このパンフ発行にあたっての「ダメ押し」




   (1)「自分勝手」の犯人探し 

 発信元がブント本部内の赤石印刷であることが判明する前から、私たちはこの怪文書がブントによって作られた可能性が高いと見ていた。細かくなるが、当初の「疑惑のポイント」を振り返ってみたい。
 第一のポイントは、左翼党派が敵対党派を攻撃する時に使用する典型的な用語法や論理が散りばめられていることである。例えば「パニックにおち入り」といった言い回し。党派の内ゲバ記事では、たいていの「敵」は正義の鉄槌を下されて「パニックにおち入る」のがお約束になっている。「敵」の文章からの文意をねじ曲げた御都合主義的引用や、「敵」の戸籍名を暴露する恫喝も、定番といってよい。「元秋の嵐に属する」云々、などと無関係な個人的経歴を持ち出すのは、ありもしない組織的背景を匂わせることで「敵」を「大衆」から孤立させるための常套手段である。(私もかつて数人の仲間とやっていた反原発運動を、共産党機関紙「赤旗」で「ブント系組織」などと書きたてられ面食らったことがある。そのグループには、ブントはおろか過去に何らかの党に属した経験のある者すらいなかったのだが。)こうした文面は、少しでも党派機関紙などを読みかじった者にとってはあまりに懐かしいものだ。円熟した職人芸と言ってもいい。
 上に列記した内容は、後に「SENKI」紙上で公式に再主張されている。
 ところで私たちは、『共同声明』をひろげてゆく中で、こうした内ゲバ的文脈で受け取られないように細心の注意を払った。事実に反した内容に満ちた「SENKI」の記事を、全文コピーしてわざわざ多くの人に読んでもらい、私たちの主張を比較検証する機会をつくったのもそのためだ。
 「疑惑のポイント」に戻ろう。「神奈川在住の労働者D氏」が登場するが、有名人というわけでもないD氏について、その居住地まで知っている人は限られてくるだろう。そして、彼は私たちの古くからの友人であると同時に、神奈川の反基地闘争の現場ではブントの人々とも交流がある。
 この文書が送付された先も不自然であった。
 『共同声明』のホームページに電子メールで送られて来たのは当然としても、そのメールの頭書きから、この文書がなぜか東京経済大学の山崎カヲル氏にも同時に送られていることが分かった。山崎氏はブントの集会で度々講演を行っている人である。この直前に私の知人が事件について訴えるメールを送っており、ブントとしては信頼を失いたくない相手なのは確かだ(山崎氏は後に事件について発言している。 48〜49頁参照)。
 呼びかけ人の一人、玄田生氏には郵便で送られて来た。彼は著書の中で住所を公開していない。引っ越して間もない新居を知っている人は限られてくるが、襲撃事件直前にブント幹部G氏に名刺を渡しているので、ブントはその住所を知っている。一方でブントに住所を特定されていない他の二人の呼びかけ人の自宅には、結局この文書は送られて来なかった。
 最も疑惑を誘ったのは、『共同声明』賛同人の一人、小林義也氏の自宅に郵送されて来たことである。彼はかつて戦旗・共産同(今のブント)の三里塚現闘に属していたが、政治活動そのものから離れてすでに久しい。ロフトで出会った人に住所を教えたこともないという。ところが、かつてのブント時代の「同志」たちは、彼の住所を知っている。
 ひとつひとつは漠然としていても、こうして並べてみればブントが最も疑わしい。そしてその後、ネット上での検索によって赤石印刷が発信元であることが分かり、「疑惑」は「確定」となったのである。
 おしまいにエピソードをひとつ。「自分勝手」が各地に置きビラなどされてから一ヶ月後、新宿のミニコミ書店・模索舎に一人の男がビラの束を抱えて現れた。すでに模索舎に持ち込まれていた「自分勝手」を補充しに来たのである。模索舎の店員は、このビラには発行者の連絡先がないがどういうことか、と質問した。すると男は「友達に頼まれただけだから…」と呟くと、ビラを持ったままそそくさと立ち去ったという。

   (2)「血気」に登場する「某党派」について 

 「血気」で主に攻撃されている「レーニン主義を標傍する某党派」というのは、昔から戦旗共産同(ブント)と対立している戦旗西田派のことである。私たちの共同声明のことをインターネットで知った西田派が、それを利用してブントを攻撃する記事を彼らの機関紙に載せたのだ (46〜47頁参照)。 この記事に対抗する要請が、ブントに「血気」を書かせたと言える。断っておくが、私たちはこの西田派の党派的なブント批判とは全く関係がないし、共同声明賛同人の中にも西田派やその関係者は含まれていない。
 ところで、7月8日に荒岱介と鈴木邦男が対談を行なった事実がブント機関紙上で明らかにされたのはこの「血気」(10/5発行)がはじめてである。

   (3)「幕開け」のH君の不思議な「ミミズ腫れ」 

 茶化したりするとまた「血の気の多い若者」に殴られるかも知れないので私たちの「反論」ビラでは指摘しなかったが、この文章には不思議な箇所がある。ブントの学生「H君」が佐藤君に殴られたと主張するくだりであるが、平手打ちされたのは「右の頬」とあるのに、ミミズ腫れになったのは「左の頬」となっているのだ。右の頬を打たれたら左の頬がミミズ腫れとはキリストもびっくりである。
 もちろん「反論」ビラでも書いたとおりそんな事件はなかったと佐藤氏は言っている。本来7・16の襲撃事件とは何の関係もない話だが、一応目撃証言を載せておく。文中、「とめに入った店員」として出てくる梅造氏である。
 「佐藤さんとブントの人たちが、言い合いになったりしてもめている様子でした。そのうちに1人が立ち上がって佐藤さんに詰め寄って罵声を浴びせ始めたので、止めに入りました。
 その時に「警察を呼びますよ」なんて言ってません。佐藤さんが手を出したというのも、ぼくは見てませんね。」

 ところで、ブントメンバーのセリフとして、佐藤君がブント在籍中に「86年の天皇主義右翼との攻防中」「現場から逃亡したじゃないか」云々という話が出てくる。佐藤君によればそうした事実はないということだが、こういうことを言えば「敵」の言説をおとしめられるという感性には、本当にやり切れない思いがする。はっきり言って「下劣」である。「臆病者は黙ってろ」というのは、少なくとも人間的な社会をめざす論理ではない。
 佐藤氏のセリフとして引用されている「うるせーな、オレの自由だろ」「なんでこんなところに来たんだ云々」というのもねつ造である。
 そもそも、この事件をめぐるブント側の文章の中で、ブントメンバーの個人名が出てくるのは「H君」ただ一人である。私たちは、呼びかけ人の名を明らかにしてきたし、ブントによって戸籍名を宣伝されてもきた。ところが「ファシスト」と闘った正義の若者たちすら、名乗り出ないと言うのはどういうことか。私たちは、個々人の問題ではないという考えから、襲撃者たちの名前すらこちらからは明らかにしなかったのだが、それをいいことに襲撃メンバーの一人で40代のM氏などは、方々の運動で他人事のような顔をして事件を「論評」してまわっていたのである。無惨な人間的退廃という他はない。

   (4)「波紋」の著者は荒岱介氏 

 「波紋」の署名は(文人 正)となっている。これはブント代表者の荒岱介氏のもう一つの筆名である。だからこれは、ブントとしての最終的見解と言っていい。ちなみに模索者の名木田氏が、共同声明側の言い分だけを聞いてブントを批判したことについて「今度訂正文を出すとか言っていた」とあるが、どのような「訂正」が出されたかは 42頁を見て頂きたい。
 「波紋」は、全体としては「血気」「幕開け」に書かれている内容のくり返しだが、「『襲撃を許さない共同声明の自分勝手』が送られてきた」と、はじめて「自分勝手」に明確に言及している。
 怪文書がブント製作によるものであることはすでに「反論」ビラなどで明らかにした通りである。しかし荒氏はロフトや共同声明について、「それを見てだいたいわかってきた」と語るのだ。もはや言うべき言葉もない。

   (5)ちゅう太郎問題 

 私たち呼びかけ人は、この事件に注目して頂いた方々に、お詫びしなければならないことがある。「幕開け」に取り上げられているちゅう太郎氏(モルモット)の「セリフ」についてである。
 呼びかけ人の中にその能力を持つ者がいなかったために、私たちはHPの立ち上げを佐藤氏に依頼した。ちゅう太郎氏の「セリフ」は、この時、佐藤氏が事前の承認もなく勝手に入れたものである。完成後のチェックでこれを発見した我々は、すぐに削除を要求した。私たちは「コミュニストとファシストの内ゲバ」などという下らないことをやっているのではない。賛同してくれた人々に対しても侮辱することだ。
 実際にこのセリフがHPに掲示されていたのは二日弱。その間にブントの目にとまり、「幕開け」で取り上げられるに至った。向こうの方がマメにチェックしていたということだろう。
 ところで、荒岱介氏は「波紋」の中で、ちゅう太郎氏の賛同そのものが「削られた」かのように印象を与える書き方をしているが、ちゅう太郎氏は、今も変わることなく賛同者の一匹である。慌てて写真まで削ってしまったことが、こうした言い方を許してしまったのが、今となっては悔やまれる(写真は、その後、 復活している)。
 ちゅう太郎氏は、「佐藤家同居者代表」として、名を連ねている。これは当初賛同を強く希望していた佐藤氏の同居人(人間)に対して「危険すぎる」という理由で私たち呼びかけ人が「賛同」を思い留まらせざるを得なかったことから思いついた「冗談」である。そこには無念と苦い思いも込められているのである。
 現在まで「幕開け」氏のように「モルモットと同席させるのか」と抗議してきた人は1人もいない。冗談に決まっているからだ。詰まるところ、「幕開け」氏の言っていることは「冗談など言う奴は不真面目だ」というだけにすぎない。逆に「多少血の気が多く」ても、正義と「人間的自由」への情熱さえあれば、集団リンチといういささか卑怯な暴力を振るおうが、嘘を並べようが、その「赤誠」ゆえに許されるというわけだ。しかし「真面目」とは、そういうことだろうか。
 こうした「危険な純粋さ」が、どれだけ厄災をもたらしてきたか、私たちは日本近代史に学ぶことが出来る。
 そうした歴史との戦いの意味さえ込めて、あらためて言っておく。
 「モルモットが賛同人!」これでいいのだ。






      賛同人のちゅう太郎氏は
     九九年三月二十一日逝去されました。
     慎んでご冥福をお祈りいたします。


 >「死んだチュウ!」