでそこに入ったところ、すごく大衆的でアットホームな明るい店だった。大盛りの小籠包(上海名物)が、うまそうな臭いと湯気を立てて運ばれて来たので、それをみんなでパクつこうとしたところ、花井女史が何を思ったか、卓上の箸入れの壷に、鼻をかんだ紙を投げ込みおった。びっくりして「何をするんです?」と聞いたところ、「ゴミ箱かと思ったわ」とクールなお返事。確かに汚い壷ではあるが、箸がたくさん入っているものがゴミ箱のわけはないだろう。・・・俺たちは、結局、花井女史の鼻汁がついた箸で小籠包を食べる羽目に陥ったのである。ううむ・・・。

 

その後、花井女史は「疲れたからホテルで休む」というので、奥井さんと戸丸さんがタクシーで送って行った。先生と俺と御子柴くんは、再び川べりに出て、もう1件、飯屋を探した。男性陣は、さすがに小籠包だけでは満腹できないからね。

 

先生は、「現地人が集うような店が一番美味い」と言った。俺の経験からも、その通りだと思う。そこで、汚いラーメン屋に入った。そこは、狭くて乱雑で、テーブルの上も床の上も残飯やゴミでいっぱいの、どうしようもない店だった。これが夏場なら、ハエがウヨウヨ舞っていたことだろうから、冬場に来たのは大正解。でも、食い物は確かに美味かった。俺は「油そば」を注文したのだが、頬が落ちるくらいに美味かった。やっぱり、中国の食文化は素晴らしいなあ。

 

俺たちは、すっかり満腹&満足したので、上海バンスキングの会場である「和平飯店」に向かった。そこのロビーで戸丸さんと待ち合わせて、広いホールに入ってからカクテルを片手にジャズを聴いた。奏者はみんなかなりの年配だが、演奏の技量はおそらくそんなに高くないのだろう。でも、この場所でこの雰囲気で聴くからこそ価値があるのだ。

 

演奏終了後、ホテルのロビーで記念撮影をしてから、タクシーを分乗して「上海賓館」に帰った。

 

中国のホテルで気づいたのは、サービスのやり方が日本と違う点である。たとえばトイレには、白衣をまとった係員のオッサンが待機していて、こちらが用を済ませた後にお絞りを渡してくれるのだ。はっきり言って「余計なお世話」である。キャバ○ラじゃないんだからさあ。どうせなら、綺麗なお姉さんにお絞りを渡してもらいたいのが人情ってもんだよな。

 

また、エレベーターホールには美しい女性係員が待機してくれるのだが、この人はエレベーターの前でリフトの呼び出しボタンを押すだけで、リフトに一緒に乗り込んでくれないのである。これじゃあ、狭い場所でセクハラが出来ないじゃないか・・ごほ、げほ、がは。じゃなくて、そもそも存在する意味がないじゃないか。

 

そういうところに、「文化の違い」を感じてしまうのだな。

 

部屋に入った俺と御子ちゃんは、ガイドブックを開いて、明日の予定を煮詰めに入った。実は、2日目は各自で自由行動することに決まったのだ。

 

リーダーの中村先生は、「私は、明日は一人で行動するから」と言い捨てて、さっさと自室に入ってしまった。

 

しばし呆然とする我ら。

 

先生が、日本にいるときに「私は中国語が堪能だから安心だ」と言ったのは、「みんなにとって安心」という意味ではなくて「自分ひとりで行動しても安心」という意味だったらしい。ううむ、公認会計士らしい身勝手な行動パターンだなあ。置き去りにされた我々は、どうなるのだ?まあ、俺も御子ちゃんも奥井さんも、海外旅行の経験は豊富だから、それなりに大丈夫なのだが。

 

この新事態を前に、俺はオバちゃん軍団と別れて、可愛い後輩である御子柴くんと同一行動することに決めていた。御子ちゃんは、(少なくとも俺の前では)感受性豊かで素直な後輩なのだった。彼は、何度か深夜まで一緒に酒を飲んで、俺の下宿先に泊まったこともあるので気心が知れている。

 

でも、部長の立場として気になるのは戸丸さんのことである。彼女一人を、奥井&花井タッグ(強烈な個性の持ち主たち!)の前に投げ出すのは、野獣の群れに子羊を投げ込むのと同様であって、いくらなんでも不人情ではあるまいか。そこで御子ちゃんと相談の上、戸丸さんを仲間に入れることにした。

 

すると、卓上の電話が鳴った。電話は奥井さんからで、なんでも花井さんの部屋で飲み会をやるから来いというのだ。寝たんじゃなかったのか?ともあれ、花井さんの部屋に、中村先生を除く全員が集まり、花井さんがどこかで買い込んで来た老酒で乾杯と相成ったのである。でも、あんまり楽しくなかった。オバサン二人は、悪い人ではないのだが、なんか妙に個性が濃いのである。

 

でかい声ではいえないが、俺と御子柴くんはオバサンが苦手なのだった。

 

精神的に疲労した俺と御子ちゃんは、よろよろと自室に戻り、そして明日は最初に豫園を訪れることに決めて爆睡した。